番外編 モニタ〇ング! ~ばれるか、ばれないか~(後編)
その男は、まるで陽炎のように現れた。
その背は決して高くない。そして低くもない。中肉中背の、本当にどこにでもいるような平凡な男だった。仮装らしい仮装はしていないというのに、彼は仮装した者ばかりいる祭りの中において全く違和感がない。ただ陽炎が揺らめくが如く、その男は当たり前のようにそこにいた。
そう、彼はそういう男なのだ。彼はフォーレ侯爵が三男エドモンド。彼こそ、かつて『殺戮侯爵』と呼ばれた僕が唯一恐れた男だった。
エドモンド・フォーレ。別名『理を超越した男』――――彼は、数々の逸話を生み出した伝説の男だった。
彼の父フォーレ侯爵はこの国の侯爵達の中でも特に裕福で、彼の三男であるエドモンドにも大勢の女性が声をかけていた。その中には、あの社交界一の美女メアリー伯爵令嬢もいた。彼女はトムにダンスの誘いを断られてから一度落ち込んでいたが、すぐさま立ち直ってさらなる努力を始めたらしい。以前から国一番と言われる女性であった彼女はさらに美しさに磨きをかけ、彼女に懸想していない男は誰一人としていないとまで言わしめた。勿論、彼女は自らの美貌だけを磨いたのではない。勉学にも力を入れ頭脳を磨き、所作をさらに磨き上げ、あの『全てを呑み込む男』トム・ランベールに見向きもされなかった絶望をばねにダンスを一日に何時間も練習した。こうして彼女は全ての男の視線を吸い寄せる奇跡の女性となったのだ。人々はその恐るべき吸引力に敬意を表して、彼女のことを『恋のダイソーン』と呼ぶようになった。
そんな彼女に、エドモンドはデートに誘われた。誰もが注目する中、エドモンドの返答はこうだった。『伝説のツチノッコを探しに山に籠る予定なものですから……準備がありますので、これで失礼いたします』。彼はそう言って颯爽と去っていった。
そして次の日、彼は虫取り網を片手に一人、山へと消えていった。後に門番はその時の彼の様子を『誰よりも輝いて見えた』と語ったそうだ。
彼の逸話はこれだけではない。まだ僕が殺戮侯爵と呼ばれる前に、とある殺人事件が起きた。被害者は完全なる密室の中殺害され、容疑者全員にアリバイがあった。その上、容疑者だったはずの人物達が次々と殺害され、被害者だけが増えてゆく。止まらない悲劇。国の頭脳を担う文官達がどれだけ頭を悩ませても、一向に犯人は分からなかった。
そんな時だ、その男が現れたのは――――。
エドモンドは丁度趣味で仕上げていた論文『アフロパーマにおける理想的な毛髪の曲率と捩率ならびにその数値から導出されるアフロパーマ曲線の公式の提唱』を城に提出しに来ていた。そしてその時たまたま、この事件が起きていることを知ったらしい。彼は事件の資料にざっと目を通しただけで一瞬にして密室トリックを言い当て、犯人を見つけ出してしまった。この時より、南の隣国にいるという赤い蝶ネクタイを付けたたった一つの真実を追い求める眼鏡少年と、北の隣国にいるという髪をうなじで括ったじっちゃんの名に掛けて犯罪を解決に導く青年と並んで、エドモンドは世界三大名探偵の一人として名を連ねることになったのだった。
では何故僕がシェーファー家で殺戮を起こしたとき彼によって捕まらなかったかというと、たまたま彼が伝説のビックリフットを探しに、国中を巡る旅に出ていたからだ。これは奇跡に他ならない。もし彼が旅に出ておらず暇を持て余していたら、僕は彼に事件の真実を言い当てられて、今頃牢の中にいたことだろう。そう確信出来てしまう程、彼は驚くべき頭脳を持つ人物だった。
