第14話 狩り (依正不二)



 やぶの中に屈んで、ミナトは弓を引いた。

 この瞬間はどんなに小さな音も立ててはならない。もし音を立てればすぐに獲物に気づかれる。

 むっとした土の匂い。肌に擦り込んだ虫よけ草の匂い。涼しい木陰こかげでも、じっと座っていれば膝裏ひざうらに汗がにじんだ。

 巣で卵を温めている山鳩やまばとの、少し上に狙いを定める。頭の中で鳥の動きと自分の手の動きをあらかじめ想像して、ちらりと、木の下にいるアキヤに目配せした。アキヤはうなずき、とたんに大きな声で野犬の鳴きまねをした。

 驚いて飛び上がった鳥の身体に、ミナトが放った矢が吸い込まれていく。

 鳥が、矢を抱きとめた。

 ―――よし!

 ミナトは木の根元に駆け寄り、じたばたする鳥を押さえつけた。首を折ると、とたんに鳥は動かなくなる。その身体から矢を抜き取り、手を合わせた。

のちにはより良き所に生まれんことを」

 早口で祈って、腰の小刀を抜いて首を切った。

 生命の気配が消えた鳥の体は、ミナトが触るのにしたがってぐねぐねと曲がった。小さな切り口から血が流れ出て、地面に血だまりをつくっていく。

 はらわたを出し終えたところに、アキヤが木から降りてきた。

「どうだった?」

 ミナトが尋ねると、アキヤは腰のかごから卵を二つ取り出して、嬉しそうにミナトに見せた。

「まだ生んですぐだったみたい。ぜーったい、美味しい卵だ」

「やったな。トヨさん、喜ぶぞ」

「えへへー」

 アキヤが得意げに拳を突き出す。ミナトはにやっと笑って、それに自分の拳をぶつけ合わせた。


 川辺に戻ってくると、ユテルが「おーう」と手を上げてミナトたちを迎えた。山菜を洗っていたリテに、アキヤがさっそく卵を見せに行っている。

「お!ちゃんと仕留めてきてるじゃないか!良かった、良かった」

 ユテルは軽く拝む仕草をしてから鳥を受け取ると、その傷口を確かめた。

「うんうん、なかなかいいんじゃないか。手際良くやれたみたいだな」

「おかげさまで」

 言いながら、つい口角が上がってしまう。

 春の間に何度か村の男たちに連れられて狩猟に参加したのだが、基本的に、大人数で組んで狩猟をするのは冬の間が主だ。ミナトの身体は弓に慣れている身体だと狩猟を率いるかしらに言われたが、ミナトにはそれを扱う知識が無い。やっと半人前くらいに弓が扱えるようになった頃には、山で狩猟をする季節は終わってしまっていた。各自での漁が増える夏の間、鳥猟をミナトに教えてくれたのはユテルだった。

 今、ミナトはユテルと一緒に住んでいる。初めて会った日の翌日、ユテルは浜にある自分の集落には戻らず、自分が一緒に住んでミナトの面倒を見てやると言った。

「どうせ気楽な独り身だからな。男には男にしか教えられないこともあるだろうし、慣れるまでは俺と住んだほうが絶対に良いと思うぜ」

 最初はこの騒がしい人と暮らしていけるだろうかと心配もしたが、実際にはそれなりに仲良くやれていると思う。

 ユテルに「冷やしてこいよ」と言われて鳥を川に浸しに行くと、ミナトが仕留めたものよりも大きい鳥が二羽、すでに川で冷やされていた。

「え、なんで?」

 振り返ると、ユテルは得意げに胸を張った。

「ここで待ってる間に鳥の方から来てくれたんだよ。やっぱり俺、竜神さまに愛されてるのかな」

 ちぇ、とミナトは悔しげにユテルを見やる。

「腕だけはいいんだからなあ」

「腕だけとは何だ、腕だけとは!」

 ユテルが「この生意気め!」とミナトの髪をかき混ぜた。そのせいでやっと結べる長さまで伸びた髪が解けてしまう。

「もう、やめろよな」

 文句を言いながら結びなおしていると、アキヤに「下手くそだなあ」と笑われた。アキヤの髪は、ミナトより少し長いくらいだ。

「言ったなあ」

 ぐわっと手を伸ばすと、アキヤは楽しそうな悲鳴を上げて逃げまわり、リテの後ろから「こっちだよー」と顔を出した。

「ミナトの髪、伸びたね」

 リテが笑いながら言う。その嬉しそうな顔が眩しくて、ミナトはまっすぐ見ることができない。

「まだまだ短いよ」

 はにかんで言って、勝手にゆるむ頬を、なんとか、引きしめた。

「山菜は、いいものは見つかった?」

「うん。今年の夏もあんまりお日様が出てくれなかったから心配していたんだけど。でも皆、それぞれに頑張っていたわ」

 リテの手元のざるには、種類ごとに分けている途中の山菜が山になって盛られていた。ミナトはそのとなりに屈み、山菜を手に取った。

「これはイワブキだろ。こっちはミズブキ、これはアザミ。この花はハギだよな。あ、サビナもある。やった」

「ミナトはサビナが好きだもんね。ちょっと多めに採ってきちゃった」

 リテが笑って言うので、「ありがと」とミナトはまた、はにかんでしまう。

 いつからだろう、リテの一言一言に、こんなに心が大騒ぎするようになったのは。

 鳥を水の中でひっくり返しながら、ミナトは「あのさ」と何気ないふうを装って言った。

「リテは皆みたいに、模様が入った小刀が欲しいとは思わないのか」

 リテと同じ年頃の女たちは皆、つかにもさやにもびっしり模様が彫られた小刀を使っているのだが、リテの小刀にはその模様がなく、表面がつるりとしている。

 山菜の茎を切っていたリテは手を止めることなく苦笑した。

「そうね。いずれ機会があったら、そういったものも持つことになるとは思うんだけど。私自身から欲しいと思ったことはないかな」

 ―――それは、もらっても嬉しくないってことか?

