第2話 天と地が交わる日
「おかえりなさい、師匠。朝御飯の準備しますね!」
少年は意気揚々と宣言して起き上がろうとするも、身体はぴくりとも動かせない。ジルは身体を抱いたままで、じっと顔を見つめてくる。
魔女の華奢な見た目からは想像し辛いが、彼女の腕力は常人の域を遥かに逸脱しているのだ。一度組み付かれれば、筋肉自慢の大男でも抜け出すのは難しいだろう。
「師匠……動けないですぅ……」
「ん。ああ、少年から温もりを摂取していたのだよ」
まるでそうしなければ生きられないと言わんばかりに、魔女は悪びれもせず宣いながらアルカを縫いぐるみのように抱っこして、荷物の方へと近付けてやる。少年はバインダーからカードを探り出すと、それを得意げにジルへと見せつけた。
「じゃん! 【食用黒イモリ】です。この前食べたがってたでしょう?」
「おやおや。憶えてくれていたのだね」
ジルは顔を綻ばし、少年の頭へと頬擦りをした。
「むふん。見ててください。この一年で、錬成も上手くなったんですから」
少年は背中から
「
黄金の炎が弾けると、その内側からは湯気を立てる黒い塊が厚い紙の皿に乗って姿を現した。乳白色のソースの中で黒く艶々としたイモリが絡み合い、なんともグロテスクな見た目に仕上がっている。
「どれ。味も見させてもらおうか」
魔女はアルカからフォークを受け取ると、ベッドに腰掛けたままイモリを口へと運ぶ。
食用に調整されたそれは細かい骨やクセのある内臓を排し、柔らかい皮と締まりのある肉の味を楽しめるように作られたものだ。
乳成分をベースにしたソースは生臭さを胡椒で中和してあり、少し淡白な身に乳脂肪と塩気が丁度良いバランスで旨味を添えていた。
「良い腕だ。複数の素材を混ぜ合わせる方法もすっかり身に付いたようだね」
「大灯台での仕事の合間に、毎日料理の勉強を続けていたんです。『台所は
ジルは満足そうに微笑むと、立ち上がって壁の本棚にしまっていたバインダーを開く。そこから何枚かのカードを取り出した。
「朝食は済ませたかい?」
「まだです。あ、ウルさんから【糖蜜リンゴ】を貰ったんでした」
「食べても構わないよ。クッキーとミルクもどうだね?」
「いただきます!」
魔女は自分の
「大灯台での仕事はどうだった?」
「とても勉強になりました。雑用は大変でしたけど、船の動かし方を学べましたし。何より大灯台は現代
「ふふーん、それは素晴らしい。うちの航界士達も、大半が大灯台の卒業生だからね。これで少年も、うちの航界士として働く準備は整ったという事になる」
その言葉にアルカの胸がどくんと高鳴る。今日という日まで、この瞬間をずっと待ち続けてきたのだから。
「では約束通り、最終試験を行うとしよう。この試験に合格すれば、少年は晴れて
いわば船長の側近であり、船の中でも幹部と呼ばれるポジションなのだ。
「いやったぁー!」
両手を掲げてベッドの上を転げまわる少年に、ジルはくすりと笑いを
「ふふ。喜ぶのは試験に合格してからにしたまえよ。私の試験を唯一合格した
「大丈夫です。どんな試練でも乗り越えてみせます!」
魔女は「よろしい」とアルカの覚悟を受け取ると、椅子の肘当てに両腕を乗せて指先を組み、目を細めて怪しい眼光を宿す。
「私が今日帰ってきたのには理由があってね。今晩は〈
「星の欠片……? 星を取ってくるんですか?」
「星降節の別名は〈天と地が交わる日〉。普段は天の上で回転し、決して手の届かない存在である星の幾つかが、形を持って私達の世界へとやってくるのだよ。流星には古来より様々な伝説があるが、中でも有名なのは〈願いを叶える〉という逸話だ」
流れ星に向かって三度願いを言えば、それは成就する。エヌマエリス全土でもポピュラーな御伽噺である。
「これは単なる噂だけれど、星の欠片にはどんな願いでも叶える力があるとされていてね。数多の
「
人は
そして知識を収集し、地上には存在しなかった新しい事象の設計図――すなわち
「
敬愛する師匠に期待され、アルカはふんすと鼻を鳴らして応えた。
「待っててください。必ず星の欠片を手に入れてみせます!」
◇
少年が船の外へ出てきた頃には、既に夕方へと差し掛かっていた。
ジル達が航界から戻ってくると決まって船へと足を運び、旅の話を何時間も聞かせてもらう。そうやってまだ見ぬ海の向こう側へと想いを馳せるのだ。
