第32話 双角王イスカンダル
ベルは白昼夢の中でソロモンから語られた、自身の出生やウロボロス計画の真実を仲間達へと話す。その内容は信じ難いものばかりであったが、皆真剣に各々が理解へと努めていた。
「つまり永遠の命を得たかと思いきや……実際は人類全体が滅びる危機に陥ってるって事ッスか」
アトラスが端的に状況を纏めてくれる。
「ああ。ハルモニアはそれを知らなかったんだと思うぞ」
ベルの推察に、ジルも「そうだね」と同意する。
「ソロモン氏の提唱する
――魔女は海の方向を眺める。
「竜がこの世界を治めている限り、私達は海の外へ出られないという事だ。閉ざされた世界を私は望まないよ」
団長の言葉に、船員達は歓声で応じた。
「問題はどうやってあの竜を撃ち落とすかだな。イスカンダルが魂を捨てなきゃならんような代物を、俺達でどうにかできるか?」
フランソワは冷静に場を収める。彼の言う通り、今ここに集う術師の手で竜を倒す事など不可能だろう。おそらくは、ジルや当代双角王であっても。
「……ボクとベルなら、いけるかもしれません」
静かに話を聞いていたアルカが立ち上がり、ベルの手を掴む。
「何か方法があるのか」
「ボクがベルを、イスカンダルの所へ連れていきます。そうすれば、〈ソロモンさんみたいに〉力を貸してくれるかもしれない」
「連れていく……? そんな事ができるのか」
「ベルはもう、一度体験している筈ですよ」
ソロモンと過ごした白い空間での不思議な夢が、大王の脳裏を過ぎる。
「まさか、あれはアルカが連れていってくれたのか」
「ベルと出会ってからです。ボクも不思議な夢を見るようになったのは。初めに見たのは、〈流星王の冷たくて孤独な過去〉の記憶でした」
凄惨な戦場での敗北と、故郷を捨てての死の行軍。その先で訪れた、絶望的な死。
「千夜城での戦いでも、大きくなったベルの後ろでアルタシャタさんの過去を見ていました。その時に気づいたんです。ボクには〈魂の記憶を覗く力〉があるんじゃないかって」
「ソロモンとはいつ出会ったのだ? 魂を自由に呼び出せるのか?」
「いえ。覗けるのは、〈相手が目の前にいる時〉だけだと思います。ソロモンさんの時は、向こうからボクの魂に呼びかけてくれたんです。ベルを助けたいって」
ベルはソロモンの想いを感じて嬉しい反面、あてが外れて残念なような、複雑な心境だ。
「だとしたら、イスカンダルを呼び出すのは無理か……」
相棒は頭を悩ませているが、アルカにはうまくいく予感があった。
「ベルは言ってましたよね。この世はまるで、イスカンダルの描いたシナリオみたいだって」
「ああ」
「ボクにはイスカンダルが、〈まだ生きている〉ように感じるんです。その魂のあり
その時、上空に巨大なエーテルのモニターが出現する。そこには室内にいると思われる、アリストテレスの上半身が映っていた。
「ごきげんよう、イスカンダリアの民よ。私の名はアリストテレス。双角王イスカンダルの家臣にして、この世界の新たな神の代理人だ」
放送は、ティアマトの力で元の位置へと戻っていた大灯台から街中へと向けられていた。呼び掛けに応じ、家屋の中からは次々と住人達が顔を出してくる。
「私は君達に永遠の命を与えた。死の恐怖に怯える事もなく、愛する者を失う心配もない。数多の
大灯台の大鏡が
「異国の船乗り達は君達の幸福を望まないそうだ。残念だがエヌマエリスの幸福な未来の為には、彼らを処刑しなくてはならなくなった」
アリストテレスが宣言すると、空間が歪んで無数の怪物達が虚空から錬成されていく。
獅子面の騎士が人間の上半身を持つ獅子に騎乗し、地上を埋め尽くす。
上空には蝗の竜巻が吹き荒れ、海の方では巨大な海蛇に乗った半魚人達が浮上して戦場を制圧した。
