第24話 青髭館殺人事件



 ジルは港を制圧した後、単身で黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルに戻って団員達を研究棟下の食堂に集めた。


「ここからは私の書いたシナリオを演じて、王都の奪還作戦を開始する。今回の任務はシナリオ異界の攻略に準ずるものだ。よって実行部隊はイスカンダルの燈を持っているメンバーに絞り、残りの皆はアトラスの指揮下で黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルによる後方支援を行ってもらうよ」


 フランソワは双角の王犬号ペリタスと支配下に置いたイスカンダル兵達を担当し、アトラスは黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの操縦。

 よって上陸するのは{ジル、アルカ、ベル}の三名となる。

 責任の大きい役割にアルカは少し固い顔だが、千夜城の時と比べて随分と落ち着いている。修羅場を潜り抜けた経験と友達を救うという明確な願望が、少年の意志を力強く安定させていた。


「行きましょう、ベル。ボク達なら国だって救えます!」

「ようやく出番だな。待ちくたびれたぞ!」


       ◇


 鉄床戦術の成功を受けて、イスカンダル軍は次々とイスカンダリアへの入城を開始した。

 空中に渡された水路を使って街中の至る所に配備されたアルゴー船からは鎧に身を包んだ兵士達が上陸し、住民を家屋に押し込めて市街地を制圧していく。

 襲撃開始から僅か二時間弱。驚異的な速度でイスカンダリア軍は王都を手中に収める。


「素晴らしい。歴史は本来こうあるべきだったとは思わないかい、ペルディクス」


 渡河の成功を喜ぶオルガノンの後に続く二代目双角王は、どうにもつまらなそうにしていた。


「どうしたんだい。君がその調子じゃ、〈道化〉の私に立つ瀬がないじゃないか」

「どうもこうも、妾の役目はもう終わったであろう。悲願であったイスカンダリアへの入城を果たし、契約通りに其方らをこの地まで送り届けた。これ以上現世に留まる理由もない」

「まあそう言わず。折角与えられた二度目の生だ。命尽きるまで楽しんでいくといい」

「戦だけが人生だった妾にこれ以上楽しみなどあるものか。現世は平和過ぎてつまらぬわ」


 彼女は言外に、クラウディオスとの戦いを邪魔された事への不満を匂わせていた。


「さっきのは悪かったよ。ただ私にも計画の都合がある。理解してほしいね」

「分かっておる。其方には世話になった恩もある事だしな」


 二人がアルケタスの待つ港に向かって足を向けると、その行く先を一つの影が阻む。


「……誰だ? 貴様は」

 

 ペルディクスは身体でオルガノンを庇って尋ねる。


「はじめまして、二代目双角王。私の名はジル・ド・レイ。人は私を救国の英雄――はたまた傾国の魔女と呼ぶ」

 ――ジルは芝居がかった口調で名乗った。

「その正体は、しがない劇団の団長さ」


 瞬間。海魔は、自分達が脱出不能の罠に掛かった事を悟る。


「この感覚……まさか、ありえぬ!」


 常人には感じ取れない程の包括的な変化。だが確かな〈空間の閉塞〉を、歴戦の術師は感じ取っていた。


「招待しよう。――私が百年を掛けて綴り上げた、美しくも絶望的な戯曲シナリオへ」


 魔女の身体から迸る青黒い炎が周囲の空間を焼き尽くし、白と黒の濃淡のみで彩られた色彩のない景色へと変わっていく。一帯はあまりにも広く、天を覆う程高い天井に覆われた円形の劇場へと姿を変えた。

 ジルは巨大な舞台の上に立っており、彼女の背後では濃い灰色の幕が下ろされている。周囲の客席には、無数の黒い骸骨達が静かに舞台上の役者達を見つめていた。

 ジルと対峙していたオルガノンとペルディクスの二人だけでなく、街中に配備されていた兵隊達までもが異界の内部へと囚われて、広大な舞台に立たされている。


「標的を強制的に転移させるタイプの舞台ステージか。だが何故兵達をわざわざ連れてきた……?」


 この手の術は、〈多勢の相手に対し人数有利を活かせない状況を強制的に押し付ける〉際に最も効果を発揮する。ジルの行動はそのセオリーから逸脱したものだ。


「簡単なお話さ。君達は此処で全員、私に始末されるのだよ」

 

 ジルは不敵な笑みを浮かべて印を結ぶ。

 彼女の身体を衣服の上から青黒い炎が包んだかと思うと、炎は直ぐに晴れてその下から漆黒の鎧を覗かせた。頭部と胴体、両手に装甲を纏い、手の内には三つの骸骨に飾られた十字架の【聖女の屍ラ・ピュセル】を出現させる。背中の白衣も鴉の羽に飾られた漆黒の毛皮の上着へと変化して、魔女の衣装を黒一色に染め上げた。

