第26話 星に願いを


「ガッハッハ! 素晴らしきかなイスカンダルの威光。未だ終わらぬ我輩の王道を照らす灯火よ!」


 カール十二世はイスカンダルへの賛美を叫びながら、投げ飛ばしたハルモニアに向かって突進していく。その歓喜は死してなお大地を駆ける肉体を与えてくれる、双角王の偉大な力へと向けられたものだ。

 生きた時代の乖離から、生前はイスカンダルと一切の面識がない流星王だが、その崇拝ぶりはイスカンダルを直接支えた家臣にも引けを取らない。故にイスカンダルの燈を纏い戦う事は、何にも勝る誉れである。

 着地したハルモニアに追い付いたカール十二世は錬丹術タニツで腕を加速し、強烈な右ストレートを打ち込んでいく。


「――流☆星☆拳!」


 両腕で受け止めた獣姫の身体が僅かに宙へと浮き、後方に飛ばされる。術札アルカナを使わない単純な肉弾戦のみで戦っても、流星王の右に出る術師はそういまい。


「弱輩風情がイスカンダルを殺すだと? 片腹痛いのであーる。愚か者は、我輩の拳で矯正してやらねば!」


 テンション高く喋りまくる敵を前に、ハルモニアは舌を鳴らす。


「……面倒だ。大灯台の中はできるだけ傷付けたくなかったんだがナ」


 彼は胸を隠す布を引っ張って谷間から術札アルカナを取り出すと、腕の錬成釜コルドロンに放り込んで印を結ぶ。


小道具プロップ――【時計仕掛けのオレンジクロックワーク・オレンジ】」


 金属製の円盤が錬成されてハルモニアの掌の下で回転を始め、同時に周囲へ激しい曲調の音楽が鳴り響き始めた。

 それは当時の価値観からすれば、音楽と呼べるかどうかも怪しい新進気鋭の旋律。特に古い人間である流星王は、怪物の鳴き声かと勘違いした程だ。

 獣姫は音楽のリズムに合わせて身体を揺らしながら構えを取り、先程までとは大きく雰囲気を変えると、地面を蹴り出してカール十二世と距離を詰めに掛かる。


「我輩に肉弾戦を挑むとは――笑止!」


 流星王は錬丹術タニツで体内のエーテルを耳に集中させて風を読み、相手の動きを予測しに掛かる。


 錬丹術タニツにも錬金術キミアと同じように属性が存在する。

 風属性の司る作用は、〈世界を普遍的に満たしている重力の把握と操作〉である。この重力を把握する感覚を錬丹術タニツによって五感と結びつけたものを、俗に〈第六感〉と呼ぶ。


 カール十二世の第六感はハルモニアの肉体を筋肉の動きまで完全に捕捉し、予測した情報を元に、完璧なタイミングと間合いで反撃の拳を繰り出す。相手の勢いを殺し、カウンターパンチを顎に叩き込める絶好の一撃だ。

 だがその勢いも束の間。周囲に流れる音楽が不意に乱れると同時に目の前のハルモニアが消え、気づけば獣姫の拳が流星王の顔面に深くめり込んでいた。仮面が砕け、血飛沫の筋が拳から引かれて宙に飛び散る。


「がぐぉっ……!」


 カール十二世は訳も分からず後退りながらも、不可抗力の涙で霞む目を瞬きで拭い視界を利かせる。

 第六感は、五感と併用しなければ戦闘に活かせる程の精度を発揮できない。特に視覚は重要で、目で推し量る距離感と第六感による触覚的な座標の探知を組み合わせる事でようやく相手の動きを予測できるようになる。


「まぐれ当たりで調子に乗るでないわ!」


 流星王は顔の前で腕を構え、柔軟な股関節の駆動により脚を高く上げたふわりとした跳躍で距離を詰める。

 巨大に似合わぬ流麗な動きに、ハルモニアも一瞬身体を硬直させた。先程までの力任せな突撃から、動きが武術へと切り替わったのを察したのだ。


 片脚を高く蹴り上げ、その勢いで残った脚も同様の高さまで蹴り上げて、獣姫の腕によるガードを崩す。驚異的な脚力による滞空は短時間ながら浮遊と呼べる域に達しており、その状態で敵の上体に連続の蹴り技を叩き込むのが基本の動きだ。

