第8話 錬金術師の仕事


       ◇


 イスカンダリアの最下層に広がる港には、今朝から黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの船員達と大灯台の天文学者達が集まって会合を行っていた。

 彼らは樽や木箱を仮設の机とし、地図を開いて色々と書き込んでいる。


 その中心にいるのは、首元まである銀髪をハーフアップに纏めた壮年初期の男だ。銀の顎鬚が生えた顔は舞台俳優顔負けに整っており、若い頃はさぞ麗しかったのだろうと伺わせる。白い肌と口元に覗く尖った歯は、見る者に〈吸血鬼〉の印象を与えた。

 胸板の厚い引き締まった体を赤のシャツと黒のベスト、スーツパンツで上品に整えて、周囲の船員達とは異なる白の修道服を腰に巻き付けている。


 そばには〈眼帯〉の船員が付き添い、木の板を下敷きに抱えた紙へメモを取っている。記述内容は、専ら目の前の天文学者が話す内容だ。


「バビロン大砂漠の中央部ッスか。中々厳しい航界になりそうッスねぇ」


 眼帯の発言に対し、天文学者の女性はかけている眼鏡をくいっと上げた。


「バビロン大砂漠は確かに広大ですが、今回の〈シナリオ異界〉は発見が容易でした。なにせ街一個規模の巨大な異空間ですから」

「砂漠の中心にある巨大な街……まさにオアシスッスね」


 黙って手にした冊子を睨んでいた吸血鬼は、ふと目線をそばの二人へ向ける。


「重要なのは〈内側がどうなってるか〉だ。今回のシナリオ異界は、外から内部の観測ができなかったんだろう?」

「ええ。先遣隊からの報告では真っ黒で巨大なドームがあるばかりとの事で。中に入る手段も見つからなかったそうです」

「外界と完全に隔絶しちまったタイプのシナリオ異界は珍しいが、ウチの航界日誌にも幾つか同じようなケースがある。この手の状況は、〈鍵を拾っちまった人間が反社会的な思想を持っている〉場合が多くてな。戦闘を伴う危険な仕事になりやすいんだ。おまけに中へ入るには、イスカンダルの燈が必要になる」


 それはつまり、異空間の内部で命を落とせばエヌマエリスの地に還る事はできないという意味でもある。


「報酬は世界の外側へ出る時のものと同等の割り増しを適用して用意させていただきます。〈シナリオ異界の攻略〉と、〈鍵の回収〉。宜しくお願い致します」


 天文学者達と打ち合わせを済ませた船乗り達は、仮設階段タラップを上って露天甲板へと移動していく。


「よーし。それじゃあ朝の稽古始めるぞ。先ずは腹式呼吸の練習からだ!」


 吸血鬼の指示に従い、露天甲板の端に散った船員達はそれぞれが決まったやり方で息を鼻から吸い、口からゆっくりと吐いて腹式呼吸の練習を開始した。呼吸の訓練はやがてハミングによる喉の慣らしへと移行し、やがて腹式呼吸を利用した発声練習へと続いていく。

 数十人の船員が全員で大きな声を出すものだから、船上は大変な騒ぎになっていた。


 そんな状況の露天甲板に、二つの小さな身体が上がってくる。


「うわぁ…凄い発声……!」


 アルカの小さな声は口元で掻き消され、すぐ隣にいるベルにさえ届かなかった。呼び掛ける訳にもいかないので、アルカは内心縮こまりながら甲板上を歩いていく。

 その姿を吸血鬼が遠目に発見した。


「全員、め!」


 周囲の大音量を貫く轟声が、港中に響き渡った。船員達は発声練習を中断し、露天甲板が一瞬でしんと静まり返る。

 その迫力に固まってしまったアルカ達の元へ、吸血鬼はつかつかと靴を鳴らして近付いてきた。そして、おっかない牙を剥きながらにかっと笑う。


「よく来たな、アルカ。俺達の仲間として歓迎するぜ」

「フランソワさん、よろしくお願いします!」

「それで……後ろのちっこいのは?」


 フランソワが気になったのは、当然アルカの後ろにいる見知らぬ男児だ。それも妙に威風堂々としている。


「この子はベル。ボクの相棒なんです。一緒に船へ乗せてくれるように、師匠に頼もうと思って」


 乗組員の管理は船長の権限だ。故にずぶの素人であっても、船長の許可さえあれば船に乗せる事はできる。当然、〈船の運航を担う航界士として〉ならば話は別だが。


「船員の紹介で来たやつを雇うのは珍しい話じゃないが……子供となるとどうもな。そいつの親御さんに話は通してあるのか?」


 吸血鬼は至極真っ当な理屈でアルカを諭す。

 ここでベルは自分の話なのだからと、アルカの隣まで歩み出て会話に割り込んだ。


「親はいないぞ。今となっては家族と呼べるのはアルカだけだ。出会って数日の間柄ではあるが」

「出会って数日……? 益々どういう関係だそりゃ」

「王と家臣だ。王は錬金術師アルケミストを第一の家臣にするものなのだろう」


 大真面目に答える大王に、フランソワは思わずぶっと噴き出す。ベルの方は少しむっとしているが。


「……何が可笑しい」

「すまんすまん。馬鹿にした訳じゃない。そこのアルカみたいに、子供でも仕事を持って働いてるやつはこの国じゃごまんといるからな。……ただし、俺達にも大人としての責任ってのがある。子供を死地へ放り込むなんてのは、興味本位でやっちゃならねぇ事なんだよ」


