八章 広目天
四十四話
夏休みが明け久々に登校した刃は、欠伸を噛み殺しながらぼんやりと、何も書かれていない黒板を眺めていた。
まだ担任の来ていない教室は様々な話題―――と言ってもほとんどが夏休み中の出来事―――でざわついており、どこからともなくある話題が刃の耳にも入った。
「そういや転校生来るらしいぜ」
「そうなのか?女?男?」
「いや、そこまでは知らねえ」
「お前一番重要だろ馬鹿」
「俺も又聞きだから仕方ねえだろ?」
「大体誰から聞いたんだよそれ」
「隣のクラスのお前が知らねえ奴。
見慣れない奴とこのクラスの担任が一緒にいたんだって」
刃はそんな会話がする方向をちらりと一瞥し、正面へと向き直した。
その時、教室の扉が開き一人の中年男性が「おはよう」と入ってくる。
真面目な生徒達からぱらぱらと返ってきた挨拶に手をあげ答え、教卓に手をついた。「あー少し静かに」生え際の後退が顕著になりつつある担任が言うと、徐々にざわつきが収まる。
室内を見渡し頷くと、「よし、入ってくれ」扉の方へと声をかけた。
静かになった筈の教室が再び騒がしくなる。
理由は教室に入ってきた転校生が原因だった。
それは目鼻立ちの整った中性的な人物だった。
大きなブラウンの瞳に形の良い、薄い桜色の唇に色白の肌。
ワイシャツにスラックスと言う制服姿と短く切り揃えられた髪のおかげで、男なのだろうと分かる。
逆に言うならば、長く伸ばした髪に女物の制服を身に着けていれば、女子高生だと名乗っても違和感の無い程だった。
「……かなりイケメンだよね」
「ぶっちゃけ、かなりタイプ」
女子達はそんな事を耳打ちしている。
少年がざわつく生徒たちの方を向いたのを確認した担任が、黒板に名前を書き始めると同時に、少年は口を開く。
「えっと、僕は
真はそう言って恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「……俺変な扉開いたかも」
「馬鹿、閉じろそんなもん。帰ってこい」
先程転校生が云々と騒いでいた少年達が、そんなやり取りをしている近くで、刃はキョロキョロと周囲を見渡している真と目が合ってしまい、気不味そうにすっと目をそらした。
今日の教室は真の話題でもちきりだった。
男女問わず彼の周りには人が集まり、休み時間の度に質問攻めにあっていた。
そうして放課後。
人に囲まれている真の隣を抜け、刃はいつものようにカバンの持ち手に手を添えながら教室を出ていく。
休み時間の度に行われる質問攻めに流石に疲れた表情を浮かべている真は、人と人の隙間から刃のカバンを見て、驚いた表情を浮かべる。
「ご、ごめん。今日予定あるから僕帰るね」
そう周りに断りを入れて、少し強引に人集りから外れると、刃を追うようにして駆け足で昇降口へ向かう。
途中でクラスや学年が違う生徒達に話しかけられそうになりながらも、昇降口へたどり着く。
真が校門の方へ視線を向けると刃は門を出ていく所だった。
真は靴へと履き替え慌てて追いかける。
スマホ片手にのんびり歩いていた刃にすんなりと追いつき、「あの、ちょっと」と真は軽く刃の肩に手を置く。
突然の事にビクリと体を震わせ、慌てた様子で振り向いた刃は真の顔を見て、「え?」と声が漏れる。
「えっと僕今日転校してきた馬岸真って言うんだけど」
「いや相当目立ってたしそれは知ってるけど」刃はそう答えた後、今日の出来事を思い浮かべる。だが、なぜ話しかけられたのかという理由は出なかったのであろう、「……えっとごめん、俺に何か用?」困惑した表情でそう言った。
「あぁ用ってほどでもないんだけど、学校周辺の事クラスメイトに聞いてみようと思って」
「あー悪いけど他当たった方が良いよ。俺あんまり出掛けたりしない人間だし」
「いやいや知ってる事だけで大丈夫だよ。
なんか気が合いそうだし、君に案内してほしいな」
気が合いそうと言う言葉に、刃は満更でもなさそうに「まぁ……今日何もないし良いけど」そう答えた。
「ありがとう。……えっとなんて呼んだらいいかな?」真は微笑みそう聞くと、「……俺は真九呑地刃。好きに呼んでくれていい」
「真九呑地君か。よろしくね」
「でここが赤井スーパー。
まぁここで大体の物揃うけど野菜とか果物はさっき言ってた黄田青果の方が安―――ってどうかした?」
「……いやまさか学校周辺の事聞いて、スーパーとか八百屋とかそう言った所案内されるとは思ってなくて。……なんでそんな食材事情詳しいの?」
「え?あーほら……親の買い物とかよく付き合わせられてんだ」
「へぇー」
二人が幹線道路沿いの赤井スーパーを通り過ぎ、細い路地へと曲がる。
「正直遊ぶ場所とか服屋とかは、隣町の方が選択肢多いからそっちは自分で探してみて」
「分かった、付き合ってくれてありがとう。
あ、後さ一つ聞きたい事があるんだけどいいかな?」
「何?」
「そのカバンの下の手、何?」
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