第5話 最果ての呼び声



 その昔、〈流星王〉と謳われた一人の王がいた。

 風の術に長けたその男は天から星を降らし、星の数と称えられる軍功を打ち立てた歴戦の勇。

 まだ年端もいかぬ子供であった時分に、封氷の地を荒らし回った灰色熊を流星で射貫く絶技によって〈熊殺し〉の異名を轟かせた時より彼の伝説は始まる。


 成長して戦場に出た若き王は、自らが危険な前線に立つ道を選んだ。平凡な民から成る軍勢を鼓舞し、強兵大軍に勝利し続けたのだ。

 全ては祖国の為に。己の命よりも祖国の繁栄を願って、多元宇宙の征服を掲げて戦場を駆け続けた彼の身には、いつしかイスカンダルの燈が宿る。

 数多の世界を征した王の燈を継いだ者のさがか。止む事のない戦の波へ飲まれるように流星王は姿を消し、二度と封氷の地へ戻る事はなかったのだという。



「――見つけたぞ弱輩共。そんな所にこそこそ隠れておったとはな!」


 カール十二世の轟声が響き渡る。猛吹雪のように恐ろしい唸りが、風となって荒れ地を薙いだ。彼は一度完全に見失った獲物を、この短時間で見つけ出したのだ。

 アルカは獣耳を押さえて少しふら付きながらも、小さな声でも聞き取りやすいように相棒へと身を寄せる。


「……風の術には、周囲の位置関係を把握するたぐいのものが沢山あります。隠れての奇襲はあまり期待できませんよ」

「おそらくその術で流星の狙いも付けているのだろうな。だがあの流星にも、幾つか弱点がある」

 ――ベルは錬金術キミアの知識こそないが、卓越した観察力で術の性質を看破する。

「流星は必ず空から降ってくる。つまりおれ達がどれだけ術師本体に近付こうが、〈発射地点から着弾までの距離と時間は変わらない〉という事だ」


 天から地上までには相応の距離がある。僅かではあるが、回避の猶予が存在しているのだ。


「そしておれは星の軌道が読める。注意さえしていれば、流星の攻撃をくらう事はまずないだろう。だからおれが囮として奴の注意を引き付ける」

「その隙にボクが術を打ち込んで、〈ベルの考えてくれた秘策〉で弱点を破壊すればいいんですね……!」


 次の瞬間カール十二世が見たのは、段差の下から分かれて飛び出してくる二つの影だった。片方は四つ脚で疾駆するベル。そしてもう一方は、巨体を宙へと躍らせる【ノルド山のグリズリー】だ。


「ぬうっ! さっき解除した我輩の術を術札アルカナにして奪っておったか!」


 錬成釜コルドロンには錬成円を吸収して術札アルカナに戻す機能が備わっている。アルカは逃げる最中に、先程解除した【ノルド山のグリズリー】を回収していた。

 二手に分かれて迫ってくる敵を前に、流星王は熊への対処を優先する。所詮子供に肉薄された所で、大した危険はないという判断だ。


演技アクション――【流星の魔弾】!」


 上空から恐るべき精度で放たれる流星が、一撃で大熊の頭蓋を砕き絶命させる。

 だが僅かな好機を得たベルは敵に接近し、全身の体重を乗せた体当たりでその腕を押し飛ばした。カール十二世は予想を遥かに超える威力に大きく体勢を崩す。


「うぬっ……小さいくせになんという馬鹿力であるか!」

「見誤ったな、流星王。本命はおれだ」

「小癪な! 術も使えぬ弱輩風情がっ!」


 ステラに錬成円を展開させて印を結ぼうとする流星王の手を、今度は鋭い回し蹴りが文字通りに一蹴する。


「なれの使う錬金術キミアという術……発動に要する所作が多くて隙だらけだぞ。戦闘中に易々と使えるものではあるまい。なれも戦士を気取っているようだが、戦場ではさぞかし安全な場所で踏ん反りがえっていたのであろうな」

