第6話 白雪姫と七番目の小人ですわよ
ヒュルケは森の中を狩人に連れられてズンズンと歩いている。チラリと男の背を見上げ、うんざりとしながら深いため息を吐いた。
——ここは白雪姫の物語の中のようね。継母から美しさを妬まれた白雪姫は、雇った狩人に殺されそうになり、逃げだした先で七人の小人に出会い生活していくのだけれど、白雪姫が死んでいない事に気づいた継母が、行商やらおばあさんやらと姿を変え、あらゆる手で白雪姫を殺そうとするわ。けれど、結局は上手くいかず、白雪姫は隣国の王子と出会って結婚し、継母はついには真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされるのよね。
このお話のどこが『恋愛』に関係するのかしら……?
「ねぇ、狩人さん。この辺りでそろそろ解放してくれないかしら?」
ヒュルケの言葉に、狩人の男は振り向くと、人の良さそうな笑みを浮かべた。
「そうだな。俺は適当な獣の血をハンカチにつけて女王様を騙しておくから、お姫様はお逃げ」
「話しが分かるじゃない。いい人ね、貴方」
「いいや? どうせこの辺りは狼の縄張りだからな。俺があんたを殺さなくても、連中が片づけてくれるだろうし」
——最低じゃない……。
ヒュルケは『へっ!』と笑うと、「それじゃあ、ごきげんよう」と言って森の奥へと一人、ズンズンと入って行った。物語上、森の奥には七人の小人の家があるはずだからだ。まずはその小屋を目指そうと、ヒュルケは狼に怯える様子も無く意気揚々と歩いた。
天気も良く、木々の葉から木漏れ日が降り注ぎ、ヒュルケは清々しい気分で深呼吸をした。ヒールが高くない靴でこうして外を歩くのは久方ぶりだ。公爵家では、移動は
元々身体を動かす事が好きなヒュルケにとっては、貴族のお上品な生活には向いていないのだ。木の根を越える事も、草を掻き分けて進む事も、ヒュルケにとって大したことではなかった。流石は『英雄』とまで謳われたサルメライネン公爵の血を引いている娘である。その辺の貴族のご令嬢とは一味違う。
——エルディは一体どこかしら? また鳥か何かになっているのかしら?
と、キョロキョロと辺りを見回しながら森の奥へ奥へと進んで行くと、一軒の小屋へとたどり着いた。こじんまりとしていながらも、どこか品を感じさせる建物だ。小屋の外には薪を切る道具や掃除用具などが几帳面に整頓されており、どれも通常のものよりも小ぶりである。
「ははーん。ここが七人の小人の家ね? 確か、物語上では留守のはずだけれど」
念のためコツコツとノックをし、留守を確認しようとすると「はい」と返事が返って来たので、ヒュルケは驚いた。
「あ、あら? いらっしゃいますのね?」
「失礼ですね。私が私の家に居て何か問題でも?」
家の主がそう言いながら木製のドアを開き、顔を出した。灰色の髪に銀色の瞳をした男が仏頂面を向けており、ヒュルケは「エルディ!」と叫んで嬉しそうに抱き着いた。
「お止めください」
エルディがじたばたと暴れ、ヒュルケは不思議に思って腕の中のエルディを見つめた。長身であるはずの彼が、ヒュルケの身長の半分程の背丈へと縮んでおり、思わず彼を指さして素っ頓狂な声を上げた。
「何ですの!? 短足ではなくて!?」
「短足ではありません。背が縮んだだけです。私はこの物語上、七人の小人の役なのですから」
不機嫌そうに言い放つエルディの前でヒュルケは屈み込むと、じっとエルディを見つめた。小人になった為か顔つきが幼くなり、ふっくらとした頬が何とも愛らしい。
「こんな姿の貴方を見られるだなんて、物語の中も捨てたもんじゃ無いわ。可愛らしいじゃない」
「大変屈辱的です」
「他の六人はどこに居るのかしら?」
「居ませんよ」
エルディ小人はさらりと答えると、小屋の中へとヒュルケを促した。サルメライネン公爵家の執事として従事していた時同様に、手際よくお茶の用意をする彼を見つめながら、ヒュルケは小首を傾げた。
「でも、小人は七人なのではなくて?」
「七人も居たら邪魔で仕方ありませんから消しました。私は七番目の小人です」
よく見ると、エルディ小人が被っている帽子には『No.7』と書かれており、部屋の中は壮絶に争った形跡があった為、ヒュルケは彼が他の者達をどうやって消したのかは敢えて聞かない事にした。
「さあ、どうぞ。お茶が入りました」
「あら、有難う。頂くわ」
エルディ小人が淹れたお茶を一口飲むと、安心してホッと吐息を洩らした。
「貴方はお茶を淹れる天才ね」
「私は全てに於いて天才です」
「……あらそう」
エルディ小人も椅子に掛けてティーカップを手にした時、ヒュルケがポツリと言葉を放った。
「ところで、隣国の王子が現れるまで、このまま暫く貴方と二人きりで暮らすのですわよね」
「まあ、そうなりますね。なに、この姿ならば燕より随分とマシです。魔法もわりと使えますから、不自由することは無いと思います」
ヒュルケは壊れた家具を見つめ、困った様にため息を吐いた。
「でも、困りましたわ」
