第15話 おとむらい (依正不二)
苔が生えて緑に染まったひさしの下をのぞき込むと、家の中には、ホタの他に村長とその妻であるカーユもそろっていた。
「おう、ミナトか。どうした」
鍋で壺を煮ているところだったらしい。尋ねる村長に、カーユが「早くフタ閉めて!」とせっついている。小さな壺の中には塩水に浸した山菜が入っていて、鍋の中でその壺を煮て、加熱殺菌することで長く保存できるらしかった。
戸をくぐって家に入ったミナトは、「これ」とツルで軽く縛った包みを見せた。
「少ないけど、他のものと一緒に鍋にでも使って」
「あらあら、まあ。ありがとう」
カーユは手を合わせて受け取り、包みを開く。
「あら、魚じゃなくて鳥?
「フルナさんが、ホタさんの膝には鳥の皮がいいって言ってたから」
「ああ、それで!」
カーユは目を丸くして、「どうもありがとうねえ」と微笑んだ。ホタと血がつながっているのは息子の村長だが、一緒に暮らしていれば表情も似てくるのだろうか、三人とも笑った顔がそっくりだ。
「この鳥は誰がとったんだい」
「今朝、アキヤと一緒に行って俺が仕留めたんだ。さっき
村長に訊かれて、得意げになりそうなのを努めて抑えながら答える。
「へえー!なんだよ、きれいに出来てるじゃねえか。成長したもんだなあ。おい親父、これな、ミナトが獲ったんだってよ、ミナトが」
村長に指さしながら教えられて、ホタは「ひぇー」と目をぱちくりさせた。
「そう、とうとうもらえたかい。よかった、よかった。頑張って練習しとったんだものねえ。おめでとう。鳥も、ミナトならって、来てくれたんだねえ」
「よく分からないけど、そうなのかな」
ホタに褒められると、嬉しくてむずむずする。ホタは包みに向かって丁寧に手を合わせ、頭を下げた。
「いただきます。
そうだ、と村長が声をあげた。
「ちょうど良かった。親父がこれからおとむらいに行きたいって言うんだけどよ。ミナト、お前、よかったらついて行ってやってくれるか」
「ああ、お墓?いいよ」
ミナトは軽く答える。
「世話をかけるねえ。一人でも行けるって言うんだけど。息子が許してくれないのよ」
「だってホタさん、転んで手首をひねったばっかりだから。そりゃ心配もされるよ」
ホタの手首には、今も包帯が巻かれていた。
「そうだ、そうだ。じゃ、俺は畑に行って来るから。そろそろ村の連中と冬備えの話を進めなくちゃいけねえからな」
「ちょっと、なんで干物を持っていくのよ」
いそいそと村長が吊り棚から魚を取り出すのを、カーユが睨んだ。
「え?だってそりゃ、
そそくさと出ていった。「酒は飲んでも吞まれるな、ちょっと呑まれりゃ夢心地」と歌が遠ざかっていく。
「まったく、日も高いうちから」
腹立たしげに息を吐くカーユに笑いながら、ホタが墓に持っていくものを布に包んでいる。
「俺が持つよ」
ホタが何か言うよりも早く、ミナトは包みを持って外に出た。力強い日差しがかっと目を焼く。セミもまだまだ元気に鳴いていた。
集落の墓地は、林からも畑からも離れた場所にある。
ホタの歩幅に合わせてゆっくり歩きながら、ミナトはホタに今朝の話をした。
「川原なんて狙いやすい場所に二羽も来るなんて。なんであの人だけそんなに運がいいのかなあ」
「ユテルは話し上手だからね。みんな、話を聞きに来るんだろうよ」
「話し上手というか、ただお喋りなだけだと思うけど。あの人、一度話し出すと止まらないんだもん」
あっはっは、とホタが明るく笑う。
ホタは不思議な人だった。いつ会っても機嫌が良くて、穏やかで、愚痴を言うことも無ければ誰かに怒ることもない。集落の皆だけでなく、森に住む多くの人びとがホタを慕っていた。ホタに会うと、皆がぱっと笑顔になるのだ。
子どもの頃にいつも遊んでもらった。一緒におもちゃを作ってくれた。大人になってからも可愛がってくれる、励ましてくれる。辛い時に一緒に泣いてくれた。そんなふうに言う人は多い。トヨも妊娠が分かった時から幾度となく、ホタに食べ物を差し入れてもらっていた。
