第3話 おやゆび姫なんてひとひねりですわよ
「なんて可愛らしいのかしら! 私の愛しい『おやゆび姫』!」
巨大な顔を覗かせながら愛しそうに巨大な目で見つめる女性を見上げて、ヒュルケはうんざりしながら両耳を両手で押さえつけた。
——煩くて堪らないわっ!! 大体、何よ『おやゆび姫』って。ネーミングセンス最悪ですわ! 自分のおやゆびにでも顔描いて愛でていなさいよっ!
頭の中でそう文句を言い、チューリップの花びらの上にちょこんと座りながら、大きなため息を吐いて眉を寄せた。
どうやらヒュルケは『おやゆび姫』の物語の中へと入り込んだ様だ。さきほどからしきりに巨大な顔を覗かせている女性は、おやゆび姫の母親だろう。
——一体どういう事なの? 『いばら姫』の物語に入ったはずだというのに……。
ヒュルケは不貞腐れながら途方に暮れ、チラリと巨大な女性の顔を見上げた。女性は大きな口を開けて「ホホホ!」と笑うと、半月状の大きな物体をドン!! と、ヒュルケの側へと置いた。
「くるみのベッドに薔薇の布団を敷いておきましたからね! 眠くなったらそこで眠るのですよ?」
——どうでもいいけど、対格差というものをもう少し気にして欲しいわっ! そのキンキン声が私の身体の大きさだと地響きみたいに響くのよっ!!
ため息を吐き、ヒュルケは項垂れた。
——おやゆび姫の話と言えば、確か様々な生物に
これのどこが『恋愛』をテーマにした物語だと言うのかしら!? エルディめ、とっちめてやるんだからっ!
ヒュルケはキョロキョロと辺りを見回した。鳥になったエルディがどこかで見守ってくれているはずだからだ。しかし、ここは室内である。鳥が居るどころか巨人女性と二人きりの空間に居ることに気づき、ヒュルケは不安になって両肩を抱いた。
自分の身が小さくなる経験など普通はできるものではない。巨人女性の機嫌を損ねようものならば、正に一ひねりであの世行きである。
——おやゆび姫どころか、おやゆびひとつで殺されてしまいますわ……。
ヒュルケはゾッとして、とにかく物語を早く終わらせようと考えた。『恋愛』を学ぶなどという目的は二の次だ。まずは命を守る事が先決だ。
——確かおやゆび姫は、最初にカエルの親子に攫われるのよね!?
巨人女性が用意したくるみのベッドへとよじ登ると、ヒュルケは物語を進める為に眠くも無いのに眠ったフリをした。
やがてカエルの親子がゲコゲコ言いながら近づいて来て、くるみのベッドがぐらぐらと揺れだした。
——よし、思惑通り物語が進んだわ!
狸寝入りを決め込んだヒュルケを、くるみのベッドごとカエルの親子は外へと連れ出すと、小川の蓮の葉の上へと置いた。
その途端、ヒュルケがガバリと勢いよく飛び起きたので、カエルの親子は驚いて飛びのき、蓮の葉からボチャリと小川の中へとずり落ちた。
「び、びっくりしたゲロ!」
「人を攫っておいて驚いてるんじゃないわよ、誘拐犯!」
ヒュルケが腰に手を当ててぷりぷりと怒ると、母カエルと息子カエルの親子が顔を見合わせた。
「なんか、思ってたのと違うケロ……」
「お母ちゃん、おいら、大人しいお嫁さんの方が良いゲロ」
ヒュルケは憤然として「こっちだって貴方なんかお断りよ!」と怒鳴りつけると、勢いよく手を二度程打ち鳴らした。
小川のメダカ達がわっと蓮の葉に寄って来ると、「あんたたち、茎を噛み切りなさいよ! そうじゃないとムニエルにして差し上げてよ!?」と、女王様の如く指示を出した。ヒュルケに脅されたメダカ達は大慌てで蓮の葉の茎を噛み切り、蓮の葉は小川の流れに乗ってゆらゆらと流れ出した。
カエルの親子はヒュルケが流されていく様をポカンとしながら見送っている。
「上出来だわ! じゃあね、醜いカエル親子。せいぜい貴方には貴方にお似合いの醜いカエルの奥さんを見つけることねっ!」
ヒュルケは川に流されながら、悪役令嬢さながらに高笑いを発した。
——さて、このあとはどんな展開になるのだったかしら? とにかく次から次へと誘拐犯が現れるのよね?