 かと思えば着地した身体は一気に姿勢を低くし、両腕を地に着いて軸としながら下半身全体で放つ回し蹴りが相手の足を薙ぎ払う。

 身体の高低差を著しく変化させて相手の虚を突くこの武術は、カール十二世の故郷〈ノルド〉に伝わる古流武術〈ホバック〉という。


 足を払われ転倒したハルモニアの腹へ、流星王は覆い被さって槍の如き拳を打ち下ろした。獣姫は咄嗟に腹筋を固めるも、あまりの威力に喉の奥から体液を吐き出す。

 しかしながら驚異的なタフネスと腹筋の力で上体を起こすと、カール十二世の鼻柱にヘッドバットで反撃をかまして鼻血を噴き出させた。

 一瞬緩んだ敵の身体を立ち上がる動きで押し除け、なんとか戦況を仕切り直す。この反撃が決まっていなければ、そのままマウントを取られ続けて勝敗が着いていただろう。


「このッ……妙な技を使いやがって」

「ガハハ! 今のはほんのお遊びであーる。ホバックの神髄、弱輩に見せてやるとしよう!」


 流星王は毛皮マントの内側から細身のサーベルを二本取り出し、それぞれを片手に持って手先で器用に回し始める。


「曲芸か? 戦闘中に暢気なモンだナ」

「ホバックは舞いを起源とする武術でな。故にあらゆる技が美しさを備えているのであーる!」


 円の軌道を描いて振るわれる腕捌きはなおも速度を増し、後ろで見ているステラには目で動きを追えなくなっていた。


「さあ、切り刻んでやろうぞ!」


 再び跳躍で間合いを縮めたカール十二世の剣が、獣姫の肩を目掛けて宙を滑らせるような回転と共に繰り出される。

 ハルモニアは切っ先へ拳を合わせると、耳を裂く金属音と火花を散らして刀身を受け流した。


「ほほう。そういう使い方もできるのであるか!」


 流星王は直ぐに何が起こったのかを理解する。ハルモニアは拳に追従する円盤を、刃物を受ける武器代わりに利用したのだ。


「――だがまあ、受けれた所でどうなるものでもないのであーる」


 絶え間なく続く刃の嵐をハルモニアは円盤だけで的確に防いでいく。獣姫は眼帯のせいで隻眼の状態であったが、第六感を駆使して流星王の太刀筋を捌き切れる程の動体反応能力を会得していた。

 それに加えて高速で動き続ける物体に照準を合わせ続ける驚異的な集中力があって、初めて可能な芸当だ。


 カール十二世はを見逃さなかった。


 不意に流星王の姿勢が糸の切れた人形の如く低くなり、視野の狭くなっていたハルモニアの腕が空を切る。再び足を払われた獣姫は体制を崩し、カール十二世が腕を交差して繰り出す刃でその胸を切り裂いた。

 常人相手ならばその時点で肺腑を破壊されて終わりだったろうが、ハルモニアの異常に発達した胸部はその厚みで重要な内臓を保護しており致命傷には至らない。

 獣姫は半ば転がりながら距離を取ると、大量の血が噴き出す胸を押さえてにっと牙を剥いた。


「そいつで心臓を突いてればオレを殺せたかもナ。だがもうお前の技は粗方見切らせてもらったぜ」


 布ごと切り裂かれて露わになった、血みどろの胸に開いた傷が急速に塞がっていく。錬丹術タニツの高等技術である自己治癒力の強化により、失血死を防ぐ程度の応急処置を即座に完了させた。


「味わわせてやるぜ。〈天属性の極致〉ってヤツをナ」


 ハルモニアが腕を振ると曲が一瞬乱れて擦れたような音を出し、前方の空間に一瞬の火花が奔って消える。

 攻撃を受けたカール十二世は、何が起きたのかを全く把握できずにいた。自慢の第六感も、何も起きていないと告げている。そんな現実をあざ笑うかのように、流星王の肩が骨ごと砕けて剛腕をぶらんと垂れ下がらせた。


「――何ぃッ!?」


 肩には拳のめり込んだ跡がくっきりと残っており、確かに攻撃が行われていたのである。


「馬鹿な……何も感じ取れなかったであるぞ……!」

「そうか? だったらもう一発お見舞いしてやるぜ!」


 ハルモニアが拳を振ると今度は胸板に五発もの跡が刻まれ、肋骨を砕いて圧し潰された肺腑からあふれた血がカール十二世の口から噴き出した。


「ごほあッ……!」

「悪いナ。あまりにもトロいもンだから五発も打っちまった」


 まるで拳打を飛ばされているかのようだ。探知術ですら感知不能な不可視の拳が物理的な射程を無視し、ハルモニアの膂力を直接叩き込んでいく。

 更に続く猛攻に対してカール十二世は為す術なく、残った腕でガードを固めて耐えていた。反撃できない理由は単純で、彼は戦いが始まってから一度も術札アルカナを使っていないのだ。


