第4話「一先ずの落ち着き」

 改めて挨拶を交わしたところでその後も二人から色々と話を聞いているうちに、空はもう茜色になりかけていた。

 「話もひとまず落ち着きましたし、そろそろ夕御飯にしませんか?」

 「そうですね、ではすぐに支度しますね」

 窓の外を見た冬川がそう言って立ち上がると月守もそれに続いた。

 「美夜の料理は絶品なんです! 紅葉君もきっと気に入りますよ」

 どうやらこの家では月守が料理を作るらしい。

 「ぼくもいただいて良いの?」

 「もちろんです、お口に合うと良いのですが」

 ここに置かせてもらうだけでなく食事まで用意してもらうのはなんだか心苦しいが今はありがたくいただくことにしよう。

 「なら、それまで少し外の空気を吸ってきてもいいかな? ここがどんな場所か目でも見てみたいし」

 「ではわたしが案内してきます!」

 「そこまで時間は掛からないと思いますので、用意ができたらお呼びしますね」




 そうして冬川に案内してもらい家の外に出てきた。周りには紅く染まった葉を身につけた木々が生い茂っている。仮とはいえど自分の名前の元となった木を見ると何かこう、心に沁みるものがある。

 「紅葉君! ちょっとこっち来てみてください」

 前方にある少し開けた場所から冬川が呼んでいる。どうやらあそこから景色が一望できるようだ。ぼくは少し急ぎ足で駆け寄る。

 「これは、すごい……」

 そこで目にしたものは、沈みかける夕日に照らされ茜色に染まっていく街だった。まるで夕日が街に溶けていくように。夕ノ宮という名前の由来がなんとなくわかったような気がする。それほど圧倒される景色だった。

 「あれが夕ノ宮? 想像以上に大きな街だ」

 「あそこはすごいですよー、いつも賑わっていて楽しいですし」

 あれだけ大きな街となれば、かなり繁栄していそうだ。是非とも訪れてみたいと思うのも自然だろう。情報収集も必要だが、純粋にこの世界で栄えてる街がどんなものなのか見てみたいというのも大きい。


 下ばかり見ていたが、ふと上の方を見てみると意外と雲が近いことに気づく。

 「それにしても、結構高いんだな、ここ」

 「そうですね、この辺りではここが一番高いです」

 「景色が良い分登り降りが大変そうだけど」

 「いえいえ、まっすぐの道があるので麓まで四半刻もかかりませんよ」

 その後も冬川は家の周りを案内してくれたり話し相手になったりしてくれた。水浴びをするのに使う水場や色々な花が咲き乱れて綺麗な場所なんかを見せてもらったが、どうやらまだまだ見所があるらしく、また後日ゆっくり見せてくれるそうだ。


 「ご飯ができましたよー」

 月守のぼくたちを呼ぶ声が聞こえてきた。色々と話しているうちに食事の用意ができたらしい。

 「ご飯!? 早く行きましょう!!」とだけ言い残し冬川は凄まじい勢いで家に戻っていってしまった。それほど月守の料理が美味いのだろうか。この世界の食べ物はどんなものだろうかと考えていると、急に空腹になってきた。そういえば記憶がないので自分が最後に食事をしたのがいつかも覚えていない。ぼくは急いで冬川の後を追うのであった。




 家に戻り二人の声が聞こえてくる部屋に入ってみれば、そこには割烹着を着た月守と既に席に着いて食べている冬川がいて、食卓には米飯に味噌汁、焼き魚と香の物と如何にも和食といった料理が並んでいた。その光景にどこか懐かしさを感じた。前にもこんなことがあったような、でも思い出せないなんだかむず痒いような感じがする。

 「すみません、せつなったらはしたなくて…紅葉さんもどうぞお掛けになってください」

 「…っ! ああ、うん」

 呆けていると、月守に声を掛けられてはっとした。慌てて席に着く。

 「好きなだけ召し上がってください」

 「それじゃあ、いただきます」

 味噌汁を一口飲んだところで全身に衝撃が走った。

 「月守さん、すごく美味しいよ! 確かにこれは絶品だ!」

 「気に入ってもらえたようでなによりです」

 食事が何時振りなのかはぼくにもわからないが、かなり腹が減っていたようで月守の料理の美味さもあり箸を動かす手が止まらない。そしてあっという間に皿の上の料理をぺろりと平らげた。




