第13話 カゲロウの軍勢
目の前で起こった惨劇に、ベルは顔を険しくする。それは彼が持つ、王としての正義感からだろう。
「奴ら……味方に火を放ったのか!」
言葉に怒気を込める大王を見て、フランソワは残り僅かな煙草を一服する。
ふう、と。口の端から漏らすように煙を吐いて。
「気持ちは分かるが、戦略としちゃ間違ってない判断だぜ。あのまま同士討ちを看過すれば、被害は大きくなる一方だ。なら騒ぎの根元から断つのが、一番多くの兵を温存する方法だろうよ」
彼の言い分は冷たいが、ベルにはその理屈を否定する言葉がない。大王は戦のなんたるかを殆ど知らなかった。
「……そんなものは、正しい王のあり方ではない! 王の力とは、力なき民の願いを背負う為にあるものだ。民の背を射る事など、いかなる権利を以てしても許されてなるものか!」
「たとえ国が滅びようと、か? お前さんの言い分は立派だが、具体的に何をどうしたいのかが欠けてるな。誰を死なせるのかを決断するのも、王が背負うべき責任だと俺は思うがね」
フランソワは、王として振る舞うベルの奇妙なあり方を肯定も否定しない。単なる一個人の意見として扱い、それに対する自身の考えを淡々と提示する。
頭ごなしに否定されない分、この食い違いは余計にベルの価値観を揺さぶった。
王とは何か。それはベルにとって己の根幹を成す至上命題だ。
「それにな。ここはあくまでも、王が
吸血鬼はそれだけ告げて、足元に落とした煙草を踏み潰し船へと戻っていく。
「ソロモン……おれはどうすればいい」
その一言は、ベル自身以外の誰にも届かなかった。
テセウス船のメンテナンスは二十分程で終わり、一行は船を走らせて再び燃え上がる街を目指す。
すっかり灯りの消えた闇の中を進みながら、フランソワは割れた窓越しに操縦席の壁を叩いてジルの注意を引いた。
「なんだね、フラン」
「街に入った後はどうする? 奴らきっと、俺達の存在を警戒して守りを固めてるぜ」
「このシナリオ異界の完成度から見るに……王と家臣の間である程度の〈合意〉が取れていそうだし、ソロモンの鍵を奪うには実力行使しかなさそうだね。しかしながら軍隊が相手である以上、暗殺も容易ではないときている。……シナリオを書くから、少し待っていたまえ」
仕事の話を進める大人達の横で、ベルは先程の一件を思い悩んで静かになっていた。
アルカも掛ける言葉が見つからず、せめて一人にさせまいと身体をぴったりくっ付けている。
すると大王の隣にいきなり、先程まで助手席にいたアトラスがどかりと座り込む。そしてベルの肩に腕を回したのだ。
「いやあ、分かるッスよ。この仕事って、色々と考える事が多いッスよねぇ!」
突然のスキンシップ。加えてベルとアトラスが話すのは、この時が
「おれッチも始めた当初は色々と悩んでたんスよ。この仕事って命懸けだし、休日はあってないようなものだし。おまけに戦いってなると、相手の命を奪う場合もある訳じゃないッスか。幾ら
話しながらぽんぽんと手で肩を叩いてくる仕草も、非常に馴れ馴れしい。まるで数年来の友人を相手にしているかの如き距離の詰め方である。
少し大人びているベルは無闇に嫌がる事はせず、少し困った風に眉を顰めながら眼帯をじっと見詰めて無言で抗議する。
「おれッチでよければ、話聞くッスよ!」
親指を立てて爽やかな笑顔で放つ止めの一言に、大王は小さく「……いい」とだけ答えた。
「アトラスさん。初対面の相手に距離感がおかしく悪い癖、いい加減に直してください!」
見かねたアルカが困った先輩に注意を入れる。
「あれ、そうッスか? 今回はいい感じにできたと思ったんスけど。王様くん、不快な思いをさせてたら申し訳ないッス!」
「お、王様くん……?」
「困った事があれば、先輩としていつでも力になるッスから! それじゃ、ごゆっくり!」
アトラスは嵐のように去ると、何事もなかったかのように颯爽と助手席に戻っていく。
怒涛の一人劇場にベルも思い悩んでいたのが馬鹿らしくなり、一先ず目の前の仕事に集中しようと思った。
これでアルカを危険な目に遭わせては、それこそ王の名折れだ。
「見ろアルカ。炎の中に壁があるぞ。人間が住んでいる証だ」
「ホントだ! イスカンダリアと違って、中が見えませんね。いよいよ本番って感じがしてきました……!」
再び和やかな雰囲気に戻った船は、目前に迫る炎を目掛けて一路に駆けた。
◇
鋭い爪が勇ましく砂を蹴る音が響き、ハルピア人兵の先遣隊が街へと戻ってくる。先頭を走るマザイオスは、街の入り口で待っていた影を見つけて眉間に皺を寄せた。
「ベッソス! 態々嫌味を言いに待っておったか!」
いきり立つ禿鷹を前に、白梟は目を細めて皮肉めいた笑みを向ける。
「誤解ですよ、マザイオス。……にしても、その様子ですとあまり良い報告は期待できなさそうですね」
ベッソスの前で、マザイオスは後続に手で合図をしながら速度を落として停止する。
「フン。機動力のある兵達を根刮ぎ持っていかれたわ。イスカンダルの魔術……あれは伊達ではないぞ。おまけに妙な戦車も持っておった」
「戦車……噂に聞く敵軍の新兵器ですか。私達以上の速度で地を駆けるという」
「あれは厄介だぞ。儂の鍛えた速脚の兵でも追い付けなかったからな。加えて小回りも利く。獣を追っているようであったわ」
