双角王の戴冠

第19話 双角王の血族


       ◇


 千夜城攻略戦を終えた黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルは、祝宴と現地の調査を二日間に亘って実施。その後、半日の航界を経てイスカンダリアへと帰港した。

 船は港へと停泊し、船員達は束の間の休暇へと散っていく。そんな中ジルを筆頭に今回の作戦に参加した五人は、報告の為に大灯台へと足を運ぶのだった。


 大灯台奥には別棟の建造物が存在し、そこはイスカンダリアの政庁として使われている。かつて大灯台で働いていたアルカも、手続きの為に何度か出入りした事がある場所だ。

 最上階へと昇降機で移動し、廊下へと出て直ぐの場所に在る執務室の扉をジルは叩く。すると奥から「入るがいい」と威厳のある男の声が返ってきた。

 魔女はアルカとベルをちらりと見ると、隣の部屋を指で示して「あっちで待っておいで」と指示する。

 少年が「アイサ!」と元気に答えて相棒と共に走っていくと、ジルは両開きの扉を押し開けた。


「よく来たのう、ジル。活躍は既に書面で見させてもらったワイ」


 奥で待っていたのは初老の男だ。羊毛を梳いたようなふわふわとした青黒い長髪と豊かな髭は、光に反射して夜空の如く瞬いている。側頭部からは長い耳が横に伸び、どことなく海洋生物を彷彿とさせるシルエットだ。彼は奥の執務机に設えられた椅子から立ち上がって一行を出迎えた。

 褐色の引き締まった身体を上等ながらも少し古風な絹の貫頭衣に身を包んでおり、その上から星空を刺繍で描いた厚いマントを羽織った出で立ち。頭部から生える立派な青い双角は、彼自身の持つ気品と服装が相まってさながら王冠である。


 クラウディオス・プトレマイオス。大灯台の最高責任者にして、ケメトの地を治める〈当代双角王〉。いわばイスカンダリアの最高権力者に他ならない。


「今回も一人の犠牲も出さない見事な手際……流石はイスカンダリア一のシナリオ書きじゃな、ジルよ」

「ふふーん。今回からうちのメンバーに加わった頼もしいコ達がいましてね。異界の王を討ち取ったのも、そのコ達の手柄です」

を助けてくれた子供達か。めざましい活躍ぶりではないか。おヌシが直々に育てた弟子というだけの事はあるワイ」


 クラウディオスは執務机で術札アルカナを使って紅茶を錬成すると、それを盆に載せて部屋の中央に在る応接用の机まで持ってくる。

 彼は机の四方を囲むソファの一つに腰掛け、「おヌシらも楽にせい」と着席を促した。{ジル、フランソワ、アトラス}はそれぞれの作法で礼を示し、別々のソファへと腰を下ろす。


「……さて。今回回収してもらったものを合わせて、残るソロモンの鍵は後二つとなった。伝承に記される七十二冊のシナリオ全てが、もう直ぐ集まる事になるのう」


 感慨深く話す当代双角王に、ジルは紅茶を一口飲んで口を開く。


「この仕事が始まってから、今年で五年目になりますか。アリストテレスが大図書館の街イスカンダリアに課した遺言の成就も目前ですね」

「うむ。『大王の死後二千年後より始まる星降節と共に飛来する、七十二のソロモンの書を収容し王国を守護せよ』という文言。その実行の為に作られたのが、エヌマエリス最高の天体観測機関である大灯台じゃからな。ワシの代で完遂できそうで安心じゃワイ」


