第16話 王の願い


 アルカ達は右の階段を選ぶと、ベルが先頭に立って手探りで階段を上がっていく。彼のソロモンの鍵に対する探知能力は、上階で動く鍵の位置を捉えていた。


「アルカ。上の階で誰かが動いている。おれに付いてこい」

「気を付けてくださいね……」


 はぐれないように手を繋ぎ、足元の段差を探りながら音を殺して階上へと進む。

 最後の段へ足を踏み出したその時。突如奥に広がる闇の中から一筋の火球が飛来した。ベルは「うぐおっ!」と叫びながら後ろに下がり、アルカを抱きしめて数段下へと滑り落ちて間一髪で攻撃を避ける。火の玉は背後の手摺へと直撃し、火の手を上げた。


「ぐっ……アルカ、無事か!」

「ボクは平気です。ベルは――」

「紙一重だ。どうやら敵に気付かれているらしい」


 アルカはバインダーを開き、一枚の術札アルカナを取り出して紐付きアルレシアに入れる。


「隠れる必要がないなら、遠慮なく使わせてもらいましょう。演技アクション――【存在照明サス】!」


 手の内から前方へ直線状に打ち上がった幾つもの小さい火の玉は、廊下の天井で弾けて光源となり周囲を照らす。ベルが階段から頭を出して上を確認すると、照明は広く長い廊下の奥に、二つの人影を照らし出していた。

 大人の男女だ。男は兵士達と同じハルピア人だが、女の方は明らかにこの世界から浮いた色彩で描かれている。


「あの女……ソロモンの鍵の保有者か!」


 ベルが声高く叫ぶと、女は閉ざしていた口を開く。


「わたくしはこの世界の王に仕える者。ライラ・シェヘラザードと申します。貴方達も、この世界の人間ではないのですね」


 なんとなく会話が成立しそうな雰囲気を感じたアルカは、恐る恐る階段から頭を出す。


「ボク達はイスカンダリアの錬金術師アルケミストです。貴女の持っているバインダーを回収しに来ました!」

「お引き取り願います。わたくし達はこの世界で静かに生きていきたいだけなのです。できる事ならば、貴方達を傷付けたくはありません」


 互いに折衷の利かない願い。その先には、実力行使という妥協案しか存在しない。


「アルカ。流星王と戦った時の事を憶えているか?」

「最後の方は曖昧ですけど……大体は」

「流星王を倒したのは、アルカのイスカンダルの燈だった。――ジルの話では、王と呼ばれる連中は全員がイスカンダルの燈を使ってくるらしい。ならば同じ力で対抗するのは道理だ」

「……任せてください。もう一度、イスカンダルの燈を出してみせます!」


 アルカは身体が震え、目に見えて緊張していた。ベルと違って、少年は戦いに慣れていない。加えてジルに大事な任務を任されているのも大きなプレッシャーになっているのだろう。


「安心しろ。おれがアルカを守ってやる」

「アイサ!」


 ベルは四足歩行に切り替え、猛然と敵に突っ込んでいく。


「愚かな。子供の喧嘩に付き合うと思うか」


 アルタシャタは羽矢を番え、標的の眉間を狙って放つ。

 大王は反応して床を蹴ると、横の壁を勢いで駆け走り、矢を躱しながら迫る荒技を見せた。


「――なにっ!」


 錬金術師アルケミストの基本技術に、エーテルの操作によって身体機能にブーストを掛ける〈錬丹術タニツ〉という技術が存在する。

 錬金術キミアとは違い、発動には術札アルカナを必要としない。エーテルの操作によって身体を動かす為の意志の力を増幅し、肉体が本来持つ力を引き出すのだ。


 錬金術キミアは膨大な知識体系の上に成り立つものだ。いかに師が優れていても、一朝一夕で身につくものではない。

 だからジルは特訓の時間を全て錬丹術タニツの習得に費やした。ベルが生来持つ身体能力と狩人としての経験を活かすには、そちらの方が適していると判断したのだ。


 向かってくる大王に対しアルタシャタは〈術札アルカナを使わずに〉印を結ぶと、杯を持つように腕を構えて詠唱する。


小道具プロップ――【魔神の業火ランプ・オブ・ジン】」


 アルタシャタの手中に現れたのは小さな灯油ランプだ。彼がランプの口に手を翳すと小さな火が灯り、赤い不気味な煙が立ち昇っていく。それは筋骨隆々とした赤い肌の大男の形へと変化した。


