第11話 昏き異界の冒険


       ◇


 イスカンダリアを出発してから丸一日以上経ち、鋼鉄の腕で地上を進む黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルは、砂漠の真ん中で歩みを止める。

 その前方には蒼天の下にあってなお夜闇より暗い、巨大なドームが聳え立っていた。

 露天甲板には船員達が集まり、異様な光景を観察しようと集まっている。中には術札アルカナを起動して、風の術でドームの測量を行っている者も見られる。

 研究室棟からジルが大王を連れて出てくると、彼等は身体を向けて団長の言葉を待つ。


「到着だ。設営に取り掛かってくれたまえ!」


 号令に従って皆が忙しく準備を始める中、ジルは{アルカ、ベル、フランソワ、アトラス}の四人を自分の周りに集めた。


「さてと。私達はこれからあの黒いドームの調査に向かうよ」

「この五人だけで行くのか? 折角大人数で来たのに」

 

 ベルは素朴な疑問を呈する。


「先遣隊は基本的に、イスカンダルの燈を持っているメンバーのみで構成するんだ。あの異空間はシナリオ異界と言ってね。出入り口を作るにはイスカンダルの燈が必要なのさ。だから万が一内部ではぐれても、自力で脱出できるメンバーだけで行くのだよ」

「おれは持っていないが、大丈夫なのか?」

「そこはほら。王様と家臣は二人で一つという事で」

 

 ジルには珍しく、歯切れの悪い返事だ。


 そばではフランソワが滑車に繋がれたロープを巻き取り、何か重たい物を引き上げてくる。

 姿を現したのは、丁度五人程が乗れそうなサイズの小さい船だ。側面からは鋼の腕が生え、黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルをミニチュアにしたような見た目をしている。


「何ですかコレー! 可愛い!」

 

 初めて見る船の設備に、アルカは目を輝かせている。


「こいつは〈テセウス船〉だ。少人数で行動する時の、小回りが利く移動手段でな。アルゴー船みたく艦橋の観測システムを使う事はできないが、代わりに〈母船の位置を認識する〉機能が付けられている。黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルから離れた場所に行っちまっても、コイツがそばにいれば無事に帰れるって訳だな」


 フランソワは船員の一人が運んできたバインダーを、テセウス船の露天甲板下に設けられた物置きに入れる。


「物資もこいつで運ぶから、場所は憶えとけ。補給用の術札アルカナと、数日分の食料だ。――団長、準備ができたぜ!」


 魔女は「おいで」と小さい二人を引き連れて、船の前方に乗り込んだ。フランソワは艦橋部分に設けられた操縦室に入り、内部の操縦席へと座る。アトラスも隣の助手席へと腰掛けた。


「よーし。テセウス船を地表に下ろしてくれたまえ!」


 ジルがよく通る声で指示すると、甲板で船員達がロープと滑車の昇降機を手動で操作して、小船を乗せた台を下ろしてくれる。船底が地表に到達すると、フランソワは操縦桿を握った。


「じゃあ行くぜ。突入するからしっかり捕まってろよ!」


 操縦桿を押し込むと鋼の腕が力強く駆動を始め、船体を前へと運んでいく。すると魔女は自分の周囲から黄金の炎を錬り出し、全身に纏った。それは瞬く間に広がり、船全体を包み込む。


