第3話 王と錬金術師


「お前、星を捕まえに来たんですか!」


 この運命的な出会いを、果たして喜んでいいものか。もし相手が星の欠片を欲しがっているのだとしたら、二人はライバル同士という事になる。


「捕まえて、どうする気なんです」

「ふむ? そうだな……そこまでは考えてなかったぞ。おれは夢の導きに従おうと思っただけだ」

「……変なやつ。だったら、特に必要としてる理由がある訳じゃないんですね」

 ――曖昧な行動原理は、アルカにとって都合が良い。

「分かりました。ボクが一緒に、お前を空まで連れていってあげます」


「ふむ。いいのか?」

「代わりに、二人で協力して流れ星を捕まえるんです。ボクは星の欠片が欲しい。お前は空を飛んで星を捕まえればそれで満足。協力し合えば、双方に利点があります」


 少しの間、ベルは与えられた言葉を噛み砕くような間を置いた。そして得心したのか「ふむ」と頷く。


「つまり、はおれの家臣になりたいのだな?」

「ンなんでそーなるっ!」

「遠慮するな。貢ぎ物を持って来た者は無下にせんのが〈王〉の度量だ」


 妙に会話が噛み合わない。だが、相手はまだ子供だ。背丈もアルカと殆ど変わらず、やもすれば年下である可能性もある。ごっこ遊びに興じる年頃なのだろう。


「まぁ、そういう事でいいですよ。確認しておきますけど、星の欠片はボクが貰っても構わないんですね?」

「ふむ。おれには必要ない。なれへの褒賞としてくれてやろう」


 アルカは荷物の中からドラグマ貨幣の入った袋を掴み、カウンターの奥で待っている店主に差し出す。彼女は二人の遣り取りを見守って、何故か楽しそうにしていた。


「【魔女集会の羽衣スカイクラッド】と、【ルルスの円盤】を一枚ずつお願いします」

「あいよ。お嬢ちゃん、ジルんとこの試験を受けるんだね。あいつの試験は意地が悪いから、頑張るんだよ」

「ありがとうございます。絶対合格してみせます!」


 店主は慣れた手つきで奥の棚から別々のバインダーを取り出すと、そこから指定された術札アルカナを取り出して纏めてくれる。


「一応確認しときな。【魔女集会の羽衣スカイクラッド】と【ルルスの円盤】。それとこれはあたしからの餞別だ。ジルの試験を受けるやつに渡すのが慣例になってるのさ」


 おまけで渡してくれた二枚の術札アルカナは、【始原の炉バーンマ】という術だった。標的に炎球を飛ばして攻撃を行う、炎を扱う術の中でも初歩的なものだ。


錬金術師アルケミストたる者、常に心へ火を宿すべしってね。鉄を煮る為の火を睨んでいた先人達の時代から紡がれる、神秘への憧れを忘れない事だよ」


 アルカは握手をして店主に礼を言うと、支払いを済ませてテントを後にした。後ろからは手を組んだばかりの相棒が堂々と付いて来る。

 正直な所、味方としての戦力には殆ど期待していないのだ。とにかくライバルが減るのであれば、それだけで少年にとっては充分な価値がある。


「そういえば、名前はなんて言うんです?」

「おれにそんなものはない。王は一人だ。呼び分ける必要もなかろう」

「いちいち妙な価値観に設定してますね……喋り辛いんですけど」

「どうしても呼び名が必要なら、〈大王ベル〉と呼べ。昔はそう呼ばれていたぞ」


 やけに立派な名前を言うものだから、アルカは思わずくすっと笑ってしまった。随分と凝ったごっこ遊びだ。


「ボクはアルカって言います。知ってますか? 王様は錬金術師アルケミストを一番の家臣にするものなんですよ」

錬金術師アルケミスト? なんだそれは」

「教えてあげます。少し寄り道しましょう」


 アルカは小走りで中央市場を抜け、反対側の通りへと駆けていく。その先は集合住宅インスラのない開けた場所になっており、花壇や噴水が景色を彩る憩いの広場が設けられていた。


