第29話 気高き大王


 アルカは術札アルカナ紐付きアルレシアに入れ、印を結んでいく。


登場者キャラクター――【双魚アルサマカタンのカプリコン】!」


 大きく展開した錬成円の中から現れたのは、巨大な身体を持つ山羊頭のカプリコンだ。魚の部分は縦に四角い頭と銀白色の長い身体に鮮やかな虹色のヒレを持ち、ゆっくりと幻想的にうねっている。


「行けっ!」


 カプリコンは高度を下げながら宙を泳ぎ、ハルモニアへと向かっていく。

 それに合わせてベルも四つ脚の構えを取り、逆方向から挟撃を仕掛けた。


「フン、甘ェナ」


 獣姫がベルに向けて腕を振ると、一瞬音楽が乱れた。遠く離れた場所にも一瞬で拳打を放ち、流星王さえも成す術なく葬り去った必殺技だ。

 だがベルの頭部を打ち抜いたと確信していた獣姫の顔は、拳に伝わる重い手応えに固まった。大王がいた筈の場所でハルモニアの拳に打ち抜かれていたのは、巨大なカプリコンだったのである。

 そしてカプリコンが迫っていた方向からベルが放つ反撃の鉄拳が、ハルモニアの腹へと叩き込まれる。変身前とは比べ物にならない膂力で放たれるボディーブローは、腹筋越しに内臓までも圧迫してハルモニアに白目を剥かせた。


「おッ……げァッ!」


 汚い声を出してうずくまる彼の顎を、追い打ちの蹴りが襲って後方に吹き飛ばした。

 常人が相手であれば、ここで勝負は着いていただろう。しかしハルモニアは鼻血を出した顔を引き攣らせ、牙を剥いた顔でベルを睨む。


「てめェら……オレの術を対策してきやがったのか!」

「ああ、ステラから聞いたぞ。瞬間移動ができるそうだな」


 ハルモニアが円盤に触れる事で発動する、瞬間移動に類した能力。ステラは流星王の戦いを見てそれを考察し、アルカ達に伝えていた。

 対策として少年は複数の術式レシピを組み合わせ、オリジナルの術である【双魚アルサマカタンのカプリコン】を準備していたのである。


「面白ェ。少しはまともな戦いが楽しめそうだナ」


 ハルモニアの戦いはあくまで使命を果たす為のものだが、戦闘民族としての血が好敵手を前に滾り始めた。その身体からはイスカンダルの燈が立ち昇り、同時に全身の筋肉が肥大化していく。

 錬丹術タニツによる肉体のコントロールが、獣姫の筋肉を更に戦闘に適したものへと変貌させる。肩と背中が著しく肥大化した姿は、鎧を装着したかのようだ。


「この姿で戦うのは久しぶりだぜ。精々長持ちしてくれよ?」


 ベルに向かって突進しながら、ハルモニアは【双魚アルサマカタンのカプリコン】の持つ能力を頭の中で考察する。現時点で最も有力なのは、〈瞬間的にベルと位置を入れ替える能力〉だろう。

 問題は、どうやってそれを実現しているかだ。


 錬金術キミアで再現可能な能力は、全てが四大元素の性質で説明可能な何らかの理屈を持っている。ハルモニアの瞬間移動にしてもそうだ。

 二つの物体の位置を入れ替える場合、最も一般的な理屈は〈天属性の運動制御によって二つの物質を高速移動させ、その位置を入れ替える〉事だろう。


 だがその可能性はないとハルモニアは考える。運動制御によって物体の座標を変化させる場合、その速度が〈光速を超える〉事はあり得ない。〈質量を持つ物体は、光よりも速く動く事はできない〉という法則が存在するからだ。

 一方でハルモニアの繰り出す観測不能の長射程パンチ【一刻みの爆炎クリックフレア】は、〈とある理屈〉によって光速をも捉える攻撃を放つ。故にどれだけ速く動こうと、決して回避する事は不可能である。


 正体不明な能力に加えて厄介なのは、【双魚アルサマカタンのカプリコン】がハルモニアの拳を受けて尚健在である事だ。既に登場者キャラクター特有の再生能力により、先程与えたダメージも回復されてしまっているだろう。


