第7話 森の人びと (生死不二)
熱が完全に下がると、今までのだるさが嘘のように体が軽くなった。
フルナに「薬の材料を採りに行くから手伝ってほしい」と言われ、衣食のすべてを世話になった手前、断ることも出来ず、ミナトはその日の昼に、初めてエナの家から出た。
低い茅葺きのひさしの下をくぐるようにして外に出て、ミナトは目を見張った。
山を二つに裂いたような急峻な谷がずっと続いている。山の背は鋭く尖っていて、触れたら手が切れてしまいそうなほどだ。谷のいちばん奥に挟まるようにして、空の色が凝ったように濃くなっていた。
「海だ」
呟き、吸い寄せられるようにして広場を横切って、崖の淵に立った。土の匂いを含んだ風が吹きあがってきて、ミナトは崖下を見下ろした。
山の斜面に茅葺き屋根をそのまま地面に伏せたような家々が建って、小さな集落をつくっていた。家の間を左右に縫うようにして曲がりくねった道が下まで続いており、道の脇の草むらには、紫、黄色、白、青、色とりどりの花が咲き乱れ、その上を白い蝶が舞っている。集落のいちばん下に畑があって、掘り起こされたばかりなのか、黒い土が見えていた。
チィチィチィヨーヨーヨー、チィヨチィヨチィヨ。ホー、ホー、ホキョケ、キョケケッ。ぴょ、ぴょ、ぴょ、ぴょ、ぴょ。
ミナトが聞き分けられるだけでも、数種類の鳥がしきりに鳴きかわしている。さわさわと葉擦れの音がして、そよ風がミナトの頬を撫でていった。見上げると、晴れ上がった空の下で、やわらかな緑をつけた梢が笑うように揺れていた。
何気なく腰にやった手がスマホを探していることに気づいて、ミナトは顔をしかめた。この世界で動画を撮っても、アップするSNSどころかネットワークサービスすらない。身についた習慣が虚しくてため息が出る。
「ミナトだ!」
突然、下から大きな声で名前を呼ばれてミナトはぎくりとした。曲がりくねった道を横切って、何人もの子どもが真っ直ぐにミナトのほうへ駆けあがってくる。子どもたちは草むらを四つん這いになって登ったりして、あっという間に距離を縮めてきた。
さすがに今は、子どもの相手をする気にはなれない。逃げようとしたが、踵を返した時にはもう遅く、ミナトはぐんと腕を引っ張られ、子どもたちに取り囲まれた。
「ねえねえ、前の人生のことを覚えてるって本当?」
腕をつかんだ女の子が、きらきらと瞳を輝かせてミナトに迫った。他の子どもたちも同じように、きらきらと瞳を輝かせてミナトを見つめている。仕方なくうなずくと、とたんに、わあっと歓声が上がった。
「別の世界から来たんだよね?どんなところなの?」
「空から音楽が降ってくるんでしょ?それで雲を突き刺すみたいな山があるんだよね!」
「山じゃなくて塔だよ!壁に宝石をいっぱいつけた塔が、空に浮いてるんだよ!」
「それ、私も知ってる!地面がぜんぶ水晶で出来てるんでしょ!食べ物はやっぱり宝石?お水はどうするの?」
「ニホンって大きい国?小っちゃい国?馬はいる?牛は?犬は?虹色の羽の鳥は?」
わあわあと騒ぐ子どもたちにたじろいでいると、「こらっ」と後ろから声が聞こえた。振り返ると、フルナとリテが来ていた。フルナはかごを背負っていて、服のすそに小さい女の子がしがみついている。
「ニホンのことを質問するなら明日からだって、アキヤから聞いてないか」
フルナに目を向けられた男の子が、「言ったって聞かないもん」と唇を尖らせた。
「このやんちゃそうなのが俺の息子だ。こっちは娘のオハル」
苦笑しながら言って、フルナは自分のすそを掴んでいる女の子を前に出そうとした。女の子は嫌がって、むしろフルナの後ろに隠れてしまった。
リテが膝に手をついて、子どもたちに微笑んだ。
「今日はミナトに村を見てもらう日だって言ってたでしょう?みんなも一緒に行く?」
行く!と元気な声が重なる。
「あの、でも薬を採りに行くって」
「急ぐこともないさ。寄り道しながらゆっくり行こう」
「こっち!」
さっそく子どもたちがミナトの手を引いて歩き出した。子どもたちが一つの手を数人で一緒に引っ張ろうとするので、指の股が裂けそうだ。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
ミナトは慌てて両方の手を子どもたちと繋ぎ直した。
朝の採集が終わった集落では、人びとが家の外でたむろして喋りながら、各々の仕事をしていた。ミナトは二股に分かれている袴がいいと言って着慣れたパンツスタイルに近い服を貸してもらっていたが、こうして眺めていると男でもスカート状の袴を履いている人が半数近くはいるらしい。大きな柄の色鮮やかな服を着ている人が多く、履いている靴は藁で編まれた草履だった。
