第17話 千夜城に日は昇る


 目の前の勇姿に自分が命を絶った筈の子供の面影を感じ、アルタシャタの脳内は混乱する。


「有り得ぬ……善は絶対の力を授かったのだ! イスカンダルよ、貴様は善を選んだのではなかったのか!」

 ――彼が何より受け入れ難かったのは、ベルが自分と同じイスカンダルの燈を纏っている事だった。

「ふざけるな……何故貴様は何度も善の邪魔をする……!」



 アルタシャタは、生まれ付いての王ではなかった。

 王と女奴隷の落胤として生まれた彼は、王族として生を受けながらも母と二人で貧民としての暮らしを余儀なくされる。

 そんな彼に訪れた幸運は、王宮内で繰り広げられた血みどろの政戦であった。陰謀の刃によって王位継承者は次々に暗殺され、絶えんとした王室にとってアルタシャタの持つ王の血は絶好の神輿となる。

 こうして彼は、当時大陸の大半を版図に持つパルシア帝国の王となった。

 社会の底から世界の王へ。翼を与えられた雛鳥にとって、宮殿の窓から見下ろす空はどれほど美しかった事だろう。


 だが、そんな幸福も長くは続かなかった。

 海の向こう側から大陸へと攻め込んできた、双角王イスカンダル。彼は理解の及ばぬ魔術と神をも殺さんばかりの武勇で大軍を率い、帝国の領土へと迫ったのだ。

 戦場で初めて双角王と対峙した時、アルタシャタは思い知った。人を王にするのは、貴い血筋でも強大な国力でもない。世界を統べるに足るだけの力強い意志。育まれてきた王の器だと。

 王としての証を全て奇跡的な巡り合わせによって手に入れたアルタシャタには、その一番大事な意志ものが足りなかった。


 神の代理人として与えられた絶対的な権力。大陸最大の兵力を誇る精強な軍隊。王たる自分に与えられた誇るべき力はいつしか、己の矮小さを引き立てる煩わしいものへと変わっていった。

 アルタシャタの心には、やがて一つの思いが宿る。早く滅ぼしてくれ。無能な王である自分を、不釣り合いな玉座から引き摺り下ろして解放してくれ。


 故に彼は戦場から目を背けたのだ。自分へと縋り付いてくる、責任の手から逃れる為に。



「善は……貴様に世界を譲ったではないか。神に与えられた、たった一握りの幸福さえも手放してまで! なのにどうして善をこの世へと引き摺り戻した。全てを失った善に、これ以上何を見せ付けようというのだ!」

 

 偉大な王の幻影に、一人の臆病な男は絶叫する。

 アルタシャタが望んだ暗黒の景色は、彼の絶望そのものだ。世界の全てを手に入れ、そして自ら手放した。それが分不相応にも世界を手に入れてしまった、自分にできる贖罪だと信じて。


「奪うなら何故与える! 空っぽに生んだのなら、どうして空っぽのまま死なせてくれなかった! 貴様達が与えなければ、善は何も失わずにいられたのに……!」


 掠れる声と共に千夜王の頭上で光輪が砕け、彼の世界に満ちていた光も消えていく。

 望んだ筈の暗黒を照らしていた光明は〈アルタシャタが恐れ、憧れ続けたイスカンダルの燈を自分もまた得た〉という自負から生まれたものであった。

 だがその証さえも自分だけのものではないと知り、彼にとって最後の希望さえも絶えてしまう。


「……殺せ。この世界と共に消えさせてくれ」


 臆病な王は再び戦場から目を背けた。これまで何度もそうしてきたように。

 その背中にどんっと重い衝撃が奔る。僅かに目を開いたアルタシャタが振り返ると、そこには身体を密着させるベッソスがいた。


「ああ……一度目に終わらせてくれたのも、其方であったな。ベッソス」


 背中を刺された王の顔は、どこか安らかなものだ。この瞬間を待ちわびていたかのように。


「またそうやって、私達から目を背けるのですか。私達がが、まだ分からないのですか!」


 アルタシャタは気付く。ベッソスが背中に突き立てているのは、冷たい刃物などではない。暗黒の世界で音のみを頼りに危険な戦場まで主君を探しに来た、傷だらけの温かい手だ。

