第18話 消えない燈火

 星降る夜の体験を、アルカは脳裏に思い起こす。

 空を覆う滅びの流星を飲み込んだ、九支のさか瀑布。あれは明らかに〈アルカ自身の力ではなかった〉。何か大きな存在が、力を貸してくれたような。少年は当時をそう形容する。

 その感覚を確信へと変えたのは、ジルの言葉だった。


『イスカンダルの燈は人が持つ意志の力を高め、多元世界を隔てる境界の突破さえ可能にさせるのだよ』


 アルカは無意識に名も知らぬ筈の術を命名し、詠唱していた。それはきっと、〈海を隔てた向こう側から、何かに呼ばれた〉気がしたからだろう。

 その感覚を、少年は思い出しながら印を結ぶ。


演技アクション――【最果ての呼び声】!」


 印を押すと同時にアルカとベルの背後の空間でイスカンダルの燈が円の軌道を描き、そこから九つの水流が渦巻く波濤となって噴き上がっていく。

 それは獲物を食らう海の怪物然とした動きで灼熱の嵐へ覆い被さると、深い海の底へと誘うが如く収束して全てを飲み込み始めた。


「うぐぐぐ……ぎ……!」


 莫大な熱量を相手に今にも弾け飛んでしまいそうな水の塊を、アルカは意志の力で必死に抑え込む。一つ、また一つと重なる触手が、確実に封印を強めていく。


 水によって炎が噛み砕かれてできた道へ、ベルは翼で空を叩いて果敢に飛び込んだ。相棒が切り開いてくれた王道を信じ、右手の爪に万感の想いを込める。

 水飛沫に白く染まる視界を突き破り、一寸先の煉獄さえも恐れず前へ。


 そして。振りかぶった爪が最後の飛沫を裂き、大王の勇姿が零明王の瞳に映る。


「見事であった、零明王。空に太陽がある限り、なれの輝きが翳る事はないだろう!」


 ベルは、アルタシャタの腹へと拳をぶつける。流星を彷彿とさせる四筋の光が拳から漏れ出すと、その勢いで彼の身体は地面へと叩き落された。

 辺りに静寂が訪れ、アルカを乗せた大王は四つ脚の姿勢で地面へと舞い降りる。

 仰向けに倒れる零明王は、落下の衝撃で吐血しながらも生きている。その腹には、四本の線が中心で交差する小さな星の紋章が刻まれていた。


「その紋章は〈天の星ディンギル〉と言ってな。狩りで仕留めた獲物にこの紋章を刻む事で、〈その魂が苦しむ事なく、神の祝福を受けられるように〉という願いを込めるものだ」


 元の小さな身体に戻ったベルが、アルタシャタのそばへと歩いていく。


「……知っている。〈バビロニア〉の旧き風習であろう」

 ――零明王は喉の奥から込み上げてきた血を吐くと、苦しみのない穏やかな表情でベルの目を見る。

「知っているか? 獣を慈しむようになったのは、バビロニアの人間達が初めてなのだそうだ」


「急になんだ……変な事を言う奴だな」

「ふっ。貴様は優しいと、そう言ったのだ」


 二人が話していると、羽衣で無事に着地していたライラが歩いてくる。暗い闇の中を歩き続けた王と伴侶は、初めて眩い日差しの下で見つめ合った。彼女は膝を砂に落とし、王の顔を覗き込む。


