第239話 入隊式の朝

入隊式当日。

緑箋は起きる予定の時刻よりも早く目が覚めた。

流石に少し緊張しているようだった。

昨日もらっておいた朝食を食べて、

制服を着て準備万端。

少し落ち着いて今日のことを確認していると、

猫高橋が迎えに来てくれた。


「おはようございます。わざわざありがとうございます」


「おはようございます。緑箋君。

昨日も言ったけど気にしないで。

これも仕事の一環だし、

私も気を抜けるし……、

あっ……緑箋君のこと適当にやってる訳じゃないからね」


「わかってます。

仕事だとしても猫高橋さんがいて心強いですよ」


「ごめんね。そう言ってもらえたら嬉しい」


「少し早いけど、行きましょうか」


二人は寮を出て歩いていく。

外は晴天である。

次元が違うというようなことを言っていたが、

外は外のようである。

もしかしたら全てが仮想空間なのかもしれないが、

緑箋にはまだその違いを感じられてはいなかった。


「今日は大勢人が来るから、

室内練習場で式が行われます」


建物の並ぶ裏には広大な敷地が広がっている。

外での大規模な訓練が行われる場所なのだろう。

そしてその一角に半円上に囲まれている巨大な建築物が建っている。


「まあ見てわかる通り、あそこが室内訓練場。

いくつか区切って使われることもあるんだけど、

今日は全部使った式典になりそうだね。

新入生は五千人だけど、関係者は数万人集まるからね。


「そんなにたくさんですか?」


「親御さんとかもくるし、

お偉いさんとか、OB OGもたくさん来るしね」


「そうなんですね」


「まあここに隊員以外の人が来るのはこういう式典だけだから、

警護や秘密保持なんかも大変なの。

まあ移動させるのはそんなに難しいことではなくなってるんだけど、

勝手に外に出られたりするのも困るからね」


そう言われてみると、

この広大な土地にいるのは緑箋と猫高橋だけである。

室内練習場に向かっている人は誰もいない。

基本的には内部に転送されるのだろう。


「僕は今日歩いて向かってもいいんですか?」


「ああ、そう思うわよね。

実は私もそう思ってるの。

転送して室内練習場に案内しようって思ってたんだけど、

昨日、遼香さんから歩いて案内して欲しいって連絡があったの」

どういう意図があるかっていうのは私には聞かないでね」


猫高橋は困ったような顔をしている。

緑箋はもっと困ったような顔をしていた。


「猫高橋さん。僕嫌な予感しかしてないんですけど」


「緑箋君。多分大丈夫だよ」


猫高橋はそう言い切って一呼吸開けた。


「って言ってあげたい気持ちでいっぱいなんだけど、

私が緑箋君に言ってあげられることは一つだけ。

頑張って」


猫高橋に悪気がないのは緑箋もよくわかっていた。

猫高橋が心底辛そうな顔をしているのは、

猫高橋もいつも困り事をされているからなのだろう。

緑箋は初日から何もないことを祈りつつ、

遼香の意図を考えないようにしながらも、

頭にはそれがよぎってしまう。


遠くに森や丘陵地隊のようなところもあるようだが、

目の前には草原が広がっているだけだった。

雑草の中には色取りの花を咲かせ、

蝶や鳥も飛んでおり、麗らかな春を感じさせている。

戦場にも春は訪れるのだ。

遼香の思惑さえなければ、きっと自然に楽しめたはずの光景を、

緑箋はしっかりと目に焼き付けた。

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