第6話 ボク達の帰る場所


       ◇


 星降節の夜は明け、目覚めたイスカンダリアは早朝から混乱の最中さなかにあった。

 なにせ流星群が地上に到達し、近くにいたプトレマイオス家の跡継ぎが怪我を負ったのだ。森の着弾地点が見るも無惨な荒野になっている事を考えれば、軽傷で済んだのは不幸中の幸いだと言えるだろう。


 ステラを大灯台まで送り届けたアルカは今、黄金の祝福号ゴールデン・エヴァンゲルの船長室でベッドに腰掛けていた。


「昨晩は大変だったみたいだね。怪我は大丈夫かい?」

 

 ジルは筆記机の椅子に座り、足を組んでいる。昨日のラフな格好とは違い、身体にぴっちりと合った首丈の長い黒の肌着とデニムのジーンズという出で立ちだ。耳からは鎖状のピアスが垂れ、首元へと吸い込まれていく。

 肌着は胸の下辺りでベルトによって留められており、腰まで露出した腹部は美しく割れた腹筋が浮かぶ。ベルトの下からは鎖が臍のピアスまで繋がり、身体中を囚われているかのようだ。

 この怪しい出で立ちも、彼女へのあらぬ噂を呼び寄せる一因なのは間違いない。


「ステラと一緒に手当てしてもらいました。枝で少し切っただけなので、もう傷痕もなく元通りですよ」


 元気そうなアルカを眺めて、魔女はにこりと微笑む。


「それは何よりだ。万が一少年の肌に痕の一つでも残ったら、大陸一の名医を呼ぶ所だったよ」

「でも……星の欠片を取ってくる事はできませんでした」

 

 少年の獣耳がふにょんと垂れる。流星王との戦闘を終えた後に三人で辺りを探し回ったが、ついに星の欠片らしきものは見つからなかった。

 俯く少年の前でジルは机の上の手を伸ばすと、革で装丁が施された一冊のバインダーを手に取って差し出す。


「合格おめでとう。これは試験を通過した者に渡す祝いの品だよ」

「いいんですか……?」

 

 不合格だとばかり思っていたアルカは、面食らって手を伸ばせずにいる。


「ふふーん。実の所、試験の合格に必要なのは星の欠片なんてものではないのだよ。――真に持ち帰るべきは、イスカンダルの燈だ」


 少年がバインダーを受け取ると、ジルは椅子の背もたれに身体を預ける。


「流れ星にまつわる逸話には、もう一つ有名なものがあってね。それは『死者の霊魂を運んでくる』という言い伝えさ。星降節は強い後悔を抱いて死んだ特殊な霊魂が、地上へと帰ってくる日なのだよ」

「特殊な霊魂……?」

「少年も見ただろう。かつてイスカンダルの燈を持っていた人物の霊を」


 ジルはまるで現場を見ていたかのように話す。アルカがイスカンダルの燈を持つ悪霊と戦ったのは、彼女にとって予定調和だったという訳だ。


「これはイスカンダルの燈とは何かを理解させ、それを手に入れる為の試験だったのだよ。……少年は理解できたかい?」

「んゆ、正直あんまり……ただ、普段は出せないような大きな力を使えたのは分かります」

「イスカンダルの燈というのはね、私達人間が〈海の外へ出る為の力〉なのだよ」

「海の外へ出る為の力……? 船があれば外へ行ける訳じゃないんですか?」


 ジルは立ち上がると、「おいで」とアルカの手を握りベッドから立たせる。そして部屋の奥に続く露台へと二人で出た。そこからは黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの露天甲板を中心に、エヌマエリスの大地と海を半々に望める。


「この大陸を囲む海には〈果て〉がある。ある地点を境に海は途絶え、世界を内包する巨大な球体に囲まれているのさ。人はそれを〈天〉と呼び、かつては天の内側だけが世界の全てだと思われていたのだよ」

「うゆ……その常識を覆したのが、海の向こうからやってきたイスカンダルなんですよね」

「そう、天には〈先〉があったのさ。二千年前、イスカンダルは海の向こう側から天を越えてこの世界に侵攻し、後の世にイスカンダルの燈と呼ばれる強大な力で大陸全土を手中に収めて〈天の国エヌマエリス〉という名を付けた。イスカンダルはその後遠征の果てに計八つの〈多元世界〉を発見し、その半分を支配下に置いて帝国を築いたのだよ」

「でも不思議です。人はどうしてイスカンダルの燈がないと、海の外側へ出られないんですか?」


 アルカが尋ねると、ジルは一瞬考えた後に悪戯っぽい笑みを薄く浮かべる。


「その前にクイズだ、少年。人は死んだ後、一体何処へ行くのだと思う?」


 得意分野である歴史を中心とした話から打って変わって哲学的な問いに、アルカはしばらく首を傾げて考え込む。


「むむむ……流れ星が死者の霊魂を運んでくるなら、やっぱり空の上でしょうか」

「不正解――答えは地面の下だ。私達の魂は大地から生まれて、死後には大地へと還っていくようにできているのだよ。その繋がりの事を、私達錬金術師アルケミストは〈輪廻〉と呼んでいる。私達の魂は、目に見えない力で大地と繋がっているのさ。そしてイスカンダルの燈は、その繋がりを切り離す事ができる」

