第4話 流星の王


 少年は術で頭上に小さな火の玉を灯し、周囲を照らす光源を確保する。


「この辺りに落ちたんですか?」

「ふむ。星が燃え尽きずに残っているなら、地面に落ちている筈だ」


 光源をぐるっと回して周囲を見渡すと、近くで椰子の木が折れている場所が目に留まる。おまけに何かが薄らと黄金に光っているではないか。


「うゆ。怪しい場所を見つけましたよ、ベル。行ってみましょう!」


 アルカは宝物を拾いに行くような軽快な足取りで、うきうきと近付いていく。


「おい、森で迂闊に動くな。危ないぞ」


 ベルは警戒心に欠けた行動を諌めたが、少年は異変の起きている場所へ踏み込んでしまった。

 暗闇の中でばきばきと樹木が圧し折られる音が鳴り、頭上の木立から獣の頭部が二人を覗き込む。体高にして三メートルにも勝る怪物熊が、二足歩行で哀れな獲物を出迎えた。

 夜は獣の時間だ。人間より遥かに強大な力を持つ生物達が、人の生活領域を守護する結界の外で目覚めて跋扈する。

 致命的な遭遇に思考が停止し、少年は固まったまま動けなくなってしまう。


「手を出すな!」


 ベルの怒号が周囲に響く。年端もいかぬ子供のものとは思えない、威厳に満ちた声色だ。

 すると熊は言葉の意味を理解したかのように、ベルの方へと視線を移す。


「狩人が来たかと思えば、乳臭いお子様二人であるか。我輩も随分と甘く見られたものであーる」

 

 そして人の言葉を吐いた。

 ベルに驚きはない。人の言葉で話し掛けたのも、相手が人間だと分かっていたからだ。


「なれは何者だ。この森の獣ではないな」


 ベルの問い掛けに、熊は自分の顎へと手を掛ける。それが毛むくじゃらでこそあるが、紛れもない人間の腕だ。そして顎の部分から毛皮をべろりと捲った。

 その下からは長く伸びた牙を幾本も生やした不気味な仮面を着ける、濃い髭を蓄えた男の顔が覗く。正体は熊ではなく、剥いだ熊の毛皮を被った大男であったのだ。


「我輩の名は〈流星王〉カール十二世。封氷の大地を戴くヴァイキング達の王であーる!」


 怪人は王を名乗り、熊の外套を広げながら筋骨隆々とした両腕を掲げてポーズをきめる。


「カール十二世……? 嘘だ。二百年も昔の人物じゃないですか!」


 アルカは間髪を入れずに指摘する。歴史に対する造詣の深さには、他人よりも自信があった。

 カール十二世という人物は、今より二百年ほど前にエヌマエリスの外で起きた、大きな戦争の最中で死亡したと伝えられている為政者の名だ。


「ガハハ! 我輩の名を知っておるのか。確かに我輩は一度死んだ。そして地獄の底から舞い戻ったのだ。再び戦場へと舞い戻り、多元世界の全てを征服する為にな!」


 にわかには信じ難い台詞を吐きながら、流星王は豪快に笑う。

 その時、アルカは彼の足元から小さな呻き声を聞いた。


「逃……げろ……」


 掠れた声で視線も合わない相手に呼び掛けているのは――ステラだ。黄金の炎に包まれた身体が操り人形のように起き上がり、アルカの前に立ちはだかる。


「馬鹿! どうしてお前が!」


 叫びながらも、アルカは理解している。彼は宣言通り、少年に先んじて星の欠片を手に入れようとしたのだろう。大灯台の設備があれば、流れ星の落下地点を事前に予測するのも容易い。

