第3話 神無月のかな子の話 その3

 翌朝。

 私は二段ベットの下段で目を覚ましました。

 当時は時計が読めなかったので正確な時間はわかりませんが、早朝だったようです。

 ここはどこだろう。なぜ、こんなとこにるのだろう。

 しばらく考えて、思い出しました。

 パパとママに車に乗せられ、この施設の前に置き去りにされたこと。

 制服を着た警察官が来て、パパの言いつけ通り隠れようと、コンさんの部屋に飛び込み、そのまま眠ってしまったこと。

「パパ。ママ。私、いい子?」

 カーテンの隙間から朝日が差し込みました。

 昨日は気が付きませんでしたが、枕元にキツネのぬいぐるみが置いてありました。

 それは、かつて私の部屋にあったものと同じものです。

 この施設は伏見稲荷大社の近所で、ぬいぐるみはそこのお土産物らしいのですが、当時の私は知る由もありません。

 自分の部屋に置いてきたぬいぐるみが会いに来てくれた。

 私はそう思ったのでした。

「ツネジロウ!」

 私は叫ぶなりぬいぐるみに抱き着きました。ツネジロウ。それは、パパがキツネのぬいぐるみにつけてくれた名前です。

「……どうしたん?」

 コンさんの眠そうな声が聞こえました。

 目をむけると、コンさんが眠そうに右目をこすっていました。

 ベットの横に布団を敷いて眠っていたようです。

「ツネジロウ。来た。来たよ!」

 私はぬいぐるみを抱きかかえながら、ベットの上でピョンピョン飛び跳ねました。

 コンさんは少し考えた後、布団の上に足を伸ばして座り、膝をポンポンと叩きます。ここに座って、という意味です。

 私はぬいぐるみを抱えたままコンさんの膝の上に座ります。

「ねえ、あなたとツネジロウくんのお話し、聞かせてもらっていい?」

 コンさんは穏やかな口調で言いました。

「えっと、あのね――」

 私はコンさんに話しはじめました。

 窓のない部屋にいたこと。

 そこには沢山のお友達ぬいぐるみがいたこと。

 パパとママはお友達には名前をつけてくれたけど、私には名前をくれなかったこと。

 ある日、突然目隠しされて、施設の前に置き去りにされたこと。

 だけどツネジロウはついて来てくれたこと。

 当時の私はパパ、ママ以外とほとんど話したことが無かったせいで、話しはとても長くなりました。だけどコンさんは、ずっと真剣に聞いてくれました。

「なあ、そのお話し、園長先生にもしてくれる?」

 コンさんはそう言った後「私もついて行ったげるから」と付け加えました。


 朝ご飯はみんなで一緒に食べる決まりです。

 だけどこの日、私はコンさんと園長先生。三人で別室で朝食をとりました。

 あ、そうだ。この時もツネジロウ(と、思い込んでいたぬいぐるみ)を抱いていました。

 ご飯を食べながら私はさっきコンさんに話したことをもう一度話しました。

 ぬいぐるみを汚してしまいましたが、コンさんはまるで気にする様子無く、私の口の周りを拭いてくれました。


 コンさんが背負って学校に行った後、私は園長先生の部屋ですごしました。

 しばらくすると、二人の男のヒトがやってきて、私に色々なことを尋ねました。

 多分あれは警察だったのだと思います。

 朝食の時、警察を見たら隠れるようにパパに教えられたことを話したからなのか、それとも単純に制服を着ない部署のヒトなのか、二人共スーツ姿でした。

 みんなが学校へ行っている時間でも、幼稚園以下の年の子や、学校に馴染めずお休みしている子など、数人の子供は施設に残っていました。

 先生はその子たちに私を紹介してくれました。

 みんな、すんなりと私を受け入れてくれたのです。

 ここでは、誰かがやって来ることも、誰かが出ていくことも、日常なのです。


「カナコ。カナコにしよう」

 夕方、コンさんと一緒に施設にやって来たタマちゃんさんは私を見るなりそう言いました。

「カナコ?」

 私は首をかしげます。

「うん。名前ないんやろ? じゃあ、カナコでええやん。十月は神無月っていうし、神無月のカナコ。ええやろ」

 タマちゃんさんは得意げにいいました。

 このとき十月だったのです。だから神無月のカナコ。タマちゃんさんは安直です。

 私は何度か口の中で「カナコ」とつぶやき、うなずきました。

「カナコ。私、名前、カナコ」

 私はキツネのぬいぐるみをギュってして、そう言いました。多分、笑顔だったと思います。

 そのときです、ふと声が聞こえました。

 それは、共用スペースの隅っこに置かれたテレビの音声でした。ニュース番組です。

 さっきまでまるでその音声を気にしていなかったのに、突然、引っ張られるように意識がそちらにむきました。

 アナウンサーが、淡々と原稿を読み上げます。


『昨夜遅く、パトカーが追跡していた自動車がガードレールを突き破り崖下に転落、運転していた男性と、助手席の女性が死亡しました。

 死亡した二人は十一年前の強盗殺人事件の容疑者として指名手配されており、人相が似ているとのことで警官が職務質問を行ったところ、車で逃走した為、パトカーで追跡したところ、崖から転落したとのことです。

 死亡したのは(パパの名前)容疑者とその妹の(ママの名前)容疑者で、ともに十一年前に京都市内でおきた強盗殺人事件の容疑者として、全国指名手配されていました』


 テレビの画面に映し出されたのは、私が知っているよりもずっと若い、だけど絶対に間違いない、パパとママの顔でした。

「パパ! ママ!」

 私は片手でぬいぐるみを抱えてテレビの前まで走っていくと、何度も叫びました。

「カナコのパパとママ。見て。いるよ!」

 私はニュースの内容を理解していませんでした。

 だから、パパとママの顔が見られたことが嬉しくて、パパとママを紹介したくて、テレビを空いている方の手で指差しながらコンさんとタマちゃんを見ました。

 そのときの二人は、とても驚いたような顔をしていました。

「コンちゃんこれって……」

 タマちゃんさんはコンさんを見ます。

「どうしたの?」

 私は二人の様子がおかしいことに気付き、首をかしげました。

 コンさんはゆっくりと近付いてくると、私を抱きしめました。

「ねえ、どうしたの?」

 コンさんは無言で、ただ私を抱いていました。

「パパとママ。死んじゃったんだって」

 コンさんはまるで自分のことのように、悲しそうに言いました。

「死んじゃうって、なに?」

 コンさんは答えず、私を抱く腕に力を入れます。

 その体温が伝わってくると、なぜか段々と悲しくなってきたのです。

 繰り返しになりますが、私はニュースの内容を理解していませんでした。

 なのに。なぜか。どうしてだか。


 私は、涙を流しました。


「痛くないよ。怪我、してないよ」

 私は自分の涙に戸惑い、抱えていたキツネのぬいぐるみを床に落としました。

『次のニュースです』

 アナウンサーは淡々と、原稿を読み進めていました。

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