第27話 ソロモンの原罪


 塵へと崩れて空に帰っていく流星王を見上げながら、ステラはきっと表情を引き締める。そしてアルカ達を振り返った。


「二人に伝えておく事がある。今この国で起ころうとしている、大きな事態についてだ」


 星角は計画の主謀者が兄のハルモニアであった事、そして〈竜を復活させ、世界を閉ざしてエヌマエリス全体を死の無い楽園へと変える〉ウロボロス計画、その実行に七十二個あるソロモンの鍵が必要だという情報を手短に伝える。


「今大灯台にある鍵の数は七十一。最後の一つは大灯台でもいまだに観測ができていなかったものだ。けれど敵からの情報だと、最後の鍵の正体はどうやらベルらしい」


 今になって思えば、ベルに関して奇妙な点は幾つもあった。

 王を名乗る不思議な子供。家族はおらず森の中で一人の暮らしを送りながらも、人語を解するという矛盾。彼の存在には謎が多過ぎる。


「……どこかでそんな予感がしていたぞ。この騒動は、おれに関係があるのではないかとな」

 ――ベルはぽつりと語りだす。

「おれはソロモンという男を知っている。あいつはおれにとって、記憶に残る中で初めての〈家族〉と呼べる人間だった」


「一緒に暮らしてたって事ですか……? ソロモンなんて、二千年も昔の人物ですよ……!」


 御伽話同然の人物が話題に上がり、アルカも驚きを隠せない。


「二千年間生きてきた訳ではないぞ。おそらくだが、ずっと眠っているような状態になっていたのだと思う。目を覚ましたのはここ数年前の話だからな」

「ベルが最後の鍵だっていうなら、星降節が始まったのをきっかけに目覚めたって事なんでしょうか……」

「可能性は高いぞ。ステラの話だと、ソロモンの鍵は神殿を築く為に必要なのだろう」


 大王の問いにステラは「うん」と頷く。


「二千年前、おれはソロモンと共に名も知らぬ地で神殿を築いた。後に生み出された七十一の仲間達と共にな」


 あまりに荒唐無稽な話だ。だがアルカはもう、相棒の話がただのごっこ遊びだとは思っていなかった。


「ベルが最後の鍵なら、このまま敵のもとに向かうのは危険過ぎます。ここは一旦ステラを連れて船に戻りましょう」

「僕もそれに賛成だ。大灯台は奪われてしまうけど、兄さまの狙いは国民に危害を加える事じゃない。逃げても犠牲は出ないよ」


 二人の意見を受けて、ベルも首を縦に振る。


「分かった。流星王の機転を無駄にはできんな」


 アルカ達は港の仲間と合流すべく、元来た道を駆け出していった。



 一方大灯台の天文台では、ハルモニアがカール十二世との戦いで負った傷の治療を部下から受けていた。

 そこに下の階から上がってきたオルガノンが合流する。


「予想外の事態があったようだね、ハルモニア」

「……うるせェ」

「心配せずとも、弟ぎみは無事だよ。最後の鍵と一緒に港へ向かっているようだ」

「港はアルケタスが制圧してるンだろ。捕まえさせて終わりだ」

「だと良いのだけどね。私は今一つの疑念を抱いている」


 意味深な発言に女傑は太く立派な眉を顰める。大型の肉食獣じみた迫力だ。


「私の分身と二代目双角王が、今し方撃破された。敵は港に停泊している錬金術師アルケミストのジルという女だ」

「あいつか……お前はともかく、二代目を倒す程の実力者だったとはナ」

「酷い事を言うね。私もそこそこ《強く作ってある》んだよ」


 オルガノンの冗談を無視し、ハルモニアは顎に手を遣って思考を纏める。


「お前の考えだと、アルケタスはしくじったって事か」

「既に殺されて敵の傀儡にされている可能性が高いね。ジルという女はネクロマンサー死霊使いだ。死者を登場者キャラクターとして錬成し、情報を吐かせたり手駒として操る術を持っている。既に双角の王犬号ペリタスを丸ごと乗っ取られていると見るべきだろう」

「規格外の術師が混ざってたナ……計画に支障が出るぞ」


 ウロボロス計画の破綻を案じる獣姫に、オルガノンはふっと笑みを向ける。


「大丈夫さ。ペルディクスに私の分身を付けていたのは、彼女を倒してしまう程のイレギュラーに対応する為だ。今頃は分身に仕込まれた術が作動して、ジルは〈戯曲シナリオを解除できない〉状態になっている筈だよ」

「……成程、お前の用心深さも大概だナ。なら後は残りの連中を片付けて最後の鍵を奪えば、イスカンダルと対面できるって訳だ」

「そういう事さ。なにしろこれは〈二千年前から用意されてきたシナリオ〉なんだから」


 ハルモニアは起き上がり、私兵達の注目を集める。


「これから港の敵残党に向けて、接収した【銀盾隊アルギュラスピデス】による攻撃を実施する。目標は〈最後の鍵の確保〉だ!」


 静まり返る王都に歓声が響く。双角王の冠を巡る最後の戦いが、遂に火蓋を切ろうとしていた。


       ◇


 城壁の外に待機していた【銀盾隊アルギュラスピデス】は再び動き出し、城壁外側を伝って海を目指す。道の狭い市街をアルゴー船で移動すれば建物や国民に被害が出てしまうのと、海から包囲を仕掛けて敵船の退路を断つのを考慮しての動きだ。