「――開幕だ」


 ジルの呟きと同時に黄金の炎が真黒まくろの隔たりを砕き、異界へと船体を突入させる。

 刹那。周囲を包んだあまりにも濃い闇に、彼らは一瞬呼吸が詰まる感覚を得た。


「お……?」

 ――予想外の光景に、経験豊富な船乗りであるフランソワも困惑する。

「まさか、これが今回のシナリオ異界か……?」


「方角も何もあったものじゃないね」

 ――魔女の反応も喜ばしいものではない。

「アトラス。母艦の方向は探れるかね?」


「駄目ッス団長。テセウス船の探知機能が滅茶苦茶ッスよ!」

 ――船に搭載されている照明を点けて助手席の計器を確認したアトラスは、ぐるぐると空回りし続ける針を見て悲鳴を上げる。

「周囲のエーテルが少な過ぎて、通信を維持できてないんス。多分このシナリオ異界内に、外からの太陽光が届いてないのが原因ッスよ」


 ベルには状況がよく理解できなかったが、太陽も星もない事の異常さはよく分かった。心なしか、自分の身体まで動かしにくいような気もする。


「ここに来たのが私達だけだったのは不幸中の幸いか。イスカンダルの燈を持っていなければ、数日で死んでしまうだろうね」


 ジルは天気の話でもするように、あっけらかんと言う。

 一方のアルカは混乱して、耳をぴこぴこ動かしながら狼狽える。心配の種は当然、イスカンダルの燈を持っていない相棒の事だ。


「し、師匠。死んじゃうってどういう事ですか?」

「もし本当に外部からのエーテルが届かない空間だとしたら、私達はエーテルの供給をイスカンダルの燈にしか頼れないという事だ。その場合、燈を持たない者は何もしなくても数日で体内のエーテルが尽きる。そうなれば後は臓器の機能不全で、生命活動の維持が不可能になるという寸法なのだよ、少年」

「ベルを外に出してあげる方法はないんですか……?」

「簡単な事さ。一刻も早くこのシナリオ異界を攻略して、外に出ればいい。それに錬金術キミアさえ使わなければ、エーテルの消費は穏やかなものさ。王様にもちゃんと自分の身を守るすべは渡してある」


 当の本人であるベルは大して慌てる様子もなく、子供とは思えない胆力だ。彼は周囲に広がる闇をじっと観察している。


「ジル。今来た道を後ろに戻るのは駄目なのか?」

「残念だがシナリオ異界が今回のように〈完全に閉ざされている〉場合、外部から侵入した物体は特定の位置へと転送されてしまうんだ。元いた世界と地続きの空間ではないと考えたまえ。それ故に、本来はテセウス船の帰巣本能が役に立つ筈なのだけどね」


 空間はドーム状に広がっているわけだから、端にまで到達してイスカンダルの燈を使えば外に出られる。だがこうも暗いと、ドームの広ささえ判別が付かなかった。外から見れば街一つ分程度であったが、完全に閉ざされているシナリオ異界の場合は内部の広さが一つの大陸並みになっている可能性も充分に考えられる。

 ベルの命に制限時間が付いてしまっている以上、辿り着けるかもわからない端を目指すのは愚策と言えよう。


「さっき言っていた攻略というのは、王と呼ばれる存在を討てばいいのか」

「そうだね。この異空間を構築しているのは、王が持つイスカンダルの燈の力だ。王を倒しさえすればシナリオ異界は消滅する。尤も依り代になっている人間から鍵を奪わなくては、また復活してシナリオ異界を展開されてしまうけどね」

