第5話 神無月のかな子の話 その5

 西織陣の職人さんが、私の祖父だと告げたその日の夜。

 私は眠れず、二段ベットの上段で何度も寝返りをうっていました。

 下段からは、コンさんの穏やかな寝息が聞こえます。

 ふと、手が枕元のキツネのぬいぐるみに触れました。

 元々はコンさんのものでしたが、私が自分のぬいぐるみだと思い込み、結局コンさんが譲ってくれました。

 私はぬいぐるみを手繰り寄せると、抱きしめます。

「ツネジロウ、聞いて」

 ツネジロウはぬいぐるみの名前です。

「私ね、本当はパパとママの子供じゃないんだって。私の本当のお父さんとお母さんは、パパとママが殺しちゃったんだって。私、今度の誕生日で十三歳だって。コンさんとか、タマちゃんさんより年上だよ。ビックリだよね。カナコじゃない、本当の名前もあるんだって。私がカナコって気に入ってるから、カナコでいていいって言ってもらったけど」

 ぬいぐるみを抱く腕に力が入ります。

「なんにも信じられないよ。私これからどうすればいいんだろ」

 ぬいぐるみが突然喋りだして、それであれこれ助言してくれて、その通りに行動すれば全部上手くいく。

 そんな、よくあるおとぎ話のようなことがあるはずもなく、無言のぬいぐるみを抱えて眠れぬ夜は更けていった。


 コンさんやタマちゃんさんに私の身の上を話すべきか悩みながら、話すとも話さないとも決められず、ただいつも通りを精一杯演じ、数週間がたちました。

 その間に、機織り職人さん――私の祖父と、それから祖母とは数回会いました。

 遊園地に連れて行ってもらったり、レストランでご飯を食べたり、学校でリコーダーの発表会をやったときも見に来てくれました。

 祖父母は本当に優しいヒトでした。

 そして、彼らが考えていることにも薄々気付きはじめました。

 ある日曜日。この日も祖父に遊びに連れて行ってもらっていました。大阪の郊外にある山でハイキング。とっても大きな吊り橋がありました。

 私の従弟にあたる二人の男の子も一緒でした。二人共年下で、お姉さんとして頑張ろうと思いつつ、結局、お世話してもらってました。

 ああ。楽しいな。

 私は心の底からそう思えました。

 帰り道。

 窓から夕日が差す電車の中。二人の従弟は、両側から私の方にもたれかかり眠っています。

「カナコちゃん今日、楽しかった?」

 祖父が尋ね、私はうなずきます。

『まもなく、星ケ丘、星ケ丘です』

 電車は駅に止まり、ドアが開いて、閉まり、発車します。

 祖父は意を決したような表情を浮かべていました。

「カナコちゃん。もしよかったら、私たちのところで暮らさないか?」

 いつか、そう言われる日が来るだろうと思っていました。

 だけど、その時が来たら、どうするのか私は決められずにいました。

「……ごめん……なさい。ちょっと、考えさせてください」

 私の返事を聞いて、祖父は一瞬残念そうな表情を浮かべた。

「ああ、そうだね。ゆっくり、考えてくれ」


 施設に帰ってから、園長先生に今日のこと、一緒に暮らさないか? と言われたことを報告しました。

「カナコちゃん。あなたが選びなさい。何を選んでも、私は絶対にあなたの味方だから」

 先生はそう言ってくれました。

 私と血の繋がった祖父母が、私を育ててくれようとしていて、私も祖父母を気に入っていること。

 祖父母の子供――私の生みの親を殺した人間を、私が今もパパ、ママと呼び慕っているということ。

 この二つの事実が私を両側から引っ張り、身が裂かれるような気分になりました。


「カナコちゃん。なにかあった?」

 コンさんは私の髪をワシャワシャと洗いながら尋ねます。

 お風呂は部屋ごと、二人ずつ入る決まりになっています。コンさんはいつも私の髪を洗ってくれました。

「あの……ううん。大丈夫」

