中篇

 初めてアルムと出会った日以来、マリィは頻繁にあの花畑を訪れるようになった。

 彼はいつでもそこにいるというわけではなかったが、大抵は会うことが出来た。

 両親や村の人に怪しまれてしまうので、あまり長居するわけにはいかなかったけれど、一緒にいる間は他愛もない話をして過ごした。


「アルムはサディロスで仲の良い人はいるの?」

「いない」


「え、どうして?」

「僕達は群れることを嫌う者が多い。日々の暮らしにおいて、誰かの手助けなど必要ないからだ。大抵のことは魔術でどうにか出来る。その為、他のサディロスとは会うことすらほとんどない」


「そうなんだ……」

「もし誰かと会う機会があるとすれば、それはお互いの力を確かめ合う為だ。サディロスには己の力を誇示する習性がある。その為に熱心に体を鍛える者もいれば、魔術を磨く者もいる」


 アルムは苦々し気に言った。初めて会った時に言っていた通り、彼はそんな風に誰かと争うことを好んでいないのだろう。

 サディロスについて色々と教えてもらう代わりに、マリィは人間に関して知っていることを教えていた。村での話が多いが、時には彼女自身は行ったことのない街の話をすることもあった。


「街の方ではね、不思議な道具がたくさんあるんだって。ピカーって光って夜でも照らしてくれる物だったり、押すだけでバッて火が出る物だったり、少しだけど空を飛べる物まであるって。たまに村に来てくれる行商人のおじさんがいつも教えてくれるの」

「…………」


 それを聞いたアルムは何やら考え事をしている様子だった。

 やがて、彼は問いを投げ掛けてきた。


「マリィは……どうしてサディロスについて知りたがるんだ?」


 思わぬ問いにマリィは少し悩むが、自分の中にある考えを言葉として一つずつ紡いでいく。


「せっかく同じように生きているのに、こうして話だって出来るのに、別々に暮らすしかないっていうのは、何だか悲しいよ。そうすることでお互いが安全でいられてるっていうのは分かるけど、一緒にいても争わずにいられる方法も何かあるんじゃないかって」


 マリィはアルムとの間に垂れ下がる紅い光に手を伸ばし、その間際で止める。


「そしたらいつか、こんなものもいらなくなる日だって来るかもしれないじゃない? 人間もサディロスも、同じ世界に生きる友達として同じ場所で、同じ時間を一緒に過ごせたら良いなって思うの。ほら、わたし達のように」


 マリィはにこやかに言った。紛れもない本心だった。


「……そうか」


 その時、一瞬だがアルムの表情に影が差したような気がしたけれど、彼は頷いただけだったので何を考えているのかは分からなかった。




 アルムと出会ってから数か月が過ぎたある日のこと。

 マリィはふと、彼が食事をしている姿を見たことがないと思った。

 サディロスは人間を食べると言われている。けれど、アルムは想像していた恐ろしい存在とは随分と違っていた。それなら、人間を食べるというのも違うのかもしれない。


 もし仮に、人間を食べるのが本当だったとしても、他に美味しい食べ物を知れば、そうでない在り方も選べるはずだ。

 そう考えたマリィはその日、サンドイッチの入った籠を抱えていた。両親に隠れて用意したのだ。いつもの場所へと向かう。喜んでくれると良いな、と思いながら。


「アルム、良かったらこれ」


 彼の姿を発見すると、早速、籠を差し出した。自分が紅い光を越えてしまわない為、手前から押し出すようにして。

 彼は不可解そうにしながらも籠を開けると、表情を凍り付かせた。


「これは、何だ……?」

「サンドイッチって言うんだよ。あなたとご飯を食べたいと思って。人間もサディロスも食事が必要なのは変わらないでしょ? それなら、一緒に楽しくご飯を食べれば、きっと仲良くできると思うの」


 マリィはその考えに何の疑いも持っていなかった。

 しかし、アルムは思わぬ反応を見せる。


「ふざけるな」


 怒気のこもった声と共に、彼は籠を振り払った。中に入っていたサンドイッチがべちゃりと地面に落ちて散らばる。


「えっ……」


 マリィは呆然とする。何が起きたのか、頭が追い付かなかった。

 そんな彼女に対し、アルムは忌々しそうに言葉を浴びせてくる。


「僕達にとっての食事は、人間を食うことだ。サディロスは人間を食って己の魔力に変える。それ以外の物は食事としての一切の意味をもたらさず、そうすることでしか生きてはいけない。人とサディロスが一緒に食事だって? なら訊くが、君は目の前で同胞を食われても平気なのか?」


