第14話 箱庭の巨人



 ベッソスは名のある軍人の血筋として生まれ落ちたその日から、軍神に見放されていた。パルシアの兵として最も尊ばれる脚の力が、他の者より弱かったのだ。

 彼は前線での武勇を諦め、頭脳を磨いて後方から戦場全体を見渡す戦い方で、総督サトラップとしての地位と実力を手に入れた。


 故に間に合わなかった。――己が見るべき戦場の景色へ。



 ベッソスが東門へ到達した時。彼の左翼軍とマザイオス率いる右翼軍は戦場の中心で壮絶にぶつかり合い、既に血と死体の泥濘を築いていた。イスカンダルの軍など何処にも見当たらず、味方同士が悪魔にでも取り憑かれたように泣き叫びながら殺し合っている。

 白梟が戦の一部始終を見てさえいれば、せめてこの場で何が起きたかは理解できただろう。

 今たった一つ明らかなのは、パルシア軍が同士討ちという戦士にとって最も屈辱的な手によって瓦解したという事実だけだ。


「おのれ……イスカンダルゥゥゥッ!」


 喉が裂けんばかりの怨嗟が、虚しく戦場にこだました。


       ◇


 ジル達は目立つのを避ける為にテセウス船を城壁の外に隠し、門から城壁内へ入って兵士達の出払った静かな街路へと忍び込む。

 迷路状になったこの街は家屋同士の間に隙間がなく、通りも広い為に身を隠しづらい。この非常事態でなければ、誰にも見つからずに侵入するのは難しかっただろう。

 周囲の警戒を一頻り済ませて戻ってきたアトラスは、顔に疑問符を浮かべている。


「兵士達は皆戦場に集まってるみたいッスね。少し街の中が手薄過ぎる気もするッスけど……」

「理由は簡単さ。兵達は王を守ろうとしてはいないのだよ。皆はこの世界の主――アルタシャタ王を知っているかね?」


 ジルの質問に、歴史に疎いベルはぽかんとしている。少し自信なさげにではあるが、歴史に関しても教養があるアルカが答える。


「イスカンダルがエヌマエリスの征服に乗り出した当時の、パルシア王ですよね。イスカンダルとは二度大きな戦をして、二度目の敗走中に部下のベッソスの手で暗殺されたって本で読みました」

「その通り。彼は非常に臆病な王でね。イスカンダルの夜襲を警戒するあまり、部下に武装したまま寝ずの見張りを命じたと伝えられている。おまけに戦況が拮抗すると直ぐに逃げ出してしまう程弱気だったのもあって、最後には部下から見限られてしまったのさ」

「うゆ……それは確かに命を賭けて守りたいとは思えないかも」


「当然の報いだ。民を戦場に残して逃げ出すなど、王の風上にも置けん」

 ――ベルはまだ少し先程の議論を引き摺っているらしく、少し冷たい言葉を吐く。だがその興味は東門の方へと向けられていた。

「にしても、錬金術キミアとは恐ろしいものだな。まさか一個の軍勢を呼び寄せてしまうとは」


 この状況は全てジルの書いたシナリオの通りだった。その肝となったのが、突如として街の外に現れたイスカンダルの軍勢である。

 それを目にしたパルシア軍は全戦力を集めて迎撃を試み、結果的に手薄になった城壁内へとジル達は容易に侵入できた。


「あの軍勢は全て、見かけだけの幻だからね。火属性と水属性を応用すれば、蜃気楼操って幻影を作る事もできるのだよ」


 ジルの使った術は、幻に触れた相手の身体を〈幻と同じ見た目に偽装する〉効果を持たせている。それによって先行し敵右翼と接触したベッソス旗下の左翼軍は、知らず知らずの内にイスカンダル軍の姿へと変えられてしまっていた。

 その後当初の計画通りに、左翼軍は懐へ潜り込んできた敵左翼を背後から挟撃すべく東門へと逆走する。だがその先に待ち受けていたのは、同じように幻と接触した事でイスカンダル軍の姿へと変えられた、マザイオス率いる右翼軍だったいう訳だ。


 以上がジルの書いたシナリオ。彼女は一人の兵も用いず、敵の大軍を潰してしまった。


「尤もこんな手は、相手が錬金術キミアの知識を碌に持たない古代人だからこそ通じるものだ。現代の戦闘なら、幻の軍勢の背後に更に本物の軍勢を仕込んでおく。偽りのみならば仕掛けを見破れば終わりだが、虚実を織り交ぜればたとえ幻影を見破られても不利な状況を押し付ける事ができるからね」


