第22話 竜殺し

 クラウディオスが再び二本の指で指揮を執ると、上空に黒い竜巻が復活する。先程の反撃で解除されたかに思われていた【悪神パズズ】だ。


「砂漠の地で恐れられた風の悪鬼……イナゴか!」


 ペルディクスは敵の正体に気付く。黒い風の正体は、無数に集まった蝗の群れであったのだ。

 砂漠において蝗は、古来より死神と同一視されてきた。雑食であらゆるものを食らい、時に大量発生すれば街一つの命を食らい尽くす事もある生物災害。

 ハルピア人の築いた迷路城壁は竜巻から身を守るのと同時に、この蝗の害から食料を保護する目的であったとも言われている。


【悪神パズズ】は〈群体であったがため〉に、術の解除を免れていたのである。

 解除術には、繊細なエーテルのコントロールが求められる。水が触れた術を無差別に解除するのではなく、水を媒介として相手の術に込められたエーテルを正確に補足し、相手のエーテルを取り除いて術の発動を阻害する必要があるのだ。

 故に標的が多数になると、術全体を解除するのは非常に難しくなってしまう。この事を知るクラウディオスは解除術への対策として、【悪神パズズ】を選んだのであった。


錬金術師キミアの発展は日進月歩じゃ。二千年の間に、おヌシの戦法に対する答えも編み出されておるワイ!」

「そうでなくてはつまらん。わらわを楽しませてみせよ、当代!」

 ――ペルディクスは素早く印を結ぶ。

登場者キャラクター――【ヒュドラの牙忌み】!」


 甲板上に広がる水から尋常ならざる大きさのシャチ――その骨格がを纏って、空中へと躍り上がった。

 骨格を包む水は怒涛の水流となって漆黒の嵐を飲み込まんとする。登場者キャラクターとしての生命を与えられた事で、流動する水は極めて自由な動きを可能とする筋肉として機能を始めた。液体であるが故に蝗の牙が通じず、一方的に獲物を磨り潰す驚異の捕食者と化す。


「生憎だが、力技も妾の得意分野でな。少し乱暴にしてやるとしようか」


【悪神パズズ】を自分の登場者キャラクターで相手させている間に、海魔は足元の水溜まりへと腕を突っ込む。そこから引き摺り出したのは、長い柄に無数の牙が付いた奇怪な武器であった。


「【渦断罪ワダツミのこ】……二代目の代名詞をこの目で拝む日が来るとはのう」

「こいつは妾がアマゾネス人の始祖――〈竜殺し〉カドモスから譲り受けた、〈泉の竜ヒュドラ〉の牙で拵えた逸品よ。振るえば〈意志を持つ自然の化身〉たる竜の、牙による一撃を再現する」


 伝承に語られる竜は、その五体を自然災害と紐付けて表現されてきた。

 身体を運ぶ両翼の余波は、人呼んで竜巻。

 喉の逆鱗が震えれば、虚空より噴き出す大火。

 牙の一噛みは、大地を抉る大津波。

 大地として眠る体躯は、時折痙攣して地震を引き起こす。


 即ち【渦断罪ワダツミのこ】は、振るうだけで津波を操り獲物を噛み砕く。いかにクラウディオスが精強といえど、徒手空拳で打ち合える代物ではない。


「――【万人による闘争リヴァイアサン兵装顕現アポカリプス】!」


 星空の靄で構築されていた老王頭上の虚像を、黄金の鎧が実体化させていく。右手の剣と左手の王笏を振り翳し、星空を纏う金色の巨竜が咆哮した。

 果敢に立ち向かっていくペルディクスが鋸を振るえば、虚空から莫大な量の水が津波となって押し寄せ、武器の重量では圧倒的に勝る筈のクラウディオスを圧倒した。


「くっ……演技アクション――【大炎竜の轟咆】!」


 接近戦を巨竜に任せて両手で自由に印が結べる当代双角王は、合間に自身の持つ最高峰の火力を放っていく。だが敵の攻撃による余波はそのまま解除術の媒介となり、反撃をシャットアウトしてしまった。

 まさに攻防一体。ペルディクスの一生は儚い最期を迎えたが、その生涯においてただの一度もこの戦術を破った者はいない。


 一瞬の猶予もない応酬の中、クラウディオスは状況を好転させる為の策を講じる。解除術に対し最も有効な札は【悪神パズズ】だが、それも圧倒的な威力を持つ広範囲攻撃が同時に飛んでくる場面では効果が薄い。

 本来水属性の術は他の術に比べて破壊力に劣るものが多く、それが弱点となる事も少なくない。だがペルディクスは規格外のエーテル出力と自身の武力によってそれを補っていた。

 しかしながら解除術には、もう一つの攻略法が存在する。その可能性に思い至った当代双角王は、長めの印を一気に結んだ。


演技アクション――【ケメトの冥土あふれ】!」


 鋼の敷かれた足元から湧き上がったのは、砂に覆われたケメトの地下深くに広がるとされる黒い土だ。それは瞬く間に盛り上がり、クラウディオスを宙へと運んでいく。


「やれやれ……土属性はあまり得意じゃないんじゃがのう」


 重なっていく土は次第に傾いて崩れると、眼下のペルディクス目掛けて一気に雪崩掛かった。

 海魔は起こした波をぶつけて迎撃するが、重量で勝る土は揺るがず逆に水を吸ってますます重さを増していく。それを察した彼女は水を媒介に術の解除を試みるも、エーテルの除去が上手くいかず不発に終わった。