 真剣な眼差しだ。相手を一人の人間として尊重し、アルカの付き添いとしてではなく自分の意志での判断を求めているのがベルにも分かる。

 そして自分達の仕事が〈時には命を落とす結果に繋がる〉事も仄めかしている。海の外へ出る事が時にどのような悲劇を生むかは、ベルも既にアルカからも知らされていた。

 大王には航界への憧れが左程ない。故にアルカ達に付いて行く事への引け目も僅かに感じている。そんな彼が選んだのは、自分の意志を嘘偽りなく伝える道だった。


「おれは、アルカと一緒にいたいだけだ」


 吸血鬼は数秒の間、無言でベルの顔を見詰めると、左手で背後の研究室棟を示す。


「アルカ、団長なら今自分の部屋で仕事をしてる。行ってそいつを会わせてやりな」

「アイサ!」


 少年はベルの手を引いて、研究室棟へと駆けて行った。

 その後ろ姿を見守るフランソワのそばに、眼帯がやって来る。


「あんな曖昧な理由で行かせちゃってよかったんスか?」

「馬鹿言え。俺達にとって〈大切な人と一緒にいたい〉って気持ちが、どれ程耐え難いものかは知ってるだろ」

「子供の言う事ッスよ。過大に受け止めちゃ駄目ッス」

「俺にはそういうものの見分けが付くんだよ。……会って数日だと? 自分じゃ気付いちゃいないだろうが、あいつは生き別れた家族を焦がれるような顔をしてやがった」



 研究室棟内の昇降機で、アルカ達は最上階にあるジルの部屋へとやってくる。


「先ずはボクが入りますから、後ろから付いてきてくださいね」


 ジルはアルカが部屋に入ると、大抵なんらかの悪戯を仕掛けてくる。ベルがその餌食にならないように、少年は先陣を切って扉を三回叩いた。

 魔女の「入りたまえ」という声に従い、ゆっくりと扉を開いていく。


 中で待っていたジルは、以前にアルカと会った時の格好で椅子に座っていた。


「ようこそ。少年と、その


 アルカは思わずぞくんと背筋を震わせる。ベルを連れて来る事も、ジルには全てお見通しだったのだ。

 大王も話が早いとばかりに魔女の前へと進む。


「アルカの師匠……ジルと言ったか」

「その通り。君については少年から聞いているよ。星降節の夜には色々と助けてくれたそうだね」


 魔女は立ち上がると、前傾姿勢になってベルに顔を近付ける。彼女の身体からは、自然の中で生きてきた大王には嗅いだ事の無い、甘く良い香りがした。


「どうだね?」

「……どうって。よく分からないぞ」

「見た目の好みを聞いているのだよ。私の顔は王様のお眼鏡にかなうかね?」

「うむ。かつての宮廷でも稀に見る美貌だ」

 

 ベルは純粋だ。良くも悪くも思考や感情の発露に迷いがない。

 瞳の中が真っ黒になる程に目を細めたジルは、ベルの頬に唇を当てて再び椅子へと腰を下ろす。

 大王は突然の出来事に訳も分からず、ただ顔に満ちていく不思議な熱に困惑していた。


「私は正直者が好きだ。いいよ、船に乗りたまえ」

「ええっ! こんな簡単でいいんですか!」

 

 冗談のような遣り取りに、望ましい返事にも関わらずアルカは突っ込んでしまう。


「無論だとも。その代わり、船に乗るからにはしっかりと働いてもらうよ。これから仕事の話をするから、二人共ベッドに座りたまえ」


 魔女の語り口に流され、アルカ達はベッドの上へと移動する。


「さてと、少年には数日前に伝えた通り。今日から私達は新たな航界に向かう。とは言っても、目的地は大陸内なのだがね」


 一か月後、海の向こう側へ行く前の仕事。それはジル達がエヌマエリスへと戻ってきたもう一つの理由でもあった。


「先日の星降節。少年達は流れ星によって復活した霊魂と戦った訳だが、実は現世に落ちてきてしまった流れ星はあの一つだけではなかったのさ」

「ふえ、あんなのが他にもいるんですか……?」

「実を言うと今回だけでなく、毎年のように霊魂達は現世へと落ちて来ていたんだ。私達は数年前からこの霊魂達を回収する仕事を任されていてね。私がその〈シナリオ〉を書いてきたのだよ」


「シナリオ……? なんだそれは」

 

 聞き慣れない言葉に、無口だったベルが反応する。


「シナリオというのは〈脚本〉や〈筋書き〉を意味する言葉さ。私達錬金術師アルケミストの仕事は、金を錬る事でも王様のお世話をする事でもない。シナリオの執筆なのだよ。具体的には、術札アルカナを使って〈人の願いを叶える為の筋書きを組み立てるんだ」

 ――ジルは机上の本棚に何冊も立て掛けてあったバインダーの一つを取り出す。

「私は依頼人が望む結末を叶える為に、シナリオを書く。そして少年達は私の〈劇団員〉として、シナリオを遂行する手助けをしてもらう。つまり〈他人の願いを叶える〉のが、今日からやってもらう仕事という訳さ」


 魔女が放つ言葉の響きは、不思議とベルの心をぞくぞくと湧き立たせた。


「仕事に必要なものに限らず、生活物資は全て支給するから遠慮なく言いたまえ。私達は雇用上の関係ではあるが、運命を共にする仲間でもあるのだからね」


 ジルは立ち上がると扉のそばにあるコートラックに掛けられていた白い修道服を下ろし、袖を通さずに肩から羽織る。


「さ、外に行こう。今日は二人にとって記念すべき初日だ。船の中を案内してあげるから、付いておいで」

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