第12話 お風呂

咲耶はお風呂♪お風呂♪と嬉しそうに歌いながら、

緑箋の手を引っ張って歩いている。


そんな咲耶に手を引っ張られながら、

緑箋はお風呂の語源について考え始めた。

お湯につかるお風呂なのに、

感じにすると風の呂というのは不思議ではないか。

しかしお風呂というのは元々蒸し風呂のことで、

むろと呼ばれていたらしい。

今のサウナに近いものだ。

その熱気の空気を風と表し、

風呂となったというのが一つの説だというのを、

何かのテレビ番組で聞いた覚えがあった。


そもそも湯に入るというのは、

寺院などで身を清めることにつながっていたらしく、

日本には火山が豊富なので、

温泉が沸いていたということも大きかったのだろう。

そしてそれが庶民に広がったのは江戸時代の頃のことで、

お湯に浸かるお風呂のことを湯と読んでいたのだ。

今のお風呂という感覚とは違っていたわけだ。

もっというとお風呂は風属性ということになる。


そんなことを緑箋は考えて現実を逃避していた。

しかし咲耶は歩みを止めることなく、

お風呂と書かれた暖簾の前に到着してしまう。


「到着ー。

さ、ちゃちゃっとお風呂に入るで」


咲耶は上機嫌だ。

緑箋はあまりにも上機嫌な咲耶のペースに呆気に取られたまま、

二人はお風呂へと傾れ込む。


お風呂と呼ばれるスペースには真っ白な空間が広がっている。

床には奥へと進むように矢印が書かれている。

咲耶は緑箋の手を引いたままそのスペースを進んでいく。

熱い蒸気のような蒸し蒸しとした空間へ足を進め、

そのまま進んでいくと、

一瞬上下左右から身体中に風が吹き抜ける。


「はー気持ちよかった!」


咲耶は満足気にいうと先に進み続ける。

緑箋は後を追う。


「これがお風呂?」


「そうやで?お風呂も初めて?そんなことはないやんな?」


咲耶は上機嫌のまま質問する。


「お風呂は初めてじゃないけど、これは初めてかも」


「へーそうなんや。服も全部綺麗になるんやで。

体もリラックスするしな。

まああんまりやりすぎるとあかんみたいだから、

普通に通り抜けるだけでええんやで」


「便利だ」


緑箋は心の声が出ている。

緑箋はお風呂は嫌いではないが、

びちゃびちゃになって乾かすのがあまり得意ではなかった。

流石にお風呂に入らないということはなかったのだが、

これびちゃびちゃにもならないし、

乾かす時間も必要ないし、

しかも本当に体もリラックスしているし、

とても感動していた。

そもそも緑箋は洗濯が地球上で一番嫌いなことの一つだったから、

洗濯も一瞬で終わるというのが最高でたまらなかった。

ちなみにちなみに着ている服も持ってくれば洗濯が終わるらしい。

よっぽどのことがない限り、

穴とかも修復して新品同様になるらしい。

便利なことこの上ない。


緑箋はそんな風に感心しながら、

咲耶にお風呂に誘われた瞬間のことを記憶から追い出そうとしていた。

心のどこかに一緒にお風呂に入ろうと言われた時、

ドキドキしていた気がしているが、

よくよく考えてみると、

性欲的な思いもそれほどなくなっていると気がついた。

欲望というのは人間の行動原理においてとても大事なことだが、

この世界ではあまり欲望に支配されることがないのかもしれない。

緑箋は前の世界の記憶から色々な考え方を引きずってはいるが、

この世界の人間として生きる上で、

色々なことをアップデートする必要があるなと思い始めていた。

まあそもそもそんなことを考えなくも、

この世界の人間の本能的なものがあるわけで、

それに従って生きていかなければならないので、

なるようになるしかないとも思っていた。


緑箋はそんなことを考えていると、

咲耶が緑箋の顔を覗き込んでいることに気がついた。


「どしたん?」


咲耶はパーソナルスペースを簡単に埋めてくる。

しかしそれが気にならないのが、

咲耶の魅力なのかもしれない。


「いや、お風呂だけに風魔法なんだなと思って」


緑箋は複雑な思いを隠して、

咄嗟に言葉を繋げた。


「あはは、確かに、お風呂だもんね。

風魔法かもしれないね」


咲耶はなぜか一人思いっきり笑っている。

咲耶のツボにハマったようだ。


「緑箋君なかなかおもろいなあ」


緑箋は今まで面白さとは無縁の生活を送っていたので、

初めてそんなことを言われた。

何か新しい感情をたくさん味わっている。


そして二人はまた食堂に戻った。

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