 その手が身体ごと、王の願いを突き離す。


「王とは神の代理人に非ず。力なき民が願いを託す偶像こそが王の本質であれば、王とは人々にとっての神そのものなのです」

 ――千夜王が世界を手放した事で、エーテルの供給を絶たれたベッソスの身体は霧散していく。

「私達の神は、国も人も救いはしません。太陽として天に昇り、慈愛も憤怒もなく民草を照らすだけ。いいですか。王に必要なのは、絶対的な力などではないのです。意図なく世界を照らし続ける太陽をこそ、パルシアの民は愛したのですから――」


 輪郭が火の粉へと変わり、ベッソスは闇の中へと溶けていった。生前にも知り得なかった彼の本意を、アルタシャタが全て理解できる日は来ないだろう。

 それでもたった一つ。王が手にした答えがある。


「……そうか。善はただ、其方達のそばにいればよかったのだな」


 王の背後に広がる闇の底から、黎明れいめいが白く地平を切り拓く。太陽は瞬く間に天へと昇り、捨てられていた景色を遍く照らした。

 崩落した天井から臨む蒼穹を背に、赤き羽の王は堂々と立つ。


「我が名は〈零明れいめい王〉アルタシャタ。今は羨望も憎しみもなく――ただこの戦場から逃げない為に貴様と戦おう」


 その全てを見届けたベルは、にっと牙を剥いた。


「それでいい。今はおれとなれの間こそが、歩むべき王道だ!」


 大王の身体から噴き上がるイスカンダルの燈はアルカをも包み込み、共に希望への道を歩ませる。

 ベルが身に灯すのは、アルカの持つイスカンダルの燈そのものだ。他人の願いを燈ごと食らい、自身の燈へと昇華する。それが彼の到達した、王としてのあり方であった。


「――【王道モード大王ベル】。王の狩りというものを見せてやろう!」


 勇ましく吠えた獅子は四肢で地面を蹴り、単純な膂力に任せて爪を振り下ろす。


「ぐっ……!」


 アルタシャタは咄嗟に短剣を握った手で迎え撃つも、獣の筋力で振るわれる圧倒的な重量と小さな刃が通らぬ程厚い毛皮に弾き飛ばされ、姿勢を崩しながら後退する。

 零明王は懐からランプを取り出し、印を結んで錬り上げたエーテルを注いで起動させた。


「手に余るな。小道具プロップ――【魔神の業火ランプ・オブ・ジン】!」


 再びランプの中から現れた赤い煙の男は、アルタシャタの肉体へと憑依する。


「――【力の業火】。善に剛力を授けよ!」


 煙の輪郭は実体を帯び、赤い羽毛に包まれた剛腕の肉鎧となる。

 短剣を主体とするアルタシャタの戦い方は、〈トア〉と呼ばれるハルピア人の伝統武術である。七つの型が存在し、その全てを体得したものは悟りを開くと伝えられる哲学的な教義を持つ。

 零明王は弓羽による射撃を行う第一の型〈アナトア〉と、第二の型である〈アタド〉を習得している。アタドは肘を上にして拳を下にし逆手に短剣を持つ独特な上半身の構えと、爪先立ちを基本とする足捌きを駆使する近接格闘術だ。

 ハルピア人の持つの字型の脚構造は、彼らの爪先が長く発達しているのに起因する。

 後方に蹴り出す動きに長けたその構造は異形の体躯を持つベルも同様に持っているが、トアの動きによって瞬発的な機動力に特化させた足の運びが、四つ脚で動き回るベルの狭まった視野を翻弄する。

 加えてアルタシャタは【力の業火】で上半身の膂力を大幅に強化しており、特殊な構えから突き刺す動きを繰り出して大王の肩を切り裂いた。


「ぐっ!」

「硬い……刃を浅くしか通さぬか」


 人の域を超えて発達したベルの全身の筋肉は、力を込めると鋼の如き硬度を獲得する。零明王の動きを認識できていない為に、反射的な対応しか間に合わず硬化の精度はいまいちだが、それでも敵の剛力に拮抗して致命傷を防いでいた。


