第4話 神無月のかな子の話 その4

 それから私は『もみじの家』でそのまま暮らすこととなりました。

 園長先生が警察や、市の児童相談所と相談して、ここで暮らせるようにしてくれたのです。

 窓の塞がれた狭い部屋以外を知らずに育ったこと。私がコンさんやタマちゃんさんと仲よくなったこと。

 そういった事情をふまえてのことだそうです。

 子供部屋は、二人で一室です。

 私はコンさんと同室になりました。

 元々、コンさんと同室だった女の子は、少し前に里親に引き取られたそうで、二段ベットの上段が空いていたのです。

 そこが、私の場所となりました。

 余談ですが、コンさんは二段ベットの上段にはめったに上りません。

 コンさんは火傷を負ってから左目が見えなくなったそうです。

 施設に来てすぐの頃、まだせまい視野に慣れていなくて、上段から落ちて怪我をしたのだそうです。

 というわけで、コンさんが下段で私は上段となったのでした。


 私はコンさんやタマちゃんさん、他の子供たちや先生に勉強を教えてもらいました。

 はじめは小学校一年生の教科書すら読めませんでしたが、すぐにひらがな、カタカナ、それから簡単な漢字は読み書きできるようになりました。

 少し文字が読めるようになると、沢山の本を読みました。

 はじめは簡単な絵本から読み始めて、徐々に分厚い本に挑戦していきました。

 そして、読書を通じてさらに言葉を覚えていったのです。

 私が施設に来たのは十月のはじめでしたが、いつしか冬になり、クリスマスのプレゼントをもらい、施設のみんなとテレビで紅白歌合戦を見ました。


 そして春。

 私は学校に通うことになりました。

 しかし、困ったことが一つあります。

 私は自分の年齢がわからないのです。

 パパとママは私の年齢も、誕生日も教えてくれなかったのです。

 だから、当時の私の学力と体格から考えて、九、十歳くらいだろうということで四年生に編入することになったのです。コンさんやタマちゃんさんの二つ下の学年です。

 ランドセルや体操服も、施設のお古を貰いました。

 ランドセルは薄紫色で、たぶん自分で色を選べる環境ならこれは選ばなかったと思います。

 だけど、背負って、鏡の前に立ってみるとそれはそれで悪くない、いや。とっても似合っている。そんな風に思うようになったのです。


 初日はとても緊張しました。

 だけど、クラスメイトのみんなは優しく私を受け入れてくれました。

 周囲が当たり前に知っていることを私だけが知らないという経験を何度も繰り返しましたが、誰もそのことを笑わず、丁寧に「これはこうなんだよ」と教えてくれました。


 夏休みの少し前のこと。

 社会科の授業の一環として、西織陣の織屋さんを見学しにいくことになったのです。

 そこでは、機械がガチャガチャと機織りをしていました。

 基本的には機械で織るが、特別高級なものは職人さんが手織りするのだそうです。

 機械を見学させてもらった後、機織り体験をさせてもらえることになりました。

 機織り機の前に座ると、職人さんがやり方を教えてくれます。

 だけど、その年老いた男性の職人さんは少し様子がおかしかったのです。

 なんども私の顔をチラチラと覗き込み、なにか言いたげな表情を浮かべるのです。

「あの、どうかしましたか?」

 たまらず私は職人さんに声をかけました。

「あの、へんなことを訊くけど、長門イチコというヒトを知らないかい?」

 それは、はじめて聞く名前でしたので、私は首を横に振ります。

「そっか。ごめんね。へんなことを訊いた」

 それから職人さんは、特別おかしなところもなく、機織りを教えてくれた。


 夕方、学校に戻る前に、担任が「トイレに行くヒトは今のうちに」と言いました。

 なので、私も用を足し、お手洗いのドアの前でさっきの職人さんに出会いました。

「あ、さっきは、ありがとう……ございます」

 私は短く挨拶しました。

「へんなこと訊いてごめんね。なかなか筋がよかったよ。将来、機織り職人を目指してみたら?」

 職人さんはそう言って立ち去ろうとします。

「あの……」

 私は、その背中に声を掛けます。

「私『もみじの家』設で暮らしてる。児童養護施設。パパとママに置いてけぼりで、自分のこと、まだまだわからないが多くて……。だから、私のこと、なにか知っているなら教えて?」

