第2話 神無月のかな子の話 その2

 どのくらい、その場にいたでしょうか。

 いつしか疲れ果てた私は、その場に膝を抱えて座り込んでいました。

 日は暮れ、周囲は真っ暗になっていました。

 長く降り続く雨が、冷たくて、寒かった。

 ひたすら地面を見つめながら、どんな形でもいい、とにかくこの状況がどうにかなってほしいと願うしかなかった。

 そのときです。

「どうしたん? 大丈夫?」

 突然、声をかけられました。

 顔を上げると、そこには二人の女の子が立っていました。

 二人のうち、一人は顔に大きな痣がありました。

「大丈夫? どしたん?」

 痣の女の子は私に傘をかけながら、優しい口調で話しかけてくれました。

「パパ……ママ……」

 私はこれまで、パパとママ以外の人間を見たことがありませんでした。

 だから、咄嗟に出た言葉はそんなものでした。

「はぐれちゃった?」

 痣の女の子が優しく声をかけます。私は小さくうなずきました。

「そっか。私、コンっていうねん。それで、こっちがタマちゃん」

 痣の女の子の名前はコン。そして、その横にいた女の子はタマちゃんという名前のようでした。

「私の家、そこやねんけど入らへん? 寒いやろ」

 コンさんが指差します。

「家?」

 私はその瞬間まで知りませんでした。

 私が置き去りにされた場所。そこは『もみじの家』という、児童養護施設の前だったのです。

「パパと、ママ。ここにいろ。言った」

 私は小さくそう言いました。

「大丈夫。パパとママが来たら、すぐにわかるから。な?」

 こうして私は『もみじの家』へと連れて行かれたのでした。


 痣の女の子が先生に事情を説明し、私は女の先生と医務室に入りました。

 後に知ることですが、その先生はここの園長でした。

 先生に服を脱がされ、体に痣や傷がないか、耳垢は溜まっていないか、爪は伸びていないかなどを調べられ、そして、新しい服を貰いました。

 私はこれまで、大人用のTシャツ一枚で過ごしてきましたので、下着も、ズボンも、身に着け方がわからず、しかも、パパにもらった端切れをずっと握りしめていたので上手く着替えられず、結局先生に手伝ってもらいました。

「お名前、なんていうの?」

「……ない」

「わかんないの?」

「名前。持ってない」

 私は物心ついたときから、名前で呼ばれたことはありませんでした。

「じゃあ、なんて呼ばれてたの?」

「いい子。私はいい子。いい子でいると、パパもママもほめてくれる」

 先生は短く「……そう」と言いました。

 それから私は、色々なことを訊かれました。

 どこから来たのか? パパとママの名前は? お家の場所は? どうしてあの場所にいたの?

 しかし、私にはその大半を「知らない」「わからない」と答えることしかできませんでした。

 端切れも見せて欲しいと言われたので渡しましたが、手がかりがなかったようで、すぐに返してもらいました。

 そのとき、医務室のドアがノックされ、制服を着た二人の警察官が入ってきました。一人は男性で、もう一人は女性だったと思います。

「あ、お巡りさん来てくれたよ:

 先生が言いました。

 その時、私の脳裏にルールの二つ目が浮かびました。


『けいさつかん』とか『おまわりさん』とか呼ばれている青い服のヒトが来たときは必ず隠れる。


 私は、咄嗟に医務室を飛び出しました。

 廊下を一心不乱に走り、目についた部屋に飛び込みました。

 その部屋は、床にカーペットが敷かれ、机や小さな本棚、二段ベットがありました。

 そして、コンさんとタマちゃんさんがいたのです。

「お、いらっしゃい」

 タマちゃんさんは軽い調子で言いました。

「どしたん?」

 コンさんは穏やかな調子で声をかけてくれました。

 しかし、私はそれどころではありません。

 急いで部屋を見渡すと、二段ベットの下段に飛び込み、頭から掛け布団をかぶりました。

「どしたん?」

 もう一度、コンさんの声が聞こえました。

「お巡りさんを見たら隠れなさい。ルール。言ってた。守らないと、とっても恐い」

 布団にくるまり、私は震えて泣いていました。

 隠れなきゃいけないということはお巡りさんは恐いものだと信じていたのです。もっと単純に、言いつけを守らないとパパに怒られるという思いもありました。

「さっきの女の子、来なかった?」

 先生の慌てたような声がします。

「いえ。来てません」

 コンさんははっきりと、そう言いました。

「へ?」

「へ?」

 きっと、先生もタマちゃんさんも、キョトンとした表情を浮かべていたことでしょう。

「いや、コンちゃん。布団盛り上がってるし、お尻見えてるし」

 先生は戸惑いながら言いました。

 タマちゃんさんが息を整えます。

「先生、ちょっと廊下で話しましょう」

 タマちゃんさんのその声の後、部屋は静かになりました。

「もうええで」

 掛け布団が剥ぎ取られます。

 コンさんでした。

「なんか、えらいワケありみたいやな」

 コンさんはベットに腰かけます。

「パパとママのこと、大好き?」

 コンさんが尋ねます。

「大好き」

「じゃあ、また会えるといいなぁ」

 コンさんは私の体を抱き寄せて膝枕をすると、優しく髪を撫でてくれました。

「パパ……ママ……」

 私は端切れを握りしめながら、いつしか眠ってしまいました。


 これは後から知ることなのですが、タマちゃんさんはこの施設に住んでいるわけではありませんが、コンさんと仲が良く、毎日のように遊びに来ていたのでした。

 この日も、遊びに来ていて、帰ろうとしたところで私を見つけたそうです。コンさんはお見送りをするつもりであの場にいたそうです。

 そして、施設の先生が警察に通報し、タマちゃんさんも第一発見者として状況を話さなければいけないので、帰れなくなり、コンさんの部屋にいたのです。

 その事を知り何度もタマちゃんさんに謝りましたが、タマちゃんさんは「施設で晩ご飯を食べて帰れたからラッキーやった」と笑っていました。

 この施設のお料理担当のおばさんはとっても上手で、コンさんもそのヒトにお料理を習っていました。

 まあ、とにかく。これがパパとママとの別れ、そして、コンさんやタマちゃんさんとの出会いの経緯です。

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