第33話 未来へと続く王道


       ◇


 イスカンダリアの空に無数の錬金術師アルケミスト達が舞い上がり、まるで地上から天へと逆行する流星の如く蝗の群れを焼き尽くしていく。

 地上では名門出身の術師達が代々受け継ぐ自慢の登場者キャラクターを引っ張り出し、イスカンダリア創設以来の豪華な共演が獅子頭の怪物を蹴散らしていた。

 イスカンダリアの民に手出しできないティアマトの落とし達は黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの船員を狙おうとするも、市民と船員が互いに背中を預け合う陣形で戦うせいで、攻めあぐねていた。

 それでも恐ろしきは、母なる竜ティアマトが持つ生命創造の権能である。

 神殿と化したエヌマエリスそのものを戯曲シナリオとし、無尽蔵のエーテルと術式レシピから生み出される怪物達は、次第に抵抗する人間達を疲弊させていった。


 表情がかげり始めた民の頭上に、羽ばたく影が飛来する。


術札アルカナが尽きた者は大図書館に向かえ! 国庫を開放しておいたワイ!」


 当代双角王クラウディオスは自ら最前線に赴き、【万人による闘争リヴァイアサン】を頭上に冠して敵軍団へと向かっていく。

 巨大なエイが宙を泳ぎ、竜の炎で怪物を灰に変えると同時に水の壁で皆を守る姿は、尽きぬ敵を前に折れ始めていた民の戦意を大いに奮起させた。


 ジルも二代目双角王との戦いで術札アルカナこそ尽きているが、旗を武器代わりに戦場を立ち回る。

 彼女は拳銃型散弾銃ブランダーバスを撃つフランソワと背中合わせで踊りながら、敵の急所を的確に破壊していく。


「団長、このままじゃキリがねぇぞ!」

「母なる竜ティアマトの生み出す、十一種の怪物達……あれは竜を母体に、文字通り無限に輪廻を繰り返して生まれてくる登場者キャラクター達だ。本体を叩かない限り、このままジリ貧だろうね」

「大灯台まで行くしかねえな。その前に、この自称守護神共に道を空けてもらわきゃならん訳だが!」


 吸血鬼がやけくそ気味に銃を撃つと、広場の方から大きな翼が飛び上がった。

 有翼の獣に変じたベルと、それにしがみつくアルカが上空から戦況を見渡す。


「皆さん! ボク達はこれから、ティアマトを倒しに行きます!」


 少年は相棒の背中から地上に身を乗り出し、皆へ聞こえるように声を張り上げて宣言した。


「あいつら、上手くやりやがったか!」


 フランソワは平時なら考えられない程はしゃいだ声を上げると、背後に迫っていた獅子頭の頭蓋を、顎から銃火で吹き飛ばす。


「おっと、悪いな。グラスだと思って〈乾杯〉しちまった」


 ベルは翼に風を掴み、放たれた矢の如く上空へと昇っていく。その姿を、大灯台の大鏡が捉えていた。鏡面に大灯台から供給されたエーテルが収束し、白熱する熱の塊へと変わっていく。

 一隻の艦船として建造された大灯台が備える、エーテル主砲。人へ向けるにはあまりにも過剰な火力が、標的へと無慈悲に放たれる。

 対するベルは青白い光を纏って空中で急激に加速すると、間一髪で熱線を回避した。

 安堵したのも束の間。熱線の内側から巨大な火球が大王達の横を掠め、頭上で大爆発を引き起こして進路を塞ぐ。

 止んだ熱線の内側から現れたのは、二人を見上げるアリストテレスであった。その顔は彼の内心に渦巻く暗い感情に歪んでいる。


「何も知らないお子さま風情が……竜を討つだなんて、冗談にしても不愉快だよ」

「子供の冗談と宣う割には、随分と必死だな」

「無論。馬鹿には教育が必要だと悟ったまでだ。君達にはその教材になってもらおうか!」


 アリストテレスは術札アルカナも使わずに印を結ぶ。

 ベル・ゼブルから創世術【エヌマエリス】の所有権を授けられ、今やアリストテレスもティアマトと同様に世界そのものを戯曲シナリオとして、凡ゆる術を術式レシピなしで発動できる状態になっていた。