 ベルは錬金術キミアが恐ろしいと口にしたが、真に恐ろしいのはジルの持つ知識量だと感じていた。遥か過去の事象までを見通し、当時の人間関係までも、その時代の当事者であるかの如く利用する。

 彼女の他人を見透かしたような振る舞いの本質を、垣間見た気がしたのだ。


「にしても、いきなり襲われるとは思わなかったッスねぇ。軍の規模とか統率のされ方も常備軍って感じじゃないし、戦時下に飛ばされちゃったんでしょうか」

「そうだね。街の構造から察するに、ここはバビロン大砂漠にかつて存在したとされる要塞都市の〈ガウガメラ〉だろう。アルタシャタとイスカンダルが二度目の決戦を行ったとされる場所さ」

「失われた古代都市ッスか。そりゃまた測量し甲斐がありそうッスね!」


 アトラスは表情を溌溂とさせ、自分の掌へばしっと拳を当てる。


「お弟子くん。さっき王様くんの心配をしてたッスけど、先に自分の事も考えなくちゃ駄目ッスよ。イスカンダルの燈ってのは、一朝一夕で扱える代物じゃないんスから」

 ――前方へばっと掌を広げて突き出し、アルカに見せる

「イスカンダルの燈を灯すコツは、〈世界の外側〉を感じる事ッス。天の外側で燃える大きな力と自分の体内に宿るエーテルを……接続するイメージ!」


 伸ばした手で何かを掴むように拳をぐっと握りしめると、アトラスの周囲から黄金の炎が噴き上がって彼に着火する。


「イスカンダルの燈には世界の境界を越える力の他に、様々な副次効果があるッス。時間経過による体内エーテルの回復効果や、行使できるエーテルの出力の上昇は術師の実力を大きく高めてくれるッスよ。でも何より強力なのは――〈王との契約〉を結べる事ッス」


 眼帯の纏う燈の内側へ浮かび上がるようにして姿を現したのは、オレンジの体毛が艶やかなルガル人の男だった。

 背の高い身体で、細身ながらも引き締まった筋肉が美しい。目尻の垂れた目と顎髭が印象的な壮年初期の男は、半裸の格好で頭と身体の各所に黒い布を巻いている。


「紹介するッスよ。この人がおれッチの王。〈継世王〉ピリィ・レイス。通称提督レイスくんッス!」


 レイスは「ウーヤ!」と叫んで宙に舞うと、機嫌良く円舞を披露する。


「幾つか見ない顔があるじゃないの。よろしく頼むぜベイビー!」


 周囲を圧倒する陽気さは、何処となく家臣のアトラスと距離感と似たものを感じさせる。

 だがそんな事より、アルカとベルは突然目の前に現れた王を見て度肝を抜かれていた。


「お、王……! どうしてアトラスさんが!」

「身体を乗っ取られるぞ!」


 大騒ぎの二人を見て、アトラスはけたけたと笑う。


「大丈夫ッスよ。レイスくんはおれッチと正式な契約を結んだ王ッスから。ソロモンの書の王とは違って、人間を乗っ取ったりもしないッス」

「ふえ、そうなんですか……?」

「そもそも王は本来危険なものじゃなくて、ソロモンの書から呼び出される王が異常なだけなんスからね。王はイスカンダルの燈を持つ術師なら、誰でも契約が可能な存在なんス」


 先程から何度も出てくる〈契約〉という言葉が、ベルはどうも気になる。


「契約とはなんだ。王を安全に呼び出すのに必要なものなのか?」

「簡単に言えば、〈王の力を借りる為に捧げる対価を決定する〉儀式ッス。術師は王の魂を現世に繋ぎ止めてその力や知識を借りる代わりに、〈王の望みを一つ叶える〉っていう契約を結ぶんスよ」


 王と錬金術師アルケミストの関係性は、この契約によって定義される。アルカはイスカンダルとアリストテレスの二人が脳内と自然に浮かんだ。


「さ、レイスくん。ド派手な景色を頼むッスよ!」

「オーライ! 特等席から見せてやるぜウーヤ!」


 レイスを呼び出すと同時にアトラスの手元へ錬成されたバインダーは、王との契約によって与えられる術札アルカナを収めたものだ。そこから一枚を取り出して錬成釜コルドロンを使い錬成円を展開すると、レイスが印を結んでいく。

 契約によって得られる術札アルカナは、王の持つ歴史や偉業を術式レシピとする。〈既に起きた事象の情報から逆算して世界を改変する〉それらの術札アルカナは、時に現代の錬金術では再現不可能な事象さえも可能にするのだ。