「お! 面白いの発見っ!!」
ビューンと音を立てて近づいて来たのは、コガネムシだった。
「来たわね!? 第二の誘拐犯っ!」
ヒュルケはタイミングを見計らって回し蹴りをし、飛んできたコガネムシをスコーン! と、小川の中へと撃ち落とした。
「『英雄』の娘を舐める不届き者めっ! 私は虫が大嫌いなのよっ! 下等生物の分際で、サルメライネン公爵家令嬢のこの私に触れるだなんて、以ての外よっ!
はんっ!! と、鼻を鳴らし、得意げにしていたのも束の間、ザアザアと激しい音が聞こえてきて、ヒュルケはすぅっと青ざめた。
——この音はもしや、滝の音……!?
慌てて前方へと目を向けたものの、小さな身体のヒュルケには、どんなにか身体を伸ばそうとも先を見る事はおろか、揺れる蓮の葉から落ちないようにと必死に摑まるので精一杯だった。
「ひええええええ!! わ、私。泳げませんわっ!!」
ヒュルケは悲鳴を上げ、蓮の葉の上で震えた。
——最悪ですわっ! 物語の中で死んでしまった場合どうなるのか、エルディに聞いておけば良かったっ!
蓮の葉が激しい流れに巻き込まれ、ぐるぐると回転し出した。ざぶざぶと大粒の水しぶきがかかり、滝から落ちる前に転覆してしまいそうだ。ヒュルケはすでにずぶぬれとなっており、凍えそうな程の寒さに
「助けて、エルディ————ッ!!」
ヒュルケが叫んだ途端、勢いよく何かがヒュルケの身体を掴み、空高く舞い上がった。
先ほどまでヒュルケが乗っていた蓮の葉が石にぶつかってトプンと転覆し、そのまま滝の中へと飲まれて行く様子が、遥か下の方で小さく見えた。
「危機一髪でしたね……」
うんざりしたような声が聞こえ見上げると、艶やかなビロードのような羽をはためかせた
「ちょっと待って。燕が登場するのはもっと随分後では無いかしら?」
ヒュルケの突っ込みに、燕は「お嬢様、意外と冷静ですね」と言いながら滑空し、木の枝の上へと舞い降りた。燕の足から解放され、ヒュルケは小枝に腰かけると、燕を見上げて小首を傾げた。
「その話し方。貴方、ひょっとして……」
「ええ。エルディ・アロ・アフリマンです」
サッと翼を額に当てて器用に『うんざりポーズ』を決め込むと、エルディ燕はため息を洩らした。
「なによっ! それならもっと早くに助けに来てくれたら良かったのにっ!」
憤然とするヒュルケに、エルディ燕は慌てたようにキョトキョトと首を動かした。
「私まで物語の登場キャラクターになるのは想定外だったのです」
「あら? それは登場キャラクターの燕さんですの?」
「ええ。お陰で瀕死状態でしたが、何とか穴倉から抜け出して参りました」
エルディ燕は少し怒った様にプイと顔を背け、チラチラと吟味するかの様にヒュルケを見つめた。
「全く、お嬢様が魔法の詠唱中に邪魔をしたため、おかしなことになってしまったのですよ」
「おかしなこと? まあ、確かに『いばら姫』の物語に入る予定だったのよね?」
「……ええ、それもそうですが」
エルディ燕は気まずそうにサッと顔を背け、再びキョトキョトと首を動かした。
「なによ? 落ち着きがないわね」
「鳥ですから、そういうものなのです」
「変なところでリアルなのは気味が悪いわ」
「そんなことよりですね……あのテーブルに置いた本のいくつかに魔法がかかってしまった為、魔法がかかった物語全てを終えない限り、私達は元の世界に戻る事ができないのです」
エルディ燕の言葉を聞き、しん……と、間を開けて、ヒュルケは目を点にしたまま「はい?」と、小首を傾げた。
エルディ燕は羽先を丸めて器用に拳を作り、コホンと咳払いをすると、申し訳なさそうにヒュルケを見つめた。
「危険からは極力私がお守りするようには致しますが、他の物語では私もどの登場キャラクターになるかが分かりません。今回の様にお嬢様をお救いするのに適した姿であればまだ易しいですが……」
「ちょっと待って。貴方、魔法が使えるのなら姿は自由に変えられるのではなくって?」
「試してはみましたが、燕の姿では使える魔法が限られている様です。そもそも私の魔力は封印されたままですから、現状万能ではございません。もしも他の物語で口も利けないような登場キャラクターになろうものならば、どうなることか……」
——あのテーブルの上にはどんな本があったかしら? 確か『人魚姫』もあったはず。エルディがもしもサンゴやナマコになったのだとしたら、役立たず確定ですわっ!
さぁっと青ざめて、ヒュルケはエルディ燕を見上げた。彼は素直に頭を下げて「申し訳ございません」と謝った。
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