 衣装の支度が終わると、どこからともなくけたたましい開演のベルが鳴り響く。


「――さあ、開幕の時だ」


 自ら上がった厚い幕の向こう側では、黒い無数の骸骨が一様に二人一組となって一心不乱にダンスを踊っていた。その身体は青い炎に包まれており、この異界の中で唯一色彩を持つ事を許されている。


登場者キャラクター――【黒死の葬列ラ・モール・ノワール】」


 ジルがペルディクス達に向けて十字架を傾けると、骸骨達は踊りながら獲物へと殺到していく。


「ぐっ……迎え撃て!」


 ペルディクスの号令で突撃していく兵達は、いずれも鍛え上げられた肉体を鎧に包んだ猛者揃い。いかに大軍相手とはいえ、裸の骸骨程度に負ける程ではない。剣や槍で次々に骨を打ち砕いていく爽快な快進撃が演じられた。

 だが戦列を眺める海魔は、ふと彼らに起きた異変に気付く。あちらこちらで急に悲鳴が上がり始めたのだ。


「妙だ……何が起きてる?」


 僅かな違和感が次第に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わっていく中、彼女は状況を把握した。兵士達が突如として青い焔に包まれ、真っ黒な骸骨へと変化したのだ。

 黒い塵が燐火の揺らめきに舞う戦場を、魔女が十字架で地面を引きずりながら闊歩していく。


「私の【黒死の葬列ラ・モール・ノワール】と踊った者は、一糸纏えぬ乞食も歴戦の猛将も、皆平等に命を奪う。この青い炎は〈死〉の具現化なのだよ」


 ジルが得意とする属性は〈土属性〉。彼女はそれに水属性と風属性をそれぞれ組み合わせ、〈沢属性〉と〈山属性〉という二つの混合属性を使用する。

 アトラスが肉弾戦に用いる〈天属性〉や、フランソワがメインで使用する〈雷属性〉に並ぶ、残り二つの混合属性だ。

 ここで詳しくは説明しないが、沢属性に代表される〈複製術〉で大地に眠る霊魂を骸骨軍団として錬成。

 山属性に代表される〈即死術〉で相手の魂を吸収して命を刈り取る。

黒死の葬列ラ・モール・ノワール】は無数の骸骨型登場者キャラクターを錬成し、〈それと交戦した登場者キャラクター〉を即死させるという恐るべき効果を備えていた。


 数多の戦で圧倒的な勝利を収めてきた精強たるイスカンダル軍の兵士達が、貧相な骸骨を相手に次々と相討ちに倒れていく様を見て、ペルディクスは冷静さを失う。


「――貴様! よくも部下達を!」


 外套の内側から取り出したのは、彼女が得意とする【渦断罪ワダツミの鋸】。だが解除術にとって、【黒死の葬列ラ・モール・ノワール】は天敵と言ってもいい。

【悪神パズズ】と同じ群体タイプの登場者キャラクターであり、加えて土属性をベースとするこの術を完封する手札は、水属性に関しては最高峰の使い手である二代目双角王を以てしても持ち得ない。

 故に彼女は方針を即座に切り替える。


「捕まっておれ。離脱するぞ!」


 片腕でオルガノンを抱え上げると、ペルディクスは起こした波に乗って宙に昇る。

 即死術は確かに脅威だが、対象を絞っている条件さえ満たさなければ対処は可能だ。彼女は現場の指揮官として類稀なる観察眼から交戦という発動条件を看破し、危機を脱した。

 ただしそれは、部下達を見捨てるという非常な決断でもある。速い話が【黒死の葬列ラ・モール・ノワール】を凌ぐには、部下達を無数の骸骨とことごとく相討ちにさせるしかないのだ。


 その光景を唇を噛んで見下ろしながら、海魔は一つの可能性に確信を得ていく。


「軍隊を相手にできる規模の術……まさか、戯曲シナリオを発動したとでもいうのか……!」


 幾つも湧いてくる異常事態に無理矢理辻褄を合わせるには、一つの最も大きな異常に目を瞑る他になかった。


「流石は双角王だ。理解が速いね」


 ジルはそばを走っていく骸骨の海の中、将軍然とした堂々たる態度で頭上を見上げている。


「貴様何者だ……自力のみで戯曲シナリオを紡ぐなど、イスカンダルにしかできなかった所業だぞ!」

「それは光栄だね。ただ敢えて謙遜するなら、この戯曲シナリオは私一人の力で書き上げたものではないのだよ」

 ――魔女はそう告げ、十字架を地面へと突き立てる。

「この光景は〈私が百年を掛けて殺し、そしてこの世界で新たに殺した屍達の怨念〉によって書き上げられている」


黒死の葬列ラ・モール・ノワール】によって殺され積み上げられた黒い骸骨に燐火が宿り、次々と立ち上がっていく。


戯曲シナリオ――【我が慰みの永年戦争ゲール・ドゥ・エテルニテ】。この異界内で死亡した生命は私の手駒となり、未来永劫に渡ってこの世界を維持する為のエーテルを供給する部品として組み込まれる。無論君とて例外ではないのだよ、二代目双角王」