 私は全部話してしまおうかと思いました。

 だけど、お父さんの顔を知らず、お母さんはどこにいるかわからないと話していたコンさんに、私を引き取りたいと言ってくれたヒトが現れた話はできませんでした。

「そっか。もしなんかあったら、なんでも相談してや」

 コンさんはそういって、私の髪のシャンプーをシャワーで流しました。

「じゃあ、私、先寝るわ。あがったら、次の部屋にお風呂空いたって言っといて」

 コンさんはそう言うと、浴室を出ていきました。いつもはゆっくり入ってることが多いので珍しいです。

「あ、はい」

 私はそう言って、湯船に浸かりました。


 次の日。

 私はいつものようにコンさんと学校へむかいます。

 なんだかコンさん、朝から様子がおかしいです。なんだか口数が少ないような。ご機嫌ななめでしょうか。

 途中の交差点でタマちゃんさんと待ち合わせ。

「おはよう。あれ、コン、顔色悪くない? 大丈夫?」

 タマちゃんさんはコンさんの顔を見るなり言いました。

「うん。大丈夫。平気やで」

 コンさんは笑顔を浮かべますが、確かにちょっと、顔色が悪いように見えます。

「大丈夫ですか?」

 私も尋ねましたが、コンさんは優しい笑顔を私にむけるだけでした。

 なので、それ以上何も言えませんでした。


 その日の授業は、ほとんど何も頭に入ってきませんでした。

 私のこれからのこと。コンさんの体調のこと。

 気になることが多すぎます。

 先生がなにを言っても、すべて右から左に抜けていきました。


 午前中の授業が終わりました。

 その日は給食当番だったので、私は給食室に食缶を取りに行きます。

 その途中、廊下でコンさんに出会いました。

「あ、カナコちゃん」

 コンさんは体操服を着て、ソフトボール用のグローブを抱えていました。

「あ、コンさん。どうしたんですか?」

「さっきの時間、体育でソフトボールやったんやけど、これ一つ、ほったらかしになってたから、ちょっと体育倉庫まで片付けてくるわ」

 コンさんは朝よりも顔色が悪いように見えました。

「私が持って行きます。コンさんは教室で休んでいてください」

 私は思わずそう言いました。

 だけど、コンさんは首を横に振ります。

「ありがとう。でも、私が行ってくる。これから給食取りに行くんやろ? みんなお腹ペコペコのはずやで」

「でも、コンさんなんだか体調悪そう」

「大丈夫、大丈夫」

 コンさんはそう言い残して去っていきました。


 タマちゃんさんと、コンさんの担任の先生が私の教室にやって来たのは昼休みの中頃でした。

「カナコちゃん、コンちゃん見いひんかった? 給食の前から戻ってなくって、体調悪そうやったから」

 タマちゃんさんが焦ったように尋ねます。

「体調悪そうでしたし、早退したんじゃ……」

 私の口から出たそれは、推測ではなく願望でした。

「施設に電話したんだけど、帰ってないそうなんです。心当たりありませんか?」

 コンさんの担任の先生が困ったように言いました。

 その途端、私は気が付きました。

 最後にコンさんに会ったとき、どこへ行くと言っていたか。

 私は教室を飛び出すと、廊下を全力で走ります。

 後ろからタマちゃんさんと先生が追いかけてきます。

 息を切らせながら、やって来たのは体育倉庫でした。

「さっき……給食の前……コンさん、体育倉庫に行くって……」

 しかし、扉には南京錠がかけられていました。

「もしかして、閉じ込められているんじゃ……」

 タマちゃんが言った瞬間、私はドアを激しく、何度も何度も叩きました。

「コンさん、いますか? いたら返事をしてください!」

 しかし、返事はありません。

「コンさん、コンさん!」

 それでも私はドアを叩きます。

