第23話 魔女と堕犬のサバト
◇
双角王同士の戦いが決着する数分前。出航の準備を終えた
舵を握るフランソワは煙草欲しさから来る苛立ちに、後ろ髪をがりがりと掻く。
「双角王のジイさんは俺達に何をさせたいんだ? こうして待ってるだけでいいのかね」
先程アルカには前向きな言葉を掛けたが、国の窮地を眺めているだけの現状には彼も不安を感じていた。
その時。大鏡からの信号が天文台の計器に警告アラームを鳴り響かせる。
「近海から強いエーテル反応を確認! 錬成の反応だと思われます!」
――航界士の一人が叫ぶ。
「錬成反応だと……海のど真ん中だぞ!」
海面上で骨組みから船体が組み上がり、やがて一隻の超巨大アルゴー船が姿を現す。
その威容をガラスの壁越しに眺め、ジルは胸の下で腕を組んだ。
「なるほど……これが〈マケドニア〉伝家の〈
鉄床戦術とはイスカンダルの祖国であるマケドニアの軍が考案した戦術で、大戦力での正面突破と見せかけて、裏側から機動力に長けた別働隊を回り込ませ敵を挟撃する手法である。
その全容が金槌で鉄床を叩く様に似ている事から鉄床戦術と名付けられ、これが画期的だった当時には数多の軍隊を打ち破ってきた。
史実ではアルタシャタ軍との決戦時にも用いられ、マザイオス率いる右翼軍を大部隊で押さえ込んでいる間に、イスカンダル率いる別働隊がベッソスの左翼軍背後から挟撃を仕掛けて戦の趨勢を決したのだという。
「感心してる場合か。あんなデカい船となんざ戦えんぜ」
フランソワは半ば諦めの混じった張りぼての余裕で、舵に肘を突いてジルに宣う。
「クラウディオス氏が私達にそれを期待しているのだとしたら、中々に人が悪いね」
額に拡大鋳造されたドラクマ金貨(二代目双角王ペルディクスの横顔が彫られた意匠)を着けた黒いローブを被る悪趣味な出で立ちで、大きな目と痩けた頬が不気味な壮年中期の男だ。
「私の名はアルケタス。本船〈
物腰柔らかに告げる敵に対し、ジルが計器に備え付けられた受話器を取る。
「アルケタス氏。確か二代目双角王の弟君だったかね?」
「私をご存知のようで。ならば話が早い。私の命令は双角王の命令と同義なのです。さっさと従ってください、頼みますよぉ」
「よく知っているとも。偉大な姉君の威光を笠に着るばかりで、ろくに活躍しなかった〈小判鮫〉だって事もね」
魔女の辛辣な評価に、小判鮫はこめかみへ青筋を立てる。
「この
瞬間。威勢だけはよかった怒りの叫びは、
爆発は天文台の半分を吹き飛ばし、主砲の要である大鏡を根元から吹き飛ばしてしまう。
天文台の中で運良く生き残ったアルケタスはなんとか身体を起こすと、機材も人員も吹き飛ばされた辺りの惨状に顔を青くする。
「な……なんだこれはッ……!」
立ち上がった彼を待っていたのは、まだ辛うじて繋がっていた通話越しの嘲笑だった。
「おやおや、ご自慢の船が焼けてしまったようだね。それで、次は誰に何を頼むのかな? お坊ちゃん」
「おのれッ……! もういい。交渉は決裂ですよ!」
一方的に通話を切られ、ジルは「さて」と受話器を置く。
「
「大胆だねぇ。ま、アンタとなら構わんぜ」
二人は甲板へと向かおうとする。そこに航界士の一人が走り寄った。
「団長。先程の援護はクラウディオス様からのようです。……同時に、敵によって撃墜されたのを観測しました」
「そうかね。ならこれは弔い合戦といったところかな」
ジルの
「師匠、ボクも一緒に行きます!」
「だーめ。今回はお留守番だよ。フランが煙草を吸いたくてうずうずしてるから」
急に振られた冗談にも、フランソワは慣れた調子で合わせる。
「お子様が増えて天文台も禁煙になっちまったからな。たまにはゆっくり羽根を伸ばさせてもらうぜ」
階段を下りて露天甲板に向かうと、二人は術を発動して風に乗り舞い上がる。
「二人で暴れるのなんざいつぶりだ?」