 食事を終えると、窓の外は既に夜の帳が下りていた。今は三人で温かいお茶を飲みながら食休みをしているところだ。お茶を淹れるのは冬川が得意なようだ。落ち着いてきたところで二人に聞きたいことがあったことを思い出した。

 「そういえば聞きそびれていたけど、精霊っていうのは何なの?」

 先程その単語が出てきたときは記憶がないという特殊な状況で、まだ混乱が少し残っていたためか聞き流してしまったが、良く考えると精霊とは何かという疑問が浮かんでいた。この世界では架空のものではなく実際に存在しているということだろうか。 


 「精霊というのはこの世界のあらゆる場所に存在していて、強い願いに集まってくるもののことです。そしてヒトや物に精霊が宿ると加護が与えられ、霊気という力を得るんですがその霊気によって様々な現象が起きます。と言っても、精霊についてはまだ詳しいことが解明されていないのでわたしたちも良くはわかっていないんですけどね……」

 冬川がそう答える。だから何が起きても不思議じゃないということか。精霊に霊気、どうやらこの世界ではかなり重要な要素みたいだ。もしかしたらぼくの記憶喪失と何か繋がっているかもしれない。


 「二人はその霊気とやらが扱えるのか?」

 ふと浮かんできた疑問をそのまま口にしてみた。

 「はい。それと、言い忘れていたんですけど、実はわたしたち、ヒトではないんです」

 「扱える霊気の量が増えるとヒトから『マレビト』という存在へと変わるのですが、私たち二人ともそのマレビトなんです」

 衝撃の事実が発覚した、どうやらヒト以外の存在もあるらしく、この二人がまさにそれのようだ。ようやく別の世界に来た実感が湧いてきた。

 「なるほど……それで、そのマレビトっていうのはたくさんいるのか?」

 「どうでしょうか…加護を受けている人自体少ないので」

 つまりは二人ともこの世界では希少な存在らしい。この世界は驚くことばかりでそろそろ慣れてきそうだ。


 「ヒトからマレビトになるとどうなるの? 質問ばっかりで申し訳ないけど」

 「いえいえ、お気になさらず。そうですね、マレビトになると霊気の強度や規模が大きくなって『ワザ』と呼ばれる特別な力も使えるようになります」

 「それからマレビトといえば寿命がないのも大きな特徴ですね、私たちもこう見えて九十年以上生きてるんですよ」

 どうやらこの世界はぼくが想像している以上に幻想的なところのようだ。これはいちいち驚かずに受け入れた方が良さそうだ。


 「ぼく、この世界についてまだ何も知らないみたいだ。もっと色々と話を聞きたいけど、また後でゆっくり聞かせてもらってもいいかな」

 「もちろんです! 時間は明日からもたくさんありますから」

 「今日はもうお休みになりますか? でしたらあのお部屋をそのまま好きなように使って良いですからね」

 「うん、ありがとう。二人ともおやすみなさい」



 あてがわれた部屋にて一人、布団に寝転がった。そして目を閉じて思考を巡らせる。この半日でわかったことがある。自分に関することは全く思い出せないが、逆にそれ以外は簡単に思い出せる、忘れていない。冬川が見せてくれた花や月守が作ってくれた料理の名前は見たときに思い出すことができた。文字も読めるし箸も持てる、5×6が30なのもわかる。失った記憶が自分に関することだけという考えが確信にかわっていた。

 忘れているという状態は、記憶が入っている部屋ごと消えたわけじゃない。扉の建て付けが少し悪くなっているだけだ。きっかけさえあれば簡単に思い出せる。自分に関する記憶もきっと同じだ。錠が掛かっているだけで鍵があれば扉は開く。鍵はゆっくり探していけばいいんだ。焦る必要はない。

 (大丈夫、きっとなんとかなる)

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。

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