「弱輩が……この我輩を後方の将などと侮りおるか!」


 大王の言葉が意図せずとも的確に敵の矜持を抉り、冷静さを失わせた。カール十二世は鍛え抜かれた肉体を構えによって研ぎ澄まし、術理を捨てて拳を放つ。

 だがベルは己を貫かんとする腕へ、木を登るように纏わり付く。そして肩までよじ登ると、顔面に蹴りを叩き込んだ。

 鼻筋を潰されて血を噴き上げる巨体から大王は跳び退き、再び四つ脚で着地する。視界の先では流星王が上を向いたまま沈黙している。その鼻先が瞬く間に、本来の形状へと再生していくのが見て取れた。


「今だ、アルカ!」

 

 ベルが周囲に響き渡る声で叫ぶ。


「馬鹿めい! もう一人の場所はずっと把握しておるわ――」


 視界を回復したカール十二世は、〈最初に二人が隠れていた岩陰の方〉へと目線を遣る。陰から顔を出した〈もう一人のアルカ〉はべっと舌を出すと、緑色の軟泥へと正体を露わにした。


「――んなっ!」


 大鏡の清掃に使用した【鏡像のスライム】が、その変身能力で身代わりを作って風による探知を欺いたのだ。

 本物のアルカが姿を現したのは、灰色熊の死骸の陰だった。少年は敵の視界の外で錬成円を開き、結んだ印を押す。


演技アクション――【始原の炉バーンマ】!」


 残り一枚の術札アルカナを使い、一直線に火球が放たれる。その威力を知っている流星王はまたしても敢えて回避せず、首元に着弾した火球が赤く爆ぜた。


「ガハハ……愚かな! この程度の術で我輩を仕留められると思ったであるか!」

 ――カール十二世は皮膚が焦げて筋繊維の露出した下顎に歯を剥き、余裕綽々と笑う。

「諦めよ! 所詮弱輩如きの術で我輩を討つ事は――」


「じゃあ、お前の術ならどうです? 演技アクション――【流星の魔弾】!」


 少年の声が響くと同時に、天から放たれた一条の流星がカール十二世の腹を射貫く。

 流星王の顔面から上る煙が晴れた時。そこには先程ベルによって使用を妨害された錬成円の場所で両手を突き出すアルカの姿があった。


「ぐぬぅ……またしても我輩の術を。だが幾ら致命傷を負わせようとも、不死身の我輩には効かぬ……!」

 ――その言葉も虚しく、魂が宿る腹を損傷した肉体は指の先から崩壊し始める。

「……何故だ! イスカンダルよ、我輩を見捨てるのであるか!」


 カール十二世の脳裏に生前の光景が浮かぶ。前方から吹き寄せる猛吹雪の中を進む逃避行。味方の兵士達が一人ずつ、雪景色の中へと倒れ消えていく死の行進が。


「敵軍に敗れ、逃げおおせた海の先で……貴方は死の恐怖に染まった我輩を見捨て、燈をお奪いになられた。それは当然の罰である。己が野望を捨てて命を拾った弱輩に、貴方の燈を継ぐ資格などないのだから!」

 ――崩れゆく拳を地面に突き立て、流星王は慟哭する。

「我輩は己の末路を恥じた……故にこうして戻ってきたのである。死して尚生き恥を晒してでも、必ずや多元世界をこの手に収め、再び祖国へと凱旋するのだ。長きに渡る我が空白の伝説を、イスカンダルの再来として締めくくる為に!」


 胸に開いた穴から黄金の炎が漏れ出し、ひびの入った全身を包む。その輝きが崩壊する肉体を繋ぎ留め、王の願いに応えた。


「我が流星は! かつて天へと矢を放ち、己の心臓ごと大地に眠る竜を射貫いた、貴方の偉業への憧憬を以て錬り上げた術。今ここに、竜殺しの伝説へと追い付かん!」


 青白い光の尾を引いて超高速で流星王の身体が跳び上がり、夜空の中心を目掛けて舞い上がっていく。その全身に纏う莫大なエネルギーは、星空に浮かぶ満月の輝きすらも翳ませた。着弾すればアルカ達はおろか、イスカンダリアそのものが吹き飛びかねないだろう。