 ハルモニアの部下である一個小隊は引き続き大灯台を占拠する任務に就き、天文台ではオルガノンが【銀盾隊アルギュラスピデス】を操作する。

 ハルモニアは旗艦へと乗り込み、露天甲板で身体を動かして戦いへの準備を整えていた。


「オレが敵船に移って最後の鍵を奪取する。お前はその援護をしろ」


 彼のそばにいる銀色の騎士が、オルガノンに代わって返事をする。


「承ったよ。今の君は【銀盾隊アルギュラスピデス】と接続されて、戯曲シナリオを展開しているのと同じ状態になっている。新たな双角王として存分に暴れてくるといい」



 一方港の黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルでは、天文台で操縦席に座るアトラスが、椅子を回してアルカ達からの報告を聞いていた。


「竜を復活させて、世界を一つの戯曲シナリオにする計画ッスか。〈ウロボロス〉とはまた粋な名前を付けたもんスね」

「んみ……ウロボロスってなんなんですか?」

「ウロボロスというのは、世界の端を自分の身体で囲んでいるとされる〈己の尾を噛む竜〉の名前ッス。一つの世界を包括する存在である事から、錬金術キミアにおいては〈世界を支配する真理〉や〈完全にして永遠の生命〉の象徴として扱われているんスよ」


 それはまさにウロボロス計画の全容そのものと言えるだろう。


「永遠の生命は数多の錬金術師アルケミストにとって探求されてきた、偉大なテーマなんス。術師の中には〈永遠の生命を得て神と並ぶ存在になる事が、最果ての楽園エルシオンへの到達だ〉なんて説く人もいますし」


 眼帯は椅子から立ち上がり、身体にイスカンダルの燈を灯していく。


「それでも王様くんを犠牲にするっていうなら、黙っている訳にはいかないッスねえ。錬金術師アルケミストがそんな穢れた楽園を認める筈がないでしょ!」


 彼の背後からは黒い包帯を竜巻の如く回転させ、継世王ピリィ・レイスが姿を現す。


「ウーヤ! 何より〈世界を閉ざす〉ってのが気に入らないぜ。民から美しい世界の景色を奪うなんてのは、民の希望を背負う王のやる事じゃないよなベイビー!」


 その言葉を聞いて、ステラは脳に光が射す思いがした。


「……そうか。王は民に自分の理想を押し付けてはいけないんだ。それがどんなに理想的であっても、王が世界を縮めてはならない。王が切り開いた世界を民が耕して、初めて国になるんだから」


 星角の心に澱んでいた迷い。自分は王族としてあるまじき行いをしているのではないかという負い目が消え去り、自信へと変わる。

 もしも民が永遠の生命を望むのならば、それは王が与えるのではなく民自身の手で探し当てるべきなのだ。その結晶こそが、王ではなく学者達により築かれたイスカンダリアという街なのである。


「僕からもお願いします。兄さまを止めて、誰もが自由に海へ出られる国を取り戻してください!」


 彼の願いに、天文台中の航界士達が拍手で応える。


「こりゃあ、次の王は決まりだな」

「俺達はあんたの為なら戦うぜ、王子!」

「エヌマエリスの星は消させねえ! 大灯台の名に賭けて!」


 まだ幼いステラは感極まり、「ありがとう……」と涙を浮かべた。


「問題はどうやって王様くんを守り抜くかッスね。一番安全な手を取るなら、海の外に逃がしてしまうのが良いんスけど。幸い港はこっちが押さえてますし」

「おれも戦えるのだぞ。守られるだけなんてのは御免だ」

「勿論自分の身を守る為には戦ってもらうッスよ。ただし敵のど真ん中に突っ込んでいくのはなしッスからね」


 その時。双眼鏡を覗き込んでいた生真面目な航界士の一人が、ひゅっと息を飲む。


「十時の方向に船影を発見! ――【銀盾隊アルギュラスピデス】です!」


 艦橋がざわつく。アルカ達の話から、それが味方でない事は全員が分かっていた。

 ジルから船の指揮を託されたアトラスは意を決して舵を握る。


「団長不在の今、一等航界士マスターのおれッチが戦闘の指揮を執らせてもらうッス。皆配置に就いてください!」


 レイスが印を結び、王都を包むシナリオ異界を天井に【偽天のアトラス】を錬成する。アトラスは眼帯を外して赤眼を開き、上空からの視点を得て戦場の全貌を把握した。

 敵艦船は六隻。それも黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルとは違い、戦闘用に建造された船体であり、超火力の主砲を始めとした数々の兵装を揃えている。まともにやり合えば、まず勝ち目はないだろう。

 加えてアトラスはジルと違い、戦況をひっくり返す奇策や規格外の術を保有している訳でもない。それを自覚する彼は手元の受話器を取る。


「フランソワさん、敵に背後を取られたッス。そっちの船は動かせそうッスか?」


 先程当代双角王の攻撃によって艦橋に被弾した双角の王犬号ペリタスは、一時いっとき航行不能な状態にあった。


「問題無いぜ。幸いにも制御システムがうちと同じ最新式だったんでな。修理は済んでる」

「流石ッス! イスカンダル軍が味方に付いてくれれば、まだ希望はあるッスよ!」


 双角の王犬号ペリタスに配備されているイスカンダル兵の数は約二千人。【銀盾隊アルギュラスピデス】の有する三千の兵力には数で若干劣るものの、兵の練度を加味すれば白兵戦力で引けは取らない。

 後は超巨大アルゴー船の性能で、どこまで艦船数の差を埋められるかが勝敗を左右するだろう。

 フランソワは受話器越しにくっくっと笑う。


「一目見た時からこいつを好きにしてやりたかったんだ。派手にやらせてもらうぜ」

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