第8話 花と流れ (生死不二)



「明日は絶対、ニホンのお話を聞かせてね」と念押しされ、子どもたちと別れた後、ミナトは畑の間を通って、集落の端まで来た。

 集落の出口には二本の柱が立てられていて、その間に数本の枝がぶら下がっていた。魔除けなのだとリテとフルナに言われ、ミナトは二人に続いて、その枝を揺らしてぶつけ合わせた。コロンカランと乾いた音が森に吸い込まれていく。

 クリやクルミ、ドングリなどの実がなる木を育てているという林を抜けると、うっそうとした森に入った。

 茂った葉で日の光が遮られていて、心なしか空気がひんやりとしている。人が通る道は階段が整備されていたが、そこを外れると、ごつごつした岩に苔やキノコがびっしりと生えていて、いかにも歩きづらそうだった。大きく曲がった木の根を厚い苔が覆い、そこから生えた草が垂れさがって、何か大きな生き物が頭をもたげているように見える。日当たりが良かった集落の道端や林の地面に比べると、まるで違う国に来たように植物の顔ぶれが変わっていた。

 森の小道を進んでいくと、やがて幅の狭い川に出た。水面は鏡のように滑らかで、ひかえめな水音に葉擦れの音と鳥の声が混じっている。向こう岸の笹藪だけが、風に吹かれて、ひらひらひらと忙しなく光っていた。

 ミナトはその川で、リテに教えられながら薬になるという花の実を集めた。赤ん坊の手の平ほどの大きさの薄紅色の花で、パドマという名前だそうだ。流れの緩やかな場所に咲いていて、顔を上げるとすぐに目につくほど、あちこちに咲いている。花と実が同時に生るようで、おしべやめしべに包まれるようにして、花の中に黄緑色の実がついていた。

 たびたび水につかる足が冷え切らないうちに、フルナから「もういいよ」と声がかかった。草履を脱ぎ、フルナが焚いてくれた火に足を当てて、ほっと一息つく。

「ミナト、寒くない?」

「大丈夫」

 答えると、リテが嬉しそうに微笑んだ。その表情を見て、ふと恥ずかしくなる。思えばこの森で目覚めてからずっと、ほとんど歳が変わらない女性を相手に、ずいぶん子どもっぽい態度をとり続けてしまった。

 フルナはリテからまだ散っていない花を受け取ると、その茎を取り去り、湯呑に入れて、沸かした湯を注いだ。

 受け取った花茶に息を吹きかけて冷まし、少し口に含むと、飲み込んだ後にほのかな甘みと共に花の香りが鼻を抜けていった。

「いい香りだろう」

 フルナに言われて、ミナトはうなずいた。

「茶葉と一緒に入れておくと香りを移すことも出来るんだけどね。そのままにしておくとすぐに香りが消えるから、パドマの香りだけを楽しむ飲み方は、こうして川に摘みに来たときにしか出来ない。この花も、君の世界には無かったのかな」

 言われてミナトは記憶を手繰り寄せたが、いまいちはっきりしなかった。

「似たような花があったと思うんですけど。そもそも植物には詳しくないから、よく分からないです」

「それならきっと、この世界のパドマほど身近な花じゃないんだろうね」

 フルナは二人が集めてきた実を手の平に載せて、ひとつひとつ確かめはじめた。

「パドマは水さえあればどこにでも生える強い花なんだけど、その実は人にとっても獣にとっても、おそらくは植物にとっても万能薬なんだ。薄めて飲めばお腹の調子も良くなるし、体や心が弱っている時に飲めば元気になる。煮詰めたものは傷に塗ると治りが早い。おまけに赤ん坊から老人、身籠っている女まで、みんな使えて、体に合わないということはまずない。だからこの森ではパドマの花を竜神さまの宝とも言うんだ。その竜神さますらパドマの花から生まれたという伝説があるほどだから、よほど大事にされてきたんだな。それでも、いつでもどこでも手に入る一番身近な花だから、この森で単に花と言う時は、大抵はパドマのことを指すんだよ」

「じゃあ、俺が飲んだ薬の中にも」

「入れたよ。ちょっと酸っぱかったの、分かったか?あれがパドマの実の味だ」

 確かに、苦くて酸っぱくて、後味が最悪だった。フルナはお茶を飲み干すと、湯呑に残った花から実をむしり取り、ひょいと口に入れた。

 あのさ、とミナトはちらりとリテを見た。

「リテは巫子だって言ってたよな」

「うん。エナ様と、トヨ姉さまと私が今代の竜神巫子なの。先代は男の人も含めて、もっとたくさん巫子がいたみたい」

「エナ様が、花は瞬間の命、流れとは永遠の命って言ってたけど。あの花も、やっぱりパドマのことなの」

「そうよ」

 リテはまだ嬉しそうだ。完全にこちらを子どもとして見ている。自業自得だが、なんだか悔しい。

「なんで、花が命?」

 尋ねると、リテは少し考えるそぶりをみせ、足元に咲いていた、ひときわ小さく頼りないパドマの花に指先で触れた。

「パドマの花ってね、咲いてもたった一日で散ってしまうの。フルナさんが今言ったように、パドマの花は、いつでも、どこにでも咲く強い花よ。だけど、そういうしたたかさと一緒に、あっという間に失われてしまう儚さを併せ持っている。それが、命の一つの姿」

 なるほど、とミナトはうなずいた。

「じゃあ、永遠の命っていうのは?瞬間の命とは別に、そういうものがあるの」

「別というわけじゃないの」

 リテは川を指さした。

「川って、ずっとここにあるでしょう?ある日突然生まれることもないし、突然消えるということもない。花が枯れる短さに比べれば、川は永遠だわ。それに、流れを捕まえることって誰にも出来ないでしょう?水をすくい取ることは出来ても、流れをすくい取ることは出来ない。これと言って指し示すこともできない。だけど、流れは確かにそこにあるし、現れ方が違うだけで常にこの世界に在る。捉えられないけれど常に存在している、その流れが、命のもう一つの姿」

 ミナトが首をかしげると、リテは苦笑した。

「とにかく、目で見えて触れられる命は花、目では見えないし触れることも出来ない命が流れって感じかな」

「つまり、肉体とか、物質としての命を花に譬えて、そうじゃない精神的な部分を流れに譬えてる?」

「そう思ってくれてもいいわ」

 リテはそう言うと歌いだした。


 花は世界 世界は花

 水の流れが形をして花となり 花の中に流れが現れる

 万物の王にして我らの親 慈悲深く賢き八百万やおよろずの神々のおさ

 竜神が眠るは深くくらい水の底 何ものにも染まらぬ清らかな流れ

 嵐の雲の上にも太陽が輝く如く 水面みなもが濁るとも水底みなそこは濁ることなし

 たけき濁流が清流を呑み込もうとする時

 竜神は地より湧き出で 世界を清流のうちに包み込む

 願わくば我ら 竜神の導きに身を任せ 清流の中に生死しょうじを繰り返さん


「姿や表情にその人の心が現れるように、流れは必ず、花の中に現れるの。流れと花は別々のものに見えるけれど、本当は、決して分けることができない一体のものなのよ」

 ふうん、とミナトはうなずく。命が永遠に続くものだとはとうてい思えないが、ともかく、それがこの森の考え方らしい。

「竜神さまはすべての清流、すべての幸福の根源よ。だから竜神さまに心を合わせて生活することが、清流の中で生死を繰り返すことになるの」

 ―――竜神の宝がパドマの花で、パドマの花は命の譬えか

 つまり竜神の宝とは個々の生命ということになる。なんとなく、この森の温かさの理由が分かった気がした。



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