「流星王、僕に術札アルカナを使わせてくれ!」


 ステラが背後から叫ぶ。だが流星王は星角の方を振り向かなかった。


「断る。貴様のような小童に貸せるのは、精々この剛力までであーる」

「そんな事を言ってる場合か! このままじゃやられてしまうぞ!」

「ガハハハ! 我輩が負ける訳がなかろう!」


 カール十二世はガードを解くと、腕を広げて猛然とハルモニアに突進していく。骨をも穿つ拳が身体中を貫こうが怯まぬ姿は、流星王が喧伝した不死身の肉体という文句に相応しい。

 強引に間合いを詰め切った剛腕が獣姫を絞め潰そうと振り下ろされた刹那。音楽の乱れと同時に再びハルモニアの姿は掻き消え、次の瞬間にはカール十二世の頭上へと現れていた。

 太い脚から繰り出された蹴りが流星王の頭部を捉え、地面へと仰向けに叩き落とす。

 覆い被さったハルモニアはガードの空いた敵の腹へと、身体越しの衝撃で床が割れる程の強烈な鉄拳を振り下ろした。その一撃が|丹田を破壊し、倒れた肉体は端から塵へと変わっていく。


「そ、そんな……」


 頼みの綱が切れ、ステラはその場にへたり込む。周りの私兵達は彼を拘束するべく、術札アルカナを手に集まってきた。


「ごめん、アルカ。ベル。僕は何もできなかった……!」


「――我らの夢は! 終わらぬっ!」


 うずくまろうとした星角の耳を、カール十二世の咆哮がこじ開ける。

 流星王は崩れかけの肉体でハルモニアを押し退けて起き上がると、身体を転じてステラの下へ爆進していく。


「チッ! させるか――」


 ハルモニアは拳を振るが、乱そうとした音楽はいつの間にか止んでいた。


「回数切れ……! まさかこの瞬間を狙ってやがったのかッ!」


 どこまでも諦めの悪い王は家臣を腕に抱えて、背後の窓へと飛び込んだ。強化ガラスを生身で突き破り、二人は遥か下の地面へと落ちていく。


「ステラッ!」


 ハルモニアは今にも飛び降りんばかりの勢いで壁に迫っていたが、部下達に制止されてしまう。


「小童、風の印を三つ結べい!」


 カール十二世はバインダーを取り出すと、術札アルカナをステラに手渡す。


「なんだよ、こんな今更!」

「いいから使え! 死にたいのであるか!」


 星角が錬成円を開くとカール十二世は印を結んでエーテルを供給し、肉体に青白い光を纏って一筋の流れ星と化す。その軌道は空中で少し旋回し、裏通りの広い道へと落下した。轟音と共に石の床が砕かれながらも、二人は無事に着地する。

 ステラが頭を上げると、そこには驚いた顔のアルカとベルがいた。


「ステラ……! それに流星王!」


 かつての敵を前にアルカは身構える。だがベルは、目の前の男の瞳に以前とは違う何かを感じていた。

 それはアルタシャタの目にも宿っていた、王としての矜持だ。


「ガハハ。また会ったな弱輩共。急で悪いが、こいつを頼めるか?」

「任せろ。ステラはおれ達の友人だ。必ず守る」

「話は全部こいつから聞け。我輩はもう行くぞ」


 崩れていくカール十二世の胸を、抱えられているステラが叩く。


「どうして力を貸さなかった! 世界を征服して、故郷に帰るんじゃなかったのか!」


 覚悟を裏切られて激昂する星角に対し、流星王はふんと鼻を鳴らした。


「よいか、貴様はもう戦うな。故郷とは土地に非ず。そこに住まう人々との繋がりが生む憧憬である。兄をその手に掛ければ、ここは貴様の故郷ではなくなってしまう」


 崩れ落ちる寸前、カール十二世はにっと歯を剥いてみせる。


「契約は不履行であるな。後は好きにするがいい!」

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