 動揺するアルカの襟首をベルが掴み、強引に後方へと引き離す。


「いつまで呆けている。死ぬ気か!」

「離してください! ステラがあそこにいるんです!」


 友人を想う少年の叫びとは裏腹に、物言わぬ人形と化したステラの腕が手にしたバインダーから術札アルカナを取り出して、腕に装着した錬成釜コルドロンへと入れた。


「我輩の積み上げた伝説……弱輩等に見せてやるとしよう」


 カール十二世は印を結び、黄金の炎を口の端からこぼす。


演技アクション――【流星の魔弾】!」


 頭上の虚空から一筋の流星が注ぎ、眼下の標的を目掛けて襲い掛かる。

 ベルは「ぐっ!」と呻きながら木の幹を蹴り、辛うじて射線から逸れて地面に転がった。青白い光の矢は樹木ごと大地を抉り、飛び散った破片が身体を掠める。


「ガハハ! 我輩の術をよく躱した。さては弱輩も星の軌道が読めるのであるな?」


 初撃をいなされた流星王はステラにバインダーを捲らせ、次の札を探している。

 その隙に大王は、アルカへと耳打ちした。


「ここはおれが時間を稼ぐ。なれは街の方へ逃げろ」

「何言ってるんですか。このまま帰れるわけないでしょ!」

「このままだと二人とも殺されるぞ。アルカには帰りを待つ家族がいるのだろう」

 ――ベルは四つ脚の姿勢になると、全身の毛を逆立てる。

「それに、民を守るのが王の役目だ!」


 猛然と飛び掛かるベルに、カール十二世はにいっと歯を剥く。


「蛮勇や良し! ならば語って聞かせるとしよう。我輩の偉大なる伝説、その続きを!」


 その背後に流星王を飲み込む程の獣が輪郭として描かれ、黄金の炎に肉付けされた爪が実体と化して振り下ろされる。


登場者キャラクター――【ノルド山のグリズリー】!」


 ベルの爪から彼を庇ったのは、灰色の毛皮を持つ巨体の大熊だった。腕の一振りが大王の毛皮を爪先で引っ掛け、近くの木へと投げ飛ばす。


「褒められるのは威勢の良さだけであるな。これ程の弱輩が、王を名乗るなどとは笑止!」

 ――この状況に早くも退屈し始めた流星王は、毛むくじゃらの配下に手で合図を出す。

「我が祖国で恐れられた、森の怪物の贄となる結末をくれてやろう。弱輩には、それでも過ぎた栄誉であるがな!」


 肉弾と化した大熊が咆哮を振り撒きながら獲物に食らいつかんとしたその時。草むらの中から噴き出した水が、熊の身体へと襲い掛かる。それは球体となって巨体を包み込み、内側で突如霧散した熊は錬成円の状態にまで戻されてしまった。


「ぬぅっ……〈水属性の術〉で我輩の術を解除しおったか!」


 流星王は迅速に状況を噛み砕く。


「随分と詳しいんですね。生前はさぞ優れた術師だったとお見受けします」


 陰の中からバインダーを側に浮かせて出てきたのは、姿を潜めていたアルカだ。

 それを見たベルが苦しそうに呻く。


「馬鹿者……何故逃げなかった!」

「言ったでしょ。逃げる理由が無いからです」

「逃げなければ死ぬのだぞ! それ以上の理由があるか!」


 必死に少年を説得しようとするベルに、アルカはびしりと人差し指を向ける。


「先ずおまえ!」

 ――次いで、指先を敵の傀儡と化した友人へ。

「次にステラ!」

 ――止めに人指し指から親指へとシフトし、自分自身へと向ける。

「最後にボク自身の願い! 自分の命一つ拾う為に、ここで捨てるものが多過ぎです!」


 理解できずに呆然とする大王に、アルカは強い意思の籠った視線を返す。


「死ぬのが怖いんじゃない。錬金術師アルケミストが恐れるのは、〈何も成さずに死ぬ事〉です。信念を捨ててまでだらだらと生き延びるよりも、大事な夢を叶える為に命を賭けます!」