舞台ステージ――【偽天のアトラス】!」


 継世王による勇ましい詠唱が響き渡った。しかし周囲にはなんの変化も起こらない。


「なんだ……失敗か?」


 ベルが不思議がると、アトラスは頭上を指で示す。大王が見上げれば、頭上に広がる天の半分を鋼鉄の機械で出来た単眼の巨人が身を乗り出して覆っていたのだ。

 巨人は異常に長い腕で乗り出した上半身を支え、街を見下ろしている。


「これも錬金術キミアだというのか。こんな馬鹿げた怪物を呼び出す術が……!」


 これがこの世の終末の光景だと説明されれば、ベルのような子供でなくとも容易に信じてしまえるだろう。


「残念ッスけど、あの巨人はただのハリボテッスよ。大事なのは、あの大きな〈目玉〉ッス」


 アトラスはそう言いながら、右目に着けた眼帯を外す。塞がれていた瞼の下からは、赤い色彩を帯びた瞳が開かれた。

 同時に、巨人の単眼も赤い輝きを灯す。


「視覚情報――同期完了。いやあ、よく見えるッスねえ」

 ――赤眼は壁状の建物に塞がれて先の見えない方角へ指を向ける。

「あっちに宮殿らしき建物が見えるッス。このまま真っ直ぐ進むッスよ!」


 先程までの慎重な立ち回りを忘れてしまったかのように、アトラスは大胆な足取りで皆を先導していく。


「次の角を右ッス」

「ここからしばらく複雑な道が続くッスから、気を付けて!」

「人が来た。迂回するッスよ!」


 アトラスの道案内は建物の位置や地形を把握しているだけでなく、人の動きまでも完璧に計算に入れている。それを可能にするのは、術師本体と視覚を共有する上空の巨人だ。


「レイスくんの術は上空からの視界を得る事ができるんス。見かけ程の派手な術じゃないッスけど、探索には便利な術でしょ?」


 朗らかに話していた赤眼は急にぴたりと話すののめ、ぎっと背後を振り返る。視線の先には、すぐ後ろを走っているベル。

 その更に背後の建物の窓から弓を構える、ハルピア人の姿があった。


「――危ない!」


 アトラスはベルの頭を掴んで半ば押し倒すように姿勢を変えさせる。大王は地面に叩き付けられたものの、矢の奇襲を受ける事はなかった。

 代わりに、彼の頬を温かい血が伝う。ベルを庇ったアトラスの右前腕を矢じりが掠め、鮮血を溢れさせていた。

 その事実に気付いた大王は心配と焦りに顔を青くする。


「馬鹿者……何故おれを庇った! それでなれが傷付いては何にもならんではないか!」


 ベルが感情的に叫んでいる間にも、建物の窓から出てきた敵は続々と周囲の地形に展開していく。数にして十人以上。その全てが簡素な鎧で武装した兵士達である。

 左手には上下に二本の長い羽が開き、弓の形を成している。これは〈弓羽ゆみばね〉と呼ばれる体構造で、先端をエーテルの糸で繋げば羽矢を発射する武器としての役割を果たす。これによりハルピア人は天然の弓兵として生まれてくるのだ。

 絶体絶命の危機を前に、アトラスは震える息を吐きながら身体を起こす。


「何故って……王様くんはまだ、〈この仕事の為に命賭ける理由がない〉でしょ。半人前を守るのは、おれッチ達先輩の役目なんス」


 傷口から染み出る痛みにも恐れず。勇気は黄金の炎となって、アトラスの身体を包む。

 その光景に脅威を感じたハルピア人兵の一人が、獲物の背後から弓羽に番えた羽矢を放った。


小道具プロップ――【偉大な円環サイクル・オプス】」


 不意を突いた筈の一撃は、噴き上がる黄金の一閃によって阻まれる。赤眼の左手には、錬成された長大な棒状の武器が握られていた。

 それは異様な大きさを誇る製図コンパスだ。アトラスは無事な左手でそれを振り回し、風切り音を響かせる。


 辺りの兵士達はいよいよ敵意を剥き出しにすると、次々に矢を番えて弦を鳴らした。あらゆる方位から放たれる十を超える数の矢は、戦闘に長けた術師でも到底躱しきれないだろう。

 だがアトラスが回転を軸にした運動で製図コンパスを振るうと、描いた軌跡は尽く矢と接触して弾き飛ばしていく。異なる方位とタイミングで放たれる矢を、正確な順番で叩き落していく様は正に神業。肉体の反射や運動神経を遥かに凌駕した領域に到達している。


「知ってるッスか? 人間の目っていうのは、眼球二つで一つの物を見る事でを測るらしいッス。つまり。つまりッスよ?」

 ――黄金の軌跡をえがく製図コンパスの矛先が、眼前の敵へと向けられる。

「今のおれッチは――距離感バッチリ!」

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