後篇
翌朝、マリィは村の中心で磔にされていた。
足元には燃えやすい物と薪が並べられており、少し離れて村中の人が集まっている。
昨日マリィを牢獄に入れた村人の一人が、たいまつを手にしていた。あれが足元につけられたら最後、燃え盛る炎はマリィの身を瞬く間に焼いていくだろう。
昨日から水も食事も得ていないマリィの意識は朦朧としていた。力なく観衆に視線をやると、その中には彼女の両親もいた。
淡い期待を持っていたが、その表情を見てすぐに分かった。両親は汚らわしいものでも見るようで、とても実の娘を見る目ではなかった。
やがて、村長がやってきた。彼はマリィにだけ聞こえるように囁く。
「安心すると良い。あのサディロスにも既に刺客を差し向けておる。いずれあの世で会えるだろうよ」
「っ……」
マリィは自身のことよりもアルムのことで胸を痛める。
サディロスだから襲われても大丈夫かもしれない。だが、彼の口振りからすれば、あまり強くない可能性もある。
出来るものならここから逃げ出して危険が迫っていることを伝えたかった。けれど、きつく縛りつけられていて、身動き一つ取れない。
「我々の知るマリィはどこにもいない! ここにいるのはサディロスに誑かされ、変わってしまった偽物だ! この村を汚染させない為にも炎で浄化するのだ!」
村長が演説のように語り掛けると、村人達は声を上げた。熱狂の渦が辺りを包んでいる。
その様はマリィの目にはひどく不気味で悍ましいものに見えた。
「やれ」
村長が無情に命じると、たいまつを持った村人が寄ってきた。
そうして、遂に火がつけられる。あっという間に大きな炎となって燃え上がり、舌のように伸びた先がマリィを足から炙っていく。
「っ……!?」
人生で感じたことのない熱と痛みが襲い、視界が激しく瞬いた。
「あぎいぃぃいぃぃいぃぃぃ……!!」
全身から絞り出されるような叫び声が不随意的に溢れていく。それが自分の声だとは思えなかった。
マリィが苦しみ藻掻く姿を見て、村人達は誰もがケラケラと笑っていた。実の両親でさえも。サディロスという存在への侮蔑や差別を感じずにはいられなかった。
そうして、想像を絶する激痛に耐えられず、マリィの意識が途絶しかけたその瞬間だった。
「なんだあれはっ!?」
村人達が頭上を見上げて叫ぶと同時、天から無数の焔が降り注いだ。それに触れたものは人も家屋も無差別に炎上していく。
「っ……?」
気づけば、マリィの体は宙を浮いていた。村の上空でアルムに抱えられている。彼は翼もなしに飛んでいた。魔術によるものだろう。
「アル、ム……?」
「愚かな。同じ人間同士ですらこのようにいがみ合い、敵と認定した相手にはいくらでも残忍になる。人間もサディロスも、何も変わりはしない」
アルムは炎の海と化す村を見下ろしながら呟いた。
焔に触れた村人は瞬く間に全身が火に包まれ、地面に倒れて痙攣している。そこを起点として更に燃え広がっており、大半は既に黒焦げになっていた。
けれど、中には運良く逃れた者もいて、必死の形相で村の外に出ようとしていたが、アルムは俯瞰的な視点で彼らを的確に捉える。
「逃がすものか」
アルムが手を動かすと、逃げようとした村人に焔が集っていく。
「待っ、て……もう、十分なんじゃ……」
マリィは皆殺しにするのを制止しようとした。
自分が殺されかけたのだとしても、彼女にとってはこれまで長い時間を共にしてきた人々だ。話し合えば、きっと分かってくれる。そう思いたかった。
だが、アルムは容赦のない態度を示す。
「いいや、このまま村ごと焼く。人間の死体を放置していれば、サディロスの仕業ではなく、人間の仕業だと思われる可能性が高い。だが、生存者がいれば台無しだ」
もしサディロスなら、食料である人間を無駄にするようなことはしない、ということだろう。理屈としては理解できるが、心が納得できない。まだ生きている人がいるなら、助けたいと願ってしまう。それでも、マリィにアルムを止める術はなかった。
村の全てが焼き尽くされると、アルムは軽く手を振った。途端にあらゆる火がフッと消える。彼の生んだ焔によるものだから、自由に消すことも可能なのだろう。
そうして煌々と燃え盛っていた炎のヴェールが取り払われた後には、マリィが生まれてからずっと過ごしてきた場所も、触れ合ってきた人々も、今や黒焦げで無残な姿を晒しているだけだった。
アルムに抱えられたままのマリィは、いつもの花畑へと飛んできた。村の上空に滞在して誰かにその姿を見られるわけにはいかないからだろう。
そうして、紅い光の手前側にマリィは下ろされ、アルムは向こう側に降り立った。
いつの間にか焼かれていた足が回復している。彼の魔術によるものだと思う。
アルムは何も言わず、定位置となっている石の上に腰を下ろした。マリィのことなど見えていないように、そこからの景色を眺めている。先程までの惨状が嘘のように清々しい景色が広がっていた。
