第458話 河童

さあ、ついに出てきた河童である。

日本の妖怪といえば鬼、天狗、河童と言っても過言ではないだろう。

河童が日本でこれだけ市民権を得ることになったのは、

なんと言ってもそのキャラクター性にある。


河童といえば、川や沼などの水辺に住むとされる妖怪で、

亀のような甲羅を背負い、

体は鱗に覆われて、手足には水かきがある。

顔には嘴を持っていて、

頭の上にはお皿が乗っていて、そこに水が溜まっている。

この水が無くなると力が弱ってしまうという特徴がある。

擬人化された亀という印象がある。


さらに河童はいたずら好きで、

人間を水の中に引き込もうとしたり、

馬を川に引きずり込んだりといった話の他に、

人間の子供と仲良く遊んだり、

時には、人間の子供を育てたり、

逆に河童の子供が人間に育てられたりと、

人間と近い存在として語られている。


こういったわかりやすく親しみやすい姿や性格が、

人々に愛されるようになっていったのだろう。


しかし前の世界ではこの河童の姿形は江戸時代以降に作られたものである。

しかもそれは関東地方、いわゆる都会で作られていったもので、

それが全国に広まって河童として塗り替えられてしまったのである。


元々中国で水虎、兵主神と言ったものが伝わってきて、

ひょうすべとして呼ばれたりしているものもある。

他にも河太郎、猿猴エンコウ、カワコ、などと呼ばれているような地域もある。

しかもその姿は猿やかわうそのような毛むくじゃらなものが多かった。

むしろ元々はそういった形態のものが河童だったと考えられている。


おそらく川などで出会った怪異、

例えば川で溺れた、

川で死んだ、

川で何かに襲われた、

そういう話の時に見られたものが、

猿や獺だったから、

川にいる怪しいものとして、

そういう猿のようなものに結びついて、

河童が生まれていったのだと思うが、

それが猿が珍しかった、

関東という都会で作られた亀のようなものに変わってしまったのだ。


河童が今現在、妖怪として生き残っているのは、

ある意味大衆受けするようなキャラクター性を勝ち取ったからと言えるが、

そのキャラクター性が故に、

全国各地に広がっていた独自性が失われてしまったのはなかなか難しい話である。


「河童はいたずら好きだが悪いやつじゃねえんだ。

この辺りでは人間と一緒に楽しく生活している。

河童淵には今も河童たちが静かに暮らしているし、

川が荒れた時には、私たちを助けてくれたりもしてる。

この家だって、河童たちと一緒に建てたれた家だからな。

今も河童は近くで見守ってくれてるんだ。

たまにきゅうりをとりにきたりもするしな。

町で働いている河童も多いんだ」


亀婆さんはそんな話をしてくれた。

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