 私の頭の中は、言いたいことがぐちゃぐちゃに渦を巻き、上手く言葉を選べませんでした。

 でも、それを聞いた途端、職人さんは嬉しそうな、泣きそうな、そんな表情を浮かべていました。


 次の日は土曜日でした。

 その日、朝から来客がありました。

 そう。あの西織陣の職人さんでした。奥さんらしき女性も一緒です。

 職人さんはしばらく園長先生と話した後、私を面談室に呼びました。

「こんにちは、今日にごめんね。カナコちゃん」

 職人さんが私の名前を口にすると、園長先生は一瞬驚くような表情を浮かべました。その意味が、私にはわかりませんでした。

 私は園長先生の横の席に座ります。

「カナコちゃん。昨日、急にへんなこと尋ねてごめんね。どこから説明していいか……。とりあえず、この手紙を読んで欲しい。去年の十月に、うちのポストに入っていたんだ」

 そういってテーブルの上に置かれたのは折りたたまれた便箋でした。

 私は手に取ると、丁寧に広げ、読みはじめます。

 ところどころ、わからない漢字や言葉が出てきましたが、その都度園長先生が助けてくれました。


『突然のお手紙でごめんなさい。僕は十二年前、あなたのお子さんを殺害した、その犯人です。

 十二年前、僕は泥棒目的で妹と共に小さな呉服店に侵入しました。

 そこは、住居を兼ねた店舗でしたが、深夜だったので眠っていると思っていました。

 しかし、うっかり音を立ててしまい夫婦がおきてしまったのです。

 僕たちは見つかりました。

 夫婦は警察を呼ぼうとしたので、咄嗟に僕たちは夫婦を殺してしまいました。

 さらに、夫婦の子供、まだ首も座っていない赤ちゃんを見つけ、殺そうとしましたが、安らかに眠る赤ちゃんを見ているとどうしてもそれが出来ず、この子を連れ去ることにしたのです。

 赤ちゃんは一枚の端切れを掴んでいて、無理に離させて泣き出すと困ると思ったので、握らせたまま抱いて店を出ました。

 僕たちにつながる証拠が残ってしまってはいけないと、店には火を放ちました。

 次の日、ニュースでは夫婦とその赤ん坊が死亡したと報道されていました。赤ちゃんの遺体は見つかりませんでしたが、燃え尽きたと判断されたようです。

 僕は妹と何度も相談しました。この赤ん坊をどうするか、ということです。

 殺してしまった夫婦の親戚を見つけて赤ちゃんを預けることを考え、色々と調べていった結果、赤ちゃんの母方の祖父母、つまりあなた達にたどり着きました。

 あなたの家の前に赤ちゃんを置いていこうと思いました。

 だけど、突然怖くなったのです。

 この赤ちゃんが僕たちの元を離れると、僕たちが隠れている家の場所を、僕たちの名前を、人相を話してしまう気がしたのです。

 もちろん、生まれたばかりの赤ちゃんが言葉を話せるとは思っていません。

 でも、この子が僕たちのところに警察を連れてきてしまう気がしたのです。

 殺すことも、手放すこともできず、残された道は一つでした。

 僕と妹の二人でこの子を育てることにしました。

 手探りで、一つ一つ調べながら赤ちゃんを育てました。

 夫婦ではなく兄妹なのに赤ちゃんを連れていたら不審に思われる。赤ちゃんは表に出さないようにとても注意しました。

 赤ちゃんの名前も知っていましたが、それが警察の手がかりになってしまうといけないので、その名前で呼ばないようにしました。

 赤ちゃんが女の子に成長して言葉を話しはじめたので、色々な言葉を教えました。すると、僕たちのことをパパ、ママと呼ぶようになりました。

 成り行きで育て始めた赤ちゃんだったのに、いつしか僕も妹も、本当の子供のような愛情をこの子に覚えるようになっていました。だから、あえてパパ、ママを否定せず、むしろ両親であるかのように振る舞いました。

 しかし、事件から十二年たった最近、ついに警察が僕たちに迫ってきました。

 家の近くに知らない車が止まっていたり、外出すれば後ろをつけられたりしています。

 おそらく、近々逮捕状を持って家に踏み込んでくるでしょう。

 僕たちは逃げることにしました。

 だけど、子供を連れて行くことはできません。

 必ず、足手まといになります。

 だから、この子はあなたにお返しします。

「もみじの家」という児童養護施設の前で待つように言いました。目印に、この子をはじめに連れ去ったときに握っていた端切れを持たせてあります。

 どうか、この子を幸せにしてあげてください』


 恐らく、施設に来たばかりの頃の私でしたら、この手紙の内容を理解できなかったでしょう。

 だけど、このときの私は、理解できてしまいました。

 パパとママが、ヒトを殺めたこと、罪を犯したことを知っていました。

 だけど、心のどこかで信じられない、きっとなにかやむを得ない事情があったんだ。そんな風に思っていました。

 だって、私の記憶にあるパパとママは、優しくて、大好きで、とっても優しかったのですから。

 なのに、この手紙の内容は、あまりにも身勝手で、我儘でした。

「……ごめん……なさい」

 私はなんとか、その一言を絞り出しました。

「パパと、ママが、いっぱい悪いことして、ごめん、なさい」

 しばらくの間、部屋の中には時計の針の音だけが響きます。

「事件直後。遺体の見つからなかった赤ちゃんは実は生きている。そんな手紙や電話も何軒かあったんだ」

 沈黙を破ったのは、職人さんでした。

「はじめは、真面目に取り合っていたが、全て、いたずらや勘違いだった。だから、この手紙がポストに入っていた時も、久しぶりに来たな、くらいにしか思わなくて、デマだと思い込んでいた」

 職人さんは一度、深呼吸します。

「だけど昨日、カナコちゃんに会って、びっくりした。カナコちゃんは、イチコ……事件で殺された私の娘の、幼い頃にそっくりだったから。そして『もみじの家』で暮らしていると聞いて、確信したよ。カナコちゃん、君は、イチコの子供、私たちの孫だ」

 職人さんはまっすぐに私を見て言いました。

「カナコちゃん。これからも、時々会いに来ていいかな?」

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