「ほざけ! 貴様を討ち、部下達の魂は取り戻させてもらうぞ!」


 ペルディクスは長い印を結んでエーテルを錬り、【渦断罪ワダツミの鋸】へと注ぎ込む。


渦断罪ワダツミの鋸】をはじめとする一部の小道具プロップには、大量のエーテルを消費して発動できる〈臨界奥義クライマックス〉と呼ばれる能力が存在する。

 強力な効果と引き換えに、使用後は必ず小道具プロップが破損してしまう諸刃の剣だ。


 ペルディクスが掲げた竜牙の鋸にエーテルが収束し、激しい水飛沫を上げる。

 彼女が鋸を持つ腕を前方へと伸ばすと、地上に赤いエーテルの照準線が現れる。それはジルの身体を肩から袈裟懸けに捉えていた。

 勝利を確信した海魔はにやりと笑みを浮かべる。


「油断したな。鋸の刃は既に貴様の運命へと。もう逃れられはせぬ!」


 押して刃を食い込ませ、引いて断ち切る。若き日のペルディクスは、自分が仕留めた大鮫の歯を見て鋸の仕組みを発明したのだという。

 その概念以上に彼女は、己の生き方そのものを鋭い鋸とした。誰よりも果敢に敵陣へと押し入り、しかして必ず後方に引く。そのあとに塞がる全てを断ち切りながら。

 そうして拓いた道をイスカンダルへと献上する事が、全てに勝る誉れであったのだ。


「見ておれ、イスカンダル。妾の刃が再び!」


 ペルディクスが虚空に食い込む鋸を引くと、彼女の前方から、地面に刻まれた赤いエーテル照準と同じ長さの水で形成された帯状の刃が射出される。

 超高圧で放たれた水は断続的に物質を削る動きをプログラミングされており、あらゆる物質を切断できる。更に水の刃は〈既にジルの体内にまで刻まれた照準〉を完全に切断し終えるまで標的を追尾し、途上で触れた〈いかなる術をも自動的に全て解除〉してしまう。

 即ち不可避の斬撃。運命に破滅という結末を刻み込む、イスカンダル軍の恐怖を体現した臨界奥義クライマックスである。


臨界奥義クライマックス――【路を空けよ、最果ての海ロード・オブ・オケアノス】!」


 射出から目標到達までの時間は、上空から地上の間に数百メートルの間合いがあってなお五秒を数えない。その僅かな猶予の中で、魔女は【聖女の屍ラ・ピュセル】の先端を地面へと着けた。


臨界奥義クライマックス――【青髭館殺人事件ラ・バーブ・ブルー】」


 地表から虚空へ。振り上げた十字架に追従して地面の下から現れた巨大な青い炎の刃が一瞬で空を断ち、ペルディクスの身体を背中のオルガノンごと貫く。燐火は肉体を瞬時に塵へと変え、黒い骸骨だけを残して即死させた。今際の言葉を吐く暇さえ与えずに。

 術師を失った事で刻まれていた照準が消え、ジルは一歩横に逸れて致命の斬撃を躱す。


聖女の屍ラ・ピュセル】が持つ臨界奥義クライマックス――【青髭館殺人事件ラ・バーブ・ブルー】。

 特大の射程距離と攻撃範囲を持つ即死術は、劇場型の舞台ステージである【青髭館ラ・メゾン・ブルー】の内部で死亡した登場者キャラクターの数をカウントし、その数に応じて威力が決定される。

 今回の発動時点で死亡していた登場者キャラクターの数は六百八十二体。理論上は〈あらゆる条件を問わず、百体以上の対象を即死させられる〉威力が出せる数値である。


 ジルは砕けた骨を踏み割りながらペルディクスの落下地点まで歩いていくと、手を翳して骸骨を宙に浮かせる。それは見る見る内に肉付き、生前の姿へと戻った。


「ぐはっ……き、貴様……!」


 身体を完全に支配されて顔しか動かせない海魔が呻く。


「急な幕引きですまないね。君には幾つか聞きたい事がある」

「話す訳が――」


 反抗しようとしたペルディクスの意識は直ぐに暗い混濁の沼へと沈み、完全に魔女の支配下へと置かれる。


 ――劇場での私語死後は慎むものだ。

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