 あまりにも理不尽に訪れた終焉に、ベルでさえも言葉を失う。

 少年が縋る手で開いたバインダーの中には、一枚の術札アルカナも残ってはいなかった。


 それでも魂にどくんと灯るのは、捨てる訳にはいかない自分の願いだ。


「負けない……負けられない……!」

 ――腹の内側を、身体が弾けてしまいそうな火花が奔る。

「ボクはあの海の向こう側へ行くんだ! ――まだ誰も知らない世界を見に行く為に!」


 生への執着に、〈己の最果てを望む意志〉が勝る時。イスカンダルの燈は灯る。


 アルカの身体から黄金の炎が迸り、その願いを錬成釜コルドロンへと収束させた。空っぽな筈の釜から錬成円が展開し、アルカは導かれるように渾身の印を結ぶ。

 そして腕を突き出し、理不尽を殴り飛ばした。


演技アクション――【最果ての呼び声】!」


 少年の背後から海が溢れるが如き怒涛の水が立ち昇る。それは九本の触腕と化して、破滅の流星を迎え撃つ。螺旋の軌跡を描く水流はカール十二世の巨体へと纏わり付き、全身を飲み込んだ。

 瞬間。流星王は自らが深い海の底に沈んでいく錯覚に陥る。

 執念によって繋ぎ留められていた肉体ごと、彼の内側で燃える黄金の炎が昏く冷たい眠りの闇へと散っていく。


「こんな馬鹿な……我がイスカンダルの燈が飲まれるだと……!」

 ――それは流星そのものと化した王の肉体が、終わりを迎える時だ。

「我輩はまたしても越えられぬのであるか! この絶海を――」


 真水へ砂糖を溶かすかのように、終末の光景にさえ思えた恐怖の大王は、天へと逆巻く水柱みずばしらの奥へと消えていった。

 鎮魂の絶海は上空で弾け、イスカンダリアの地へ驟雨となって降り注ぐ。

 全てを出し切ってふらりと後ろへよろけたアルカの身体を、大王の腕が支えた。


「よくやった。それでこそ、おれの一番の家臣だ」


 彼の言葉にアルカはふしっと笑顔を浮かべる。


「当然です。ボクはイスカンダルの燈を継ぐ者ですから!」


 勝利の余韻に浸る二人の背後で、がりっと荒れ地を踏む音がした。

 振り返ると、そこには流星王の支配から解放されたステラが立って此方を見つめている。


「……アルカ、すまなかった」

 ――彼の口からこぼれたのは、殊勝な謝罪だった。

「僕は君の夢を理解しようとせず、あまつさえ邪魔しようとすらしてしまった」


 アルカは力の入らない身体をベルの助けを借りて起こすと、少し気まずそうに下を見ながらステラと対面する。


「ボクの方こそ、ステラの気持ちを分かってませんでした」

 ――少年が想うのは、流星王の悲惨な末路だ。

「海の外へ出れば帰ってこれないかもしれないなんて、考えた事もなかった。……ここの皆に二度と会えないんだとしたら、それでも構わないなんてボクには言えません」


「それでも君は、海の外へ行くべきだ」

 ――ステラは友の背中を押す。

「僕は見たんだよ。あの悪霊が還りたがっていた、故郷の景色を。あれはこの世界の何処へ行っても見られないような……筆舌に尽くし難い体験だった」

 ――彼の目にはアルカと同じ様に、彼方への憧憬が宿っている。

「君が憧れた世界の奥深さが、今なら理解できるんだ。一度知ってしまったら、あれを見に行かないなんて言うのは嘘だよ。君の夢は素晴らしい。命を賭ける価値がある!」


 ステラは学友を励ます為に。そしてほんの少しだけ別れを惜しんで、その手を握った。


「もしもアルカがここへ二度と戻らないのなら、僕が君に会いに行く。だから君は君自身の道を行くんだ。それを止める者はもう誰もいないんだから」


 雨は上がり、少年の心を僅かに曇らせていた迷いが晴れる。


「――うん。いってきます!」

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