 ベルは少年の心に触れ、木に背中をもたれたまま深く息を吐く。


「……分かっていなかったのはおれの方か。なれはおれの家臣であったな。であればその心が民の望む平穏ではなく、王と同じ景色を求めるのは道理だ」

 ――彼は身体を起こし、アルカと共に並び立つ。

「行くぞアルカ。あの不届き者を打ち倒し、流星を手に入れる!」


 愚直に敵へと向かっていくベルを支援する為に、アルカは術札アルカナを抜く。


演技アクション――【始源の炉バーンマ】!」


 ほうき屋でおまけに貰った術札アルカナだ。

 印を結んで突き出した両手の先に人の頭より一回り大きな火球が出現し、少年が腕を上げると同時に前方へ一直線に放たれる。

 少しでも相手を牽制できればと放った一撃だったが、予想に反してカール十二世は動かなかった。火球は彼の顔面に、正面から直撃して爆発する。


「うそッ――」


 初級の術である【始源の炉バーンマ】は、さほど破壊力は高くない。それでも人間の顔面に直撃すれば重要な感覚器官が軒並み破壊され、戦闘の続行は不可能となるだろう。

 事実、流星王の顔面は見るも無残に焼け焦げて明らかな致命傷を負っていた。だがその傷はみるみるうちに再生し、ものの数秒で完治してしまったのである。


「素晴らしきかな。我が肉体に与えられし〈不死の力〉! 弱輩の術など、ける必要もないのであーる!」


 その身体からは、錬成時に出現するものと同じ黄金の炎が立ち昇る。


「見るがいい。かつて数々の伝説を綴りし、我が〈イスカンダルの〉を。そして偉大なる流星王の帰還に敬服せよ!」


 ステラを操って術札アルカナを使わせ、カール十二世は印を結んで燈を注ぎ込んでいく。


演技アクション――【門を開けよ、我が望郷の幕ヘヴンズゲート】!」


 瞬間。周囲の空気が一気に凍り付くのを感じる。露出した肌が針を刺したように痛み、息をする度に鼻の粘膜までもが貫かれる。気付けばイスカンダリアの空に、極彩色を放つ巨大な幕が下りていた。


「開け、我輩を拒みし天蓋の理よ。そしてこの地に、祖国の流星を注げい!」


 揺らめく光の幕が左右に開き、その奥から澄んだ星空が覗く。そこに見えた星の並びは、幾度となく星空を眺めてきたアルカにさえ見覚えのない配置だった。

 そして異界の空からやってくる流星が、天より遣わされた軍隊の如くエヌマエリスの大地へと雪崩掛かる。燃え尽きる事無く地上へと到達した無数の流星は次々と着弾し、広大な椰子の森を瞬く間に蹂躙していく。

 アルカ達はその中を必死で走り回り、枝葉が素肌に擦り傷を作るのも厭わず、とにかく直撃を避けるので精一杯だ。


「これは流石にっ……戦いになりませんよ!」

「長くは続かないぞ! 木を盾にして全力で逃げ切るんだ!」


 永遠のように思える数十秒の後、二人は地形の物陰へと半ば縺れる形で倒れ込む。なんとか首を上げて周囲を見渡せば、樹木の茂っていた辺り一帯はすっかり荒野へと変わり果てていた。アルカの背にぞくりと悪寒が奔る。


「こんな威力の術見た事ありません……! 一人の人間が使える力の範疇を超えてます!」

「あの黄金の王炎を身に纏った瞬間からだな。先程までとは比べ物にならんぞ」


 不死身の身体に、規格外の威力を誇る数々の術。子供二人が立ち向かうには、あまりにも強大過ぎる。


「あいつの言ってたイスカンダルの燈って、なんなんですか……!」

「アルカは言っていたな。イスカンダルという者は海の外から来て強大な力でこの世界を征服し、王座に就いたのだと。イスカンダルの燈はその王に由来する力だとおれは思う」

 ――ベルの持つ狩人としての嗅覚が、獲物を仕留める為に限界まで研ぎ澄まされる。

「あの広場にあったのが慰霊碑だと言うのなら、イスカンダルは死んだのだろう。どのようにして死んだのかは伝わっていないのか」


 ベルの疑問が少年の脳内に、一つのフレーズを呼び起こす。


『竜に魂を捧げた大王、ここに眠る』


「イスカンダルは……天の中心に撃ち放って落ちてきた矢で自分の魂の宿る場所――お腹を撃ち抜いて死にました。その魂を吸った矢じりで、エヌマエリスの大地に眠る竜を射殺したのだとされています」

「腹を射貫けば死ぬか。ならばおれ達と同じだな」

 ――ベルは冷淡に呟きながらも、アルカの目を熱の宿った瞳で見詰める。

「命の火を消す覚悟はあるか?」


「『魂が巡るを妨げるべからず』がケメトの美徳です。――送ってみせます!」


 少年は震える声で、大王の意に答えた。

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