「切り離す……なんだか少し怖く聞こえます」

「その感覚は正しい。イスカンダルの燈は世界の外へと出る権利だが、留意しておきたまえ。〈生まれた世界の外で死ねば、故郷の大地へ還る事はできない〉のだと」


 カール十二世は戦火から逃れて向かった海の外側で死亡し、祖国の大地に還る手立てを失った。そして後悔の念を抱えたまま、異界の空を彷徨い続けていたのだろう。


「少年はそれでも、海の外へ出る勇気はあるかね?」


 ジルは優しい口調で告げる。これまでの説明は、全て世界の外側に出る事の恐ろしさをアルカに理解させる為だ。その上で海を越えるだけの理由があるのか。それを静かに問う。


「当然です。世界の全てを知れないのなら、この世に生まれてきた意味がない。ボクにとっては、それが何よりも恐ろしい事ですから」


 少年の答えは変わらない。魔女は胸の前で指を組み、上半身を前に倒してアルカに顔を近付ける。


「――素晴らしく愚かな答えだ」

「ふえ! 駄目でしたか……?」

「とんでもない。まさに私が求めていたものだとも。錬金術師アルケミストとは、この世で最も愚かであるべき人種なのだから」


 魔女の言葉はアルカの価値観にそぐわないものだった。少年の憧れる錬金術師アルケミストは、世界の果てへと真理を探しに向かう賢者達だ。


「古代に〈賢者〉と呼ばれた、ソクラテスという男はこう言った。『人間は全てを知る事などできない。故に己が無知だと知る事が、賢者への第一歩なのだ』とね」

 ――古くから〈無知の知〉という名で知られる故事だ。

「人間は真に賢くある事などできないのだよ。だから分からないものには目を瞑り、自分にとって都合のいい知識だけを拾って心地の良い世界を作る。それが世界の全てであると自分を騙してね。それは私に言わせれば退屈だが、賢い生き方でもある」


 アルカは気付いた。ジルの言う賢い生き方とは、世界の流れに従って安寧を求める事なのだと。


「人間に限らず、あらゆる生き物は世界の全てなんて知らなくても生きていけるように創られているんだ。寧ろ過分に知識を求める程に、全智を得るには致命的な疑問ばかりが増えていく。それを自覚しながら足掻くのは、愚かな行いだとは思わないかね?」


 魔女は問い掛ける。その答えはアルカにとって明白だった。


「その愚かさが、イスカンダルの燈を手に入れる為に必要なものなんですね」

「いかにも。ときに少年。イスカンダルの燈は研究の第一人者であるアリストテレスを称えて、〈賢者の意志〉とも呼ばれているのだよ。なんとも皮肉な話だろう」

 ――ジルは茶目っけを多分に含んだ笑顔で、アルカにウインクをする。

「……さて、小難しい話はこの辺りで終わりにしようか。明日からはうちの船に来て働いてもらう事になるから、今日は帰ってゆっくりと休みたまえ。黄金の福音号ゴールデン・エヴァンゲルの一員として、少年を歓迎するよ」


 待望の一言を聞いて、アルカはバインダーをぎゅっと抱きしめた。


「アイサ!」


       ◇


 朝日と共に寂しい風が吹き込む荒野の真ん中で、ベルは一人座り込んで青い空を見上げていた。


「おれの城も吹き飛んでしまったか。それなりに気に入っていたのだかな」


 足元に残っているのは小さな枝が一本だけだ。それも掴んで遠くに放ってしまうと、大王は立ち上がをする。


「……寝ればよかったぞ。夢を見ないと何をすればいいか分からん」


 宛もなくふらふらと、木を目指して彷徨う。普段通りの安らかな時間が、今日はひどく退屈に感じられた。まるで何かを待っているかのように。

 手慰みに木へと手を掛け、するすると登っていく。イスカンダリアの椰子は背が高い。天辺まで上がれば、海岸まで街を一望できる。

 頂上に着いたベルはしばらくの間目を閉じて、身体を撫でてくれる風に身を任せる。瞼を上げると、遥か遠くに見える水平線ばかりが気になった。


「外の世界か……それもいいな」


 小さく呟いたその時。林冠の下から、アルカが風に乗って視界に飛び込んでくる。


「ベル。こんな所にいたんですか!」


 予期せぬ再会にベルは目を丸くした。対する少年は、まるで初めから約束していたかのように平然とそこにいる。


「帰りましょ。そろそろ昼ご飯の準備もしなくちゃ」

「帰る……? アルカの家にか?」

「ボク達の家ですよ。ボクはベルの家臣なんでしょ」


 大王はようやく気付いた。夜が明けてからずっと感じていた渇きの正体が、そばにいてくれる誰かの存在なのだと。


「――ああ、そうだな。丁度新しい城が欲しかった所だ」


 二人は並んで椰子の葉の下へと消えていく。

 イスカンダリアの空は、今日も穏やかな風が海に向かって流れていた。

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