演技アクション――【ティアマトの怨嗟】!」


 腹式呼吸で発声と同時に顔を前へと突き出せば、口元から竜の炎が吹き荒れて空を赤く染める。

 大気中に放出された【ティアマトの怨嗟】は、あらゆる可燃性物質へと連鎖的に点火する。

 術師の望むがままに、無限に広がり続ける〈意志を持つ炎〉。放出後数秒で火柱は上空の黒煙すらも飲み込み、天をも焦がさん劫火へと成長した。


「私をハルモニア如きと同等に捉えてもらっては困るよ。君達とは術師としての格が、天と地程も違うのだから」


 物言わぬ熱の塊に向けて、アリストテレスは冷静さを取り戻した口調で悦に浸る。

 その背中を、加速運動の塊が天から抉り込む角度で撃ち抜いた。


「がはっ――!」


 吹き飛ばされた原初の錬金術師は印を結んで仮想運動を構築し、空中で身体を静止させる。

 振り返ると、劫火を潜り抜けたベルとアルカが無傷な姿で頭上を取っていた。


「なれは隙だらけだな。ハルモニアなら、この程度の攻撃は難なくかわしていたぞ」

「このっ……あの術を一体どうやって……!」

 ――吐き捨てながら、老獪な術師はベルの背に抱き付くアルカの姿を認める。

「そういえば、背中の小さいのは水の術が得意だったね。眼中になかったよ。登場者キャラクター――【蓋然性神属人類アヌンナキ】」


 アリストテレスは印を結んで、両手を下から上へと、大地をひっくり返すかの如く振り仰ぐ。するとイスカンダリアの地面が鳴動しながら盛り上がり、巨人を模した土人形が石畳や住居を巻き上げながら錬成されていく。


「圧し潰せ」


 巨体からは想像もつかない――戯画的とさえ表現できる速度で巨人は両碗を振るい、羽虫も同然に二人を叩き潰した。

 破裂音の代わりに岩石同士がぶつかって砕ける轟音が周囲を打ち、衝撃波が地上の人々や怪物達にまで被害をもたらす。


「先程は巨大な炎で視界を塞いでしまったからね。少しむごいが、一番確実な方法でやらせてもらったよ。君達が生きていては――」


 背後からの衝撃が、再び饒舌を断った。


「ごぁはっ……!」

「よく喋るやつだな。舞台役者みたいだぞ」


 神の域に至った術を二度も無傷で生き延びたのみならず、余裕の台詞まで吐くベルを背中越しに見て、アリストテレスは青筋を立てた。


「叡智の結晶である私に対して……野蛮な拳で触れるな馬鹿がッ!」


 莫大なエーテルで覆った全身を仮想運動で駆動させ、原初の錬金術師は己の手で獲物を仕留めるべく手刀を固めて襲い掛かった。一見するとただの徒手空拳だが、莫大な運動エネルギーを纏う肉体はその一挙手一投足が爆薬にも匹敵する破壊力を秘める。

