第12話 龍宝珠 (依正不二)



 大路に沿って並ぶ貴族の邸も、大内裏だいだいりに近づくにつれて、主の位は高く、やしきは大きくなっていく。左大臣である佐衣雅サイガ王の邸などは、大内裏にも見劣りしない立派な築地ついじに周囲を囲まれ、庭では、夜闇に沈んだ松の陰で蛍が舞っていた。

「して、その龍宝珠りゅうほうじゅというのは、確かに陰の気を持つものなのか」

 土壁で囲まれた寝所で、佐衣雅王は声を潜めて言った。

 じとりと、息苦しい暑さが狭い部屋に満ちていた。この季節なら開け放たれているはずの開き戸はぴたりと閉じられ、燭台の火が揺れることもない。人払いがしてあるのか周囲に物音はなく、ただ佐衣雅王が手の中で弄ぶ碁石が擦れて、時折、かちかちと硬い音を響かせるだけだった。

「佐衣雅王は、摩台マタイという国の名をご存じですか」

 眉をひそめる佐衣雅王に、阿万アマンは言葉を続ける。

「沙羅が馬波浪マハロの豪族たちを平定する以前、狗南流クナルという王朝がこの地を統治していたということまでは、知っている者も多くおります。しかし、長きにわたる戦乱によって失われた歴史のなかで、狗南流よりも先に、そして伝説によれば最も長く馬波浪に栄えていた王朝、それが、摩台マタイでございます」

 ほう、と佐衣雅王が声を漏らす。

「この摩台の時代、馬波浪では龍が篤く信仰されておりました。今、馬波浪の各地にかろうじて残っている龍神にまつわる伝説はそれぞれ食い違いも多く、その実態がどうであったのか正しく知ることはもはや出来ませぬ。しかしながら、各地の話には必ず共通する部分があり、その一つが、龍神は森羅万象を従える絶大な力を持っていた、ということ。そしてもう一つが、龍神は己の力が宿った宝玉、もしくは力の源それ自体とも言われる宝を守っているということでございます」

「森羅万象を従えるということは、つまり、叶わぬ願いはない、ということか。すべて己の望むままに出来ると」

 佐衣雅王は俯きがちに脇息きょうそくにもたれたまま、睨むように阿万を見た。その視線を平然と受け止めて、阿万は変わらず静かな声で王の言葉を肯定した。

「それが真なら、世に二つとない至上の宝よのう」

 佐衣雅王は信じていないかのように口の端を上げて言ったが、その瞳はぎらぎらと強い輝きを宿していた。佐衣雅王が身にまとっている薄紫の上衣は、灯りを受けて花の紋様を浮かび上がらせていたが、瞳の獰猛どうもうさがその優美さを打ち消して、王を一匹の野獣のように見せている。

「陰陽道では、この世のすべてを陰と陽、二つの属性に分けて考えます。たとえば昼は陽に属し、夜は陰に属する。生は陽に属し、死は陰に属する。支配は陽であり、服従は陰。男は陽であり、女は陰。そして、金属と火が陽に属するのに対して、水と木と土は陰に属します。龍は古来より水を司るといわれておりますから、陰陽に即して言えば、陰にあたるのでございます」

「納得した。しかし泥華でいかなど、水さえあればどこにでも咲く。ドブの中にすら咲くというのに、どうやって泥華の森なる場所を見つけたのだ」

 佐衣雅王に目を向けられて、那武持ナムジは気が昂るのを感じた。この邸で働くようになってしばらく経つが、他にも多くの使用人がいるなかで、那武持が佐衣雅王とこれほど近い距離で言葉を交わすのは初めてのことだったからだ。

 しかし那武持はそれを表に出すことなく、佐衣雅王の目を見返した。

「父が郡司を勤める領地で、義倉ぎそうに盗みに入った男が命乞いをする際、自分の故郷に龍の宝があると話したそうです。男の故郷はパドマの森という名前だそうで、その男の話によれば、パドマとは泥華のことを指すのだとか」

「その場所は」

「南の大山岳地帯を越えた先、この馬波浪半島の南端です」

「何?」

 佐衣雅王が眉を寄せた。

「その男は、あの険しい山を越えてきたというのか」

「信じがたいことですが、そう申していたようです」

 明らかに佐衣雅王の目に疑いの色が浮かんだのを見て、那武持は内心で焦った。

 龍宝珠の力がどれほどのものか分からないが、活躍次第では、那武持は今後、佐衣雅王に重用されることになるだろう。左大臣である佐衣雅王の目となり耳となることが出来れば、それは即ち、この沙羅のまつりごとの一端を那武持が左右するということだ。それこそがかねてからの那武持の望みだった。一足飛びに望みを叶える機会が、今、那武持の眼前に現れたのだ。

「半島の南端は潮の流れが複雑で、かつ暗礁も多いことから船で近づくことも出来ず、沙羅が馬波浪を統治する以前から、まったく放置されてきました」

 気持ちは那武持と変わらないであろう阿万は、しかし那武持以上に淡々と続ける。

「しかし伝説の通りならば、その森こそが龍神信仰の発祥の地であり、馬波浪に信仰が広がって以降も人の往来はあったようでございます。今は草木に埋もれて隠れてしまっているとしても、馬波浪とその森を繋ぐ道がどこかにはあるのでしょう」

 佐衣雅王は唸って、手の中で碁石を擦り合わせた。那武持は息をひそめてその音を聞いていたが、阿万は佐衣雅王の心が傾いてきているのを感じ取って、さらに畳みかけた。

「泥華がごくありふれた花だからこそ、その名をあえて土地の名前に使う場所はそう多くはございますまい。寡聞にして、私は他に泥華の森らしき名前を聞いたことはございませぬ。しかもその上、龍の宝となれば、探ってみる価値は十分にあると思われます」

「分かった」

 佐衣雅王がうなずいて、身を起こした。

「那武持よ。明日からお前に暇を出す。郷里へ帰って男の語った話を確かめてまいれ。お前が戻り次第、こちらから探索隊を出すことにする」

 は、と那武持が頭を下げると、佐衣雅王はいっそう声を潜めて言った。

「良いか。くれぐれも内密にな。決して右大臣らにこの話を知られてはならぬ。後れをとってもならぬ。今夜のうちに支度を済ませ、明朝出立せよ」

「承知いたしました」

 ぎらぎらと輝くその眼差しを頭上に受けながら、那武持は伏せた顔に薄い笑みを浮かべた。



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