第210話 隣の部屋

遼香が部屋を出て行った後、

緑箋も部屋を出た。

そして隣の扉を叩いた。


「咲耶さんいるかな?」


「どうぞ、入り」


咲耶の返事があったので、緑箋は扉を開けた。


「今時間大丈夫かな?」


「大丈夫やで、座って」


緑箋は部屋に入って椅子に座った。

咲耶はお茶を淹れて出してくれた。

どこかで見たばかりの光景だった。


「ありがとう」


「うん。

それで決めたんやね」


咲耶には隠し事はできない。


「うん。決めたよ」


「せやな、うちもそれが一番いいと思う!

緑箋君やったら絶対に大丈夫やで!」


「咲耶さん、ありがとう」


二人はお茶を啜って間を開けた。


「ちゃんとうちに報告してくれてよかった」


そういえばそうだった。

隠れて学校を退学しても問題はなかったし、

前の緑箋なら挨拶もせずに消えていっただけだっただろう。

しかし今の緑箋にはそんな選択肢は存在していなかった。

何も考えずに、

一番最初に報告しておかなくてはならないと、

自然と咲耶の部屋の扉を叩いていた。


「それでいつまでこっちにいられそうなん?」


「詳しい日程はまだこれからだね。

四月までに返事をくれって言われたから、

多分四月の初めに合わせて入隊になるんじゃないかなあ」


手続きがどうなるのかわからないが、

きっと遼香が強引にねじ込むのだろう。

というかもしかしたらもう手続きは終わっているのかもしれない。


「なんにしても、もうあと残り少ないやんなあ。

みんなにも報告せなあかんで」


緑箋はそこは悩んでいて、

もしかしたら嫌味みたいに聞こえるかもしれないし、

自分の行く末を別にわざわざ報告することもないかとも思っていた。

とはいえやっぱり感謝の気持ちを伝えておかなくてはならないかもとは思っていた。

しかし咲耶にこう言われてしまったので、

やっぱり自分の口からしっかり説明した方がいいだろうと思い直した。


「ありがとう咲耶さん。

やっぱりそうだよね。

自分の口からみんなに報告するよ」


「絶対にその方がええで。

後から聞かされるのは嫌やからね」


「確かにそうかもしれないね。

もう少し時間はあるから、

みんなにしっかり感謝を伝えないとね」


「それにしてもすごいなあ緑箋君。

すごいすごいとは思ってたけど、

こんな風になるんやなあ。

会った時はまだ魔法初心者やったはずなのに。

あっという間に抜かれてもうたなあ」


咲耶は懐かしそう一年前のことを思い出している。

緑箋にとってこの激動の一年間は本当にあっという間だったが、

この一年間、ずっと支えてくれたのが咲耶だった。

トレーニングルームではいつも一緒に訓練を続けていて、

二人で魔法やスキルをいくつも練り上げて作り上げて行っていた。

緑箋に魔法の初歩を教えてくれたのは咲耶だったし、

ある意味魔法の師匠といえる存在でもあった。

咲耶の手解き無くしては、

今の緑箋の実力は開花していなかっただろう。


そしていつも明るく前向きな咲耶の姿が、

緑箋にも影響を与え続けてくれていて、

今の緑箋がこんなにもみんなと一緒に過ごせるようになったのは、

咲耶のおかげであるのは間違いない。

圧倒的な実力を持った咲耶が、

なぜ緑箋にこれほど良くしてくれたのかは、

緑箋には全く理解できていなかったのだが、

多分それは咲耶にも理解できないことだろう。


ただあの時、あの部屋で出会ったから。


人と人との縁なんてものはそんなものである。

この世界での緑箋は人に恵まれた。

ただそれだけかもしれない。

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