「――【富の業火】。善に宝物を捧げよ」


 更なる詠唱に従い、大男の手に灯る火が大きく噴き上がる。それは王の左手へと収束して鞘に収まる剣の形を成す。

 彼が鞘から抜き放ったのは、刃の湾曲した短剣だ。彼はそれを片手で回転させると、軌跡に炎の円をえがく。武器を携えた王は、勇敢にもベルを迎え撃った。


「何っ……まさか!」


 ベルの目論見は大きく外れた。ジルから聞いていた〈臆病な男〉というイメージが悪く働き、王が戦闘に混じってくる事は無いと考えていたのだ。


 ベルは大きく発達した腕の甲で刃を受け、振り抜きで弾き返す。黄金の毛に包まれた腕の下は鱗の重なる硬い甲殻になっており、天然の鎧として生半可な刃物であれば容易く防ぎ切る。

 予想外の一撃はなんとか捌いたが、ベルはこのまま無理攻めすると危険だと判断し、一旦後ろに引いて間合いを開けた。


「アルタシャタ、だったか。なれも戦えたのだな。自分の命可愛さに、民を見捨てて逃げ出す臆病者だと聞いていたぞ」

「……ほう。善を知っておるとは。あまり良い評判ではなさそうだがな」

「否定しないのか。王としての責任をなんだと思っている!」

 

 ベルの心に、フランソワとの問答で感じた憤りが再び蘇る。


「責任だと……? くだらぬ。そんなものは、民が自分勝手に善へと押し付けているだけのものだ。奴らなど王の栄光に群がるだけの羽虫に過ぎん。それを見捨ててなんの咎めがある?」