「安心するといい。彼等はエヌマエリスの守護神達だ。エヌマエリスの民には危害を加えはしない!」
原初の錬金術師が狡猾に市民へ懐柔を仕掛けると、恰幅のいい男が一人家から出てくる。
「――ほう。そんなら遠慮なくブン殴れるじゃねえか」
男は両手にメリケンサックを錬成すると、先陣を切っていた獅子頭の顔面を拳で貫き宙に舞わせる。
「嬢ちゃんはなぁ、ウチのお得意さんなんだよ。それにゲテモノ食いの先生がいねえと、先代の拵えた在庫がいつまで経っても処分できやしねえ」
「――ウルさん!」
アルカの叫びに獣耳の食物屋店主は、親指をぐっと立てて応える。
続いて無数に降り注いだ紅蓮の火球が、上空の蝗達を焼き払った。
「永遠の命ってのは魅力的だけど、ジルがいないんじゃ退屈だからね。それに海の外へ向かう
アルカとベルが出会うきっかけとなった――ほうき屋の女主人も、自慢の
「ほっほっほっ……久方振りに術師としての血が騒ぐわい。老兵にも一つ、花を持たせてもらおうかの!」
普段は階段のそばに座って街を眺めている老人までもが、背後に立派な重装騎士を錬成して戦列に加わる。敵の軍団に突っ込んでいった重装騎士は、手にした大戦斧の一振りで数体の敵を一気に薙ぎ払った。
他の市民達も各々が
「ジルさん達も僕達の大切な友人だ! 見殺しになんてできるかよ!」
「国を襲っておいて、好き勝手な事言ってんじゃねーぞ! 俺達の王はクラウディオス様なんだよ!」
「小さい子供を殺して得る永遠の命なんて、少しも欲しくないわ! いい迷惑よ!」
反抗する人々を見下ろし、画面に映るアリストテレスは呆然と理解を拒んでいた。
「何をしている……? 私は君達の味方だぞ。何故私の楽園を受け入れない……?」
困惑を隠せない原初の錬金術師に対し、ジルは大鏡越しに不敵な笑みを向けた。
「私達に
――魔女は船員の一人に手渡された旗を受け取り、敵軍に向けて振る。
「これより私達は、盟友であるイスカンダリアの人々を援護する! 私達が紡いできたシナリオから、無粋な神を叩き出そうではないかね!」
戦場によく通る声を合図に、船員達も街の人々と肩を並べて戦い始めた。
ジルも旗を担いで敵に立ち向かう直前、アルカとベルを振り返る。
「この場は任せたまえ。少年と王様には、最高のエンディングに繋がる伏線の回収を任せるよ」
託された大役にベルは親指を立て、アルカは胸を膨らませた。
「アイサ!」
少年は大王の手を引き、「こっちです!」と走り出す。
「アルカ、どうする気だ?」
「イスカンダルの慰霊碑の広場に行きましょう!」
街の人々に守られながら、二人は大理石の像が待つ広場へと向かう。
「広場にはプトレマイオス王家の初代が二代目双角王から奪った、イスカンダルの遺体が眠っているとされているんです」
「遺体を奪った……? なんの為にだ」
「イスカンダルがティアマトとの決戦に挑んだのは、ここから東のバビロン大砂漠にあった、バビロニアという亡国だとされています。そこで魂を失ったイスカンダルの肉体は、次の王都を決める証として王位継承候補者により奪い合われたんです」
最初に遺体を手にしたのは、艦隊の指揮官として決戦に参列していた後の二代目双角王、ペルディクスだった。
エヌマエリスから出て祖国マケドニアに遺体を持ち帰ろうとした彼女の艦隊を襲撃し、遺体を奪ったのが、同じく決戦に参加していた初代プトレマイオス。後の三代目双角王である。
彼はイスカンダルの矢によってティアマトの魂が封印された地をイスカンダリアと名づけ、そこに遺体を埋葬したのだ。
「遺体が本当にあるなら、ボクの能力を使えるかもしれません」
「……うむ。試してみる価値はあるな」
二人は手を繋いで、同じように手を繋ぐ大理石のイスカンダルとアリストテレスに対峙する。
「いきますよ、ベル。ボクを信じて、目を瞑ってください」