「何がです?」
あれがない、これが無いと、くだらないお嬢様の我儘でも言うつもりだろう、とエルディ小人うんざりしながらカップに口を付けてお茶を口に含んだ。
「ベッドが一つしかありませんもの。貴方と一緒に寝るのは少し恥ずかしいですわ」
「ブ——ッ!!」
盛大にお茶を吹き出したエルディ小人に、「汚いですわ!!」とヒュルケが叫び、エルディ小人は「申し訳ございません」と言いながらケホケホと苦しそうに咳き込んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
「お嬢様が急に妙な事を仰るものですから」
「妙な事なんか言っていないわ。私、寝相が酷くて恥ずかしいと思ったのですもの」
「そういう問題とも違うかと思います」
「どう違うと言うのかしら?」
「どうって、それは……」
「あらやだ。エルディ、貴方ひょっとして!」
ヒュルケが顔を赤らめて、両頬を手で覆った。エルディは自分がヒュルケを女性として意識したことを恥ずかしく思い、慌てて首を左右に振った。
「いえ、あの。えーと……!」
「どうして私のイビキが煩い事を知っているのかしら!?」
「……」
——このお嬢様ときたら……。
エルディ小人は苦笑いを浮かべると、その口から乾いた笑いを洩らした。
「ご心配は無用です。お嬢様がどのような寝方をしようとも一切気にしませんし、私には関係の無いことですから。そもそも壊れた家具を修復する事など、魔力を封印されているとはいえ造作も無い事です。どうぞ思う存分暴れながらお眠りください」
パチン! と、エルディ小人が小さな指を鳴らすと、壊れていた家具がみるみるうちに元通りとなり、ヒュルケは嬉しそうに手を合わせた。
「まあ! 魔法って素晴らしいわ! 私も何か一つ覚えたいものね!」
「そう簡単に魔法使いになられては、世の中が狂ってしまいましょう」
「でも、簡単なものの一つくらい教えて欲しいわ!」
「どのような魔法を知りたいのです?」
ヒュルケはうーんと小首を傾げながら唸ると、ニコリと微笑んだ。
「そうね、あのゲジ眉女を『ぎゃふん』と言わせる魔法がいいですわ!」
「……くだらないですね」
ふんと鼻を鳴らしたエルディ小人は、飲み終えたティーカップをいそいそと片づけた。その姿は子供が懸命にお手伝いでもするかの様に健気に見えて、ヒュルケは思わずぎゅっと抱きしめた。
「この姿のエルディ、本当に可愛らしいわ!」
「お止めください」
「ずっとこのままで居てはどうかしら?」
「不便極まりないので絶対に嫌です。それに格式高い公爵家に従事するには、高身長が絶対条件であるはず」
「そんなこと、どうとでもなりますわ!」
「無茶を言っていないで早くお放しください」
手足をばたつかせてどうにかヒュルケから離れると、エルディ小人はムッとしたように唇をへの字に曲げた。
「兎に角ですね、物語上、この後悪い継母がお嬢様を殺そうと執拗にここへ訪れるはずです。上手い事乗り切りましょう」
「待つのも時間が勿体ないし、こちらから撃退しに行ってはどうかしら? 私、体術の心得はありましてよ? これでも『英雄』の娘ですもの!」
勇ましくぶんぶんと腕を振り回すヒュルケに、エルディ小人は小さなため息を洩らした。
「お嬢様の怪力は存じ上げておりますが、わざわざ出向いて撃退したところで王子の来訪が早まるわけではございません」
「……それもそうね。では、王子をこちらから迎えに行ってはどうかしら?」
「迎えに行ってどうする気です? お嬢様からプロポーズでもなさるおつもりですか? それこそ物語の中に入った『意味』が無くなってしまいましょう。それで一体何を学ぶおつもりです?」
「でも、待つのは苦手ですわ」
そう言った後、ヒュルケは更に不服そうに唇を尖らせた。
「お嬢様、不細工です」
「不細工でも何でも、私ったらまた変な名前ですのよ!? 王子様に自己紹介しづらいったら無いですわ!」
エルディ小人は『私の名前は白雪姫です』と名乗るヒュルケの姿を想像し、確かに間抜けだと眉を片方下げた。
「物語の中での事です。それこそどうでも良い事でしょう。王子の名も無いわけですし」
「全く、親のネーミングセンスを疑いますわ。自分の娘にそんな名前をつけるだなんて、娘への愛情が不足しているのではなくて?」
「名付け親は物語の作家ですから」
「……作家でも、登場人物にまともな名前すらつけないだなんて変ですわ」
ヒュルケは眠そうに欠伸をすると、エルディ小人が魔法で修復したベッドへとごろりと寝そべった。
「お嬢様、お行儀が悪いですよ。サルメライネン公爵家のご令嬢ともあろうお方が何です?」
「今はただの家無し文無し爵位無しですわ」
ヒュルケはそう言い放つと、うとうとと微睡み始めた。森の中を長い間歩いて来た為、疲れたのだろう。エルディ小人はやれやれとため息をつくと、小さな身体を駆使して掛布団を優しく掛けてやった。
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