「目で追えぬなら……風で追う!」


 ソロモンの鍵から召喚された王の場所を感じ取る、ベル固有の探知能力。大王はこの土壇場で自分の力を戦闘に応用する手段を編み出す。

 死角の右背後から迫るアルタシャタを把握し、後ろ脚で迫りくる腕を蹴り上げる。爪の先が短剣を捉え、弾き飛ばして階下へと落とした。


「よし!」

「ほう、思っていたより器用だな。ならば圧倒的な火力で吹き飛ばすまでだ」


 アルタシャタは追加で印を結び、錬り上げたエーテルを【魔神の業火ランプ・オブ・ジン】へと注ぐ。


 小道具プロップに属する術の中には、錬成に必要なエーテルの他に追加で外部からのエーテルを供給する事によって、強力な能力を発動できるものがある。

 登場者キャラクターのコントロールを奪うフランソワの【曇天より射せ明星の光ライト・オブ・ルシファー】や、アトラスの製図コンパスに内蔵された仮想運動を発生させる【巨人の鉄槌】もその一種である。


魔神の業火ランプ・オブ・ジン】は{富、力、名声}に分けられる三つの能力を持ち、状況に応じて使い分ける事が可能だ。

 全ての小道具プロップには使用回数の制限が設定されており、【魔神の業火ランプ・オブ・ジン】の場合は三回。全ての能力を一度ずつ使うと壊れる設計となっている。


 最後の力は〈名声〉。【魔神の業火ランプ・オブ・ジン】が持つ能力の中でも、最も多くのエーテルを必要とする切り札。


「――【名声の業火】。善の名の下に、不届き者を打ち砕け!」


 三度みたび現れた赤き魔神は巨大な体躯を煙で形成し、内部から点火して炎塊と化す。

 擬人化された太陽の化身は両腕を振り下ろし、宮殿の床へとその熱量を叩き付けた。


 ベルは危機を察知してアルカを抱えながら爆炎から逃れるも、瞬く間に崩落した足場から落下していく。


「うひょわーっ! お、落ち落ち……!」

「大丈夫だ。なれがくれた翼がある!」


 ベルは腰の翼を開いて風を掴み、瓦礫が降り注ぐ宙を舞う。

 人間の戦士としての肉体をベースに、獲物を仕留める獅子の膂力と万里を翔る鳥の翼。日々を狩りに生きてきた彼の〈力のイメージ〉が純粋に形を成した姿。

 アルカがベルに託したイスカンダルの燈が、どういう理屈かこの肉体を大王に与えたのだ。


 眼下では、アルタシャタとライラが羽衣に風を受けて、宙をゆっくりと降りていた。その視線は翼で空を飛ぶ獣を捉え、驚愕に見開かれている。


「捉えたぞ、零明王!」


 大王はアルカを背に乗せると翼で空気を叩き、羽を撒き散らしながら上空へと舞い上がる。そして地上へと、流星の如く急降下した。

 それはまるで、イスカンダルが放った矢のように。

 かつて彼の矢をたった一度、アルタシャタは目にした事がある。それは苦々しい最初の敗走。彼の人生を致命的に狂わせた、取り返しのつかない後悔の記憶に他ならない。

 零明王は歯を食い縛り、ライラに叫ぶ。


「ライラよ、善はもう逃げぬ! これが其方に見せる、最初で最後の輝きだ!」


 彼の言葉に全てを悟った従者は、少し寂しげに目を閉じた。だが直ぐに、仕えるべき王を真っ直ぐに見つめる。


「見届けさせてください。きっとこの目に焼き付けてみせます」


 アルタシャタは羽衣を脱ぎ捨てると、開いた弓羽に黒い羽矢を番える。背は地上に向け、迫り来る死は視界の外へ。ただ勇気のみを矢の先へと灯す為に。


「照覧あれ、イスカンダルよ。これこそがついぞ貴様に渡さなかった、善の魂の輝きである!」


 零明王が今わの際に宿した王としての矜持は皮肉にもイスカンダルの燈となり、彼の全身から立ち昇った。その輝きは世界に満ちる太陽の光輝を炎として収束し、一つの神話をつづり上げていく。


「照覧あれ、パルシアの民よ。今宵永久とこしえの闇は終わりを告げ、千夜城に日は昇る! ……共に征こう、永遠の空へ。――【アータルの裁き矢】!」


 弦を放れた矢は不可視の境界へと吸い込まれるも同然に一瞬で燃え尽き、その先の空間を埋め尽くす規模の劫火が解き放たれた。幾筋もの火柱は次第に渦を巻き、一つの矢じりとなって天を焼き穿っていく。


 目前に脈打つ終局を前に、アルカは静かに印を結んだ。

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