 舌打ちと共に攻めの手がようやく止まり、ペルディクスは後方へと跳び退いた。


「〈水属性に有利な〉土属性の術に切り替えおったか……この属性範囲は厄介だな」


 錬金術キミアは術が持つ性質によって、{風、火、水、土}の四大属性に分類される。

 現代錬金術キミアでは、各属性は以下のように定義されている。


 ・〈秩序〉を司り、太陽からのエーテルで法則の一部を起動させ、世界の意のままに動かす〈風属性〉。

 ・〈始源〉を司り、太陽から発せられて世界に満ちるエーテルを収束させ、法則の限界を突破する〈火属性〉。

 ・〈混沌〉を司り、エーテルを乱して法則を崩し、世界を不安定にして改竄する〈水属性〉。

 ・〈終結〉を司り、エーテルの働きを鎮めて世界を安定させる〈土属性〉。


 また四大属性はそれぞれの性質から、

 ・風属性は土属性に強い。

 ・火属性は風属性に強い。

 ・水属性は火属性に強い。

 ・土属性は水属性に強い。

 という有利不利の関係が存在している。


 エーテルの乱れを鎮める性質を持つ土属性に対しては、水属性の解除術は相性が悪い。解除しようとする術よりもさらに大きなエーテルを消費してぶつけなければ、土属性の術を解除する事はできないのだ。


「このレベルの術であれば解除できんか。これは貴重な情報を得たワイ」

「妾の術がこの程度で打ち止めだと思うか? まだまだ全力など出しておらんわ!」

「戯けィ。のが強者の打ち筋じゃよ。【渦断罪ワダツミのこ】が脅威なのは、〈ある程度の強さを持つ解除術〉を〈手軽な動作で連発できる〉点じゃワイ。おヌシがワシの土属性術を解除しようとより強力な解除術を使っても、先程までのように連発は利かん。それも、燃費は最悪じゃ。このシナリオ異界もどこまで持つかのう?」


 戯曲シナリオを発動した術師は術札アルカナを使う必要なく術を発動でき、消費するエーテルも全てシナリオ異界からの供給を受けられる。

 ただしシナリオ異界はそれ自体の維持に莫大な量のエーテルが常時消費され続ける上に、術師にエーテルを供給すれば当然その分だけシナリオ異界の内包するエーテルは少なくなっていく。

 そして内部のエーテルが枯渇すれば、シナリオ異界は消滅。術師は全ての術札アルカナを失った状態で、放り出されるという訳だ。

 イスカンダリアの戯曲シナリオである【銀盾隊アウギュラスピデス】からエーテルの供給を受けているクラウディオスは、エーテル総量において現時点で既にペルディクスに勝っていた。


「まさか……妾を相手に消耗戦を挑むつもりか!」


 相手の戦術を否定し、尽く消耗させて勝つのが水属性使いの本懐だ。であれば逆に消耗させられての敗北は最大級の恥である。


「それは困るなぁ」

 ――老王の背後から、若い男の声が割り込む。

「計画はもう最終段階なんだ。君一人でご破算にされたら御伽噺にも残せないよ」


 クラウディオスが振り返るとそこには、毒々しいワインレッドの髪と黒い双角を持つ青年が立っていた。肌は白く、ペルディクスと同じ〈ズルカル人〉と呼ばれるマケドニア由来の人種だ。

 錬金術師アルケミストの黒い修道服に身を包み銀縁の眼鏡を掛けたその姿は、クラウディオスの記憶の片隅に僅かながら覚えがある。


「おヌシ……何者じゃ」

 

 当代双角王は疑問を呈しつつも、大方の察しは付く。このシナリオ異界を構築するソロモンの鍵の持ち主であろう。

 シナリオ異界を展開するには、数か月単位でエーテルを貯蔵する為の設備が必要となる。最たる例が大鏡であり、イスカンダリアの場合は大灯台がその役割を担っている。つまりは街の外でいきなりシナリオ異界を展開して軍勢を出現させるなど、本来ならば成し得ない所業なのだ。

 それを可能にさせ〈個人が軍隊を携帯できる〉という点が、ソロモンの鍵が持つ最も恐ろしい特徴である。


「私はオルガノン。世界に新たな双角王を戴冠させる者さ」


 クラウディオスは【万人による闘争リヴァイアサン】に二代目を警戒させながらも、オルガノンの方へと身体を向ける。


「鍵の持ち主が自分からのこのこと出てきてくれて助かるワイ。正直二代目の相手をするのは、ワシとて骨が折れそうなんでのう」

「さて……どうだろう。君が気にすべきは、〈がら空きになっている北の港〉なんじゃないかな」


 敵の吐いた言葉に当代双角王は目を見開き、その場で印を結んで上空へと飛び上がる。目線の先に映った港には、〈先程まで影も形も無かった〉超巨大アルゴー船が出現していた。


「馬鹿な……これ程大規模で周到な侵攻がただの陽動だったというのか……!」


 敵船のそばに黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの影を見つけたクラウディオスは、風に乗って港に向かい急行する。ジル達を自分の指示で危険な目には遭わすまいという責任感が、彼に致命的な隙を生じさせた。

 その背をオルガノンは無慈悲に眺める。


「……ペルディクス。


 海魔は少し不服そうに鼻を鳴らしながらも、波に乗って宙へと昇りながら印を結んで上空に莫大なエーテルを収束させていく。


演技アクション――【カドモスの竜殺し】」


 虚空から現れた巨大な水の剣が光線同然に放射され、クラウディオスを背中から飲み込む。莫大なエーテルによる一撃は【万人による闘争リヴァイアサン】すらも解除し、無防備な彼を地面へと叩き付けた。


「……認めよう。貴様は大した双角王だ」

 

 ペルディクスは眼下を眺めて呟いた。

 当代双角王が攻撃をくらう寸前に放っていた竜の炎が、遠い巨大艦船の艦橋へと命中して燃え上がらせていたのである。

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