第11話 飢える人びと (依正不二)



 新帝の即位式から半月ほど経った頃、那武持は市井しせいに紛れるような質素な服を着て、阿万に付き従って街を歩いていた。

 大路を外れて、裏口のような小さい城門から都の外へ出ると、踏み固められて自然に出来ただけの小道が川の向こうへと続いていた。

「このような汚い所に連れてきてしまってすまんな」

 阿万の言葉に、那武持は「いえ」と短く答えた。

「腕の立つ下男もいるにはいるのだが、この件には完全に信用できる人間しか関わらせたくなかったのじゃ」

「頼りにしていただけているのなら幸いにございます。しかし、増えましたね」

 阿万は那武持の視線の先を見てうなずいた。

 門のそばから、朽ちかけたあばら屋が城壁に縋りつくようにして、ずっと遠くまで並んでいる。都の内外にたむろする浮浪人は、年々、増える一方だ。

「税に耐えきれずに領地から逃げてきたのだろうが、都へ来たところで物の値段は皆、上がっとるからな。昨今はむしろ、都に流れてからのほうがひもじい思いをするであろうよ」

 大きな門まで出かけていく元気もない物乞いたちが、都城の中から出てきた那武持たちを見て、次々に手を伸ばしてくる。

「お慈悲を」

「お恵みを」

 まるでそこに誰もいないかのように彼らの存在を無視して歩きながら、那武持は阿万に言った。

「近国の不作は悪化する一方だと聞いています。加えて、川も氾濫が続いているとか」

「それも、鉄を作らせている国に限ってな」

 阿万が意味ありげな笑みを浮かべるのを見て、那武持は眉をひそめた。

「阿万様はあの噂が本当だとお考えなのですか。鉄を燃やすために山を荒らしたので、山の神が怒っているのだという、あの噂」

「本当であろうとなかろうと、何も変わらんよ。鉄が無ければ戦は出来ぬ。今後ますます増やすことはあれど、今の沙羅シャラに鉄を減らすという道はない」

 那武持はうなずいた。北東の蛮族の征討は続いているし、今も独立を諦めない南西の属国を抑えておくためにも軍備はますます増強しなければならず、それには何といっても鉄が必要不可欠だった。そのうえ海を挟んで西にある大国が、間にある小国を吞み込みながら少しずつ沙羅に近づいてきている。

 小道を外れた先にも、よく見れば下草に埋もれるようにしてわだちが残っていた。いくつもの手押し車が何往復もしたような跡だ。その上を歩いていくと、やがて崩れかけた神殿跡が見えてきた。

 神殿跡に近づくにしたがって腐った肉の匂いが強くなり、那武持は袖で鼻を覆った。天井が落ちた神殿の中に、無数の死体が折り重なって積み上げられている。

「おぞましい場所であろう。引き取り手のないむくろは皆、ここへ捨てられるのよ」

 阿万は愉快そうに言った。

 死体は皆、裸だった。ちょうど死体から着物を剥ぎとっていた男を、後から来た別の男が殴りつけ、着物を奪おうとして取っ組み合いになっている。端の方に隠れるようにして、死体から髪を抜き取る老婆もいた。死体の山にウジのように人がたかっているのを、石柱にとまった烏がじっと見下ろしていた。

「まるで朝廷の中のようだと思わんか」

 阿万に言われて、那武持は思わず喉の奥で笑った。それに気づいた阿万が満足そうな表情を浮かべる。

「争い、他者を蹴落とし、陰に隠れて己の利をむさぼる。人の道など誰も気にしてはおらん。まったく、醜悪なことじゃ」

「それが生きるということでございましょう」

 そうか、それが生きるということか。と阿万は愉快そうに那武持の言葉を繰り返した。

「腹を満たすも、心を満たすも、他者を食らう以外に方法はありません。食うか、食われるか。この世はそれだけです」

 もし人と協力することがあっても、それは互いの利害が一致している間だけだ。それも他者を食らうための、または他者から食われないように身を守るための一時的な協力関係。利害の天秤が傾けばそれまでの儚い関係だ。そんな関係を渡り歩き、自分より愚かな者を踏み台にして、上へ、上へと昇っていく。それがこれまでの那武持の人生だった。