 その言葉はアルムも人間を食べていることを意味していた。これまでは曖昧にしてきたからこそ考えずに済んでいたものが、一気に明瞭になる。

 目の前にいる相手は人間の捕食者なのだ、と。自分と同じ種族を食して生きているのだ、と。

 そう思うと、途端に身が震え出すのを感じた。


「僕がここで君を食べないのは、不可侵条約があるからだ。それ以外に理由なんてない。友達? 馬鹿馬鹿しい。嘘だと思うなら、今すぐこちら側に踏み出してみると良い。お望み通り食ってやるよ」


 アルムは挑発するように言った。

 それが信用を得る為に必要ならやるべきだ。けれど、マリィの足は動いてくれなかった。踏み出すことも、逃げ出すことも、出来ない。

 その様子を見た彼は呆れたように告げる。


「人間とサディロスが共に生きていける世界なんて存在しない。そんな風に思えるのは、君が現実を何も知らないだけだ。不可侵条約があるにも関わらず、サディロスは生きていくことが出来ている。なぜだか分かるか?」


 マリィは怯えながらも、微かに首を横へと振った。


「それは、人間側から食料を提供されているからだ。罪を犯した人間をな。サディロス側はそうして得た人間を家畜として飼い、数を増やし、食事として僕達に供給している。君は知らずとも、人間の高い地位にある者なら誰もが知っていることだ。生贄を捧げることで、人間界の平穏は保たれている」


 それだけでも衝撃的だったが、アルムは更に驚くべき真実を述べる。


「その対価として、こちら側も僅かだが罪を犯したサディロスを提供している。君が前に言っていた街に出回っているという不思議な道具は、魔力を利用して作った物だ。本来僕達には必要のない物。それをサディロスを奴隷として酷使することで生みだしているんだよ。人が便利に生きていく為に」


 サディロスは人間を家畜として飼っており、食用にしているという話は人間として恐ろしく思う。

 けれどそれと同じくらい、人間がサディロスを奴隷にして便利な道具を生み出しているという話も恐ろしく感じられた。


「…………」


 マリィは絶句する。これまで知らずにいた世界の事情を知り、すっかり打ちのめされていた。

 そんな彼女に止めを刺すようにアルムは告げる。


「サディロスと人間が交わす言葉は、どこまでいっても打算的なものだ。自分達が利益を得る為の道具に過ぎない。生物としての在り方が違えば、相手を理解することは決して出来ないのだから」


 それは、言葉が通じるならきっと分かり合える、というマリィの希望を吹き飛ばすものだった。けれど、今の彼女はその意味をまざまざと感じさせられていた。

 人間にとっての“食事”と、サディロスにとっての“食事”は違う。きっと他にも根本的に異なっている点が多々あるのだろう。

 これまで、アルムと対話できていると思っていた。彼の言葉を理解できていると思っていた。けれど、実際はどれだけ噛み合っていたのだろうか。


「まあ、そんな関係も破綻が迫っているのだけど。人間もサディロスも今の関係性をこのまま続けていけない。お互いがお互いに求めるものは増え続ける一方なのだから。既にこの境界線は決壊寸前まで来ているんだ。相手側を支配する為に。サディロスは既に条約を破棄するタイミングを見計らっているし、人間だって同様さ。ほら、君のお望み通りだろう?」


 アルムは嘲笑うように言った。

 けれど、マリィが望んだのはそんな形ではない。もっと平和で、穏やかで、幸いに満ちたなものだった。お互いが激しく傷つけ合うような争いは望んでいない。


「僕は人間が嫌いだ。自分達以外の生命を蹂躙し、喰らい、蔓延っていく。雑食で見境なく肥え太っていく醜い存在。そんなものを僕は理解できないし、する気もない。人間は家畜として管理されるべきだ。でなければ、この美しい自然はいずれ失われてしまうよ。サディロスが自然に与える影響は限りなく少ない。どちらが支配すべきかは明らかだろう」


