第15話 千夜一夜物語

 アトラスの得意属性は風と火。彼の切り札である【偽天のアトラス】はその二つの複合術で、風の属性による広範囲の情報収集と、火の属性による光学情報の収集を極意としている。

 風の属性による情報収集は触覚的な情報に近く、物の座標や大まかな輪郭程度しか捉える事はできない。

 一方で火の属性による光学情報は視覚的な情報――色彩や明るさ、質感を細かく描写する事が可能だ。

 アトラスは二種類の情報を組み合わせる事で、脳内に極めて精細で立体的な地図を作成する。その地図を活用する事によって得られる擬似的な全方位視覚は、格闘において無類の対応力を術師に獲得させる。

 彼にはその力を遺憾なく発揮する為に、もう幾つかの武器があった。


 アトラスは片手に握った【偉大な円環サイクル・オプス】を剣に見立てた動きで振るい、あらゆる方位から放たれる矢を的確に叩き落していく。

 二本の脚は製図コンパスさながらに円を描きながら身体を運び、射撃に対応する動きの中で敵への接近を無駄なく可能にした。そのタイミングも敵が矢を番える瞬間を正確に把握し、反撃を許さない。製図コンパスの柄を両手で握り込むと、彼はどっしりと腰を構える。

 アトラスと敵の間合いには、武器のリーチを考慮してもなお遠い距離があった。敵は前方への突進による刺突を警戒し、身体を横に逸らそうとする。


「歯ぁ、食い縛ってくださいね」


 赤眼の放った一撃は、横薙ぎの大振りだった。予想外の軌道に、ハルピア人兵の身体が一瞬硬直する。明らかに空振りの距離感が、彼らの身体を油断させる。

 刹那。コンパスの脚が大きく開いてぐるんと宙で円をえがくと、その内側に開いた門の奥からぬうっと黄金の炎で出来た巨腕が伸びた。


「――【巨人の鉄槌アトラス・ハンマー】!」


 鉄拳の制裁が幾人ものハルピア人を巻き込み、鮮血の軌跡を振り撒いて宙に舞わせる。


 敵を打ち砕いたのは、巨人の腕による渾身のパンチを再現した運動エネルギーの塊だ。

 火と水の属性を掛け合わせる事で雷の属性が発生するように、風と火を掛け合わせて生み出す属性が存在する。

 天属性。その概要は〈仮想運動の構築〉。通常の物理法則では発生し得ない運動現象を、エネルギーの操作によって実現してしまう。天属性の術を用いれば予備動作無しで宙返りをしたり、棒切れに莫大な運動エネルギーを纏わせて擬似的な超重量を持たせる事も可能だ。

