第7話 どめすてぃっくばいおれんす婆ですわよ

 コツコツとドアをノックする音で、ヒュルケは瞳を開けた。


 見慣れない質素な家具に、ここはどこだろうと一瞬考えて、ああ、白雪姫の物語の小人の家かと思い出した。


 再びドアをノックする音が響いたが、ヒュルケは応対するのが面倒だったので、居留守をすることにした。が、ドアを叩いている相手が怒りを込めて強く何度もドアを叩いて止めないので、うんざりしてベッドから脚を下ろした。


——エルディは留守なのかしら?


 辺りを見回してみたが、彼の姿は見当たらず、ヒュルケは仕方なくドアを開けた。


「物売りですが、何かお買いになりませんかね? 良い品がございますよ」


 やせ細った長い指で揉み手をしながら、老婆が嬉しそうにヒュルケに声を掛けた。


「ふぅん? 私の目に適う物をお持ちなのかしら?」


ツンと片眉を吊り上げてヒュルケが言うと、老婆は「これなど如何でしょう?」と、絹糸で編んだ紐を見せた。


「……なにかしら、汚い紐ね」

「汚……!?」

「他に何か良い品は無いの? 私、大粒の宝石にしか興味が無くってよ?」


大富豪サルメライネン公爵家のご令嬢であるヒュルケにとって、老婆が持ってきた品はどれも粗末でしかない。ヒュルケは鼻で笑うと、小ばかにして老婆を見下ろした。


「とんだ行商ですわね。お話にならなくってよ?」

「そ……それはどうも失礼を。ではこの紐はプレゼントいたしましょう」

「要らないわ。汚いもの」

「お嬢さん、人の親切は受け取るものじゃよ?」

「大きなお世話よ。貴方にとっては親切でも、私にとっては迷惑なんですもの」

「いいから受け取れ!!」


老婆が突然ヒュルケに飛び掛かると、彼女の白く細い首に絹紐を巻き付けて、ぎゅっと強く締め上げた。


「ぐえ……」


老婆はヒュルケが苦し気に倒れたのを見つめ、ほくそ笑んだ。が、むくりと起き上がったヒュルケに驚き、目が飛び出しそうな程に驚いた。


「む、ぬ……ぬ……お!!」


 ヒュルケが力いっぱい首の筋肉を膨張させると、パァン!! という音と共に絹糸が千切れて弾け飛び、憤然としながらまくし立てた。


「一体何ですの!? ビックリさせないで頂けないかしら!?」

「ビックリですまんはずじゃが!?」


老婆は瞳をまん丸にひん剥いてヒュルケを見つめており、そんな老婆にヒュルケはビシリと指さして宣言した。


「私の胸鎖乳突筋きゅうさにゅうとつきんの力を見くびって貰っては困りますわっ!!」

「いや、おかしいじゃろう! なんじゃその首の筋肉は!? 普通紐をぶち切るかい!?」

「失礼な人ねっ! 身体を鍛えるのは淑女の嗜みではなくて!?」

「鍛えるにも限度があるんじゃ……」


老婆はコホンと咳払いをして気を取り直すと、袋の中から櫛を取り出し、ヒュルケへと差し出した。


「絹紐がお気に召さなかったのなら、この櫛を……」

「安物は結構ですわ!」


毒を塗り込んだ櫛を差し出す間もなくヒュルケがばっさりと切り捨てると、老婆は少し慌てたが、気を取り直して再び袋に手を突っ込み、今度は毒々しい程に真っ赤なりんごを差し出した。勿論、りんごの表面にはたっぷりと毒が塗りたくってある。


「では、このりんごは如何かな? 真っ赤に熟れた美味しいりんごだよ。一口かじればたちまち……」

「まあ、皮もむかずに口にしろと仰るの? 下品ですわ」

「……」


大富豪サルメライネン公爵家のご令嬢が、そのままりんごに噛り付くはずもない。

 ヒュルケはやれやれと肩を竦めて老婆を見下した目で見つめた。


「ねえ、変なおばあさん」

「変なって……」

「私、貴方の様な庶民とは育ちが違っていてよ?」

「私だって普段りんごを丸かじりなんかせんわっ!!」

「あら。じゃあどうして私には勧めるのかしら?」


つ……と、老婆が視線を逸らして考えた後、「出直してくる」としょんぼりと言った。


「そうですわね。一昨日おとといきやがれですわ」


ニコリとヒュルケが微笑むと、老婆は仕方なくすごすごと帰って行った。


「さてと、天気も良いし。少し運動でもしようかしら。公爵邸に居ると、皆こぞって私が運動するのを止めようとするのですもの」


 ヒュルケは異常な程に力が強く、何でもすぐ破壊してしまう為、サルメライネン公爵家ではヒュルケが運動することを禁止していたのだ。『英雄』の娘であるとはいえ、とんでもない怪力の持ち主なのである。

 もしもヒュルケが剣術を学んだのなら、父であるサルメライネン公爵にも負けない程の優れた剣士となった事だろう。彼女の女性としての将来を案じて、公爵はヒュルケに剣に触れることは疎か、運動する事すら許さなかったのだ。