 その言葉には人間という種族への憎悪がこもっていた。彼の紛れもない本心だと感じられた。

 サディロスの中では変わっているというアルムですら、そう思っているのだ。そこに和解の可能性は僅かもないのかもしれない。

 両種族が平和に生き延びていくには、関わらないこと、交わらないこと、それ以外にあり得ないのだ、と。


「もう二度と僕達と関わろうと思うな。人間とサディロスが分かり合える世界なんて幻想だ。お互いに隔離されているからこその、束の間の平穏を満喫すると良いさ」


 そう吐き捨てると、アルムは飛び去ってどこかに行ってしまった。


「う、あああぁぁぁぁっ……」


 取り残されたマリィはその場に膝をつき、絶望に打ちひしがれて嗚咽する。

 友達だと思っていた相手も、夢想していた素晴らしい未来も、何もかも失われ、彼女の心には大きな穴がポッカリと佇んでいた。




 ふらふらとしながら何とか村に戻ったマリィだが、アルムに聞かされた言葉が頭の中を巡り続けていた。自宅に辿り着く頃には一つの結論が出ていた。

 もうアルムに会いに行くのはやめよう。やっぱり、サディロスと交わろうとしてはいけなかった。人間は人間と共に生きていくべき……なんだと思う。


 家に入ろうとしたところで、村人の一人が寄ってきて、「村長が呼んでいる」と伝えてきた。

 マリィは疑問に思いながらも村長の家を訪れた。年老いた彼は快く出迎えてくれて、その後、単刀直入に言う。


「お前がサディロスと話をしている姿を目撃した村人がおるのだ」


 マリィは目を瞠った。まさか見られていたなんて。

 必死に言い訳を考える中、村長は落ち着いた口調で言う。


「そのサディロスを罠に嵌めて捕えるのだ。準備はこちらで全てやろう。お前は指定の場所に誘いこんでくれるだけで良い。そうすれば、この村は救われる」


 まるで鹿や猪でも捕えるような口振りだった。村長がサディロスという存在をどう捉えているのかが表れている。


「それって……奴隷にするってこと?」

「知っておったか。なら話は早い。その通りだ。サディロスが一匹いれば、それだけで十分な利益が得られると聞く。周囲の他の村にも恩を売れることだろう。もちろんやってくれるな?」


 村長はマリィの両肩に手を置いた。裏切るような真似はしないな、と念押しされているように思えた。

 自分は人間だ。サディロスじゃない。人間の味方になることをすべきだ。

 頭ではそう思っても、心が拒絶する。アルムにあんな風に言われても、向こうが友達だと思っていなくても、それでも、マリィの胸中にある想いは変わっていなかったのだ。

 俯いていた彼女は小さな声で言う。


「……嫌」

「何? 良く聞こえんかったが」


 マリィは顔を上げると、村長の顔を見て、改めて宣言する。


「嫌っ! アルムは、わたしの友達だもんっ……友達を裏切ることなんて出来ないよっ……」

「……仕方ない。入って来い!」


 これみよがしに大きく溜息を吐いた村長が呼び込むと、別の部屋から複数の村人が現れた。どうやら拒絶することを想定していた様子だった。


「残念だが、マリィはサディロスに誑かされてしまったようだ。危険分子は処分しなくてはならない。牢獄に入れておけ。明日、処刑を行う」


 村長は冷徹な表情で告げ、村人達は粛々と従った。そこにマリィが知る彼らの優しさは微塵も感じられなかった。初めて触れる一面はただただ恐ろしかった。


「痛っ……」


 マリィは村長の家の地下にあった牢獄へと乱暴に放り込まれた。周囲は土壁で出入口は鉄格子で出来ている。とても逃げ出せそうにはない。こんな場所があったこと自体初めて知った。


「お父さん、お母さん……」


 両親が助けてくれることを願うが、先程の村長達の様子を思い出す。まるで別人のようだったが、あれこそがサディロスに関わった人間への態度なのかもしれない。

 すっかり疲弊していたマリィは崩れ落ちるように壁にもたれて座った。今日一日で受けた精神的ストレスは計り知れず、気づけばそのまま眠りに落ちていた。

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