これはミナトだけではないのだが、ホタといると、つい、大人でも無邪気な子どもに戻ってしまいそうになる。ホタの姿を見ているだけで元気になり、言葉を交わせば心がふわりとほどけるようだった。
あれ、とホタが声をあげた。
「ああ、やっぱり今年も来たね。そろそろ会える頃だと思っとったよ」
ホタの視線の先を探しても、木々が茂っているばかりで人の姿は無い。
「ホタさん?いったい誰と喋って」
ヒィ、ジャッジャッジャッジャッジャ。
すぐ近くから鳴き声がして、ミナトは跳びはねた。
「なんだ、鳥か。びっくりした」
思わず心臓を押さえる。茶色い、地味な小鳥だった。見つけにくいわけだ。
「こんな鳥、パドマの森にいたっけ」
「この子らは旅鳥だよ。毎年、この森で仲間を待っとるんだよねえ」
小鳥は枝から枝へと飛び跳ねて、ジャッジャッジャ、としきりに仲間を呼んでいる。ホタはにこにこして、「たんと食べて、しっかり力をつけておいきよ」と親しげに話しかけた。小鳥がぱっと飛び立ち、木立の向こうに姿を消す。
「小さい体で、ご苦労なことだねえ」
ホタはやっぱりにこにこして、子どもを労うような調子で見送っている。ミナトは肩をすくめて苦笑した。
森の小道を抜けると、少し開けた場所に出た。開けた場所といっても、うっそうと茂った木々が周囲を取り囲んで影を落としているので、全体が薄暗い印象がある。土を盛って作られた小さなこぶがいくつも地面に並んでいて、その上にはそれぞれ、石が積まれて小さな塔をつくっていた。これがパドマの森の墓だ。竜神の滝の近くに泉に通じるものとは別にもう一つ洞窟があるらしく、そこで風化させた後に、改めてここに埋葬するのだと聞いている。
パドマの森には、いつまでも墓に魂が残り続けるという考えがない。だから日本の墓のような花や供物は無く、ただ草が茂り、野花が咲いて、古い墓を飾っている。巫子たちが言うには、死んだ命は大きな命の流れのなかに溶けこんで、またきっかけを得て生まれてくる時を待っているのだそうだ。
ホタは墓を通り過ぎて、一番奥に掘られた大きな穴の前まで来た。
その場所はさらに暗く、近くに小川が流れているのか水の音がしていた。穴の前には柱が二本立っていて、地面には平らな石がいくつも埋めこまれて石畳のようになっている。
ホタはその石の上で「よっこいしょ」と膝をつくと、礼を言いながらミナトから包みを受け取って、その中身を穴の上で放り投げた。
包みが宙でひらりと開いて、中に入っていたもの―――食べた後の貝殻、砕いて食べることが出来ない大きさの魚の骨、獣や鳥の骨、割れた皿や、使い道のなくなった道具の一部などが、ばらばらと穴の中に落ちていった。穴の中には、すでにそういう不要になった物が山のように溜まっている。
この森ではいらなくなった物のことをゴミとはあまり呼ばない。それ自体をおとむらいと呼んだり、返すものと言ったりする。
きっと穴の底の方では、数年前に投げ入れられたものが微生物たちに分解されて土に返り、パドマの森の一部に還っているのだろう。
「お世話になりました。どうか、後にはより良き所に生まれんことを、お祈り申し上げます」
さっきの鳥にしても、この「返すもの」にしても、ホタはよくこうして、色んなものを人間扱いした。森の人は皆、多かれ少なかれそういうことがよくあるが、ホタは特別それが多い。
大きなものは山や空まで、小さなものは砂に混じってしまうような石の欠片まで、人間のように扱い、話しかけているのを見たことがある。
でもなあ、とホタの後ろで手を合わせながら、ミナトは穴の中を見やった。
―――だめだ。どうしてもゴミ捨て場にしか見えない
ゴミに向かって拝んでいる自分を奇妙に思いながら、ミナトはホタが祈りを捧げ終わるまで蚊と戦いながら待っていたのだった。
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