第7話「夕ノ宮」


 あれから特に何も起きることなく三人で家の前まで戻ってきた。空を見上げてみれば丁度太陽が南中しようとしているところだった。今は昼時近くなのだろうか。この世界に来てまだ二日目だが、時間を知ろうとしたときに咄嗟に太陽の位置を見るほど時計がない生活に慣れていることに自分自身で驚いている。記憶がないと逆に適応力が高いものなのだろうか。



 「紅葉さんは、これからどうしますか?」

 昼食を食べ終え居間でのんびりしていると不意に月守がそんなことを言った。恐らくぼくの記憶や元いた世界のことだろう。

 「記憶については焦る必要ない、というより焦っても仕方ないかなって思ってる。今はこっちの世界に慣れることの方が重要かも」

 「でしたらわたし、紅葉君を夕ノ宮に連れて行きたいんですけど、三人で行きません?」

 「それはいいですね、紅葉さんはどうですか?」

 「是非とも行きたいな、かなり大きな街みたいだし」

 せっかく記憶喪失までして異世界に来たんだ、少しくらい観光しても罰は当たらないだろう。

 「それじゃあ今すぐ行きましょうよ!」




 善は急げということで早速三人で山を下りて夕ノ宮の方まで来た。実際に近くに来てみると上から見たとき以上の迫力だ。とんでもなく広い街にとんでもない数の人々で活気づいている。想像以上の盛況ぶりに圧倒されてしまう。ぼくは向こうの世界ではかなりの田舎者だったのだろうか、それとも記憶がないだけか。いや流石にこれ程栄えた街は他にないと思いたい。

 「いや、これは、もう言葉がでないな…」

 「いつ来ても人で溢れてますね」

 活気で満ちたこの街の雰囲気に冬川も高揚しているようだ。この世界の住人である冬川にとってもここまでの賑わいは珍しいものなのだろうか。

 月守はどんな様子でいるのかと思い彼女の方を見てみるが、月守は眉間にしわを寄せ困ったような弱ったような複雑な表情をしていた。

 「どうしたの、美夜?」

 「なんだか…精霊たちが、ざわついているような…」

 月守は目を閉じたままそう答える。精霊がざわつくってどういう状況なのだろうかと少し引っ掛かる。

 「それって、どういうことなんだ?」

 「はっきり何かとわかるわけではないですけど、精霊から霊気の乱れが伝わってきます…」

 「確かに霊気は少し揺らいでいるかもしれないですけど、人が多いところなら良くあることじゃ…」

 「いやこれは、私が感じ取ろうと思って拾ったものではなくて、精霊たちの方から私に伝えてくるんです…まるで何かを訴え掛けるように。こんなこと、今までありませんでした」

 ぼくの想像以上に月守と精霊の親和性は高いらしい。そして何やら思っているよりも深刻そうだ。

 「それは、何か悪いことの予兆ってことか…?」

 「詳しいことは、わかりません……」

 そうは言っても、精霊がわざわざ月守に伝えたということは何かがあるのは間違ないのだろう。


 「二人は、これからどうするの?」

 「わたしたちはマレビトなので、何か悪いことが起こるかもしれないなら見過ごすわけにはいかないですね…」

 「それに、ここは人が多いですから、もしも万が一のことが起きたら被害が大きくなってしまいます…できることなら未然に防ぎたいです」

 そのマレビトが人々を守る義務みたいなことが何なのか少し気になるが、今は後回しだ。それよりも、彼女たちは起こり得る何かを防ぐために動くつもりのようだ。ならば、

 「ぼくにも手伝わせて欲しい」

 「でも、わたしたちの事情に巻き込むわけには…」

 「先にこっちの事情に巻き込んだのはぼくの方、だからぼくを使って欲しい。それにぼくだって悪いことが起こるかもしれないのなら、それを見過ごせない」

 何より二人に借りを返す絶好の機会だ、逃すわけにはいかない。何かしらの形で二人から受けた恩に報いたい。

 「わかりました。紅葉さん、手を貸してください。せつなはどうですか?」

 「そういうことなら、わたしからもお願いします。人手は多い方がいいですから」

 そうしてこれからどうするのか決まった。ゆっくりこの街を観光するのはまたの機会までのお預けとなりそうだ。 

 「それでは、しばらくここに滞在することになりそうですし、宿を取りましょう。宿所が落ち着いたら、まずは私の力を使って情報を探します」

 