 そっか、と口では返事をしつつも、浮足立っていた気持ちから一転、ミナトの心はしおしおと小さくしぼんでしまう。

「おい。おい、ミナト」

 後ろからユテルに呼ばれた。「何?」と近寄ると、肩に腕を回された。

「あのな。心配しなくても、お前からならリテは喜んで受け取ると思うぜ。叔父の俺が言うんだから間違いない」

「はっ?」

 ミナトはユテルの顔を見ようとして、慌ててそっぽを向いた。

「何の話?」

 ユテルがにやにやと目を細める。

「今お前が作ってるあの小刀、秋祭でリテに贈るんだろう?」

 ミナトは下唇を噛んでユテルをねめつけると、その脇腹を両側からわし掴みにした。うひょっとユテルが変な声を出す。

「絶対、絶対、人に喋るなよ!もし喋ったら恨むからな!」

「喋らない、喋らないって。おい、やめろ、うひひひひ」

 ユテルはミナトの手を避けながら笑っている。

「二人で内緒話?」

 首をかしげるリテに「何でもない!」と慌てて言った。

 歳の近い狩猟仲間たちに、女がもらっていちばん喜ぶものは何かと訊いたら、彫刻した小刀が良いだろうと教えてくれたのだ。口の軽いユテルにバレたらたちまち話が広まってリテの耳にも入るのではないかと思って、今までずっと隠していた。

「アキヤ、水きりするか!」

 ユテルを押しのけて石を拾いに行くと、ざるの中から木の実をつまんでいたアキヤが「いいよ!」と立ち上がった。

「おれ、向こう岸まで届くもんね!」

「この距離なら俺だって届くさ」

 子どもだなあ、とからかうように見ていたユテルも、すぐに「そうじゃねえよ。いいか、見てろよ」と参加してきて、男三人が夢中になって川に石を投げるのを、リテが楽しそうに見守っていた。





 集落に戻って朝食の残りを軽く食べると、ミナトはすぐに家の外に出て、鳥の解体に取りかかった。

 ユテルがミナトの分も弓の弦を張り替えてくれているので、ミナトが三羽とも一人でさばいている。今夜の夕食にするには二羽で十分なので、ミナトが仕留めた鳥は捌いた後に、ホタの家に持っていくことにした。

 ぶちぶちと羽をむしると、たちまち手が羽毛まみれになり、こぼれた羽毛が風に乗って転がっていった。残った羽を焼いてから、首を切り、そこから指を入れて肺を引っ張り出す。包みに使う葉の上に、内臓をべちゃりと置いた。

 ミナトが森に来て、およそ半年が経っていた。

 春には子どものようにやわらかかった山の色も、今ではすっかり濃く、凛々しい緑に染まっている。つい数日前には、朝の空気に、はっとするような濃い秋の気配を感じた。

 こうして木陰でむしろを敷いて座り、さらさらと葉擦はずれの音を聞きながら鳥を捌いていると、日本での生活がまるで夢だったかように遠く感じた。

 今のミナトは朝から晩まで汗と煙の匂いをまとっていて、小さな黒い虫がぶんぶんと円を描いて飛ぶ草むらで用を足すことも、もうためらいは感じない。洗剤の匂いはすっかり忘れてしまったし、代わりに、干した寝藁ねわらの匂いを良い匂いだと感じるようになった。スマホやタブレット端末を操作していた手は、今や小刀を自在に扱えるようになっている。

 生まれ変わったな、と思う。

 今のミナトは森に生きる一人の男だ。機械に頼ることなく、自分の手足だけで、自然の中から生きるに必要なものを調達してくる。日本の大学生だった湊斗はもういない。

 思えば、日本での生活は殺すということと縁遠くありすぎたのだ。

 初めて狩猟仲間たちと一緒に鹿を追いかけた時、動けなくなった鹿の黒いつぶらな瞳と目が合って、ミナトはつい、心の中で鹿に謝った。初めの頃は兎や小鳥など、見た目がかわいい動物を殺すことには特に抵抗があった。

 しかし今ではそれも感じなくなっている。生物は皆、他の命の体を奪って生きていくのだ。そうすることでしか生きられないのだから仕方ない。それが自然の摂理というものだ。

 この森の人びとは、他の命が「体をくれた」のだと言う。だからそれに感謝して、その体と共に在った命が次の生でより幸せになるようにと祈る。

 もちろん、その考え方が間違っているとは言わない。日本にだって「いただきます」という感謝の言葉があったし、美しく豊かなパドマの森によく似合う、素敵な考え方だと思う。

 しかし一方で、ミナトはそれを単なるごまかしだとも感じていた。生きていくということは他の命を殺し続けるということなのだから、それに対して謝るのも礼を言うのも、ミナトには偽善のように思えてしまう。殺される側にしてみれば、面白半分で殺されようと、感謝されて殺されようと、死にたくないものは死にたくないだろう。

 むしろ違いがあるとすれば、それは人間の気持ちのほうで、感謝するというそのことが、ただ食べるだけの動物と、人間とを区別する心の砦になっているのかもしれない。

「よし」

 三羽分の肉を部位ごとに切り分け、ミナトは腕で額をぬぐった。

 塩をつけて焼いたら美味いだろうなと考えると、自然と、口の中に唾が湧いてくる。



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