「あれを見てください」


 少年が指で示した先。噴水の向こう側に、大理石で出来た像が控えめに建っている。

 造形は並び立つ二人の人物を模したもので、見た所等身大に近いスケールだ。像の立つ台座には、『竜に魂を捧げた王、ここに眠る』と刻まれている。


「この像はイスカンダルと、第一の家臣アリストテレスの慰霊碑なんです。イスカンダルは知ってますか?」

「知らないぞ。初めて聞いたな」

「なら教えてあげましょう。イスカンダルは、この大陸の国々を統一して帝国を築いた凄い人です。彼は海の向こう側からやってきた人物で、錬金術キミアの力を使って瞬く間にこの大陸を征服してしまいました。それを隣で支えたのが、世界最古の錬金術師アルケミストとされるアリストテレスなんです」

錬金術キミアというのは何だ?」

「さっきベルが見た、空を飛ぶ術がですよ。この後直ぐに使わせてあげますからね」


 ベルが錬金術キミアを知らないのも、不思議な話ではない。

 エヌマエリス大陸における錬金術キミアの普及率は、図書館の街であるイスカンダリアでも全体の五割程度。世界全体で見れば、三割を下回る。

 普及率が高くない理由は幾つか存在するが、この手の議題で真っ先に挙げられるのは〈錬金術キミア社会の閉鎖的な教育システム〉の方だ。

 錬金術キミアはその有用性から悪用を防ぐ為に、〈師弟関係〉を軸に知識の伝授が行われる。師匠と弟子の間で雇用契約を結び、弟子は師匠の下で働く代わりに対価と知識を得る仕組みが長い歴史の中で形成されてきた。

 故に錬金術キミアを学ぶ上ではコネクションが非常に重要であり、特に錬金術師アルケミストの名家が多いイスカンダリアでは、家庭内教育による知識体系の血統化が起こっているのが現状だ。

 錬金術キミアを学んでいない多くの市民は錬金術師アルケミストに店頭で錬成してもらった品物を買い、時には風で街の外れへと運んでもらうのである。


 アルカは頭上を指し、自分の家の場所を示す。


「流れ星は、ボクの家から探しましょう。その前に晩ご飯も済ませちゃいましょうか!」


 ご飯と聞いて、ベルの頭に生えた獅子の獣耳がぴこんと跳ねた。


       ◇


 集合住宅インスラの高層にある露台は、星を見るのに適した秘密基地だ。アルカ達はそこに二つの椅子を用意し、机に夕飯を並べて兵站を確保する。

 今晩のメニューは【ポロ葱と鶏肉のチーズグラタンタッルグラタン】と、【擂り葱入りミルフィーユパンセベトゥ】。イスカンダリアではポピュラーな家庭料理である。

 蕩けるまで煮込まれた葱の甘味と皮付きでグリルされたとり肉の脂が、チーズのコクとサワークリームの仄かな酸味によく合う。

 パンに練り込まれた葱の香味も、全体の味にエスニックな纏まりを感じさせてくれる。ミルフィーユパンでグラタンを掬うようにして食べるとにっこりだ。

 この料理はベルの舌にも合ったようで、夢中になって温かい食事に舌鼓を打っている。


「これはアルカが作ったのか? おれの宮廷でも、ここまで美味いものが出た事はないぞ」

「むふん。そう言われると悪い気はしませんね。にしても、ベルは何処の家の子なんです?」

「近くの森の中に住んでるぞ。今はそこがおれの宮殿だ」

「森って……家族とかはいないんですか」

「もういない。遠い昔にはぐれてしまった」

 