「オレの打撃を受け切る為に、土の属性で体構造を耐久力に特化させてやがるナ。能力の仕組みを解明できても、あのデカブツを排除できないんじゃ意味がねェ!」


 ハルモニアは再び腕を振って、ベルに向けて【一刻みの爆炎クリックフレア】を発動する。【時計仕掛けのオレンジクロックワーク・オレンジ】の使用可能回数は十回。【一刻みの爆炎クリックフレア】は一度の発動で使用回数一回を消費し、尚且つ一度の発動で放てるパンチは一発のみである。

 今回もベルと【双魚アルサマカタンのカプリコン】は瞬時に入れ替わり、ハルモニアは計五発の拳を叩き込んでいた。


 一回目の攻撃で【双魚アルサマカタンのカプリコン】を破壊できなかったのは、その耐久力もさることながら、攻撃が丹田を捉えられなかったせいだ。

 故にハルモニアは一発目の打撃で位置の入れ替えを誘発し、続く連続攻撃を丹田へと命中させる。それが致命傷となって、カプリコンの巨体は活動を停止した。

 恐るべきはハルモニアの膂力に加え、一撃で丹田を捉える分析力と打撃精度だ。風属性の探知術によってエーテルの濃い丹田を的確に探し当て、天属性の術によって再現された正確無比な軌道の拳打が急所を射貫く。

 風と火の属性を得意とする術師が〈肉弾戦において最優〉と評される由縁である。


「さて、邪魔は消えたナ」


 ベルへ獣姫が狙いを視線を移した刹那。視界の端に見逃せない大きな動きが映る。

 顔を向ければそこには、地面から身体をもたげるカプリコンの姿があった。復活したカプリコンは激しい水流をぶつけ、正面からハルモニアの視界を塞ぐ。


「このッ……死に損ないが小賢しい真似をッ――」


 獣姫の言葉を断ち切ったのは、水幕を破って腹筋へと突き刺さった重い拳だった。周囲の水はエーテルを乱し、探知術を機能不全にさせる。ベルはこの機会を伺っていたのだ。


「ごえあッ……!」


 体液を吐きながら後ろに体制を崩した彼は水流に飲まれ、海の方へと押し流された。

 端まで流されてようやく勢いから解放されたハルモニアは、再び再生して宙に舞い上がる巨大なカプリコンと、ベルのそばに浮遊する小さなカプリコンを目視して唸る。


双魚アルサマカタンってのはそういう意味かよ。片方がやられても、一方が残っていれば自動的に片割れを再錬成するタイプの術とはナ……!」


 水属性と土属性の混合によって発動する、沢属性の複製術。その性質は、〈破壊された術式レシピの再錬成〉だ。

 使い切りの術式レシピである演技アクションや、破壊されたその他の術式レシピは、人間の魂と同じように大地へと還っていく。故に使用が不可能になる訳だが、その大地に紐付いた術式レシピを再利用できるのが複製術である。

双魚アルサマカタンのカプリコン】はどちらか片方が生き残っていれば、たとえ丹田を潰されても自身を再錬成して戦線へと復帰する事ができる。


 アルカは水属性を得意とするが、他の術師と比べて解除術にはあまり長けていない。少年の意志は知的好奇心が大きなウエイトを占めており、他人の術を阻害する事はそれに反するからだ。

 術の適正には、術師の性格や好みが大きく反映される。その点アルカの知的好奇心は、水と土の混合属性である沢属性を発現する時に真価を発揮した。

 沢属性の原理は、法則を崩す水属性の力で生と死の境界を曖昧にする事だ。それによって大地に眠る術式レシピを抽出し、〈過去の複製〉を可能にする。

 少年にとって世界とは、全ての過去を集積した一冊の書物である。故に世界を見て回る事は、そのページを捲る事に等しい。

 過去を紐解く沢属性の力こそが、アルカの意志の力を最大限に躍動させる。


「まさか〈オレと同じような事〉を考えるヤツがいたとはナ」

 ――ハルモニアはアルカが沢属性の使い手だと看破すると同時に、【双魚アルサマカタンのカプリコン】の能力さえも半ば見破っていた。

「そいつの能力――鏡だろ」


 指摘されたアルカの肩が、無意識にびくんと震える。


「お前が錬成した二匹のカプリコン。常に正面を向き合ってるナ。〈糸で引っ張り合ってるみたいに〉ずーっとよ。大方〈二匹で一匹〉っつう性質を利用して、〈登場者キャラクターの肉体そのものを鏡写しに再錬成する〉ってのが位置を入れ替えるカラクリだと見たぜ」