 胸を撫で下ろす思いの老人を見て、フランソワは意地悪げに牙を見せる。


「ですが、肝心の最後の一つが何処に落ちたのか。大灯台でも観測できてないんでしょう?」

「これ、水を差すでないわ。じゃがまあ、おヌシの言う通り最後の一つは観測できておらぬのが事実じゃ。達成を祝うのは来年に持ち越しやもしれぬな」

「どうします。来年も俺達が戻ってきた方がいいですか?」

「……いや、それには及ばんじゃろう。うちにも一人、腕の立つ術師がおるからのう」


 クラウディオスがそう答えると、入り口の扉が乱暴に叩かれる。

 彼が「入ってよいぞ」と許可を出すと、扉が開いてずしんと太い脚が入ってきた。


 訪問者は身長にして三メートルを優に超す長躯。衣服は黒い布切れを下着代わりに着けている程度で、半裸に等しい。

 その全身は人の域を遥かに逸脱して発達した筋肉と、傷だらけの褐色肌に包まれている。{獣耳のある頭部から、肩や背中、それから四肢の先}といった部位は獅子を想わせる毛質の真っ赤な毛皮で覆われ、毛皮とは別に生えている金髪の中から生えた黒く禍々しい双角からも、ルガル人の血を引いている事は分かる。

 体格に優れたルガル人の成人男性と比較しても異常な筋肉量だが、更に驚くべきは胸の部分に大きなふくらみがあった事だ。

 その威容は〈獣姫〉と形容するに相応しい。


 その姿を見て、アトラスがソファからがたんと立ち上がる。


「どタイプッス! 結婚してください!」

 

 彼には、初対面の人間との距離感を盛大に測り損ねる悪癖がある。


「あァ? オスだぜ」


 獣姫は一言で眼帯の求婚を退けると、づかづかとクラウディオスの元へ歩いていく。そして一冊のバインダーを手渡した。


「ほらよ。ソロモンの書取ってきたぜ、


 新聞同然にソロモンの書を放り投げ、クラウディオスはそれを慌てて両手で受け止める。


「ハルモニア。シナリオはもっと大事に扱えと言っておろうが」

「弱い本には興味ねェ。それにそいつは火に放り込んでも燃えやしねェだろ」

「そういう事を言っとるんじゃないワイ! そもそも報告もせずに何処へ行ってたんじゃ。出発したのは五日も前だったじゃろう」

「ンァ? ……ま、旅行とかだよ。遠出ついでにナ」


 はたから見ていても奔放さが伝わってくるハルモニアの態度に、当代双角王は溜め息を吐く。


「まあええワイ。今は客人と話をしとるから、下で飯でも食ってこい」


 獣姫は扉に向かって歩いていく途中、ちらりとジルの顔を見る。魔女が「どうも」と挨拶すると、ハルモニアは「フン」と鼻を鳴らして出ていってしまった。


「……おやおや。嫌われてしまったかな」


 ジルがいつものポーカーフェイスでわざとらしく嘆くと、クラウディオスは顔の前を手で扇ぐ。


「あいつはワシの孫なんじゃが、船乗りを嫌っておってな。……少し前までは、ステラもそうじゃった」

「差し支えなければ、何があったのかお聞きしても?」

「うむ……あの子達は船の事故で父親を亡くしておるんじゃ。母親も既におらん。以来あの兄弟はワシが面倒を見ながらも、両親の居ない環境で育ってきたのじゃ」


 ジルは頭の回転が速い。与えられた情報から即座に事情を把握する。


「やはり異母兄弟でしたか。ハルモニアさんは〈アマゾネス人〉でしょう」


 イスカンダリアから海を隔てて北。エヌマエリスの最北に広がる大平原に、〈テミスキラ〉という土地が存在する。その地は古来より数多の騎馬民族達がしのぎを削ってきたが、その中でも最強と名高い戦闘民族こそがアマゾネス人である。

 ルガル人から分派した人種であるアマゾネス人の特徴は、何と言っても〈両性偶有の女系民族〉である事だろう。外見は皆一様に女性であり、社会での役割によって精神的な性別が決定されるという風習を持っている。

 基本的には多人種との交配を行わなず、仮に行ってもほぼ確実に子はアマゾネス人の特徴を持って生まれてくる為、母親が同じ兄弟の片方だけがアマゾネス人というケースは考えにくいのだ。