彼はあまりに優秀すぎるが故に、誰一人として彼の行動を理解できる者はいなかった。だからこそ皆敬意を込めて、彼を『理を超越した男』と呼ぶ。様々な修羅場をくぐってきたこの僕でさえ、彼の思考の一端さえ掴むことが出来ないのだ。恐ろしい男、エドモンド・フォーレ。『殺戮侯爵』が唯一恐怖を覚えた男。
そんな彼が、今僕達の目の前にいる。
彼の姿を見つけた瞬間、僕の全身は総毛立った。
何故ここに彼がいるのか。いや、常識を超越した彼の思考を僕如きが理解出来る訳がない。理由がどうであろうと、あのエドモンドがここにいるという事実だけが今最も重要なことだ。彼は僕達に向かってゆらゆらと歩いてくる。
「二人とも、まずいことになった」
「えぇ、お兄様、分かっております」
ひよこステラも横で小さく頷く。後ろを歩いていたルークも強張った声で返答した。
「あれは、知らぬ者はいないとまで言われる、国で一番有名な男、エドモンド・フォーレ……ただの従者だった俺でさえ知っています」
「僕と彼は爵位の関係で知り合いなんだ。このまますれ違ったら、僕達の正体がばれてしまうに違いない……!」
「どうしましょう!」
絶望に声を震わせる僕に、ステラが泣きそうになりながら小さく叫ぶ。でも、まさかエドモンドがナロウィーン祭りに来ているとは思わなかったんだ! 僕を見たら、彼は間違いなく僕に気がついてしまうだろう。
「兄上、今からでも引き返しますか」
「いや、それはあまりにも不自然すぎて逆に目を引いてしまう気がする」
「そんな、ならば一体どうすればいいというのですか⁉」
ルークとステラの混乱した様子に、僕もきつく唇を噛み締めた。
――――間違いなく、僕の人生最大の危機だった。色々なことがあった人生だったけれど、今程の絶望を感じたことはない。これ程の恐怖は初めてだった。
「お兄様……」
「兄上……」
ひよこステラと鼻眼鏡ルークの消え入りそうな声が僕の耳に届く。僕を兄と呼ぶ、二人の追い詰められた声が――――。そこで、僕ははっと正気に返った。
そうだ、僕は二人の兄なのだ。僕はきつくこぶしを握り締めた。
二人の兄である僕が怯えていてどうする。例えこれが僕の人生史上かつてない最大の危機であろうとも、僕はそれに向き合って乗り越えなければならないのだ。試練は乗り越えるためにある。僕は己を強く奮起した。
思い出せ、かつての日々を。思い出せ、『殺戮侯爵』となったあの日のことを!
血飛沫の飛び散った天井。血の海に折り重なる死体。誰もいなくなった血だらけの廊下。
そして、その先に抱きしめ合うように眠っていた、僕の愛しい弟と妹。
――――そうだ、僕が必ず守るからと誓ったではないか。
僕は静かに宣言した。
「堂々とすれ違おう」
臆することなど、何もない。
理解不能な相手に策を講じる程無意味なことは無い。如何なる予想をしようとも、彼は間違いなくそれを裏切ってくるのだから。エドモンドは常に斜め上を行く人物なのだから、無駄な足掻きはしまい。ただ堂々としていればいい。胸を張って前を向け。それに僕達はこれでも仮装をしているのだ。ステラは体の露出が一切ないし、ルークも彼の魅力を全て台無しにする最強の装備を身に着けているではないか。僕だけは少し心配だが、一応仮面は付けている。
ばれるはずはない。平民に紛れて普通に彼とすれ違えばいい。それだけだ。しかし、彼との距離が縮まるにつれて、僕は叫び出しそうなほど緊張していった。
『殺戮侯爵』になったときでさえ、オルレアン伯爵を殺したときでさえ、これ程自分の感情が昂ったことはなかった。しかし、運命の時は確実に僕達に迫って来ている。
エドモンドは歩みを止めない。僕とエドモンドは知り合い同士。確実に彼は僕の顔を覚えている。僕はごくりと喉を鳴らした。
ばれるのか、それとも、ばれないのか――――!