 近距離での肉弾戦を挑んだ事で、彼は初めて目の前のベルが一瞬にして視界から消え去る瞬間を目撃した。


「そう何度も――」


 背後を取られると予測していたアリストテレスは、反射的に背後へと裏拳を放つ。だがそれも虚しく空を切った時、原初の錬金術師は顔を凍り付かせた。


「上だぞ!」


 両の拳を固めた鉄槌が、アリストテレスの頭蓋を叩く。青白い光を纏うベルの身体は恐るべき加速運動を拳越しに伝え、敵の頸椎に致命的な損傷を与えた。

 金色だったベルの毛は、流星の如き青に染まっている。


「【王道モード流星王カール】。お前を貫いたのは、民が星に託してきた願いの重さだ!」


 カール十二世が編み出した、気流と仮想運動制御による超高速の立体機動。その最高速度は天を駆ける流星にも匹敵する。


「ぐうぉっ……よくも、私の頭を……!」


 原初の錬金術師は損傷した頭部を再生し、朦朧とする意識を無理矢理に復旧させた。

 落ち着きを取り戻すと、再び自身の肉体へ周囲のエーテルを結集させる。


「一論。君がどこまで加速しようが、所詮は現在の範疇に収まる事象だ。

 二論。現在は決して、未来を追い越す事はない。

 結論。君がどれほど速く動こうとも、〈未来を手中に収める私の力〉には決して敵わない」


 世界の万象を把握し、それを基に世界の行末を算出する未来視の力。ベル・ゼブルから世界を受け継いだ男は、かの王が臨んだ景色をその瞳に宿す。


「捕まえてみろ!」


 ベルは一条の流星と化し、動体視力を凌駕した速度でアリストテレスの頭上へと移動する。

 かと思えば背後の死角へと急降下し、再び飛び上がっては、同じように降下と上昇を幾度となく繰り返した。その挙動は敵の目に無数の残像を焼きつけ、さながら流星群となる。

 視覚の撹乱と同時に、振り撒かれたエーテルの像が第六感すらも機能不全に陥らせる。攻撃されている側は、大王が分身したように感じるだろう。


「……子供騙しだな」


 アリストテレスは目を閉じた。未来視の発動条件は、こうして現在の視覚情報を断つ事だ。空いた視野には脳内で算出された未来の光景が、動きを伴う連続的な視覚情報として再生される。


 完全に近い死角から放たれたベルの拳打は、最低限の回避によって空を切った。

 アリストテレスにしてみれば、予測していた座標へ、そっくりそのまま敵が飛びこんでくるのだ。その座標から事前に身体を逸らしておくだけで、どれだけ速い攻撃だろうと決してアリストテレスには追いつけない。


「私はベル・ゼブルから世界の所有権を譲り受けた。世界に起きる万象は所有者である私によって把握され、脳内に完璧な未来予想図を作成する。君達がどれだけ足掻こうが、全て私の掌の内なのさ!」


 避けるばかりではない。敵の飛び込んでくる座標に合わせてアリストテレスが拳を合わせれば、それは不可避の攻撃となって成立する。

 高速移動中のベルの頬を原初の錬金術師は完全に捉え、痛烈に殴り飛ばした。天属性で強化された拳が頑丈な肉体を破壊し、血の筋を引いて宙を舞わせる。


「ぐはっ!」

「これが神の力だ。君達とは生きる世界が違うんだよ」

「……それがなれの本音だろう。民と共に生きる気もないくせに、何が王だ!」


 ベルの体毛が、紅蓮の毛先を持つ黒に染まる。赤く変化した翼からは弓羽が開き、大王は羽矢を番えた。


「【王道モード零明王アルタシャタ】。天地の開闢以来、太陽はずっと人々を見守り続けてきた。民がその輝きを望む限り、何度でも日はまた昇る!」


 ティアマトによって太陽は飲まれ、今世界を照らしているのは竜が人々に見せている偽りの光に過ぎない。

 本来太陽からのエネルギーを収束しなければならない【アータルの裁き矢】に力をもたらしたのは、地上から湧き上がった民の願いだった。


 イスカンダリアの人々だけではない。遠く離れたパルシアの民達も、自ずと天に両手を掲げてエーテルを送る。彼らの心へ、姿なき王が号令をかけたかのように。

 白き乙女もまた、双眸に太陽を宿してパルシアの子供達と共に想いを捧げる。


「アルタシャタ様。あの子達をお守りください……!」


 大陸中から集まった光が、赤い炎のやじりとなってベルの下に届いた。


「無駄だ。どれだけのエーテルを注ぎ込もうが、未来には届きはしない!」


 アリストテレスは目の前の光景をせせら笑うと、目を閉じて未来視を発動させる。

 そこには、夜のように暗い瞼の裏が写っていた。


「――え?」


 ベルの手を離れた矢は爆炎として前方へと広く放射し、瞬く間に白い残光へと収束していく。渦巻く灼熱はアリストテレスを貫き、肉体の八割近くを灰へと変えた。


「ぎぎゃああああああッ!」


 頭部と左の腕を含む半身の一部だけを残した身体は、登場者キャラクターであっても即死を免れない損傷である。にもかかわらず、骨格からめきめきと再生を始める原初の錬金術師の肉体は最早、擬似生命の範疇すらも逸脱していた。


「何故だ……何故未来視が利かない……!」


 うわごとのように呟くアリストテレスに、ベルの背中にしがみつくアルカが口を開く。


「〈火属性は風属性に強い〉。錬金術キミアの基本ですよ。原理を聞く限り、お前の未来視は風属性に類する術です。〈世界の法則を任意に切り出し、行使する〉風属性の術は、〈意志の力で法則を突破する為の原動力を生み出す〉火属性に不利となる。〈意志の力は、世界の法則を突破しうる唯一の存在〉だからです。この場に集ったエヌマエリス中の人々の意志が、未来の計算を狂わせたんですよ」