「とりあえず、鍵を取りにいこう」

 先生は言いました。


「体育倉庫の鍵? 坪井先生に渡しましたよ。使うとおっしゃってましたので」

「ああ。津山先生に渡しましたよ」

「林野先生が持って行きましたよ」

「へ? 私は触ってませんよ」

 体育倉庫の鍵は、行方不明だった。


 とりあえず私とタマちゃんさんと先生は体育倉庫の前に戻ってきて、もう一度ドアを叩いてみました。

 でも、やっぱり反応はありません。

「返事がないみたいだし、コンさん別のところじゃない?」

 先生はそう言いました。

 だけど私は、どうもそう思えなかったのです。

 もしも、この中にコンさんが閉じ込められていたら。もしも返事が出来ないくらい具合が悪くなっていたら。

 私の頭に、パパとママと過ごした日々が広がります。

 そう。

 忘れていました。

 あの日、お風呂でパパに教えてもらったこと。

「タマちゃんさん。私のパパとママは、泥棒で、人殺しで、とっても悪いヒトです。でも私のパパとママなんです」

 私は胸の名札を外すと、安全ピンを抜き取りました。

「へ? カナコちゃん何を……」

 タマちゃんさんは戸惑いながら私を見ています。

「私、これから悪いことをします。タマちゃんさん、私のこと、叱ってください」

 安全ピンの針の部分を半分に折ると、鍵穴に差し込みます。

『中に突起があるだろ? それを押さえるように力をかけながら回すんだ』

 パパの声が聞こえた気がします。

 そして私は、その声の通りに手を動かします。

 久しぶりなのに、感触を覚えていました。

 南京錠はパチリと開きました。

「カナコちゃん、凄い」

 タマちゃんがつぶやきます。

 私は重い扉を開けます。

 中には高跳びのマットや跳び箱、ボールなどが所せましと並んでいます。

 その中で、コンさんは倒れていました。

 体操服姿で、赤い顔をして、荒い呼吸を繰り返しています。

「コンさん!」

 私は慌てて駆け寄りました。


 数時間後。

 施設に帰っていた私は、自室で落ち着かずソワソワとしていました。

 車のエンジン音が聞こえると、私は部屋を飛び出し、玄関へとむかいます。

 園長先生に支えられながら、コンさんが病院から帰ってきました。

「コンさん!」

 私が駆け寄ると、コンさんはぎこちない笑顔をむけてくれました。

「話し、聞いたで。ありがとう」

「コンさん、大丈夫なんですか?」

「うん。ただの風邪やから、大丈夫やで。ごめんな。心配かけて」


 私とコンさんの部屋。

 二段ベットの下段。コンさんはパジャマに着替えて横になります。

「ちょっと休憩したら、別の部屋で寝るから」

 私は首を横に振りました。

「ここで寝てください。コンさん。ここは、コンさんの部屋なんですから」

「じゃあ、カナコちゃん、今日は別の部屋で寝て。風邪、うつっちゃうで」

 また私は首を横に振りました。

「私、物心ついたときから、熱を出したことないんです。丈夫みたいで。なにか欲しいものあったら言ってくださいね。貰ってきますから」

 コンさんは寝そべったまま、小さくうなずきます。

「カナコちゃん、最近、よくお出かけしてるな。どう? 楽しい?」

 おもむろにコンさんが尋ねました。

「……楽しい、です」

 私はベットの横の床にペタンと座ります。

「楽しい……。私って幸せだなって、思えるくらいです」

「そのヒト達に、一緒に暮らさないかって誘われてるんやろ?」

「知ってたんですか?」

「私も、ここに来て長いからわかるんや。ああ、この子は近いうちにここを出ていくかもしれんなって」

「まだ、決めたわけじゃなくて、悩んでいるんです。悩んで、悩んで、困ってます。私は今でもパパとママのこと、大好きだけど、あのヒト達と暮らすなら、その気持ちは捨てないといけないし」