 小さい方のカプリコンは自身を構築する術式レシピとベルの魂を接続し、【双魚アルサマカタンのカプリコン】の術式レシピの一部として組み込む能力を持っている。

 これによって【双魚アルサマカタンのカプリコン】が座標を左右反転させると、大王の肉体も小さい方のカプリコンの座標に追従して肉体を再錬成されるという訳だ。(ただしベルの肉体は保持されており、身体の構造まで左右反転されている訳ではない)

 運動によって座標を移動している訳ではないので、光速をも超える文字通りの瞬間移動を可能にする。法則の穴を突いたアルカの秘策であった。


「良い能力だ。まだまだ作り込みの甘い発展途上の術式レシピだがナ」

 ――そう告げるとハルモニアは、アルカの背後へと瞬時に移動する。

「弟の友達ダチを傷つけたくはなかったンだがよ」


 アルカは反応する間もなく、背中から首筋に鋭い手刀の一撃を受ける。少年の意識は一瞬で断たれ、同時に【双魚アルサマカタンのカプリコン】も制御を失って消え去った。


「厄介な登場者キャラクターを対処するには、術師本体を狙うのが一番手っ取り早ェ。のこのこと戦場に出てきたのは失敗だったナ」


 アルカが倒れた事でベルの姿を変えていたイスカンダルの燈も消え、身体は見る見るうちに縮んで元の小さい状態へと戻ってしまう。


「アルカッ!」


 ベルは意識を失った相棒の元へと駆け寄るが、その行き先をハルモニアが塞いだ。大王は鼻に皺を寄せ、獣がするように牙を剥く。


「どけ……邪魔をするな!」

「お前が大人しく魂を差し出せば、あいつは助けると約束してやる。それともこの船諸共沈めてほしいか?」


 ベルは悔しさに歯噛みする。


「戦う前に、お前は王の器がどうとかぬかしたナ。これがその答えだ。力がなければ、国も民も守れやしねェ。絶対的な力こそが、何にも揺るがされる事のない王の器だ」


 ハルモニアの手で円盤が高速回転し、大王の首を刎ねる為の刃と化す。


「その為にオレは竜の力を手に入れる。お前を殺してナ!」


「――それは困るぞ」


 ベルの口から放たれた一言に、ハルモニアの身体は凍りつく。大王の口には不気味な笑みが浮かび、言葉も人が変わったように落ち着いたものへと変貌したからだ。


「しかしまあ、なれの言い分にはすこぶる同意だ。こいつのように力もなく、口ばかりのガキがほざく王道など聞くに耐えん。詫びねばならんな」


 ベルは変わらぬ声色で、理解に苦しむ言葉を続ける。


「お前……何者だ……?」


 ハルモニアの声には僅かな怯えさえ混じっていた。


「ああ、この姿ではいささか滑稽か」


 そう言うと、大王の肉体はアルカのイスカンダルの燈を喰らった時と同じように青年の姿へと変形していく。だが獣ではなく人間の要素を多分に残し、身体には黄金細工の装飾が施されて絢爛さを感じさせる衣装を見に纏った。