「アトラスが船に乗って以来かな。フランには弟子のお目付けを任せるようになったからねぇ」
「随分とご無沙汰になっちまったもんだ」
敵船の露天甲板に着地すると、フランソワはポケットから煙草の箱を取り出す。そこから一本抜いてジルに差し出すと、彼女は受け取って口に咥えた。
吸血鬼は自分も煙草を咥えて火を着け、魔女の方に赤熱する先端を向ける。二人の煙草が重なり、熱を移してもう片方を着火させた。
「あーうめぇ。やっぱりコレがなくちゃ、やってられねえよ」
フランソワは煙を吐き、背後に濁った翼を広げる。
ジルも十字架を錬成し、かつんと床を叩いた。口の中で
「甘い時間にしよう、
「ジル、ガキ扱いすんなっての」
前方からは、長槍と大盾で武装したイスカンダル軍の重装歩兵が迫ってくる。彼らの持つ槍は六メートルにもなり、常人には到底扱えない代物である。鍛え上げられたマケドニアの軍人はこれを操り、もう片手には自分の身長にも迫る大盾を装備して行軍する。
槍の長さは兵の練度の証ともされ、かつてイスカンダル軍と戦ったアルタシャタの兵が持っていた槍は一般的なもので二メートル。一部の傭兵部隊が持っていたものでも四メートルが限界であり、間合いで劣るイスカンダル兵を相手に手も足も出なかったのだという。
横に並んで隙間のない盾の壁を作り、それを何列にも重ねて〈ファランクス〉と呼ばれる重厚な陣形を完成させる。
「
「熱くなんなよ。頭冷やしてけ」
フランソワの
「――【
〈【
紫の閃光が鎧の兵達を穿ち、全身を激しく痙攣させる。だが彼らは目の光を失わず、再び槍を構えて向かってきた。【
「うおっ……流石にタフだな!」
「援護としては充分だよ。後は私に任せたまえ」
ジルは十字架を長めに握り、乱暴な構えで殴り掛かる。
「馬鹿め! 女一人で我らに勝てると思うか!」
「……一人ではないよ」
魔女の豪快な一振りが横薙ぎに槍の穂先を捉え、人の手首程もある弾性の強い木材の柄を砕き折る。
人の域を遥かに超えた怪力を目にし、兵達は我が目を疑った。
そうしている間にもジルは槍を砂糖菓子のように叩き割り、木片を散らしながら接近していく。
「ぐっ……盾で押し返せ!」
折れた槍を捨てて両手で盾を握り込んだ兵士は体格と装備の重量差に任せ、ジルを圧倒しようと突進してくる。
魔女はそれにも全く怯まず、嬉々として金属の棒を力任せに打ち込んだ。頭蓋が響いて割れそうな金属音が鳴り、火花が空気を焼く。そして屈強な男達が血反吐を吐きながら、白目を剥いて仰向けに
ジルは涼しい顔で十字架を振り戻し、黒いインナーの袖を捲る。露わになった腕には、炎を模った刺青が入って青く輝いていた。
ジルが使用したのは、ただの
彼女の能力には謎が多いが、一つ分かっているのは〈人並外れて強大な意志の力を持っている〉という事だ。肉体の潜在能力を最大限に引き出し、大楯で武装した屈強な兵士すらも腕力だけでねじ伏せられる程に。
その光景を天文台の硝子窓から見ていたアルケタスは、「くそっ!」と歯噛みしながらもたもたと印を結ぶ。
そうしている内に背後で扉が蹴破られ、ジルとフランソワが煙草をくゆらせながら入ってきた。
「ごきげんよう、小判鮫くん。後は君一人だよ」
「ば、馬鹿な……こんな短時間で兵達を片付けたというのか!」
信じられないと言いたげなアルケタスの為に、吸血鬼は窓を指で示す。
「気になるなら自分の目で確認してみな」
言われるままに窓へ走り寄った小判鮫が目にしたのは、露天甲板で凄惨な同士討ちを繰り広げる兵達の姿だった。
「お宅の兵士は頑丈だったんでな。〈ぶん殴って気絶させてから〉俺の下僕にさせてもらったぜ」
「うぬぬぬぬぅーっ!」
――アルケタスは犬同然に唸って怒りを発憤すると、印を結んでエーテルを溜め込んでいた手を二人に向ける。
「死ねいっ!