 ベルは大した感慨もなく答える。それが単なる設定なのか、悲しみも風化する程に昔の事実なのかは普通なら考えるまでもないだろう。

 だがアルカは少し大王の話を信じてみる気になった。


「そっか。ならボクと同じですね」


 アルカの告白を聞いて、ベルは漸く幼い少年が部屋で一人暮らしをしている違和感に気付く。


「……親はどうしたのだ」

「物心付いた頃には、もういませんでした。顔も見た事がないんです。でも寂しくはないんですよ」

 ――そう言うアルカの瞳に、虚勢は感じられない。

「一人だったボクを育ててくれた、家族みたいな人達がいるんです。星の欠片を手に入れるのも、その人達と一緒に海へ出る為なんですから」


 星の欠片と海にどういう繋がりがあるのかベルにはさっぱりだったが、そんなのは彼にとって大した事ではない。


「なに、おれが手を貸してやるのだ。必ず上手くいくぞ」


 尊大に励ましてくれる大王に、アルカはくすっと笑う。


「生意気。空の飛び方も知らないくせに」

「それをなんとかするのは家臣の務めだ。捕まえるのはおれに任せておけ」

「どこからそんな自信が来るんだか。態度だけはいっぱしの王様なんですけどね」



 腹ごしらえを済まし一心地着いて、アルカは先程購入した二枚の術札アルカナを取り出した。


「さて、それじゃあ本番といきましょうか。演技アクション――【ルルスの円盤】!」


 アルカが術を発動すると、錬成コルドロンを中心に周囲へ錬成円とは違う半透明のドームが展開される。


「この術は天に浮かぶ星の位置を記録していて、〈特定の天体を探し出して強調表示してくれる〉んです。少し待っててみましょう」


 少年は部屋の中から毛布を二つ持ち出し、片方をベルに手渡す。二人は椅子を腰壁に寄せて毛布にくるまった。

 それから、ニ十分は待っただろうか。


「うゆ……結構冷えますね」

「目を逸らすな。


 刹那。星明かりが溶けるばかりだった黒夜に青白い光が灯り、空を切り裂いていった。軌跡はほんの一瞬で消え、元の暗い宙へと戻る。


「凄ーい! 本物の流れ星ですよ。ボク初めて見ました!」

「今のは前触れだ。これからどんどん続くぞ」


 ベルの言う通り、先程の一発を皮切りに流星群が始まり、星の残光がイスカンダリアの空を絶え間なく染めていく。

 アルカはしばらくその光景に見惚みほれていたが、やがて落ち着いてくると相棒への違和感が気になってきた。


「ベル、なんだか星に詳しいですよね。というか、さっき星が降る前に反応してませんでした?」

「星を読むのは昔から得意なのだ。明日の天気も狩るべき獲物も、星の動きが全て教えてくれるのだぞ」

「それって風属性の〈探知術〉……? そんな高精度なもの、大灯台の天文学者ぐらいじゃなきゃ――」


 会話をしながら流星を目で追っている内に、アルカはとある事に気付く。


「また消えた。……流れ星って一瞬で消えちゃうんですね。これじゃ空を飛んだとしても、捕まえられませんよ」

「空で待ち構えて、消える前に捕まえればいいのではないか?」

「あんな速さで飛んでる物を受け止めたら死んじゃいます。消えてしまうのは、多分流れ星が速過ぎて空中で燃え尽きてるんですよ」


 とはいえ、捕まえられないなんて結論を出す訳にはいかない。過ぎ行く星を眺めながら策を講じていると、不意にその時は訪れた。黄金に輝く一筋の流星が焼失の境界線を越え、ベランダの腰壁下へと落ちて轟音を響かせたのだ。

 アルカは「うそっ!」と叫びながら立ち上がり、大地へと吸い込まれていった星の行き先を目で追う。だが一瞬の出来事であった為に、その痕跡はもう夜の闇に飲まれた後だった。


「今、地面に落ちましたよね。もの凄い音がしましたもん。見逃しちゃったー!」

「場所なら分かるぞ。案内してやる」

「へ……本当ですか……?」

「早くしろ。星が残っているうちに急ぐぞ」


 アルカは【魔女集会の羽衣スカイクラッド】を起動し、旋風を身に纏ってベルと共に宙へと舞い上がると、露台の外へと飛び出していった。

 

 イスカンダリアを囲む城壁の近郊に広がる森は、背の高い椰子の木と低木草で構成されている。

 王都イスカンダリアを擁するケメトという国の名前は、〈黒い土〉に由来するものだ。近海へと注ぐ広大なイスカンダリア河によって堆積した黒い土が植生を育み、国土の大半が砂漠であるケメトの地に人類が居住可能なオアシスを作り出すのである。

 市街地と違って森には目印になる建物や明かりがなく、座標を把握するのが非常に難しい。


「こんなので本当に場所なんて分かるんですか?」

「大丈夫だ。この独特な感覚なら、石ころサイズでも充分探せるぞ」


 頼りになる相棒に先導してもらい、二人は深く暗い森の中へと降り立った。

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