神無月のかな子の話

千曲 春生

第1話 神無月のかな子の話 その1

 私は、今でもパパとママのことを「パパ」「ママ」と呼んでいます。

 だけど、私の身の上をある程度知っているヒトがそのことを知れば、大抵「あんな人間を両親と思うな」と私をたしなめるか、あるいは憐れむかのどちらかです。

 どちらの反応も、あまり愉快ではないので、私はパパとママの話しはよほど信頼できる相手にしかしないようにしています。


 物心ついたとき、私は六畳ほどの広さの部屋にいました。

 後から知ることですが、そこはある一軒家の二階でした。

 部屋には沢山のぬいぐるみがあり、毎日、起きてから眠るまでのほとんどの時間、彼らと遊びました。『くりすます』という日になると、パパは新しいぬいぐるみを一人、連れてきてくれました。

 今となっては、一年という概念も、クリスマスの風習も理解していますが、当時はそんな認識でした。

 服はいつも、パパやママのお古のTシャツを着ていました。その一枚だけで下着もボトムスも身に付けていませんでしたが、大きくて下半身まで隠れるので、そんなものなんだと思っていました。

 家には二つ、ルールがありました。

 一つ、決して大きな声を出さないこと。

 そのルールを破ったことは、何度かありました。そのときだけ、パパとママは普段とはまるで別人のように、恐い顔で私を叱るのです。

 だけど、言い換えれば、このルールさえ守っていれば、二人ともとっても優しかったのです。

 もう一つのルールは、『けいさつかん』とか『おまわりさん』とか呼ばれている青い服のヒトが来たときは必ず隠れる、というものでした。

 これの意味は、後で知ることになります。

 私が過ごした部屋の窓は、全て木の板でふさがれていて、外の様子は全く分かりませんでした。

 扉にはいつも外側から鍵がかけられていて、お手洗いに行くときと、一日一度のお風呂のときだけ、内側から声をかけて、パパかママのどちらかに鍵を開けてもらいます。

 私の周囲を取り巻く環境と、絵本の世界のズレには気付いていました。だけど、絵本の世界は作り物だから。そう思って納得していました。

 お風呂はパパかママと一緒に入ります。

 湯船の中で、パパやママが色々な話しをしてくれました。

 パパとママがその日に見聞きしたもの。思い付きだけで進むおとぎ話、そして、鍵をヘアピンや針金で開ける方法。これはお風呂に南京錠を持ち込んで、実際にやらせてもらいました。実は今でも出来るのですが、秘密にしています。

 パパも、ママも、私のことを『いい子』と呼んでいました。

「お前はいい子だ」「あなたはいい子ね」

 パパとママの声は、今でも思い出されます。

 今でも、ネットで調べれば、パパとママのことが出てきます。酷い犯罪者として。

 それは、間違いではありません。

 パパとママが、私の両親の仇であることも事実です。

 だけど、私はパパとママのいた日々に幸せを感じていました。

 決して口には出せませんが、私は、パパとママが大好きでした。

 だけど、その幸せはあまりにも歪で、脆く、簡単に崩れてしまうのでした。


 ある時から、パパとママの様子がおかしくなりました。

 私にしつこく、大きな音をたてないようにと言うようになったのです。

 お手洗いも、お風呂も、できるだけ静かに、短時間で済ませるように言われました。

 それまでは毎日三食、必ず食べさせてもらえていたご飯も、ときどきもらえない日がありました。

 そして、その日がやってきたのです。

 お出かけに行くと言われました。

 目隠しされ、揺れる箱に乗せられました。生まれてはじめて自動車に乗った私には、それが自動車であることすら理解できませんでした。

「なにがあったの?」

 尋ねても、返事はエンジンの音だけ。

 やがて、車は止まり、目隠しを外して、降ろされました。

 パパとママは降りてきません。

 雨が降っていました。

「パパ、シャワーだ。シャワーだよ」

 私はそういいながら、服を脱ごうとしました。

「服は脱がなくていいんだよ。これはシャワーじゃなくて、雨だから」

 パパはそう言うと、私に何かを渡しました。

 それは、ハンカチほどの大きさの端切れでした。すべすべでとても肌触りがいいというのが印象です。

「それを持って、ここにいなさい。そうすれば、全部上手くいくから」

 パパはそう言って、車のドアを閉めました。

「本当にごめんなさい。★※$」

 ドアが閉まりきる直前、ママが言いました。だけど、最後の部分は雨音にかき消されて上手く聞き取れませんでした。何だったのか、今となっては確かめようもありません。

 状況がつかめず、ただ茫然と立ち尽くす私を置き去りに、車は走り去ります。

「パパ? ママ?」

 その場でグルグル回りながら、何度もつぶやくように言いました。

 大きな声を出してはいけない。ずっとそう言われ続けて育った私は、こんな時にも大声を出すことが出来ませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る