「人間如きの意志が、神の定めた未来を狂わせるだと? そんな事があってたまるか!」

「四大元素の理論を構築したのはお前ですよ、アリストテレス。二千年前のなら、そんな情けない言葉は吐かなかったでしょうね」

「黙れ黙れ黙れッ! 人間だった頃の私の理論など、神の叡智には遠く及ばぬ欠陥品だ!」


 精神的な弱さを指摘され追い詰められたアリストテレスは、肉体の再生も半ばに目を閉じて未来に縋る。しかして瞼の裏にこびりついた闇は、千夜となって約束された未来を閉ざしていた。


「こんなものは何かの間違いだ! 私は、私は――」

 ――絶叫は不意に途絶え、絶望の中で原初の錬金術師は我に帰る。

「私はどこで……間違えた……?」


 二千年にも亘る時の流れを、アリストテレスは思い出せなかった。一体何が、今という結果を生んだのか。理想の未来ばかりを望んだ彼には、もはや願いの原点さえも思い出せなくなっていたのだ。仕えるべき王を失い、楽園を捧げようとした民にさえ拒絶され。一体なんの為に、自分は必死になっているのだろうと。

 原初の錬金術師はわなわなと震える手で頭を抱える。


「もう、駄目なのか……? 私がやっている事は、何もかも無駄だったのか……?」


「無駄にはさせません。その為に、ボク達は巡り合ったんです!」


 アルカは相棒の背中から身を乗り出し、アリストテレスへと手を伸ばす。その指先が、骨格に覆われた空洞に収まる魂に触れた。



 大理石の墓標の前で、王を失った錬金術師がうずくまって泣いている。

 その背中を眺めて、アルカは目の前の光景を少し絞るように瞼をきゅっと縮めた。


「貴方も……寂しかったんですね」



 心の奥で響いた言葉に弾かれて、アリストテレスが顔を上げる。

 その身体をベルが温かい腕の中で抱き締めていた。


「……友よ、随分と長く待たせたな」


 顔も声も、ベルのものだ。それでもアリストテレスには感じ取れた。


「イスカンダル。君、なのか……?」

「我が死んだとでも思ったか。最果ても見ぬうちに、眠ってなどいられんわ」

「私は……! き、君を殺してしまったのは私と思って……!」


 原初の錬金術師の目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

 そこには崇高な使命も人ならざる狂気もなく、愛する者を失った純粋な悲しみだけが人としての姿を洗い出していた。


「すまなかったな。我が我儘であったばかりに、友を独りにさせてしまった」

「……違うんだ。馬鹿なのは私の方だったんだよ。君が世界の果てを目指して、帰ってこなくなるのが怖かった。私は君の夢よりも、自分の身勝手な願望を優先させようとした大馬鹿者だ」

「愚かさは人のさがよ。だが我々の夢はまだ潰えておらん。友よ、我らが交わした〈契約〉を覚えているか?」


 双角王の言葉に、アリストテレスは晴れやかな笑みを浮かべた。


「忘れるものか。〈私は君を、最果ての楽園エルシオンへと連れていく〉」

「そうすれば――」


 王の声が途切れる。


「……イスカンダル?」


 アリストテレスは身体を引き、ベルの顔を覗こうとした。その時、手にぐちゃりとした感覚が襲う。

 骨格を芯に再生していくその手が、大王の腹部を貫いていたのだ。自分の意志に反する行為に、原初の錬金術師はひゅっと息を乱す。


「違うんだ、私はこんな――」


 弁明しようとするアリストテレスの全身を、黄金の楔が体内から無数に貫く。彼の身体は見えない巨大な手に操られる人形同然に、ぎこちなく動き始めた。

 乱暴に振られた腕が脱力したベルの身体と、まだ意識をアリストテレスの魂へと潜らせたままで相棒にしがみつくアルカを共に地上へと放り捨てる。

 血濡れた手は眼下へと向けられ、莫大なエーテルを収束させていく。身体の制御を失って、意識を保つ首から上だけが人質のように、望まぬ光景から目を逸らせなかった。


「やめろおおおおおお!」


 アリストテレスの悲痛な叫びも虚しく、【ティアマトの怨嗟】が赤い地獄への口を開いて二人を飲み込んだ。

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