夢心地で歩いていたアルカの前を、道の脇にある高い石段の上から不意に飛び出してきた人影が遮る。それは少し気取った態度で少年の前に仁王立ちをし、行き先を塞いだ。
「おい。また船乗り達の所へ行ってたのか」
アルカと同じ年代の男児。白い絹を素材とした衣服を中心に身なりが整っており、一目で育ちの良さが分かる。褐色の肌と青い体毛を持ち、獣耳と鋭い双角は頭部の後方へと流線型に尖ってまるで流星だ。
「船乗りは海の向こうから災いを運んでくる疫病神だ。もう関わるなと言っただろ」
彼は尊大に腕組みをしながらアルカを叱責する。自分本位な価値観を押し付ける物言いに、少年はむっとした。
「ボクが誰と仲よくしようが、ステラには関係ないでしょ」
「馬鹿言え。あのジルとかいう女は、これまでにも大灯台の優秀な職員達を何人も引き抜いて自分の船に乗せているんだ。お爺さまはなぜかあの女に甘いが、これ以上の狼藉を見逃す訳にはいかない」
ステラ・プトレマイオス。大灯台を管理する天文学者の名門〈プトレマイオス家〉の嫡男であり、アルカとは大灯台での同期という関係だ。
そのよしみもあって、彼は少年が船乗りになろうとしているのを好ましく思ってはいなかった。
「残念でしたー。ボクはもう師匠に認められて最終試験を受ける事になりましたから。今夜流れ星の欠片を手に入れて師匠に届ければ、明日からでも船に乗せてもらえるんですぅ」
「ほう、それは良いニュースだ。なら僕が先にその欠片を手に入れて処分してしまえば、君は道を踏み外さずに済むんだな」
予想外の返答に、アルカの表情がぎょっと強張る。
「え、ちょっと――」
「君はこの僕が認めた大灯台の貴重な頭脳だ。愚かな船乗りなんぞにくれてやるつもりは毛頭ない。たとえ君に恨まれようとね」
それだけ言い残して、ステラは絹のマントを翻しながら去っていく。その背中を、少年はわなわなと怒りに震えながら見送っていた。
「くっそー!
今からでも追い縋って背中からドロップキックを見舞ってやりたい気分だったが、そんな事をしている暇はない。なにしろ今回の試験は、落ちてくる星を手に入れるなんて滅茶苦茶な内容だ。考え付く限りの準備をして臨まなければ、何もできずに朝を迎える羽目になるだろう。
「星を観測する術と……空を飛ぶ為の
アルカは階段を駆け上がり、再び中央市場へと向かう。目的は無論、店で売られているカードを手に入れる為だ。
それを
「この辺りで
黄色い屋根がトレードマークの店を目指してうきうきと近付いていくと、なにやら店の内側が騒がしい事に少年は気付いた。
「だーかーら、ドラグマ貨幣がないとものは買えないんだっての!」
店主の困惑と怒りの入り混じった声を聞いて、アルカは店舗の内側へと入っていく。そこには苔色の魔女服に身を包んだ女性の店主と、カウンターの前に立つ幼い子供の姿があった。
「ドラグマとは
幼さゆえに後ろ姿や声からは判別し辛いが、おそらくは男だろうか。子供の背中は黄金色の毛髪に覆われ、純金を梳かしたように美しく輝いている。頭上に生える立派な二又の双角も、見た目は本物の金そのものだ。脚もふわふわとした黄金の毛に丸く覆われ、腰からは小さな金の翼が生えている。
褐色の肌や獣耳に双角まではこの辺りでもよく見る特徴だが、神々しい黄金の体毛や異形の体構造は御伽噺の登場人物を眺めているような気分にさせた。
彼はその手に黄金の粒を握り、女性に差し出している。
「困ったねぇ。どこの子か知らないけど、黄金はドラグマ貨幣として形を与えられてないと
子供はどうやら
見かねたアルカは彼のそばまで近寄って顔を覗き込む。
ちらりと目が合ったその顔立ちは、幼いながらも生きた人間とは思えない程に整っており、作為的な意図さえ感じられる。まるで神が〈美しくあれ〉と願って生み落としたかのようだ。
少年は一瞬息を飲むも、勇気を出して話し掛ける。
「……何が欲しいんですか?」
「空を飛ぶ
奇しくも彼が求めているのは、アルカと同じ品だった。
「何に使うんです? どこか行きたい場所でもあるんですか」
なんとなく空を飛んでみようだなんて酔狂な人物もそうそういまい。子供に妙なシンパシーを感じたアルカは、彼が空を飛びたがる理由がどうも気になったのだ。
「星を捕まえたいのだ。今朝、星が落ちてくる夢を見たんだぞ」
数奇な運命の歯車が、一筋の星を追って噛み合う。その答えに少年の心はがこんと動いた。
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