敵がイスカンダルであると確信し、ベッソスは今後の対応を決断すべく脳内で策を巡らせる。
「……
「相変わらず影も形も見えんな。既に夜が明けぬまま数日……魔術で夜の帷を下ろしておきながら、一向に攻めて来る気配を見せん」
「兵達の士気もそろそろ限界が近い。なにせ王があの乱心ぶりです。疲労に倒れた兵の処刑は上手く誤魔化していますが、またどんな迷い事を言い始めるか分かりませんよ」
白梟が溢す不安に、マザイオスは鼻息を荒くして憤る。
「これも全て、あの〈奇妙な女〉が宮殿に来てからだ。王の
「落ち着いてください。あんなものを斬った所で、新しい子守り番が必要になるだけですよ。我々が為すべきは、イスカンダル軍の捕捉と制圧。それだけです」
マザイオスは自分の部下に指示を出し、城壁外の警備に向かわせる。
話す時間を得た二人の将は、肩を並べて街の中へと歩き出した。
「この数日間。儂の軍はイスカンダルの本隊を虱潰しに捜索してきた。だが敵兵はおろか、現地民の往来すら全く見つからん有様だ。そんな事があり得ると思うか?」
「常識的には考えられません。魔術を相手に常識を持ち出すのも馬鹿げた話ですが。そして非常識を前提に策を立てるのも、同様に愚かな手です。イスカンダル軍の捕捉は諦め、籠城作戦に切り替える頃合いかもしれませんね」
「守りを固めるか……性には合わんが、食料と地の利で此方に優位が有る以上、それが一番堅実だな」
大通りへと続く十字の交差点へ二人が足を踏み入れたその時。通りの奥から、一人の兵が必死の形相で走ってくるのが見える。
「
かなりの長時間を全力疾走してきたのだろう。兵の身体からは、白い蒸気が立ち昇っている。
「何があったのです。落ち着いて話してください」
「敵襲です! 東門の方向より、イスカンダル軍と思われる軍勢多数! 右翼の部隊を城壁の外周に沿って展開し、街の包囲を試みているものかと!」
「軍勢ですって……? あり得ません。一帯は全て捜索したのですよ。虚空から湧いてきたとでも言うのですか」
「ですが、軍の指揮をとっているのは間違いなくイスカンダル本人です。目視で確認しています!」
次の瞬間。東門の方角を覆う闇の奥から巨大な火球が飛来し、ベッソス達のそばにあった家屋の屋根を爆ぜ砕いて火の粉を振り撒いた。
「くっ……!」
――自論に固執していたベッソスも、この騒ぎが単なる兵達の勘違いでない事を悟る。
「左翼軍はどうしているのです?」
「半分は門を固め、城壁の上から矢で応戦を試みています。外で陣形を組んでいる部隊は、まだイスカンダルの軍と接触していません」
「……壁外の軍を完全に引かせずにいたのは不幸中の幸いでしたね。貴方は先に前線へ向かってください。展開している敵の右翼を、壁外の部隊で迎撃するように伝えるのです」
「はっ!」
部下が走り去ると、白梟はマザイオスの方を向く。先程までの柔和な顔が剥がれたかのような苦々しい表情だ。
「事態は飲み込めませんが……私にもイスカンダルの恐ろしさが理解できてきましたよ。理不尽を相手に戦うというのは、かくも恐ろしいのですね」
「フン。確かに不意は突かれたが、此方の備えも万全だ。儂らも直ぐに出よう。援軍はどこに向かわせる?」
「私の左翼軍が敵の右翼を叩けば、守りの薄くなった東門に敵の左翼が仕掛けてくるでしょう。
作戦を伝えられた禿鷹はにいっと歯を剥く。
「大局を見るのはやはり貴様に限るな。儂はどうにも視野が狭くていかん」
「小さな局面を冷徹に詰められるのが貴方の才華です。期待していますよ」
パルシアの双翼は別々の方向へと走り出す。
マザイオスは風のように駆けて自分の部隊と合流すると、部下を束ねて南門から城壁外へと出撃した。
「くくく……イスカンダルめ。小賢しい魔術で儂らを欺いたつもりだろうが、結局勝敗を決めるのは軍勢と軍勢のぶつかり合いよ。
数十分走り通して彼等が東門側に辿り着いた時には、ベッソスの読み通りに敵軍の左翼が東門へと殺到していた。
「このまま敵軍側面へと突撃するぞ! 敵の列を儂等の戦列で分断し、東門前の敵兵を左翼軍に包囲させる!」
禿鷲は愛用の大刀を握り、自らが先頭に立って勇敢に敵の列へと切り込んでいく。獣の咆哮を想わせる気迫に満ちた叫び声は、戦列において味方を鼓舞し敵の足を竦ませる彼の武器だ。
だが豪快に横一文字を描いた一撃は、彼の予想とは裏腹に虚しく空を切った。
「なにィ!?」
刃は確かに目の前の戦列へと叩き込まれた。だが握る剣にその手応えはなく、敵兵の身体は霧のようにすり抜ける。
確かな違和感を口にする暇もなく。マザイオス達が目にしたのは、此方へと向かってくる〈イスカンダルとその軍勢〉の姿だった。
「馬鹿なっ……左翼軍は何をしておるのだ!」
混乱する意識の中で、先頭を走る将には最早目の前の敵に立ち向かう他ない。
両軍がぶつかるほんの数秒前。彼は全ての作戦を崩壊させる一言を、目の前のイスカンダルから聞く。
「くたばれ――イスカンダル!」
その言葉の意味を、マザイオスが理解する事はなかった。
彼の意識は直ぐに刃を切り結ぶ事のみへと費やされ、それすらもやがて血の海へと沈んだのだから。
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