 腕と翼は四つに増え、神々しい見た目とは裏腹に卑しい羽虫をも彷彿とさせる。後ろ髪は長く伸び、渦巻く風でロープ状の二房に編み込まれて、背中を太鼓の如く叩く。

 嬉々として歪んだ顔は、概念をそのまま形にしたような邪悪さを湛えていた。


「汝に名乗る名はないが――敬服と畏怖を込めて〈気高き大王ベル・ゼブル〉とでも呼ぶがいい」


 目の前で何が起きているのか。理解の及ばないハルモニアにも、一つ確信できる事がある。

 この存在を放置するのは、危険過ぎる。


「うあッ……死ねェッ!」


 振り下ろされた刃を、ベル・ゼブルはふっと口から吹いた息で圧し返した。吐息は爆発的な突風へと変わってハルモニアの姿勢を崩す。


「行儀の悪いやつだ。大王の御前だぞ?」

「馬鹿ナ……術札アルカナも使わずに……!」

乃公おれを汝らと一緒にするな。〈この世界は乃公が作った〉ものなのだぞ。それに手を加える為に、汝らが作った道具などを使う必要があると思うか?」

「エヌマエリスそのものを作っただと……? 出鱈目をぬかすナ!」


 ハルモニアは腕を振って姿を消す。瞬間移動した身体はベル・ゼブルの死角へと移動し、全霊の拳を頭部へと打ち込む。

 だが気高き大王は腕の一本を視線も動かさずに挙げると、性格無比に拳打を受け止めたのだ。


「〈運動制御による未来の錬成〉……といったところであろう」


 そう呟いたベル・ゼブルは目を閉じていた。開いた瞳が振り返った先には、驚愕と恐怖に引き攣ったハルモニアの顔が映る。


「ははっ、図星か」


 ハルモニアの行う瞬間移動は、天属性に類する能力である。

 意志の力で脳内に作成した動きを再現する、天属性の〈機動術〉。それを極めたハルモニアは自分の肉体が実現可能な動きを計算し、完璧に近い精度を誇る〈自分自身の未来予想図〉を脳内に作成する。

 その未来予想図を術式レシピとして〈未来の座標へと自分自身を錬成する〉事で、擬似的な瞬間移動を行うのだ。

 瞬間移動にも二種類が存在し、〈前方へのパンチしかできない代わりに〉移動後瞬時に元の位置へと戻る【一刻みの爆炎クリックフレア】と、〈自由に行動できる代わりに〉一方通行の【時計仕掛けの順転クロックワーク・フォワーズ】を使い分けられる。


 だが仮にそれを理解できたところで、実際に防御できる者がいるだろうか。

 移動はまさしく一瞬。コンマ一秒の時間さえ必要としない。動体視力などという領域は、瞬間移動という概念そのものによって否定されている。


「未来に追いつくオレの攻撃を防げる筈がねェ……! さっきのは何かの間違いだ!」


 ハルモニアは【時計仕掛けの順転クロックワーク・フォワーズ】で再び姿を消し、今度は頭上から蹴りを放つ。

 しかしと言うべきか、最早当然と言うべきか。ベル・ゼブルは軽く頭を下げて蹴りをかわすと、落ちてきた獣姫の首と両腕を四本の腕で捕らえる。

 その目はまたしても閉じており、一連の動作を視認さえしていなかった。


「知りたいか? 乃公がどうやって汝を捉えているのかを」


 瞳を開いて楽しそうに問いながらも、手は掴んだ首を異常な握力で絞め、ハルモニアに汚い喘ぎ声を出させた。肉体の動きを封じてさえしまえば、ハルモニアの瞬間移動は効果を成さない。


「なんの事はない。乃公は〈夢を見ただけ〉だ。乃公が瞳を閉じる時、瞼の裏には〈世界の万象から導き出された未来の光景〉が算出される。いわゆる〈予知夢〉というやつだな」


 古来より人間は星の動きを用い、未来の出来事を占ってきた。

 ベル・ゼブルの見る夢はその究極形。〈自身が創造した世界の万物の動き〉から未来を予測し、〈ほぼ完璧な精度を誇る世界全体の未来予想図〉を脳内に作成する。

 未来の座標へ瞬間移動するというハルモニアの行動すらも、ベル・ゼブルにとっては予定通りの未来に過ぎない。光速より速く動こうとも、獣姫の拳は〈既に回避を完了し終えた〉気高き大王のそばで虚しく空振るだけだ。


「未来に追いつくだと? 笑わせるな。汝らは所詮に囚われた存在だ。辿り着けもせぬ楽園を目指して、命尽きるまで無駄に藻掻いているのが相応だぞ」


 不意に放たれた風の刃がハルモニアの腹筋を斜め十字に切り裂き、あふれ出した大量の鮮血をベル・ゼブルは悦楽に満ちた表情で浴びる。

 白目を剥いて痙攣する獣姫の身体を投げ捨て、気高き大王は周囲の船員達を見渡した。


「――さて、興が乗ったぞ。残りも全員殺すか」

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