煮えたぎる溶岩の塊が紅蓮の球となって出現し、白い蒸気の尾を引いて撃ち出される。標的に充分接近した溶岩球は突如破裂し、広範囲に半液状の灼熱をぶちまけた。
「うひゃははは! 姉上が私の為に作ってくれた必殺の
「――怪我はないかね、フラン」
勝利を確信して下卑た笑いに顎を開いた小判鮫の横方向から、魔女の優しい声が鳴る。
彼女はフランソワを姫のように愛しく両腕で抱え上げ、何十歩分もあろう距離を一瞬で移動していたのだ。
「この格好はよしてくれ。ガキ共に見られた日にゃ、宴の席で姫様役をやる羽目になっちまう」
「おやおや、つれないねえ。昔はよくこうしてあやしてあげたのに」
「いつの話だ! ガキ扱いすんなっての」
アルケタスなど最早眼中にない様子の二人に彼は苛立ちを募らせつつも、好機を得て両手を額の金貨へと近づける。
「あの術は躱せても、光速はどうです! ――【
空気に混ざる肉の焦げた臭いに、フランソワは眉を顰めて痛恨の意を浮かべる。
「火の術か。まずいな……」
魔女は自分の傷ついた背中に触れると、ぞくぞくと身体を震わせる。痙攣に近いものであり、明らかに様子がおかしい。
「……好い炎。もっとボクを焼いて、清めておくれよ」
死んだ魚のように表情の乏しかった彼女が浮かべる恍惚とした表情に、小判鮫は人ならざるものを見たような恐怖を覚える。
「なんです? ……気味の悪い!」
アルケタスが再び光線を放つべく小判に指を当てると、地面に下りたフランソワが口から煙を吹き出す。それは黒く濃い雲へと変わり、周囲を包んで二人の姿を隠した。
「なっ……こんなもの、姉上の術で吹き飛ばしてやります! 頼みますよぉ!」
小判鮫は闇雲に光線を撃ちまくるが、全く手応えを感じられない。雲は解除術の媒介となって、火力を弱めてしまっていた。やがて使用回数の限界を迎え、金貨から眩い輝きが失われる。
すると煙を割ってフランソワが現れ、手に持った
「助けなら神に頼むといい。司祭は俺だ」
「姉上ェ! 助け――」
絶叫するアルケタスの額で
「殺しはしねえよ。お前さんにはまだやってもらわなきゃならん仕事がある」
フランソワが電撃を浴びせると、小判鮫は虚な目で起き上がり従順な下僕と化した。
吸血鬼は口に咥えた短い煙草を手に摘むと、いまだに
じゅうっと
「……おや」
彼女は夢から覚めたように意識を取り戻し、周囲を見渡す。
「お目覚めか、ジル。また役に入り込んじまってたぜ」
「例の発作かね。肉の焦げる匂いを嗅ぐと、どうも駄目だね」
フランソワしか知らない、ジルの数少ない弱点だ。彼女は過去にあった出来事の後遺症で、〈人間の肉が焦げる匂い〉を嗅ぐと意識が飛んで夢遊状態となってしまう。その際には〈別の人格〉が顔を出し、行動の自由が効かなくなってしまうのだ。
元に戻すには時間経過によって発作が収まるのを待つか、〈
「出てきたのが大人しい〈ジャンヌ〉でよかったぜ。怒り狂う〈ラ・イル〉なんかに出てこられた日にゃ、この船が沈んじまうところだ」
「それは困る。この舞台装置を手に入れる為にここまで骨を折ったのだからね」
吸血鬼の操作するアルケタスが、
「姉上、港は私の部隊が制圧しました。これから部隊を上陸させて予定の場所に向かいますので、そこで落ち合いましょう。頼みますよぉ」
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