 肉弾戦に最も適したこの属性をアトラスは駆使し、脳内地図の中で自身を人形のように操って再現した超人的な動きで敵を殲滅する。


 圧倒的な人数差で挑んできた筈の兵士の群れは、いつの間にかアトラス一人の手によって闇の中へと蹴散らされていた。


「ふう……。こんなもんッスかね。流石に骨が折れたッスよ」


 戦いを静観していたジルは、手を鳴らして劇団員の健闘を称える。


「素晴らしい殺陣タテだったよアトラス。私達も加勢した方が良かったかね?」

「勘弁してくださいよ。団長に加勢なんてされたら、おれッチまで死んじゃうッス」

「ふふーん。何はともあれご苦労だ。先輩としての威厳を見せられたね」


 魔女は横目でちらりとベルの方を見る。彼はアトラスの戦いぶりに、すっかり尊敬の眼差しを輝かせていた。


「人の身であのような戦い方が……これが錬金術師アルケミストか!」


 その反応にアトラスも、にへらと笑ってご満悦だ。


「王様くん、怪我はなかったッスか?」

「なれのお陰でな。礼を言う。先程は無礼な口を利いてすまなかった」


 新人から先輩への信頼が芽生えた所で、ジルはぱちんと手を叩いて鳴らす。


「さて。アトラスが血路を拓いてくれた事だし、宮殿に乗り込むとしようか。このシナリオに終止符を打つ時だよ」


 道の奥に聳える宮殿の城壁に向かって、五人の刺客達は歩み出した。


       ◇


「『胡麻よ胡麻よ。扉を開け』そう唱えて盗賊達の宝物庫に入り込んだ欲深な兄は、財宝の山に夢中になっている内に魔法の言葉を忘れてしまいました」


 炎が弾ける音が静かに満ちる王の間。アルタシャタは床に横たわって女の膝に頭を預け、俯く女の美しい顔と見つめ合っている。その長く白い髪は紐暖簾のように王の顔を包み、内側に二人だけの世界を作っていた。

 女は尖った耳と病的に白い肌を持ち、ハルピア人達とは違う人種だと一目で分かる。青白い瞳は色素が薄く、殆ど見えてはいない。

 女は純白の羽衣とパルシア文化特有の貫頭衣を纏い、全身が白に統一された出で立ちだ。


「さあどうしましょう。忘れてしまった魔法の言葉は、慌ててみても出てこない。高鳴る臓腑を無理矢理に、抑えてみても出てこない。時が止まったような静寂の中で、滲む汗が毛穴に染みる。ずんずんと、聞こえもしない足音が心を急かす。――まるで早く切り刻まれて楽になりたがっているように」


 女の語り口には不思議な臨場感があった。王にとっては初めて聞く話の筈が、自分の過去を掘り起こされているような気持ちを掻き立てられる。


「哀れな男は戻ってきた盗賊達に見つかって、身体を八つに切り裂かれてしまいました。二度と開く事のない棺の底で、男は何を思ったでしょう」

 ――女は一瞬口をつぐむ。しゃりんと揺らした髪が王の頬を撫でた。

「宝など求めなければよかったと、そう思ったでしょうか」


 瞼一つ動かさずに女を見つめていた王の眉間が僅かに皺を寄せる。


「ああ……そうかもしれぬな」


 アルタシャタが答えたその時。王の間を閉ざす扉が、なんの前触れもなく乱暴に開かれた。入ってきたのは、呼吸を荒げるベッソスだ。


「アルタシャタ様。敵襲です! イスカンダル軍の策により、我が軍は統率が困難な状況にあります。王の助力が必要です!」


 報告を聞き、アルタシャタは女の膝からゆっくりと身体を起こす。怠惰に細められた瞳に映る自分の必死な姿に、ベッソスは思わず歯を噛み締めた。それでも己の立場を弁えて、国や兵士達の為に怒りを噛み殺す。