 コンさんはしばらく考えてから、こういいました。

「そのヒト達、カナコちゃんのことなんて呼んでんの?」

「えっと、カナコちゃん、って」

「じゃあ、大丈夫じゃないかな?」

 コンさんは寝返りをうち、体制を変えました。

「カナコって名前は、タマちゃんが付けたもんで、本当は別の名前があるんやろ。生んでくれたお父さんとお母さんが付けてくれた名前」

 私はうなずく。

「カナコって名前で呼んでくれてはるってことは、今のカナコちゃんの全部、パパやママと暮らしてたことも含めて受け止めるつもりなんちゃうかな?」

「そう……でしょうか?」

「もし、そのヒト達のことが嫌いちゃうんやったら、一回一緒に暮らしてみて、しんどかったらここに帰ってきてもいいやん」

「いいん、ですか?」

「前にはそういう子もいた」

 このとき、心は決まりました。

「コンさん、冷えピタと、飲み物、貰ってきますね」

 私はそう言うと、部屋を出て職員室へむかいました。


 冷えピタとポカリスエットのペットボトルを持って部屋に戻ると、コンさんは眠っていました。

 ポカリスエットを枕元に置いてから、冷えピタを張ろうとコンさんの前髪をかきあげたときです。

「私も、優しい家族が欲しいな」

 コンさんがつぶやきました。

 話しかけられたのかと思い、私はしばらく動きを止めます。

 しかしそれは、寝言のようでした。

 私はコンさんのおでこに冷えピタをはりました。

「ありがとう。ママ」

 コンさんは寝言でそう言いました。

「コンさん。いつか必ず、いい家族に出会えますよ」

 祈るだけなら、誰にでもできます。

 それをわかっていながら、無責任な言葉をかけることしかできませんでした。


 次の日、私は園長先生に祖父母の家で暮らしたいと伝えました。

 それから、私は週に一度、祖父母の家に泊まるようになりました。

 週に一度が二度になり、三度になり、そして、施設を出て完全に祖父母の家の住人となったのです。

 当初は、施設の先生が頻繁に様子を見に来てくれていましたが、それも徐々に少なくなっていきました。

 学校も、新しい家に近いところの学校に転校しました。

 全部が全部、上手くいったわけではありません。

 祖父母と喧嘩したことも何度かあります。

 だけど、なんだかんだ、仲直りできたので施設に戻ることはありませんでした。

 コンさんやタマちゃんさんとは連絡をとり続け、時々、一緒に遊びに行きました。

 コンさんが死んでしまうまでは。

 ある夫婦に、包丁で刺されたそうです。

 お葬式では、悪夢を見ているような現実感のなさで、ただ茫然としていました。

 誰とも話したくなくて、園長先生やタマちゃんさんとも疎遠になっていきました。


 それから、三年が経った、ある夏の日。

 突然、タマちゃんさんから会わないかと連絡が来たのです。

 私は浴衣の帯を締めると、祖母におかしなところがないか見てもらいました。

「うん。大丈夫。ちゃんと着られてるよ」

 姿見の前でクルリと一回転。私もうなずきました。

「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん。行ってきます」

「うん。気を付けて、楽しんでおいで」

 私は家を出ると、地下鉄に乗り、途中の駅で京阪電車に乗り換えます。

 窓の外では、オレンジ色の夕日が街を照らしています。

 目的の駅で降りると、タマちゃんさんはホームで待ってくれていました。

 随分大人っぽくなっていて、もう女の子ではなく女性という雰囲気でした。

 だけど、タマちゃんさんだって、わかりました。

「タマちゃんさん!」

 私が手を振ると、タマちゃんさんも気付いたようで、手を振り返してくれました。

 転ばないように気をつけながら、駆け寄ります。

「久しぶり」

「お久しぶりです。タマちゃんさん、なんだか大人のヒトみたいですね」

 タマちゃんさんはちょっと照れたようにはにかみながら、私の頭を撫でます。

「カナコちゃんも、おっきくなったなぁ。背は低いままやけど」

「私の方が年上ですよ。お姉さんですよ。失礼な」

 私はわざとらしく頬を膨らませてみせました。

「そんな冗談を言えるようになったんやね」

 タマちゃんさんは嬉しそうに笑いました。


 タマちゃんさんは私の手を握ります。私も、握り返しました。

 駅を出て、歩いていくと徐々にヒトが多くなり、やがて大混雑となりました。

「ほら、離れんように手、繋いどこ。カナコちゃん」

 タマちゃんさんが私の手を握ります。

「はい!」

 私も握り返しました。しっかり、握り返しました。

 打ち上げ花火が、ヒューっと上がって、ドンっと開きました。


 花火の後、帰り道。

「あ、そや。カナコちゃん」

 思い出したようにタマちゃんさんが言いました。

「めっ! やで」

「へ? なんのことですか?」

「三年前、カナコちゃんが鍵開けてコンちゃん助けてくれたとき、悪いことするから叱ってくれ、って言ってたのに、叱ってへんだから」

「ごめんなさい。もうしません。多分」

 私たちは、冗談っぽく笑いました。

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神無月のかな子の話 千曲 春生 @chikuma_haruo

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