「ここなら思う存分身体を動かせますわね! 紳士や淑女どころか誰も居ないのですもの!」


 庭に出て準備運動をし始めたヒュルケに、「お嬢様?」と、キョトンとした様子でエルディ小人が声を掛けた。大きな麻袋を背に担ぎ、顔には土埃がついている。


「そのようなところで妙な動きをして何をなさっているのですか?」

「何って、運動ですわ!」


ヒュルケがぴょこぴょこと左右にジャンプして見せて、その奇妙な動きにエルディは苦笑いを浮かべた。


「エルディこそ、顔をそんなに汚して一体何処へ行っていたのかしら?」

「一応、私は七人の小人役ですから、炭鉱に仕事をしに行ってきました」

「律儀にも程があるのではなくて?」

「思いのほかお嬢様のいびきが騒がしく、家に居るのが苦痛でしたので」


ヒュルケはカッと顔を赤らめると、恥ずかしそうに唇を窄めた。


「あら、それはごめんあそばせ……」

「いえ。お気になさらず」


エルディ小人は澄ました顔をしながら——本当はあまりに寝相が悪く、『目のやり場に困った』とは言えないな……と、言葉を噛み殺した。


 ヒュルケは自分のいびきでエルディに迷惑をかけてしまった事を恥ずかしく思い、必死に何か誤魔化せる話題へと変えようと脳内をフル回転させ、ポンと手を打った。


「そ、そう! ついさっき、変なおばあさんが私の首を絞めつけて来たのよ」


ヒュルケからの突然のバイオレンスな発言に、エルディ小人は「えっ!?」と、可愛らしい瞳をひんむいて驚いた。


「安っぽい櫛やりんごを差し出して来たのだけれど、全部断わりましたわ」

「それは恐らく、悪い継母が化けた行商でしょう。しかし、これほども早く訪れるとは思いませんでした。お嬢様、お怪我はございませんでしたか?」

「平気よ。私の首は絹紐程度に負ける程ヤワではありませんもの」

「……いまいち言っている意味が良く分かりませんが、ご無事で何よりです」


エルディ小人は背負っていた麻袋を下ろし、心配そうにヒュルケの白い首筋を見つめた。


「少し赤くなっていますね。薬を塗りましょう」


エルディ小人はヒュルケを小屋の中へと促し、椅子に座らせると、小さな手で丁寧にヒュルケの首に薬を塗布した。


「それにしても、たった一人で悪い継母を撃退してしまうとは驚きました」

「朝飯前ですわ!」

「私の留守を狙われぬ様、気を付けるべきでした。このような怪我を負わせてしまい申し訳ございません」


心配そうに言うエルディ小人に、ヒュルケは「この位全然平気ですわ!」と、にっこりと微笑んだ。


「それより、薬を塗ってくれてありがとう。貴方って優しいのね」


シーグリーンの瞳を細めて微笑むヒュルケの顔に、エルディ小人はふと見惚れたが、慌てて視線を逸らした。


「私の封印を解く為にも、お嬢様の身に何かあっては困りますので」


そっけなくそう言うと、薬箱を片づけて、いそいそと食事の準備を始めた。そんなエルディ小人の背を見つめながら、ヒュルケはフト脳裏に幼少期の思い出が浮かんできた。



——あれは確か……父であるサルメライネン公爵に連れられて、初めて王城へ行った時だ。


 ヒュルケは母を亡くしたばかりで、そんな傷心の愛娘に少しでも寂しい思いをさせまいと、公爵は暫くの間どこへ行くにもヒュルケを連れて歩いたのだ。

 王城も例外ではなく連れて行かれたわけだが、謁見の間にまで入る事は許されなかった。仕方なく一人で庭園を散策していたヒュルケは、緩やかな金髪の少年と出会った。彼は庭園の隅にあるガゼボで読書をしており、近づいて来たヒュルケに気づいて笑顔を向けて立ち上がった。

 ヒュルケは早く少年の元へ行こうと駆けて、躓いて転んでしまった。痛みを堪えて蹲るヒュルケの側に少年が赴くと、膝に出来た擦り傷を見て、小さな容器を差し出した。


『それはなあに?』


ヒュルケの問いに、少年は優しく微笑んだ。


『塗り薬です。薬学に興味がありまして、先日先生に習いながら作りました』


少年は容器の蓋を開けると、ヒュルケの膝にそっと薬を塗布してくれた。ヒリヒリとした痛みがすぅっと和らいでいく。


『あのね、そのお薬。いただけないかしら……?』


ヒュルケの申し出に、少年は不思議そうに小首を傾げた。


『それは構いませんが、まだどこか怪我をされましたか?』

『お父様が……』

『貴方の父君が、お怪我を?』

『ええ』


ヒュルケはそっと自らの胸に小さな両手を当てた。


『お心が傷ついていらっしゃるの』


 少年はスカイブルーの瞳を見開いた後、寂しげにヒュルケを見つめた。


『貴方の心の傷も、癒えると良いのですが』



——ああ、どうして今まで忘れていたのかしら。

 あれはアレクシス王子と初めてお会いした日のことだったというのに……。


 ヒュルケはエルディに薬を塗布して貰ったばかりの首筋に触れ、唇を噛みしめた。

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