 ――王は怒号と共に、イスカンダルの燈を噴き上げる。

「王を語る愚物よ。黄泉への手向けに知るがいい。我が名は〈千夜王〉アルタシャタ。この世界に入った以上、貴様達に夜明けは拝ませぬ!」


 千夜王は再び弓羽を開き、羽矢を番える。それは炎を帯び、白熱して標的に狙いを定めた。


演技アクション――【アータルの裁き矢】」


 アルタシャタの頭上に冠する見えざる光輪からは無尽蔵にエーテルが溢れ出し、矢を番えている間は際限なく威力が上がり続けていく。

 それを視覚的に察知したベルは、相手との距離を詰めるべく走り出した。


「……少し遅かったな」


 矢が放たれた刹那。手の内で収束していた熱量は一気に解き放たれ、閃光が周囲を照らす。

 螺旋状の爆炎が前方を吹き飛ばした後には、黄金の羽が焼けて散るばかりだった。

 宮殿の壁も破壊され、外の闇が広がっている。尤もアルタシャタとライラには、影一つなく照らされて見えるのだろうが。

 千夜王は無残に破壊された前方へと進み、階段前の角を曲がっていく。


「行くぞライラ。他の賊も探し出して始末せねばならぬ」

「仰せのままに」



 暗い闇の底へ沈んでいたベルの頬に、暖かい雫が触れる。その一滴が停止していた意識の水面を揺らし、彼を再び現世へと浮上させた。

 薄く目を開くと、そこには泣きじゃくるアルカの顔が次第に浮かんでくる。


「……アルカ」

「馬鹿っ! 生きてたぁ……!」

「おれは……生きているのか」


 灼熱の渦に飲まれ、ベル自身ですら自分の死を疑わなかった。意識を取り戻した途端に身体の至る所で激痛が奔るも、何かの奇跡で一命を取り留めたらしい。

 その時ベルは、アルカに宿っているエーテルが殆ど残っていない事に気付いた。


「……そうか。アルカがおれを守ってくれたのだな」


 ベルに命の危険が迫っているのを見た少年は、自分の体内に残っていた大半のエーテルを咄嗟に使って水属性の術を発動した。

 遥か格上の術である【アータルの裁き矢】を解除する事はかなわなかったが、大量の水が熱を吸収して大王の肉体を守ったのである。二人は爆炎が炸裂した衝撃で階段を転げ落ち、一番下で辛うじて静止していた。

 アルカは体内のエーテルを致命的に使ってしまい、ベルの横に崩れ落ちて浅い息を吐く。


「アルカ!」

「よかった……ベル、守れて……」


 その弱々しい姿に、大王は自分の敗北がどのような結末を招いたのかを痛感する。


「……おれは駄目な王だな。偉そうに責任だなんだと宣っておきながら、結局は家臣の願い一つ叶えてやれないのか」

 ――気丈だった彼の目に、初めて涙が溢れた。

「何が王だ……おれはこんなにも弱い……!」


 涙に塞がった大王の瞼を、不意に額への衝撃が晴らす。見ればアルカが自分の額をベルの額へとぶつけていた。怒りの皺や涙でくちゃくちゃになった顔で、少年は相棒を睨む。


「馬鹿……! 馬鹿馬鹿おバカ!」

「あ、アルカ……?」

「お前はもう、ボクの願いを叶えてくれたでしょ。だったら今度は、ボクが願いを叶えてあげる番じゃないですか……!」

 ――王と錬金術師の契約。それは願いと願いの相互成就だ。

「ベル。お前の願いはなんなんですか!」


 家臣に問われ、ベルは言葉を詰まらせる。


「おれの――願い?」


『……それに、他にやる事もないだろう?』

『お前さんの言い分は立派だが、具体的に何をどうしたいのかが欠けてるな』

『王様くんはまだ、この仕事の為に命賭ける理由がないでしょ』


 最早思い出せない数々の言葉が、似たような意味の集まりとして脳内で響く。


「おれは……立派な王様になりたい。誰の願いでも叶えられる、そんな王様になるとのだ」

 ――ベルはアルカの肩を掴む。

「だからアルカ。おれになれの願いを預けてほしい。おれが王である為には、民の願いが必要だ!」


 少し歪なその願いを、少年は笑顔で受け止めた。


「もう暗いのは懲り懲りです。この世界に、とびっきり綺麗な日を灯してください」


 繋いだ手から伝わってくるのは、願いを叶えるには小さ過ぎる少年の燈。大王はそれを食らい、燻るばかりの心に点ける。


「最高だ。おれもその景色を見たくなったぞ」


 にいっと牙を剥く顔に最早一片の憂いもなく、燃え上がった魂が身体から溢れてイスカンダルの燈を灯す。


 黄金の炎は宮殿の天井さえも砕きながら貫き、空から暗黒の世界を照らしていく。その先端には、両腕でアルカを抱き上げるベルの姿があった。小さかった身体はたくましくも美しい青年のものへと成長し、黄金の毛皮に包まれた獅子の四肢が宙で躍る。


「掴まっていろ、アルカ。少し乱暴に行くぞ!」


 落下した先の行き先を阻む天井を、ベルは強靭な脚で蹴破って中へと突入する。その先にはアルタシャタとその伴侶がいた。

 突如として現れた黄金の光輝を纏う勇者の姿に、千夜王は瞼を剥く。


「貴様……イスカンダルか……?」


 大王はアルカを優しく床に下ろすと、黄金の双眸で敵を見据える。


「おれの名は大王ベル。イスカンダルに代わってこの世界を照らす、至高の王だ!」

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