「……申し訳ありません。わたくしは、最後まで貴方のお役に立てませんでした」

「最後だなどと、馬鹿な事を言うな。其方にはこれから先、善と過ごした時間よりも遥かに長い人生が待っている」

「わたくしには、貴方のそばしか居場所などありません!」



 アルタシャタと出逢う前。ライラは盗賊達によって運ばれる、商品としての奴隷であった。

 なんの運命の悪戯か。突如盗賊団が姿を消した事で彼女は解放され、目が見えないまま彷徨った先で巡り合ったのが、一冊のソロモンの鍵であったのだ。



 アルタシャタは腕を伸ばし、ライラの目からあふれ始めた涙を拭う。


「この世界が消えたら、善が愛した国へと向かうがいい。そこにはきっと、其方の居場所がある。こんな情けない王でさえも、愛してくれた民達がいたのだから」


 天の星ディンギルは苦痛なく丹田を砕き、零明王の身体は徐々に燃えて灰へと変わる。同時に、世界を包む天蓋も硝子が割れるように崩壊していく。


「其方は独りなどではない。この先どんな時でも、善が其方を見守っている。……だからどうか、幸福に生きてくれ。それが善の託す〈何よりの望み〉だ」


 王は灰となり、天へと昇っていく。偽りの蒼穹が砕ける。


「あ……!」


 灰を追って見上げたライラの視界に広がっていたのは、何一つ変わりない真っ青な空。

 そして、遥か昔から地上を照らし続ける太陽だった。


……貴方の姿が……!」


 その奇跡に、錬金術師アルケミストはまだ理屈を持ち得ない。あるいは世界が終わるその日まで、解き明かされはしないのかもしれない。

 確かなのは、闇の中を彷徨い続けた一人の女の目に生涯消えない燈火ともしびが宿ったという事だけだ。


       ◇


 戦いを終えたアルカ達は、直ぐに黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルによって回収された。

 最後は別行動をしていたジル達も無事であり、彼等はずっとライラの錬成した〈四十人の盗賊達〉や〈巨大なロック鳥〉との戦いを繰り広げていたそうだ。

 尤もそれを聞いたのは、酒の入った宴の席で催された即興劇の台詞としてなのだが。


 夜更けまで続いた宴が終わった後。アルカとベルは自分達の部屋へと戻って寝る準備を整える。

 ベッドに入り明かりを消すと、アルカは自然の薄明かりに照らされた天井をぼうっと眺めながら口を開く。


「星の光って、凄く明るいんですね。今までずっと気付きませんでした」

「ああ。いつの時代も、星だけは変わらずにそこにある。零明王の言葉を借りるようだが、おれ達を見守っているのかもしれぬな。……きっと独りでは駄目なのだ。誰かが常に見てくれているからこそ、おれ達はこの世界に存在できるのだとおれは思う」

「ふふ。なんだか舞台役者みたいですね」


 ついさっき生まれて初めての劇を見たばかりのベルには、相棒が言わんとする事がなんとなく分かる。そして、頭の片隅にあった取り留めのない想いが形になった。


「おれはな、アルカ。なれとこの世界を見て回るようになって一つ気付いた事があるぞ」

「……なんです?」


 アルカが顔を横に向けると、大王と目が合う。彼の瞳は、新たな理論を発見した錬金術師アルケミストのように輝いていた。


「イスカンダルという王は、世界を照らす星のように偉大な人物であったという事だ」


 アルカ達錬金術師アルケミスト。そして流星王や零明王といった、遥か過去から現在へと流れ着いた者達。彼らの人生は皆、イスカンダルという一等星を目掛けて歩んでいるように思えてならない。


「死してなお、世界を動かし続けるイスカンダルの意志……おれにはこの世界そのものが、イスカンダルの書いたシナリオであるようにさえ感じるのだ」

「案外そうかもしれませんね。……ねえ、ベル。錬金術師アルケミストがどうしてシナリオを書くのか分かりますか?」

「ふむ……? その言い方だと、生きるに必要な糧を得る為ではなさそうだな」


 少年は天井に向けて、すっと指を向ける。


「世界を囲む天の上……そこにあるとされている〈最果ての楽園エルシオン〉を、錬金術師アルケミストは探し求めているんです。そこに辿り着いた者は〈世界の真理〉も〈永遠の命〉も、どんな願いだって思うがままに叶えられるそうですよ」


 ベルはぽかんとアルカの顔を見つめていた。今はまだ返す言葉も見つからないような途方もない話だ。


「この世界の創造に使われた全ての大いなる術を納めたシナリオを完成させれば、人は最果ての楽園エルシオンの秘密を知る事ができると師匠は言ってました。だからボクらは海の先を目指すんです。世界の全てを集めて、〈最果ての楽園エルシオンのシナリオ〉を完成させる為に」

「ふむ、世界の全てか。実に叶え甲斐のある願いだ!」


 二人の行く先にもまた、消えない燈火が確かに宿ったのだった。


       ◇


 暖かな陽の光に包まれた通りを、陽射し除けのローブに身を包んだ一人の旅人が歩いていく。

 通りの脇は家屋と一つになった壁が並び、まるで迷路のようだ。往来は色とりどりの羽な飾られた、ハルピア人達で溢れている。

 通りを駆け抜けていく数人の子ども達は、前から歩いてくる旅人に気が付いた。


「あ、絵本のねえちゃん見つけた!」


 子供達の中でも一際やんちゃそうな赤い羽の男児が、皆を率いて旅人の元へと駆け寄る。


「ねえちゃんねえちゃん! 今日もお話聞かせてくれよ!」


 肌の白い異国の女性は、微笑みながら一冊の本を腰の鞄から取り出す。


「いいですよ。今日はどんなお話にいたしましょう?」

「うーんとね、この前は悪い盗賊のお話だったから……今日はかっこいい王様の話がいい!」


「あら。でしたら、私が一番好きなお話がありますよ」


 かつては絶えた王の讃歌が、今を生きる命へと紡がれる。誰もが名を知るその王は、最早二度と独りになる事はないだろう。


 星に囚われたその魂は、確かに故郷の大地へと還ったのだ。

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