「王。事態は一刻を争います。により賜りし太陽神の加護を――」

「もうよい。貴様では話にならん。マザイオスを呼べ」


 事情を全く知りもせずに勝手な事を宣う王に対し、ベッソスは青筋を立てる。


「……マザイオスは、先程の戦闘で命を落としました。最早軍の力のみで王をお守りする事は困難です!」


 悲痛な報告に、アルタシャタは目を見開く。


「……左様か」

 ――そして、顔面を震わせながら唸り声を上げて歯を剥き出しにした。

「役立たずの裏切り者共が。善が思っていた通りだ! どいつもこいつも、善をイスカンダルに殺させたいのだろう。だから勝手に眠りおるのだ。あれ程禁じたというのに!」


 命を賭けて戦った部下に対して、あまりに酷い罵倒の羅列にベッソスは一瞬愕然とする。


「アルタシャタ様、違います! 貴方の戦士達は皆、勇敢に戦って死んでいきました。誰も眠ってなどおりません!」

「戯言など聞き飽きたわ。最早貴様達には頼らぬ。そんなに眠りたければ、永遠の闇をくれてやろう」


 アルタシャタが何かを砕くように拳を握ると、周囲の火が一瞬で消え去る。

 白梟の視界は完全に暗転し、階下からも部下達が戸惑い恐怖する悲鳴が聞こえてきた。王は世界から光を奪い去ったのだ。


 そしてアルタシャタの頭上に、炎の光輪が開く。彼の目には、今や世界の全てが赤い昼間の如く照らされていた。


「見えるか、ライラよ。これこそが王の景色。善と其方そなただけの世界だ」


 そばに仕えるライラは、王の隣に立ち上がる。彼女の頭上にもまた、光輪が咲いていた。


「ええ、はっきりと。これが世界の美しさなのですね」


 二人は立ち上がって出口に向かって歩いていく。その音だけを聞くベッソスは、玉座の方向を向いたまま叫ぶ。


「正気ですか! 貴方に一体何ができるというのです。この砦を見捨てて逃げ出すのが関の山でしょう!」


 最早諫言など意に介さぬ王の代わりに、ライラは冷たい目で白梟を一瞥する。


「もう結構ですよ。この物語における貴方の役目は、もう終わりましたから」


 ベッソスは歯噛みしたが、それ以上は何も言わなかった。物語の主から捨てられた登場者キャラクターに、台詞などあろう筈もない。


「ああ……。生前の善に足りなかったのは、其方だったのだ。善を導いてくれ。あの日の夜に訪れなかった正しい夜明けへと!」


       ◇


 王宮前に長く伸びる、噴水の庭園。警備は碌になく、戦闘状況とは思えない程に美しい夜景が城壁沿いの炎に照らされて広がっている。

 ジル達が庭園内に乗り込んで半ばまで進んだ頃。突如として一斉に周囲の火が掻き消えた。


「うおっ……まさか見つかったッスか?」


 先頭を行くアトラスが足を止めて周囲を警戒する。視界は利かないが、【偽天のアトラス】のおかげで一帯の大まかな位置情報は把握できている。


「いや。そういう感じじゃないね」

 ――魔女が注目したのは、前方から聞こえてくる衛兵の騒ぎ声だ。

「どうも予期せぬアクシデントの雰囲気を感じる。王宮の中で何かあったのかな」


「どうします? おれッチは周囲の地形を把握できてるッスけど、皆はそうじゃないでしょ」

「私達も術で視界を確保するしかないね」

「だったらおれッチがやるッスよ。どの道怪我人ですし。皆はエーテルを温存してください」


 アトラスは闇の中で術札アルカナを起動し、自身の周囲に風の結界を作る。


「この結界内にいる間は、結界内部の位置関係を把握できるッス。おれッチから十メートル以上離れないようにしてくださいね」


 突然の暗黒に混乱する衛兵達はそばを通るジル達の存在に気付きもせず、すれ違いざまにフランソワの電撃を受けて意識を失う。


「悪いな。世界が終わるまで眠っててもらうぜ」

「流石のお手際ッス」


 アトラスは眼帯を右目へとはめ直し、【偽天のアトラス】を解除する。ここからは室内であり、空中からの視界も役には立たない。彼が慎重に扉を開け、遂に宮殿内部への道が拓かれる。


 宮殿の中は、左右と正面に計三つの階段が分かれて階上へと続いていた。ジルは内部の様子を確認すると、アルカの肩に手を置く。


「よし。ここからは三手に分かれるよ」


 魔女の指示に、アルカは思わず「んにゃっ」と鳴き声が漏れる。


「皆で一緒に行かないんですか……?」

「大勢で動いて臆病なアルタシャタ王に勘付かれたくないからね。それに私やフランは周りに味方がいると、戦いで本気を出せなくなるのだよ。アトラスはフランに付いて探索の補助を。少年と王様は二人で探索を頼むよ」


 ジルの言い分が、ベルにはどうも戦術に長けた彼女らしくないと感じた。恐らく今のは本心ではない。魔女は自分達に試練を与えているのだ。


「任せろ。アルカは必ずおれが守る」

「素晴らしい返事だ。君の働きを期待しているよ、王様」


 アトラスが「それじゃ、運を祈ってるッス」と皆を鼓舞し、夜明けを目指す術師達は三手に分かれて頭上を塞ぐ暗黒へと階段をのぼっていった。

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