第241話 入隊式の開始前

緑箋がちょこんと座って待っていると、

徐々に人が増え始めた。

集団でやってきているようで、一気に大勢の人が席に座っていく。

緑箋の近くを通っていく人は、

緑箋を見て少しだけ驚いたりしているようだったが、

流石に声に出してまで何か言ってくる人はいなかった。

高校や大学を出るような人が多いわけなので、

緑箋とは一回りも二回りも大きい人たちが多くいる。

中にはそれこそ筋骨隆々といった人が、

体を小さくして席に座っていた。


新入隊員の席だけではなく、

外周の観客席にも多くの人が詰めかけているようで、

どんどんと席が埋まっていっていた。

緑箋の近くの席もどんどんと人で埋まっていったが、

緑箋の隣の席の人はまだきていないようで空いていた。

緑箋は人がごった返す式場の中を見ながら、

ぼんやりと空を眺めていた。


透明な半球状の屋根が覆われていて、

外は丸見えである。

しかし外からは中が見えなかったので、

特殊な加工がされているのだと思う。

さらにいうと、透明なので太陽光に照らされて熱くなっているかと思うと、

太陽光の熱は遮断されているようで、

室内は快適な温度である。

光も抑えられているようで、

肌を焼くということもないようである。

明るさだけを取り入れながら、

外の様子も見えるという不思議な屋根だった。

緑箋は素晴らしく晴れている空を見上げながら、

時折流れる雲を見て、ぼんやりと過ごしていた。

今日が入隊日で入隊式というとても大切な時を迎えようとしていたのだが、

なんだかここに座って日向ぼっこをしているような感じになってしまい、

少し安心し切ってしまっているかのようであった。


そうやって空を眺めて時間を潰していると、

あっという間に式が開始する時間が迫ってきていた。

会場内はまだ人でごった返していたが、

ほとんどの席は人で埋まっており、

だんだんと緊張感を増してきていた。

そんな中、社交的な人たちはもうすでに隣同士で会話を始めて、

友人のように盛り上がって話をしていたりした。

本当に友人なのかもしれないが、

こういう時に社交性のある人を心底羨ましいと緑箋は思っていた。

緑箋にはもちろん社交性のしゃの字も持ち合わせてはいなかったが、

社交性を発揮しようにも、

隣の席はずっと空いたままだったので、どうしようもなかったし、

少しだけホッとしている気持ちも正直持っていた。


ほぼほぼ入隊式が開始する時刻になろうとしていたが、

やはり緑箋の隣の席は空いたままだった。

他には目立つ空席が見当たらないので、

緑箋の隣の席だけが空席のようにも感じた。

まあ突然の体調不良ということもあるだろうから仕方がない。

むしろ空いている方が緑箋にとっても好都合だと考えていた。


会場に司会から合図があり、入隊式が始まろうとしていた。

会場には緊張感が走り、ピンと張り詰めた空気が広がった。

流石にこうなると会場は静まり返った。


「お疲れ様、緑箋君」


誰もいなかった隣の席から急に囁かれて、

緑箋はこの静まり返った会場で大声を響き渡らせるところだった。

声の主は聞き覚えがありすぎる人だった。

二人は囁きながら会話を続けた。


「ちょっと何してるんですか?」


「何って入隊式に参加しにきたんだよ」


「あなたはこっちの席じゃないでしょう?」


「しっかりみんなを見るためにここから参加してるんだ」


「もう、わかりましたよ、式始まりますよ」


二人は囁き声で話すのをやめて、式が始まるのを待った。

緑箋はため息をついて、

遼香に向けて軽く会釈をした。

遼香は相変わらず眩しい満面の笑みで会釈を返してくれた。

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