目を閉じると、アルカはベルの魂と手を繋いだまま、自分の魂をイスカンダルの燈に乗せて身体から離していく。
そして、地面の奥に眠る熱い光のようなものと接続した。
「来たか。待ちくたびれたぞ、友よ!」
先程とは何も変わらぬ景色の中で、慰霊碑と向き合って一人の男が胡座をかいている。
細工の施された黄金の鎧を身に纏い、背中に獅子毛皮のマントを羽織るその姿は、イスカンダリアの民が描く王のイメージの原典だ。
立ち上がって振り返ると、少し面長で馬を想わせる鼻筋の通った顔が人懐っこい笑みを浮かべていた。ウェーブのかかった黄金の髪は炎のように揺れ、黄金の双角は額で絡み合って原初の王冠を成している。
右に輝く黄金の瞳と、左に佇む青い
「我が名はイスカンダル。最果てを目指す、世界一の大馬鹿者だ!」
豪快な声色に似合わぬ、卑下にも聞こえる名乗りにアルカとベルはぽかんとする。
「どうだ? 今の口上は中々気に入っているのだが、今の若いのには合わなかったか?」
「え、いやそんな事は……!」
なんとか気の利いた言葉を選ぼうとする少年の横で、大王は腕を組んで口を開く。
「格好悪いぞ。何故自ら大馬鹿者などと名乗るのだ」
「ちょ、ちょっとベル。失礼ですよ!」
アルカはすかさず相棒を諌めるが、少し遅かったようだ。双角王は眉間にしわを寄せ、ベルの下へと詰め寄る。
「……気になるか!」
一転して華やいだ、太陽顔負けの眩い笑み。これには冷静沈着なベルも面食らう。
「昔夢を語った時に、国で一番賢い男から『君は馬鹿だ』と謗られてな。我はこう言い返してやったのだ。『世界で初めて何かを知ろうとした者は、愚かか否か!』と」
「分からん。どういう意味だ?」
「何事にも始まりはある。この世界とて、誰かが作って始めたものの一つだ。それは知識も同じ。誰かが何かを知ろうとしたからこそ、今に伝わる数多の知識が存在している」
「じゃあ誰かが初めての知識を得る以前には、全く知識を持たない人間ばかりだったとでもいうのか?」
言葉にはできるが、そんなものは想像もつかない。
「逆だ。我は人間が生まれた事で、初めて知識が生まれたのだと思う。言い換えれば、〈人間とは知識を生むために生まれてきた〉のだ」
偶然か、はたまた知を追う者の必然か。イスカンダルの言葉は、アルカの信じるものと同じだった。
「面白いだろう? 海の外へ知識を求めにいくのを馬鹿だと断じれば、賢者を賢者たらしめる知識そのものを否定する事になるという訳だ」
「なんだ。言葉遊びの類ではないか」
「そうだとも。これを聞いてアリストテレスは火のように怒ってな。以来ことあるごとに、我を〈馬鹿〉と呼ぶようになりおった。我もそれを気に入って、自ら大馬鹿者を名乗っておるという訳だ」
憧れ続けてきた双角王の言葉に、アルカは瞳へ星を宿す。
「凄い……本物のイスカンダルだ……!」
「いかにも! 竜を撃ち抜いたあの日、我は自分が持つ全ての意志を一つの術に託して世界へと詠唱した。それこそが【イスカンダルの燈】。〈我の意志を継ぐ者達に、我の放ったエーテルを貸し与える〉最果てへの
イスカンダルの浮かべる表情は、エヌマエリスの現状に憂いていた。
「二千年前……国を捨て、
――双角王は腹から黄金に燃える炎を手へと取り出してベルへと差し出す。
「ティアマトの片割れたる友にこれを託す。二千年前に、ティアマトを撃ち抜いた我が力だ。この力を使えば、友の魂を犠牲にせずとも竜を封印できるだろう。無責任ですまないが、エヌマエリスの未来を守ってくれ」
大王はその燈を受け取り、飲み込んで自分の魂へと灯した。
「任せろ。なれの意志は、おれ達が最果てまで紡いでみせる!」
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