ほとんどすべての家の前に、色鮮やかな五色の小さな旗が連なって屋根から地面へ張られていた。それらは祈禱旗といって、竜神に供えた後のものらしい。
村の人たちは皆、ミナトが近づいてくる前から興味津々といった様子でミナトたちを見て、楽しそうに顔を見合わせていた。いまだかつてないほどの注目を浴びて、ミナトはまるで動物園にでも展示されているような気分だ。もしくは間近で動物が見られることが売りのサファリパーク。
パレードを盛り上げる大道芸人たちのように、飛んだり跳ねたり、引っ張り合ったりしながら歩く子どもたちに囲まれて、ミナトは曲がりくねった坂を下りていった。
ある場所では毛皮が杭で伸ばされ、別の場所では糸にする前の植物の繊維が、もじゃもじゃとうねり、水を滴らせて干されている。木の周りで輪になって座り、上下二層に分かれた糸の間にしきりに小さな板を滑らせているのは、布を織っているらしい。ある人は陶器を作っている最中の泥だらけの手で、またある人は修理している途中の農具を手に持ったままで、親し気にミナトに声をかけてきた。何を解体していたのか、手と顔に血をつけたまま、にこにこと話しかけてくる人もいる。
「よう。これから、よろしくな」
「熱が出てたんでしょう?元気になって良かったわねえ」
「着るものは足りてるのかい。欲しいものがあったら何でも言いな」
「おせんべいを焼いたところなのよ。よかったら持っていって」
「エナ様に泣かされたら言いに来いよ。今度、皆と一緒に狩りに行こうな」
外から来た人間を警戒するどころか熱烈に歓迎する人々に、ミナトは戸惑った。うまく返事が出来ないミナトの代わりに、フルナやリテ、子どもたちが、毎回、集落の人々に返事をし、手を合わせて礼を言った。
やがて集落の中腹まで来て、ミナトたちは道を外れた。斜面を切って造られたらしい横に長い土地の一番奥に、床を胸の高さまで上げた倉が建てられている。上の広場にも大小二つの倉があり、下の畑の近くにも似た形の倉が見えていた。
家のすぐとなり、日当たりの良い地面に筵が敷いてあって、散らばった草や葉や枝、蔓に囲まれて、ひとりの老人が座っていた。
「ホタじいちゃーん!戻ってきたー!」
子どもたちが大声で呼びながら駆けていく。
「あのね、ミナト!ミナト、連れてきたんだよ!見て、見て!」
ホタと呼ばれた老人はミナトを見て顔をほころばせた。目尻に細かい笑いじわがたくさん集まり、たるんだまぶたの下で瞳が輝く。
「あんたがミナトかい。別の世界から来たって聞いとるよ。遠い所をはるばる、よう来たねえ」
はあ、とミナトはうなずいた。そんなふうに言われると、別の世界に来たというのに、まるで田舎の知り合いを訪ねたような気分になる。
ホタはフルナとリテに向かって手を合わせ、深々と、丁寧に頭を下げて挨拶すると、再びミナトに顔を向けた。
「どうだい、この森は。やっていけそうかい」
「いや……どう、ですかね」
「今日初めて村を見たばかりだから。まだ分からないよな」
歯切れ悪く答えると、フルナがそう言って微笑んだ。
「そうかそうか、じゃあ分からないね」
ホタは恥ずかしそうに笑うと、ミナトの腕をとり、手を握った。ホタの手は土色に染まっていて、爪は分厚く、皮膚は固かったが、まるでその下にわたが入っているかのように、ふわりと柔らかかった。
「さいしょは勝手がわからなくて苦労するだろうけどね、困ったら遠慮しないで、何でも言うんだよ。この森は本当にいいところだから。皆、助けてくれるからな。なんにも心配いらん。心配いらんよ」
なあ、と笑いかけられて、鼻の奥がツンとした。
先ほどからずっとそうだが、どうもこの森の人びとはミナトに対して距離感がおかしい。信用を得ようと努力したわけでもなく、愛想よく振舞ったわけでもないのに、はじめからまるで身内のように接してくる。そうすることに何の疑問も抱かないらしい。
もし事故に遭わず、園に帰省していたら、園の職員や仲間たちはこんなふうにミナトを迎えてくれたのだろうか。
唇を噛み、かろうじて「はい」と返事をした。その顔を、ひょいと、アキヤがのぞきこんだ。
「あれ?ミナト、泣いてる?」
「泣いてない!」
慌てて鼻をすすったが、フルナのすそを握っていたはずのオハルまでが「よしよし」とミナトの背中を撫でた。
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