第553話 人類滅亡の詩

かの有名なアンゴルモアの大王がでてくる詩は、

ノストラダムスの百詩篇第10巻の72番の詩である。


L'an mil neuf cent nonante neuf sept mois,

Du ciel viendra un grand Roi d'effrayeur,

Ressusciter le grand Roi d'Angolmois,

Mars regner par bonheur.


千九百九十九年七月、

空から恐怖の大王がくるだろう、

アンゴルモアの大王を復活させ、

マルスは幸いにして支配するだろう。


この解釈はさまざまに取られているが、

人類滅亡の予言として書かれたことが、

ノストラダムスの大予言がヒットする要因となってしまった。


現在の解釈でももちろんたくさんの解釈があるが、

アンゴルモアの大王については、

アングーモワ地方の大王、フランソワ1世のことを指しているというのが、

今の大方の解釈となっている。


結局恐怖の大王という言葉と、

1999年という世紀末感を合わせて、

拡大解釈された人類滅亡という話になってしまったが、

この詩の内容からは本来は人類滅亡という解釈はできない。

素直に解釈すれば、

すごい大王が出現するというような内容である。


結局大きな盛り上がりを見せたが、

実際に幸か不幸か1999年以降も地球は存続している。


緑箋もノストラダムスの大予言のような話は大好きだったので、

どこかしら1999年が最後というような印象を持って生きてきた。

本当に信じているものは少なかったが、

心のどこかに1999年に訪れる未来への不安を持っていた人はいただろう。

地球は滅亡しなかったが、

緑箋はこの世界でまた生活するようになったということは、

ある意味ノストラダムスの大予言なんかよりも、

よっぽど不思議な出来事である。


予言といえば詩というようなことはこのノストラダムスの影響が大きいが、

実際にノストラダムス以外で有名な予言詩というのはほとんどない。

現代の作品においてノストラダムスのような詩として使われるようになった。


その予言詩が今メアリーからもたらされたわけである。

緑箋は予言詩について素直に聞いてみた。


「メアリーさん、その予言詩は文字としてそのまま降りてきたのか、

それともメアリーさんがみた映像記憶のようなものを、

詩として表現されたのでしょうか?」


「あら、緑箋さん、予言についてご存じなのかしら?

緑箋さんも予言ができたりするの?」


ばっと緑箋に注目が集まる。

しかしもちろん緑箋には未来が見える能力はない。


「いえ、僕は未来が見えることはありません。

ただ友人に未来が見えた人がいるものでして。

それで気になって質問させていただきました」


「あら、そうだったんですね。

ぜひお会いしてお話ししてみたいところです。

それはおいておいて。

私のこの予言詩は私が見た映像をわかりやすく詩にしたものです」


メアリーは嬉しそうにそういった。

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