「いかにも。ハルモニアは捨て子でな。ワシの息子がまだ独身だった頃に拾い、養子に迎えたのじゃよ。その後息子は結婚しステラを儲けたが、ステラの母は出産から間もなくして亡くなっておる」


 両親のいない子供。ジルはステラという子にアルカの姿を重ねる。


「ワシの息子はイスカンダルの燈に目覚めた術師じゃった。あいつは最果ての楽園エルシオンを目指して海の外へ出てな。その先で事故に遭って、二度とエヌマエリスには戻ってこなかった。それからじゃよ。ステラとハルモニアが船乗りを忌み嫌うようになったのは」


       ◇


 時は少し遡り。ジルに言われて隣の部屋の扉を開けたアルカ達は、後ろに伸びた〈星角〉が懐かしい顔に再会する。


「よく来たね、アルカ。活躍はおじいさまに聞かせてもらったよ!」


 怪我からもすっかり回復した元気なステラが、二人を出迎えた。


「ステラー! 元気になったんですね。よかった!」

「大灯台の医療部門はイスカンダリアでも屈指だからね。錬金術キミア治療を受ければ、大抵の傷なら一日で元通りさ」


 大灯台誇り症は治してもらわなかったようだ。

 アルカと一通り再会を喜び合った星角は、ベルの方へと視線を移す。


「先日は大した礼も言えずにすまなかった。僕はステラ。アルカの学友だよ」


 彼が差し出した手を大王はすり抜け、両腕で身体を抱き締める。


「んぎゃっ! 急に何をする!」

「何とは。再会を祝うのであろう?」

「これが王の作法という事か……? そうなのか……?」


 ベルの振る舞いは相変わらず独特だが、目の前の絵面は面白いのでアルカはよしとしておいた。



 三人は旅の思い出話に興じ、その間ステラは奇怪で幻想的な光景や、驚愕すべき術の数々に表情をころころと変化させていた。

 アルタシャタの最期には子供ながらに考えさせられるものがあったのか、神妙な面持ちで話は幕を閉じる。


「そうか……王にも様々な人物がいるんだな」


 彼は一度流星王に身体を支配され、恐ろしい目に遭った経験がある。少なからず悪い印象を持っていたに違いない。だがステラからは以前までの己の信条に関する頑固さが消え、客観的な情報を素直に受け入れるようになっていた。


「ともかくアルカとベルが無事でよかった。ま、二人はあの流星王すらも討ち倒した身だ。負ける心配はしていなかったけどね」


 流星王と聞いて、アルカはふと気になっていた疑問を思い出す。


「そう言えば、流星王はどうなったんですか? あいつが宿っていたソロモンの鍵は回収されたって聞きましたけど」

「既にされたよ。ソロモンの鍵は魂を取り込んでいる限り、周囲の人間に取り憑く可能性がある時限付きの厄災だ。だから回収された時点で取り込まれた魂を大灯台の設備で解き放ち、無力化している。やつは今頃、エヌマエリスの空を彷徨ってるだろうね」

「じゃあ、アルタシャタもそうなっちゃうんですね……」

「悲しいけれど、それが海の外で死ぬって事なんだと思う」

 ――博識なステラは、自分の言葉に違和感を覚える。

「……いや待てよ。アルタシャタはパルシアの王だから、海の外で死んだ訳じゃないのか」


「師匠は『海の外で死んだ人間でなくとも、強い未練を現世に残した魂は冥界に行けず現世を彷徨う事がある』と言ってました」

「だとしたら、アルタシャタは無事に冥界に還れたのかもしれないな。おじいさまは『今回回収されたソロモンの書には、既に魂が囚われていなかった』と言っていたし」


 錬金術師アルケミストらしい談義に花を咲かせていたその時。不意に部屋の扉ががちゃりと開かれる。


「ステラ、ここにいたのか」


 入ってきたのは、圧倒的な巨躯で小さな三人を見下ろすハルモニアだった。

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