 それからぼくたちは無事に宿を取ることができた。今はこれからの細かい行動指針を決めるために月守の部屋に集合しているところだ。そして月守は午前に見せたときと同じく多彩な光を周りに漂わせていた。恐らくこの球状の光が精霊ってことなのだろう。月守が力を使っている間はぼくのような常人にも精霊が見えるようになっているようだ。

 何度見ても見飽きない神秘的な光景を眺めながらしばらく待っていると、どうやら終わったらしく、光が消えていった。

 「話を聞いてみたところ、精霊たちも何かを見たり聞いたりしたわけではないようです。ただ、良くないものを感じ取ったみたいで…」

 「何かがあるのは確かってことか」

 「次は占いの方を試してみます。場所を変えましょう」

 「ここだと都合が悪いの?」

 「美夜の占いはかなりの霊気を消費するので、美夜の霊気を感じ取って良くないものまで寄ってくるかもしれないんです」

 なるほどと納得する。まだこの世界に来て二日目のぼくはそういうところまで頭が働かなかった。さっきああ大見得を切ったはいいが本当に役に立てるのか、少し不安が残る。




 こうしてぼくたちは北雲山の麓の方まで移動してきた。夕ノ宮からは近すぎず遠すぎず丁度良い距離で、もし何かあっても他の人を巻き込まずに済みそうだ。

 「私は占いの準備をしますね。二人は周囲の警戒をお願いします」

 「紅葉君、美夜がワザを使っている間は無防備になってしまうので二人で守りますよ」

 「わかった、任せて」

 冬川にもらった刀は持ってきてある。もし何かあっても対応はできるはずだ。何より足手纏いにはなりたくない。

 「それでは、始めます」

 月守がそう言うと彼女の体が青白く光りだした。それから彼女は一枚の御札を取り出しそれを自分の胸に貼った。そして今度は胸の前で両の手を合わせる。神仏に祈るようなポーズだ。これが午前中に聞いた精霊を操るのとはまた別の力ということか。精霊を周りに漂わせ

ているときとはまた違った雰囲気だ。


 そしてしばらく経ち、月守はゆっくりと目を開く。

 「夕ノ宮にけがれた霊気が入り込みます。時間は今夜、場所は…ごめんなさい、特定はできませんでした、街の南側とだけ…」

 「ううん、今回は事前の情報がほとんど無かったし仕方ないよ。逆に美夜の力がなかったらあの状況からここまでわからなかったって」

 「せつな…ありがとう」

 どうやら何かわかったらしい。彼女の占いの力がどういうものかぼくはまだ良く理解していないのだが、随分と細かいことまでわかるようだ。

 「その、穢れた霊気っていうのは…?」

 「精霊が強い願いに宿るということは前に言いましたよね、その強い願いというのは必ずしも良いものだけではないんです。悪い願いにも精霊が宿ってしまう場合があって、そうなるとその者が得た霊気は悪意に穢されたものとなってしまいます」

 冬川にそう説明されてはっと気づく。確かに良く考えてみればそういうこともあり得るのか。

 「つまり、悪意を持った霊気を扱う人物が今夜夕ノ宮に現れるということか…」

 「そういうことですね」

 悪意を持っているということは、危険なことが起きる可能性はかなり高いだろう。しかも、今夜となるとあまり猶予はないということになる。

 「日没まではまだ時間がありますし、宿に戻って少し休みましょう。そして夜になったら三人で夕ノ宮の南側を調べてみるというのはどうでしょうか?」

 「わたしもそれが良いと思います」

 「ぼくも異議なし」

 これから夕ノ宮で何か良くないことが起きるということが改めわかったところで、三人はそのまま宿に戻ることにした。

 

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