何か言わないと。そう思うが、まだ気持ちは落ち着いておらず、頭の中で言葉が上手く纏まらなかった。
アルムは村人達に殺されそうになっていたところを助けてくれた。命の恩人。
けれど、彼が生み出した惨状を思い出す。マリィの両親も、良く知っていた人々も、一人残らず死んだ。殺された。死ななくても良かった人だっていたはずなのに。皆の仇。
マリィはアルムに感謝すれば良いのか、憎めば良いのか、分からずにいた。その胸中はぐちゃぐちゃだ。とりあえず気になったことを問いかけることにする。
「アルム……村長が刺客を差し向けたって言ってたけど……」
「全員殺した」
アルムは無情に述べた。
これで村人が全員死んだのは決定的だった。マリィ一人を除いて。
大切な人達を失ったのは悲しい。だけど、あの時の悪魔が憑りついたような彼らの様子を思えば、複雑な心境となる。
もう、分からない。何が正しくて、何が間違っているのか。
今のマリィは自分の立っていた土台が全て崩れ落ちたような気分だった。
ただ、だからこそ、彼女は剥き出しになった唯一の想いを、言葉として紡いでいくことに決める。
「……全部、アルムの言う通りだったよ。人間とサディロスの間にどれほどの深い溝があるのか。わたし、同じ人間のことさえも、分かってなかった」
アルムは何も言わない。それでも、マリィは言葉を続ける。
「今なら分かる。誰かと分かり合うって、信じられないくらいに難しいことなんだって。人と人でもそうなんだから、在り方が違うサディロスとなんて不可能なのかもしれない……」
マリィは自分の無知を恥じ、掲げていた理想がどれだけ空虚であったかを理解した。
それはきっと、アルムの神経を逆撫でするには十分だったのだろう。
その上で、彼女は今なお残る願いを口にする。
「だけど、それでも、わたしは……人間とサディロスはいつか分かり合えるって、諦めたくないよ」
沈黙を貫いていたアルムだが、その言葉には怒りを露わにする。
「何を馬鹿なことを……あれだけの目に遭って、まだ分からないのか!? 絶対的に異なる二つの種族が交われる世界などあるものか!」
アルムは吐き捨てるように言った。けれど、それは自分に言い聞かせているように思えた。
「でも、アルムはわたしを助けてくれた。それとも、今から殺すの?」
「それは……」
途端にアルムの勢いは萎んだ。彼にとっての弱みだったことが分かる。
けれどその行いが、マリィにとっては闇を照らす篝火。それを追いかけて突き進んでいく。その先にあるものへと手を伸ばすように。
「アルムになら、いいよ。わたしは食べられても」
そう言うと、マリィは躊躇いなく紅い光の境界線を越えた。
昨日、アルムに煽られた時には恐れて出来なかったこと。
今の彼女には覚悟があった。胸の中で光り輝く想いに殉じる覚悟が。
「っ……!?」
アルムはこれまでにない動揺した姿を見せる。
今のマリィは不可侵条約を破っている。例え彼が殺し、食そうとも、罰されることはない。
けれど、彼が手を出そうとすることは、なかった。
その様子を見て、マリィは自分の考えに確信を持つ。
こうしてアルムが助けてくれた今だからこそ、思いついた一つの可能性。
「昨日、アルムに言われたことはすごくショックだった。全部わたしの思い込みだったんだって。だけど、今なら分かるよ。アルムは、わたしがこれからも人間界で暮らしていけるように、引き離そうとしてくれたんだね。サディロス側が条約を破ろうとしてることだって、言わなくても良かったはずなのに」
「っ……」
アルムは悄然とする。悪いことをして叱られた子供のように。その様も愛おしく思えた。
冷酷な言葉になっても、傷つけることになっても、これから少しでもマリィが平穏に生きていけるように。そんな彼の願いを感じることが出来た。
だからこそ、マリィは自分の考えを信じられる。
「アルムは言ったよね。在り方が違う人間とサディロスは、理解することは出来ないって。だけど、わたしはそんなことはないって思う。だって、あなたはわたしを助けてくれた。わたしの平穏を願ってくれた。わたしだってあなたが困っていたら助けたいし、幸せに生きて欲しいって思う。わたし達の間にあるこの想いは、きっと幻なんかじゃない。完璧じゃなくても、間違うことがあっても、それでも確かに分かり合えてるんだよ」
「マリィ……」
アルムは眩しいものを見るような目で、こちらを向いた。
これまでの彼の厳しい言葉は心の奥底にある願いの裏返しなのだと思える。賢く現実的だからこそ、思い描いた理想を夢物語だと否定してしまうのだろう。
「種族が違えば、どうしたって分からないこともあると思う。それでも、人間とサディロスが共に日々を過ごしていける場所があれば、お互いに理解できない部分があることも含めて、きっと理解できる。一緒に力を合わせて、支え合って、生きていける。わたしはそういう世界になることを目指して、頑張っていきたい」