エドモンドは何事もなく僕の横を通り過ぎていった。風が吹いたように、彼はすっと僕の横を通る。僕はそれに歓喜した。あぁ、ばれなかった! やはり仮面をつけていたせいでエドモンドも僕に気がつかなかったということだろう。人生最大の試練を乗り越えた僕は全身の強張りを解いた。
僕が安堵のため息を零した、その時だった。
「あ、貴方は――――!」
エドモンドの声がすぐ背後から聞こえてきた。僕は彼の興奮したような声にばっと後ろを振り返る。
そこには、頬を紅潮させたエドモンドがルークの前に跪いていた。
「……え?」
「え?」
思っていたのと全く違う光景が広がっていて、僕とステラの頭が真っ白になる。ルークも完全に固まっていたが、その間にもエドモンドは潤んだ瞳でルークを見上げて叫び始めた。
「貴方は、貴方こそが私の運命の人だ――――ッ!」
「…………え?」
「美しい! 美しすぎる! 貴方の神秘的な瞳を隠す瓶底眼鏡も、すっとした鼻筋を全て台無しにする巨大鼻の模造物も、まさに奇跡! そして何よりもその髭ッ! 寸分のずれなく地面と水平方向に延びて、さらに、その髭の先は黄金曲線を描いているではないか! 美しい、美しすぎる! なんという鼻眼鏡! なんという芸術品! そして誰よりもこの鼻眼鏡が似合っている貴方は、まさに私が長年探し求めた理想の人物! 貴方こそが私の運命の人だ――――ッ!」
「……………………あの」
「あぁ、私の運命の人はこれ程身近にいたというのか! しかし、我が崇高なる野生の勘に従い、この祭りに足を運んで本当に良かった! 貴方のような人物に出会えるとは! 自然に感謝を、世界に感謝を、神羅万象全てに感謝を! あぁ、美しい! 貴方は美しい――――ッ!」
そこで大きく息をついたエドモンドは、片ひざを地面にすっと手をルークに差し出した。
「この不肖、エドモンド・フォーレ、私は貴方以外には考えられなくなってしまったようだ……あぁ、美しい人。私の運命の君、急に愛を囁かれて戸惑っておられるのですな」
先程から顔面蒼白で表情を失っているルークの顔を見て、彼は思いなおしたようだった。
「ならば、我が愛しい人よ。まずは友達からではどうだろうか…………?」
林檎のように頬を赤く染めながら、エドモンドは恥ずかしそうにしながらも期待を込めた眼差しをルークに向ける。瞳は愛に溶け、口元は緩み、周りの注目を一切気にすることなくただルークの返答を待ち続けていた。
ルークは無言で僕の方を向く。しかし僕は顔を逸らした。横を見れば一匹の巨大ひよこもそっぽを向いている。僕に助けを求めるルークの視線をひしひしと感じるが、すまない。数々の修羅場を潜り抜けてきた僕でさえもどうにもできない。無理だ。『理を超越する男』の上を行くのは、僕のような凡人では無理なんだ。一生かかっても彼を理解することはできない……。
どれ程時間が経っただろうか。エドモンドはすっと立ち上がり、一礼した。
「――――ふむ、よろしい。私の運命の君は恥ずかしがり屋さんの様だ。そんなところもまた愛いですなぁ。とりあえず、此度はこれで失礼いたしましょう。貴方に出会えた、それだけで十分なのですから。それでは、また機会があればお会いしましょう」
侯爵令息らしい美しい立ち振る舞いだった。言葉を失ってただ立ち竦んでいる僕達を置いて、彼は案外あっさりと立ち去る。
彼が僕の横を通った、その時だった。
「オスカー様、ご家族共々ご無事なようで何よりですな」
「――――――――え?」
小声で囁かれて、僕はばっと彼を振り向いた。しかしその時には、そこに彼はいなくなっていた。辺りを見回すが、僕の視界に入るのは巨大ひよこと、放心した鼻眼鏡と、突発的に開催された愛の告白劇場にざわついている野次馬達ばかりだった。陽炎のようにやってきた男は煙のように影も形もなく消え去り、もうどこにもいない。
僕は呆然と辺りを見回しながら、やがて一つ、強く決意した。
――――よし、今日という日を無かったことにしよう。
こうして、僕達はナロウィーンという日を無事に終え、穏やかな日常に戻ったのだった。しかし、この時の僕はまだ知らなかった……。
僕達の居場所を突き止めたエドモンドが『伝説の空飛ぶ城ラピュタンタンを探す冒険に共に旅立とうではないか!』と突撃してくるまで、あと一カ月。
――――次回、空飛ぶ城ラピュタンタン編、乞うご期待!
♢♢♢
参考文献
『東方澱粉録』著. エドモンド・フォーレ
『ブラックホールは存在するのか』著. エドモンド・フォーレ
♢♢♢
(終)
一旦ここで完結にいたします。また気が向いたら番外編を投稿するかもしれません。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
『殺戮侯爵』の婚約破棄 水瀬白龍 @mizusehakuryuu
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