「お待ちしておりました」

 ひとりの浮浪人が阿万に声をかけた。その手に薄汚れた包みを持っている。

「ああ、ご苦労。すべて揃っているな?」

「はい、ご用意できております。言われた通り、旦那さまのことは誰にも喋っちゃいません」

 阿万は呪文が書いてある紙を懐から取り出して、包みに貼りつけた。とたんに紙が黒ずみ、火元もないのに燃え上がって灰になる。

 阿万は目を丸くしたが、すぐに「けっこう、けっこう」と嬉しそうに笑った。

「なかなかの上物を集めてくれたようだな」

 はあ、と返事をしながらも、浮浪人は怯えた目で包みと阿万の顔を見比べている。

 阿万が新しい紙に呪文を書きつけて包みに貼ると、今度は紙は燃えず、ただの紙らしく静かに包みに貼りついていた。

 阿万は浮浪人から包みを受け取った。腰が引けていた浮浪人は、阿万が包みを受け取るや否や手を引っ込めて、その手を着物にこすりつけながら上目遣いに阿万を見た。

「それじゃ、旦那さま。残りのお代を……」

 阿万は懐に手を入れたが、ふと、考えるそぶりを見せた。

「こんな場所で財布を出すわけにはいかん。ついておいで。都城の門で渡そう」

 はい!と浮浪人は嬉しそうな顔をする。

「ああ、さすが、ご身分の高い方はちゃんとした商売をしてくださる。これで生活を立て直すことが出来ます。ありがとうございます」

 歩き出した阿万と那武持の後を、浮浪人はほくほくした顔でついてきた。

 小道まで戻ったとき、「そういえば」と阿万が口を開いた。

「知っておるか。西国で大きな地震があったらしい。それもちょうど、新帝が即位された日のことだそうじゃ」

「それはまた、時機の悪い」

「右大臣一派が騒ぎ出すぞ。今度の地震は陽に属する政(まつりごと)の頂に、陰に属する女が就いたせいだと、すでに噂が流れ始めとる。難が続くのは陽の気が高まりすぎているせいだと陰陽寮が奏上したのに乗っかって、次の帝には女がなるべきだと主張したのは佐衣雅王だからな。そのやり方を、今度は逆手に取られるというわけだ」

 阿万はちらりと那武持を見て、口元に笑みを浮かべた。

「最も、陰陽道も神も、お前は信じておらんようだがな」

「凡愚ゆえに、己の目で見た物事しか考えられないのでございます」

 良い良い、と阿万は手を振った。

「陰陽道も神も、所詮はまつりごとの道具。それが嘘か真かなど些末さまつな事よ。ただ、近年は前例がないほどに難が続いているのは確かだからな、皆が不安になっておる。白猪はくちょ胆玉たんぎょく霊亀れいきの甲羅、白兎はくと不死薬ふしやくに、龍宝珠りゅうほうじゅ……陰の気を高めるとされる宝物を、右大臣らも左大臣らも皆、わらにもすがる思いで探しておるのよ」

 都城が見えるところまで戻ってきたとき、木の陰でむしろにくるまって寝ている浮浪人が目に入った。ちぢれた髪だけが筵からはみ出て地面を這っている。その傍らに、先ほどは見かけなかった幼い子どもがしゃがんでいた。

 母子おやこなのだろうか、子どもは薄紅の花をいくつか握っていて、その実をむしり取っては、生きているのか死んでいるのかも定かではないその浮浪人の口元に持っていった。最後の一つを自分の口に放り込むと、あとに残った花びらを名残惜し気にしゃぶっている。幼い子どもひとりでは、物乞いに行っても大人たちに横取りされるので、ああやって雑草を抜いてきて飢えをしのいでいるのだろう。

 那武持が何の気なしにその様子を見ていたのは、その白い花が泥華でいかだったからだ。

 泥華はどこにでも咲いているありふれた花だが、今朝、普段は読まずに捨ててしまう郷里の母からの手紙に、たまたま、その名前が出てきていた。

「そういえば、さっき言った龍宝珠だがな。その宝が眠っているといわれる龍神の森のことを、龍神の名を敬い避けて、別名、泥華の森と呼ぶらしい」

 阿万の言葉に那武持は驚いた。

「陰の気を高める宝が、その森にあるのですか」

「なんじゃ。泥華の森を知っておるのか」

 那武持はうなずき、一瞬考えた後に言った。

「末の弟がそこへ探索に出されたと、母の手紙に」

 阿万は、ほう、と面白そうに目を細めて那武持を見た。その目がきらりと光る。

「やはり、お前は強運の持ち主よ」

 そう言うと、ふと立ち止まって空を仰ぎ見た。浮浪者たちは皆、城壁の陰になっている場所へ行ってしまい、じりじりと日が照り付ける小道には、前後左右どこにも人影はない。

「のう、那武持。野良犬がついてきておるようじゃ。追い払っておくれ」

「はい」

 阿万についてきていた浮浪人は、野良犬を探してきょろきょろと周囲を見回した。それらしい犬の姿はなくて、不思議に思いながら前に向き直ると、目の前で那武持が太刀たちを振りかぶっていた。

 干からびた草むらの中に浮浪人の身体が沈み、血が小川のようになって流れ出ていく様子を、ただ一人、木陰に座った幼い子どもだけが、薄紅の花を握りしめて見ていた。

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