それこそがマリィの願いであり、追い求める理想。
けれど、この体はあまりにか弱くて、独りではどこにも届かないかもしれない。
だからこそ、彼女は目の前に手を差し出した。
「今のわたしは知らないことだらけで、これからどうしていけば良いかも分からない。だからアルム、お願い。わたしに力を貸して。人間のことも、サディロスのことも、この世界についてもっと知りたいの。知らなきゃならないの」
「……人間界も、魔界も、知れば知るほど悍ましい光景が広がっているだろう。それだけ両種族の断絶は根が深い。その道のりは苦しむことで溢れていて、望んだ場所に辿り着ける保証だってどこにもない。それでも君は、往くと言うのか」
「うん。もう、目を背けてはいられないから」
マリィは迷わず頷いた。
その様子を見たアルムは、観念したように破顔した。彼が笑うのは初めてだった。
「分かったよ。君に手を貸そう。僕の魔術があれば、人間界でも、魔界でも、そう簡単にはバレずに動けると思う」
そう言って、アルムはマリィの手を取った。初めて触れたサディロスの手は人よりも冷ややかだった。だけど、不思議と温かさを感じることが出来た。
「ただし、一つだけ条件がある」
「教えて」
「人間とサディロスだけじゃない。あらゆる生命を慈しむ世界を目指して欲しい。他の生命を取り込むことで自身を維持しているのは分かっている。その点は人間だけじゃなく、サディロスだって変わりはしない。それでも、他の生命を冒涜し、蹂躙していくようなのは嫌なんだ。それだけが、僕の望みだ」
「もちろん。二人で一緒に考えよう。きっと見つかるよ、わたし達が諦めない限り」
マリィが満開の笑顔で言うと、アルムは再び彼女を抱えて空高く飛び立った。
眼下に見えるのは、人間界と魔界を分かつ紅い光の境界線。
それはお互いを守り、滅ぼし合わない為に存在する。けれど、その境界は既に崩れつつあるそうだ。相手側を呑み込む為に。
そうなると勝者が支配し、敗者を弾圧する世界となってしまう。
マリィが掲げる理想はそんなものではない。彼女が願うのは、互いを隔離するあの境界線がなくとも、誰も争わずに済む世界。
いずれ、そんな境界のない一つの世界で、人間とサディロスが、そして無数の生命が、共に生きていけるように。
その為に、二人は往く。蒼穹の彼方へと、ただ真っすぐに。
それから、二百年の月日が流れた。
今や人間とサディロスの関係は様変わりしており、両者が交流し、共に過ごすことが出来る都市も年々増えていっている。
その大きなきっかけとなったのが、人造肉および魔石の誕生にあった。
人造肉とは、サディロスが魔力を得る為の因子を含む形で人工的に培養した肉だ。人間とサディロスがお互いの知見を提供し合い、協力して研究開発を進めたことで誕生した。
それによって、サディロスは人間を食する必要がなくなった。味わいの調整が可能な人造肉の方が人間よりも遥かに美味であり、今や人間を食することは忌避されるようになってすらいる。
魔石とは、サディロスが己の魔力を込めて生成した特殊な石を指し示す。こちらも両種族が協力することで誕生し、従来よりも遥かに汎用性の高い形で、人間が魔力を利用できるようになった。
それは今や日常の至るところで用いられており、人間社会に欠かせない物となっている。サディロスは自分に無理のない形で魔石を生成し、商人等を介して取引を行っている。
現在では人間もサディロスも家畜や奴隷として扱うことは認められていない。お互いの種族の在り方を尊重し、可能な範囲で相手側が求めるものを提供するという、平和な関係性を築いている。
両種族が共同で取り組んでいるプロジェクトも多く、その中には自分達以外の生命を慈しむ為のものも様々にあった。
そんな関係性の始まり、人間とサディロスの架け橋となった存在として、マリィとアルムは良く知られている。
彼女達の辿った道のりは決して楽ではなかった。人間が行った残酷な所業も、サディロスが行った凄惨な所業も、様々にあった。信じた相手に裏切られ、命の危機に遭うこともあった。マリィが深い悲しみに襲われたのは一度や二度ではない。
それでもマリィは歩みを止めず、アルムはそんな彼女を支え続けた。
人間とサディロスがいきなり共に過ごすことなど出来はしない。だからこそ、適切なシステムが必要になる。
マリィは理念を掲げて仲間を募り、アルムは両種族が共生する為に必要な段階を考えて、少しずつシステムを整えていった。
彼女達は既にこの世を去っているが、二人の想いは脈々と受け継がれている。
その証としてつい先日、人間界と魔界を分かつ紅い光の境界線は、遂に取り払われたのだった。
蒼穹の彼方 吉野玄冬 @TALISKER7
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