第2話 これはまるで悪魔との取引ではなくて!?
エルディの交渉を聞き、ヒュルケの脳裏には煮えたぎる闘志が浮かんでいた。
——万能な魔法使いの力を手に入れたのなら……。アレクシス王子の傍らにいる『ぶりっこ眉毛』をギャフンと言わせられる!?
ヒュルケは兎角、アレクシスの傍らに居る小娘が気にいらなかったのだ。彼女が現れて以来、アレクシスは人が変わった様にヒュルケに対し冷たく当たる様になった。勿論その原因はヒュルケが彼女に嫌がらせをするからなのだが……。
「いいわ! 乗ったわ!! なんでも聞いてちょうだいっ!」
鼻息を荒くしながら威勢よく答えたヒュルケに、エルディは僅かに不信感を覚えたが、「話が早くて助かります」とぎこちない笑みを浮かべてみせた。
ヒュルケはベッドの上から降りると、エルディの前のソファへとちょこんと腰かけた。大人しくしていれば美しい令嬢であるというのに惜しいものだ。性格さえ並であれば、アレクシスの心を射止める事も容易い事だっただろうにと、エルディは残念に思った。
「それで? お嬢様はアレクシス王子のどのような所に惹かれたのです?」
「王子だからですわっ!」
問いかけに自信満々に答えたヒュルケの回答に、エルディは一瞬息を止めたが、諦めずに更に問いかけを続けた。
「……では、アレクシス王子がもし王子ではなく一般庶民であった場合、どのような所に惹かれますか?」
「そんなの、惹かれるはずありませんわっ! この私が、一般庶民と結婚するとお思いになって? 『英雄』と称されるサルメライネン公爵の娘ですわよ? その上、当家はこの国一の大富豪ですもの。王子以外に私に相応しい相手など居るはずがありませんわ!」
コホン、とエルディは咳払いをした。
「お嬢様は、アレクシス王子を愛していらっしゃるのですよね?」
「勿論よ! 私と釣り合う男性など、王子以外の誰が居るというの?」
——なんか違う気がする……。
と、エルディは思ったものの、諦めずに更にヒュルケに問いかけた。
「アレクシス王子の傍らに居る女性に嫌がらせをしたのは何故です? アレクシス王子との仲にヤキモチを妬いたからですか?」
「『ぶりっこ眉毛』が嫌いだからですわっ! あの娘、今度会ったら頭に接着剤を掛けて眉毛とくっつけて、頭髪ごと全て眉毛にして差し上げますわっ!」
「……」
エルディは項垂れると、顔を片手で覆ってため息を吐いた。ヒュルケは小首を傾げ、「あら? 質問はもう終わりですの?」と、瞳をぱちくりとさせた。
「お嬢様のそれは『恋愛』ではございません」
「は!? どうしてかしら!? 婚約破棄されてこんなに哀しくて悔しいのにっ!」
「それは単にご自分の思い通りにならなかったが故の感情でしょう。
「そんな事ありませんわ! 私はアレクシス王子を愛していたんですものっ! だから婚約を破棄されて、こんなにも腸が煮えくり返りそうなのですわ!」
尚も食い下がるヒュルケに、エルディは渋い顔をした。
「えーとですね、お嬢様。ではもう一度お聞きしますが、アレクシス王子があの女性と仲良くされているお姿を見て、どう思われましたか?」
「……どうって?」
エルディの問いかけの意図が分からずに小首を傾げたヒュルケに、エルディは呆れたようにため息を洩らした。
「お嬢様の想い人が、お嬢様の目の前で他の女性と親しくする様子を見て、何も思わなかったのですか?」
「別に何とも思いませんわ」
「……」
エルディは瞳を閉じて暫く押し黙り、ヒュルケは不思議そうに小首を傾げた。
「質問はもう終わりなのかしら?」
「ええ、まあ……。無意味であると分かりましたから」
「無意味とは、どういう意味かしら?」
「ですから、お嬢様のそれは『恋愛』という感情ではございませんっ!」
エルディが憤然として立ち上がると、ヒュルケを指さしてまくし立てた。
「良いですか!? 『恋愛』とやらは、相手を想う余りの他人への憎悪だったり、自己犠牲であったり、はたまた相手を想うだけで幸せになったりなどという複雑難解なものなのだと聞き及びます。ところがお嬢様のそれは全く以て『恋愛』とは異なります!!」
ヒュルケもエルディに負けじと立ち上がると、両腕を組んで憤然と声を放った。
「なによ!? だったら貴方が教えて頂戴っ!! 『恋愛』とは何なのかを、この私にっ!」
「……それでは本末転倒ではございませんか」