「鍵の場所……おそらくは、あそこだろうな」


 大王はぐるんと背後を向く。闇が広がるばかりの場所を彼は指で示した。


「おや。この距離からでも分かるのかね」

「確かめた訳じゃないが、街一つ分程度の範囲内であれば大体の位置は感じ取れるぞ」


「手柄だな」

 ――フランソワは船を回頭させ、ベルの指示した方角を進路に据える。

「団長、あそこに向かうが構わないな?」


「異論はない。視界が利かないから、安全運転で頼むよ」

「任せろい」


 吸血鬼が牙を見せながら操縦桿を押し込むと、テセウス船は猛然と走り出す。鋼の腕はざくざくと音を立て、船体をばりばりと細かいものが叩いた。

 アトラスは計器を眺めながら、船の探知機を使って周囲の地形を分析し始める。


「どうやら周りは砂地みたいッスね。案外元の空間をそのまま再現してるのかもしれないッス」

「船で来てよかったな。砂漠を徒歩で行くなんざ洒落にならん」

「……ん? 待った。計器に妙な動きがあるッスよ。三百メートル先に動体反応ッス!」

なんだと? 反応は幾つだ」

「全部で三つ! このままだとかなり接近するッス!」


「直進したまえ。私が対応する」


 ジルが一言で進路を決定する。彼女は一枚の術札アルカナを取り出すと、腕に装着した錬成釜に入れて錬成円を展開した。


小道具プロップ――【聖女の屍ラ・ピュセル】」


 魔女の手中でされていくのは、禍々しい黒い金属の十字架。輪郭は緩やかな螺旋をえがいて長く伸び、十字の交差部には三体の骸骨が舞踏を想わせる格好でぶら下がっている。


 ジルはそれを両手でおもむろに回転させると、盾の要領で何かを弾き飛ばした。ぎゃりんとした金属音と一瞬の火花だけが、周囲に状況を告げる。


「向こうも私達に気付いたみたいだ。二人共、念の為に頭を下げておきたまえ」


 魔女は涼しい顔で甲板上を船尾へと歩いて方向を変えながら、暗闇の中から放たれる謎の物体を弾き続ける。


「通過したッス! 追ってはこないみたいスね……」

「追い付けないと悟ったんだろう。引き続き警戒をよろしくね、アトラス」


 ベルと一緒に姿勢を低くしていたアルカは、ふと目の前に落ちている何かに気が付いた。拾ってみると、硬い芯のようなものにふわふわした材質がくっ付いている。


「これって……鳥の羽?」


 少年の発見に、ジルもしゃがんで顔を近付けてくる。


「おやおや、飛ばしていたのはこれかね。この羽は〈ハルピア人〉のものだよ。彼らは古くから、自分の身体に生える羽を矢にして狩りをするのが得意なのさ」


 ハルピア人はエヌマエリスの東部にある〈パルシア〉と言う国に住む人種で、鳥に似た体構造を持つのが特徴だ。

 獣耳と双角が特徴的な〈ルガル人〉とで双璧を成す、エヌマエリスの主要人種である。

 余談だが、{ジル、フランソワ、アトラス}の三人は海の外から来た人種だ。他にも黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルには、様々な多元世界から集まった多様な人種の船員達が乗り込んでいる。


「ハルピア人……凄く目の良い人達なんですよね、確か。こんな暗闇の中でも見える程だとは思いませんでしたけど」

「いや、それは確かに妙だ。いかにハルピア人とはいえど、この暗闇の中で生きていける筈がない。何か秘密があるのかもしれないね」


 その後はしばらくの間ハルピア人達に逢う事もなく、一行は順調にベルの指定した地点へと近付いていく。

 数十分余りの平穏を破ったのは、突如反応した助手席の計器だった。

 計器の液晶上に点で示される反応の数は見る見るうちに増えていき、何十と数えられるまでになる。


「ちょちょちょっ! これはまずいッス。今度は軍勢で向かって来てるッスよ!」


 アトラスが叫び終わるや否や。左前方から無数の羽矢が闇の奥から来襲し、甲板に降り注ぐ。

 ジルが十字架を回してアルカ達を守るも、広範囲に撒かれた矢は防御を抜けて船体を傷付けていく。その何発かは操縦席正面の窓硝子にもヒビを入れ、フランソワの視界を塞いだ。


「……ッ、野郎!」

 

 吸血鬼は自分の拳をヒビで白くなったに叩き込むと、硝子を砕いて強引に視界を確保する。


「フランソワさん、敵は帯状に部隊を展開してるッス。このまま進むとぶつかるッスよ!」

「チッ……でも機動力はこっちが上だろ!」


 操縦桿を全力で傾け、右へと回頭。進路を変えて矢の射程から逃れんとする。だがその考えが都合のいい期待であると、彼らは直ぐに悟る事になる。

 ハルピア人の兵達は強靭な脚で砂地を駆け、時速にして四十キロを数えるテセウス船へとざらつく足音が迫った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る