第396話 道後温泉

道後温泉本館。

前の世界では、道後温泉は四国の代表的な温泉の一つで、

その歴史は古く、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)とともに、

三古湯さんことうの一つとして知られている。


道後温泉にはいくつもの伝説が残されている。

足を怪我した白鷺がお湯で怪我を治して飛び立っていったのを村人がみて、

温泉として利用するようになったというのが道後温泉の始まりとされている。


古くからの文献にも登場している。

伊予国風土記は現存していないが、

他の作品に引用された文章が残されている。

大国主命と少彦名命が伊予の旅の道中、

疲れから少彦名命が倒れてしまった。

大国主命は大分の「速見の湯」から海底を通して温泉を引いて、

小彦名命を温めたところ元気を取り戻し、

少彦名命は石の上で踊りだした。

この岩は道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られている。


大国主命と少彦名命がここにも出てきた。

ここにもというか全国各地に出てきてはいるのだが、

大洗磯前神社おおあらいいそさきじんじゃでも話したように、

もしかしたダイダラボッチとの関係も深いのかもしれない。


「代田さんは道後温泉にきた事はありますか?」


緑箋は代田に直接聞いてみた。


「昔来たことがあるような気もしますが、

建物も新しいですし、街並みも変わってますからね。

よく覚えていないのが正直なところです」


という回答であった。

昔も昔、大昔の話だから仕方がない。

他にも聖徳太子が来たとか天皇の行幸があったとか、

かなり歴史の深い場所になっている。


そんな道後温泉の象徴とも言えるのが道後温泉本館である。

この建物は前の世界と同じ建物である。

経緯は少し違うようだが、そういうものなのであろう。


前の世界でいうと道後温泉本館は戦前に建築された近代和風建築として、

重要文化遺産に指定されている建物である。


1890年(明治23年)に道後湯之町の初代町長に就任した伊佐庭如矢いさにわゆきやが、

老朽化した建物を新築することを決定した。

しかしその総工費が13万5千円。

当時の教員の初任給は8円程度だったということで、

その規模の大きさがわかるというものである。

この計画に住民の大反対運動が起きたそうだが、

伊佐庭は、


「この道後温泉が100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある。

人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる」


と説得しなんとか完成に導いた。

結果としてその建物が改修を行いながら今に生き続けて、

松山のシンボルとなっているのだから、

素晴らしい業績といえよう。


ちなみに松山城が廃城になるところを、

公園として整備して残すように嘆願したのも伊佐庭である。

松山城は今もその美しい姿を残してくれている。

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