「あら、そんなことはありませんわよ? 貴方の知る『恋愛』とは何かを私に話してみたら良いのではなくて? エルディが分からなくても、私にはわかるかもしれませんもの」
エルディは「ふむ……」と、唸ると、唇に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「私も今更別の『ターゲット』を探すのは面倒ですね」
「……面倒って」
「ええ。面倒です。そもそも『恋愛』などというくだらない感情を理解したいとは微塵も思っておりませんから。私が知りたいと思う理由は、あくまでも封印を解きたいがために過ぎません」
ヒュルケは呆れたようにため息を吐くと、トスンとソファへと腰を下ろした。
「何よそれ。じゃあ貴方が私に教えるなんてこと、できるはずが無いじゃない」
「とんでもない。私には魔法がありますから」
エルディは得意気に微笑むと、指を鳴らした。
ヒュルケの部屋の本棚から数冊の本が飛び出してするすると空中を浮遊し、ソファの前にあるテーブルの上に積み重なった。
「こちらはどれも『恋愛』をテーマにした物語です。お嬢様はこれからこの物語の中へと入り込み、ヒロインとなって体験して頂きます」
「あら、なんだか面白そうじゃない」
ヒュルケは瞳を煌めかせてわくわくとした後、ふと眉を寄せた。
「待って。私一人で体験するの? 帰って来れなくなるだなんてことは無いのよね?」
「その点はご安心を。私もお供致します故」
魔法使いであるエルディならば、付き添いとして十分だ。何か問題があれば容易に対処できることだろう。
ヒュルケは冒険にでも出掛ける様な気分で、瞳をキラキラさせながら本を見つめた。どれも何度か目を通したことのある物語であり、女性を主人公としている。恐らくエルディがそういったところも考慮した上で選んだものなのだろう。
「私はヒロインになるのよね? エルディは何になるつもりなの? 折角物語のヒロインになるというのに、邪魔をされるのはまっぴらですわ」
「……邪魔、ですか?」
「勿論ですわ! もしも王子役が貴方だったりしたら、とてもではないけれど『恋愛』なんてできませんもの。『主従関係』のままで終わってしまいますわ」
「ふむ」
エルディは不快に思ったのか僅かに眉を吊り上げたが、少し考えた後に頷いた。
「そうですね、では鳥にでもなってお供することと致しましょう。それならばストーリーを邪魔することも無いでしょうから」
「それならいいわ!」
納得したように満面の笑みを浮かべた後、ヒュルケは「あ、でも。お待ちになって?」と不安気にシーグリーンの瞳をエルディに向けた。
「私が居なくなったら、公爵邸は大混乱になってしまいますわよ? お父様に許可を得た後の方が良いのではないかしら?」
「その点はご安心を、時間軸が異なる世界への移動となります為、どれほどに物語の世界で時を費やしても、この世界での時間は一刻と過ぎぬ事でしょう」
「そう、ならいいわ!」
ヒュルケは本の中から一冊を取り出すと、「これが良いわ!」と、エルディへと差し出した。皮張りの表紙に刻み込まれている金色の文字を読み、エルディは鼻を鳴らした。
「ほう、『いばら姫』ですか」
「これなら眠っているだけですもの、楽なものだわ!」
「……楽かどうかでお決めるなるのはどうかと思いますが」
「でも、好きなものを選んで良いのでしょう?」
「まあ、そうですが……」
エルディは頷くと、さっと両手を本の上へと翳した。ぶつぶつと詠唱し、光がヒュルケとエルディを包み込んでいく。
ヒュルケは光に包まれ、ワクワクと期待したものの、フト不安を覚えた。
——なんだか上手く話に乗せられた気がするわ。私、ひょっとして騙されてるのではないかしら!?
「待って、エルディ!! その前にちゃんと契約書を交わしましょう!」
詠唱をするエルディの腕をぐいっとヒュルケが強引に引き、エルディは詠唱の途中で「え!?」と、声を上げた。
バチリと異音が鳴り響き、エルディは「しまった!!」と叫んだ。テーブルの上に乗せられた全ての本が空中へと浮かび、パラパラとページが捲られていく。
光が二人を包み込み、ヒュルケはあまりの眩さにぎゅっと瞳を閉じて顔を覆った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます